2002.1.27放送
作家・翻訳家の辺見栄さんを迎えて

辺見さん本辺見さんは昨年(2001年)「ケイコという名のオルカ、水族館から故郷の海へ」という本を出版されました。これは映画「フリー・ウィリー」に出演した雄のオルカ、ケイコを、故郷の海へ戻そうというプロジェクトを追ったドキュメント記録です。ひとくちに水族館で飼われている動物を野生に戻すといっても、そこには様々な壁があります。今回はそんなケイコを取り巻くいろいろな環境についてうかがいます。

ところで、そもそもケイコを故郷の海に帰そうというプロジェクトはどうやって始まったんでしょうか。
辺見さん「92年に「フリー・ウィリー」という映画が制作されて翌年公開されたんですが、これが凄いヒットになって、しばらく後にある雑誌が“ウィリーを演じたケイコという名前のオルカはまだ捕らわれの身です。しかもメキシコ・シティの遊園地の条件の悪い水槽で飼われていて、死にそうになってます”という記事を出したんです。映画を見た人にとってはウィリーとケイコは同じに見えてますから、映画同様ケイコも放してやりたいと考えた人が大勢いたんです。それも、おもにアメリカの子供たちがまず反応したんです。それで、遊園地のオーナーや映画を制作したワーナー・ブラザースに手紙を送ったりという動きが出たんですね。ワーナーは凄い反応にびっくりしてしまって、自分たちにはできないからサンフランシスコにあるアース・アイランド・インスティテュートという環境保護団体に依頼したんです。かわいそうだったのは、遊園地のオーナーで、映画でウィリーを殺そうとした悪役と重なって見えてしまったため、批判が集中したんですね。もちろん、大型の海洋生物を狭い水槽に入れて飼うということに対する批判はありますが、それは大きな水族館と同じことなわけで、とりたててメキシコ・シティのそのオーナーが悪い人であったということではなかったんですよね。」

それにしても、子供たちの意見が反映されてここまでに至ったということは世界的に見てもあまり例がないことなんじゃないですか?
「そうです。世界ではじめてのことですね。しかも子供たちが集めた寄付や大手の環境保護団体が集めた大口の寄付をまとめた形で、フリー・ウィリー・ケイコ基金を作ったんですから。で、その基金の会長さんがいうには全く先が見えないところに乗り出していったわけです。中には批判もあったんです。一体どうするのかと。意見が分かれてたんですね。水族館産業とか動物解放運動家とか獣医とか、保護団体の中でも意見が分かれてたんですね。そういうものを引き受けてしまったということなんです。会長は、もし子供たちがこれほどまで熱心にいわなければ、これはできなかっただろうと言っています。先が見えなかったことから、実は基金ができたときに目的をいくつかに分けてます。ケイコが伝染性の皮膚病にかかっていたから、ケイコ専用の水槽を作る必要があったわけですが、まず、その専用の水槽に移す。そこで健康を回復する。最初はそこまでかもしれないと思ったわけですね。もし健康が回復したら、そこでリハビリをしようと。でも、そこまでかもしれない。それならそこの水槽でケイコを一生面倒見ようと。で、もしリハビリがうまくいったら故郷の海に帰してやろうと。こういうふうにいくつかの段階を考えていて、そのひとつひとつを順調にクリアーしていったんです。」

今は既に故郷の海でトレーニングをしているわけですよね。
「そうです。トレーニング中ですね。すぐに故郷の海に放すというのは無理ですから、ウェストマン諸島の一番大きな島の湾に、大きないけす、サッカー場ひとつ分ぐらいの大きなものを作って、そこにケイコを放して、故郷の海に慣らすという。今までが水族館の水槽の中ですが、その湾には波も入ってくるし、風も吹きます。そこで慣れさせるということをやったんです。水族館産業の人たちは“それはケイコを殺すようなものだ。耐えられるはずがない”と批判したんですけど、ケイコはうまく順応していきました。そこで2年ぐらい過ごした後、今度は湾を仕切って湾全体をケイコに渡すんです。サッカー場20コ分ぐらいの広さです。言ってみれば自然のいけすですね。そこは潮の満ち引きもありますし、魚もいますから生態系ができてるわけですからね。最初、ケイコは戸惑いを見せますが、すぐに慣れました。で、今度は北大西洋の海に連れ出します。でも拠点はそのクレッツビク湾ですから、外で遊んだりしていても、帰ってくるのはその湾です。で、去年、また一歩進んだんです。今度は拠点を海に移してしまおうということをはじめたんです。漁船に食料とか、通信機器とかを積み込んで、北大西洋に停泊させる。ケイコはそこを拠点にして、野生のオルカと交流する、そこまで進んだんです。北大西洋の海にも慣れて、野生のオルカとも交流してというところまで進んだんですが、そのヘイマエイ島のそばにオルカが回遊してくるのは6月から8月まで。1年の間のたったの3ヶ月なんです。で、去年は時間切れだったんです。」

要するにケイコが野生のオルカと仲よくなって、一緒に移動していくことを望んだのに、タイミング的には去年は間に合わなかったと。
「かなりいい所まではいっていたんですが、難しいのは、群れがケイコを受け入れなければいけないんですね。受け入れるということは、一緒に狩りをしたりという生活ができなければいけないわけですが、そこまではいっていないようです。ただ一緒になって移動したりはしていると。ケイコは今年で4年目の冬を迎えるわけですが、通算するとまだ100日ぐらいしか、野生のオルカとの交流がないわけですね。今まで過ごしてきた20年近い年月に比べれば100日というのはあまりにもギャップがあるわけですが、中には人間に育てられてきたからだめだろうという人もいます。でも、まだあきらめるのは早いと思います。で、ケイコは置いていかれましたから、また湾の中に戻ってリハビリをしています。」

まぁ、子供たちから始まって、ばく大なお金もかけて一頭のオルカを野生に戻すプロジェクト、水族館関係者も含めて、あらゆる人たちの協力がなければできなかったことですよね。

「そうですね。ケイコは幸せなオルカだってよく言いますけど、私は幸せかどうかというのは疑問です。ただ、運のいいオルカであると。たまたまケイコが日本に来る可能性もあったわけですが、日本にきていたら、このプロジェクトはなかったと思います。また、もしアメリカの水族館に行っていたら、ケイコは映画に使われなかったと思います。アメリカの水族館は映画のストーリーを知って断りましたから。ですから、いろいろな面でケイコはいい時代、つまり野生動物は野生で、という主張が生まれてきた時代に、ちょうどいい場所にいて、映画に使われたことで多くの人が協力する態勢にあったということで、決して幸せではないけれど、運のいいオルカだということはいえますね。でも、ケイコの野生復帰に際して、水族館産業と動物の権利を守ろうという人たちの対立は、私たちが考える以上に熾烈なものがあったわけですけれども、ケイコの開放というのは学者と運動家だけではできないんです。どうしてもケイコを支えてトレーニングしていくということになると、水族館の助けを借りなければ達成されなかったと思います。」

こうしてケイコ・プロジェクトがいい方向に向かって進んでいるとなると、第2・第3のケイコ、他のオルカの開放はどうなんだろうと思ってしまいますが。
「ケイコというのは、非常に条件の悪いオルカなんですね。家族がわかりませんし、ケイコが捕まったアイスランドというのは捕鯨の国ですから、クジラ類を保護するための研究は全く行われていない。生態も生息数もはっきりわからない。しかも病気もあっていつ死ぬかわからない。ですからもっと条件のいいオルカ、例えばコーキー。69年ぐらいに捕まってかなり長生きしてますが、家族もわかってるし、健康ですから、水族館がOKすれば、そのまますぐに野生に復帰できます。あとは、フロリダにロリータという、もう20年近くたった一頭で飼われているオルカがいるんですが、このロリータも開放しようとしている人がいますが、このロリータも親戚がいますので、そこに連れていけば、野生復帰は簡単にできるんですね。世界の主張は、このような動物については20年もいれば開放してあげてもいいじゃないかというようになってきていますから、水族館がいいといってくれれば、野生に復帰できるという状態ですね。」

そういう意味ではこのケイコというオルカは、私たち人間にとっても新たに考えさせてくれる、学ばせてくれたオルカといえると思うんですが、今年の夏、また野生のオルカがアイスランドに戻ったとき、どんな行動を取るのか、期待したいと思います。

<ケイコの近況>
  気になる「ケイコ」の近況なんですが、辺見栄さんからこんな情報をいただきました。
 実は、去年の夏ごろに、「ケイコ」がリハビリをしているアイスランド、ヘイマエイ島の「クレッツビク湾」に、サケの養殖場を作ろうという話が持ち上がったそうなんですが、もし養殖場が作られると、水が汚染される可能性があるし、寄生虫の問題も出てくるので、「ケイコ」はそこにいられなくなるだろうと言われているそうなんです。
 そこで「ケイコ」のリハビリを進めている団体、「オーシャン・フューチャーズ」が「ケイコ」を移す場所を探した結果、やはり同じアイスランドがいい、という結論に達したそうで、同団体の副会長の発表によると、候補地となったのは、アイスランド本土の西海岸の真ん中あたりに位置する「スティキッショルムール」という場所なんです。
 そこは人も、船の行き来も少ない上、野生のオルカも近くにいるということが決め手になったようで、そんなあまり人に知られていない場所で、更に「ケイコ」のリハビリを行なうというのが、「オーシャン・フューチャーズ」の計画なんだそうです。
 ただ、問題は、「スティキッショルムール」という街が、「ケイコ」を受け入れてくれるかどうかだということなんですが、「クレッツビク湾」のサケの養殖場・建設が4月にスタートする予定なだけに、ちょっと気掛かりですよね。
 このプロジェクトは、ケイコを海に還すという意味では成功といえますが、最終ゴールは、「ケイコ」が人間ではなく、同じオルカの家族や仲間たちと暮らすこと。そういう意味では、まだまだ目が離せないわけですが、そんなケイコの動向については、英語ではありますが、「オーシャン・フューチャーズ」のホーム・ページの「KEIKO'S CORNER」で読むことができます。また、「ケイコ」の写真や声も聴くことができるので、ぜひ一度アクセスしてみて下さい。

*著書紹介/辺見栄さん
 『ケイコという名のオルカ〜水族館から故郷の海へ』
 集英社/本体価格、1,800円
 結果的に特別なオルカになってしまった「ケイコ」のドキュメントであり、「ケイコ」に関係する多くの人々の様々な思いを記録した、とても優れたルポです。
辺見さん本2 『ケイコ 海へ帰ったオルカ』
 集英社/本体価格、1,600円
 「ケイコ」の側にたって「ケイコ」の気持ちを表わした、子供向けの絵本です。 

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