2002年6月2日

京都大学・松沢哲郎先生を迎えて
『チンパンジー・アイとアユムの2年間』

今週のベイエフエム、ザ・フリントストーンのゲストは松沢哲郎(まつざわ・てつろう)先生です。
松沢哲郎さん

 皆さんは日本一有名なチンパンジー、と聞いて誰を思い浮かべますか? ほとんどの方が、文字や数字を理解するチンパンジーとして度々メディアにも取り上げられている「アイちゃん」と答えると思うんですが、アイちゃんは1976年アフリカ生まれ。1才の時に日本にやってきたわけですが、ちなみに、「アイ」という名前は、昔テレビ・ドラマでもあった「愛と誠」の主人公、「早乙女 愛」にちなんだものなんだそうです。そんなアイちゃんは京都大学・霊長類研究所の「アイ・プロジェクト」の主役として、日夜、コンピューター画面を使って、文字や数字のお勉強をしてきたわけなんですが、その勉強風景、すごいです!
 まず、コンピューター画面に向かって、自分で問題スタートのアイコンをクリックし、問題に正解すると、コインが出てくるようになっているんですが、今度はそのコインを自動販売機のような機械に入れて、ピーナッツやらのごほうびを自分で買うというその一連の流れを、いとも簡単に、やってのけちゃう! そんなアイちゃんにも2年前に「アユム君」というかわいい息子が生まれ、通常のお勉強に加え、現在、子育てにも奮闘中なわけですが、今夜のゲストは、アイちゃんをいつも暖かく見守っている、チンパンジー研究の第一人者。京都大学・霊長類研究所の教授、松沢哲郎さんです。“チンパンジーを知ることは人間を知ることだ”と考える松沢さんの研究の原点は、“チンパンジーがこの世界をどういう風に見ているのか”。それを知りたくて、チンパンジーの知性を探る研究に携わっていらっしゃるわけです。

●それにしても松沢さんとアイちゃんの関係は、ご自身はどう考えているのでしょうか。

「一応、私が先生で、アイが生徒。ただ、生徒といっても1976年の生まれですから26歳。26歳で先生と生徒というのもちょっと変だから、今は研究のパートナーと呼んでます」

●じゃぁ、師弟関係ということですね。それはアイちゃんも同じですか?

「そうですね。だけど、長い間慣れ親しめば師弟という関係を基礎にはしても、お互いなくてはならないものになりうるんじゃないでしょうか」

●そんな中、2年前にアイちゃんにアユム君が生まれたわけですが、アユム君にとって先生は?

「お母さんの親しい人といった感じなんでしょうね。アユムもとまどっているんじゃないかと思いますね。というのは、毎朝9時に必ずアイとアユムと同じ部屋に入って、向き合って1時間半を過ごすようにしてるんですけど、部屋に入ってアイの方に近づいていくといつもアユムが“ウォッ、ウォッ”と声を立てて、僕のところを叩きに来るんですよ。なんでこの人はこんなにお母さんと親しくできるんだろう、アイが必ず僕の言うことを聞いてくれるわけですよね。ここに寝てくれとか、こっちに来てお座りとか、アユムのものを取り上げて私のところに返してくれということを、言葉や身振りで指示するとその通りに振る舞うわけでしょ? アユムにとっては、自分にとって絶対的な存在である母親が、なんでこのオジサンにこうまで言うことを聞き、付き従うのか、よくわからんと、そういうことなんだと思いますけどね」

●研究所ではアイとアユムの親子以外にもあと二組、クロエと娘のクレオ、パンと娘のパル。アユム君が男の子で、あとが女の子なんですが、やっぱり、男の子と女の子ってチンパンジーの子供でも違うものですか?

「男と女という性別の違いよりは、現在2歳、あるいは2歳にたりないところですが、個性の方が際立ちますね。ひとりひとりの2歳前後の子供。アユム、クレオ、パル、一人ずつが随分違う。かつ、面白いのがものすごく色濃く母親の姿を映してますね。母親とそっくりな面があるんですよ。例えば、アイは出会ったときにくるりと背中を向けて肩をちょっとすぼめて、くすぐってという意味なんですけど、首の辺りをくすぐってあげるのが私とアイの間の挨拶なんですけども、ある日から急にアユムが全く同じ仕草をします。クロエの場合は同じ場面で唇を突きだして、唇のところを手で触ってもらうのが好きなんですが、娘のクレオがある日から急にそういう仕草をするし、パルでいうと、お母さんのパンが遊んで欲しい時には人間のように2足で立ち上がって、私の手を引いて遊ぶんですけど、パルも全く同じように私の手を引いて遊びに誘う。だから親がやってることをよく見てるんですね。親の仕草を見て子供は私とのつきあいのしかたを学んでいるように思いますね。
 もう一つは、生まれながらにしてやはり子供は親に似てるんですよ。例えば、パンとパルの親子を考えると、どちらも食べ物につられないというか、食い意地が張っていないというか。多くのチンパンジーはけっこう食べ物につられるんです。リンゴさえ見せれば言うことを聞いてくれるんですけど、決してそういうものでは動かない。もっとメンタルな結びつきでしか動かないという性質があるんですけど、そういう意味でお母さんのパンはちょっと変わったチンパンジーだなと思ってましたが、娘もそうですね」

●ホントに個性というのは人それぞれだと思うんですが、学ぶ能力もチンパンジーによって違って、アイちゃんはズバ抜けて覚えが早いとか、察しがいいとかというところはあったんですか?

「人間の学校教育と同じだと思います。一つの物差しで違うものを測れば、当然違いが出てきますよね。物差しで背丈を測れば、3人測れば違いが出てきます。同じように一つの尺度で、あるペーパー・テストで知能テストと称するもので測れば、当然点数は一人ずつ違います。でもその1枚の紙切れで知能が測れますか? そんなことはないですよね。知能と我々が呼びたい中身がたった一枚の紙で測れるはずがない。全く同じことがチンパンジーにも言えて、確かに24年前にアイ・プロジェクトを始めたときに、アイとアキラとマリと3人の子供のチンパンジーで、コンピューターを使った勉強を始めたんですけど、研究ですから、全く同じコンピューターを使って、全く同じ手続きで勉強するわけですよね。8つの品物の名前に対応する図形の文字を覚えるというのが最初の勉強だったんですけど、マリは120日かかりました。アキラは90日。でもアイは56日で出来た。それは、同じ方法でやるからですよね。当然人には早い遅いがあるわけでしょ。それは知能そのものじゃないと思うんです。たまたまアイはその勉強の場面にフィットしていて他の子よりも早くできたと、それだけのことでしょ。
 元に戻っていえば、一つの物差しで無理に測るから違いが出てくるんであって、それぞれひとりひとりに焦点を当てて、教え方を変え、褒め方を変え、やっていけば早い遅いというのはそんなに大きな違いとしては表れなかっただろうし、少なくても本質的な問題じゃない。そう思いますね」

●そんなアイちゃんを見ながら、日々成長しているアユム君っていうのはどうなんでしょう。

「もう1年以上前になりますけど、アユムが生後9ヶ月の時に、突然コンピューターの画面に触った。それまで生まれてから9ヶ月間一度も触ったことがなかった。ただし、生まれてから9ヶ月間、ずっと毎日お母さんの勉強の様子は見てますよね。お母さんの胸にしがみつき、おっぱいを飲みながらもお母さんの様子はじっと見てきたわけですけど、9ヶ月目に突然コンピューターに触った。しかもそれが、単にでたらめに触るんじゃなくて、ちゃんと“問題下さい”の白い丸を触る。そうすると問題が出てきます。“茶”という漢字だったんですけどね。その漢字を触ると初めて色が二つ出てきて、“茶色”と“桃色”でした。そのどちらか、この場合正解の“茶色”を選ぶと、100円玉がもらえるわけですけども、“問題下さい”“茶”という漢字“茶色”と、少なくとも3回画面に触れないと100円玉はもらえないわけです。ちゃんと3回触れた。しかもたまたま正解した。見てた研究者は非常に驚きましたね、みんな。
 でも、まぁそこに現れるのはチンパンジーの勉強の本質。出てくる結果が100円玉です。食べられるわけじゃありませんから食べ物のためにやってるんじゃないということは自明ですよね、はっきりしてる。何故やりたいかという究極の動機ははっきりと親がやってるその通りのことがしたい。それがチンパンジーの勉強、学習の本質」

●その際にアイちゃんが何かを教えてあげるとか、問題が間違ってたときに、違うわよって、人間のお母さんが手を出してしまうというのがあるじゃないですか。それとか、100円のコインがちゃんと入れられないときにお母さんが手伝って入れてあげるって。拝見したビデオからはあまりそういうところは見当たらなかったんですけど。

「ないですね。それは野生チンパンジーの場合もそうで、この場合にはコンピューターと場面は違って、例えば一組の石をハンマーと土台にして、堅いアブラヤシの種をたたき割って、中の核を採りだして食べるということを親がします。大体4,5歳になるとそれができるんですが、じゃぁ、1〜3歳は何をやってるかというと、親がやってる様子をじっと見てる。あるいは親が割った種をもらって食べる、奪って食べる。それから自分で色々試して学んでいく。その過程で親が人間だったら、“こうやって割るんだよ”と手を取って教えます。この石を使ってご覧とか、この種はおいしいよと、積極的に手を差し伸べる。まぁ、教示、というんですが、教え示すようなことがないですね。
 もう一つないものがあって、それは“よく出来た。素晴らしい”と、人間のお母さんだったら褒めますよね。それがない。アユムがやってるからといって、親の側から教え示すことはないし、親が褒めて、子供と喜びを共感するということはない。だからいいとか、悪いとかいうことではなくて、それがチンパンジーの親子の関係であり教育のあり方なんだと、私はそう思いますね」

●先生は研究所の方では人間の環境の中での観察というのをしているのと同時に西アフリカのボッソーというところでは、野生のチンパンジーの研究もしていらっしゃいますが、チンパンジーの研究というのがそんなにまだ古くない。ジェーン・グドールさんが1960年からですから42年。ある意味ではジェーンさんの研究が一番初期の研究といってもいいんじゃないかと思うんですが、そうすると、まだまだチンパンジーについてわかっていないことが多いと思うんですけど。

「おっしゃったようにジェーン・グドールさんが今年で42年。一方でチンパンジーの寿命が50年かそれ以上になるだろうと。ということは、42年しか見てないわけですから、人類はジェーンさんも私も含めて、誰も一人のチンパンジーが生まれて大人になって死んでいくという長い一生をまだ誰も見てないわけでしょ? 僕でいえば、25年しかやってませんから人生の半ばをようやく見つつある。アイが1歳の時から25になって子供をもって、さぁこれから人生の後半戦をやろうというところまで見てきたわけでしょ?
 やっぱり75まで生きて、チンパンジーの一生を見通したいですよね。その中で多分日々新しいことを見ることになるんだと思います。実際アフリカへ行って野生チンパンジーの研究もこの16年続けてるんですけど、毎回行くたびに新しい道具使用を見つけますし、新しいチンパンジーのエピソード、例えばハイラックス、イワダヌキという動物を捕まえて、取って食べるということは今まで知られていました。取って食べないで、それをお人形替わりにして遊ぶ、育児の勉強をする、そんなことがあるなんて誰も考えなかったですよね。まだまだ新しいことがアフリカの野外の暮らしの中から、あるいはチンパンジーを身近に見る日本の研究室から出てくると思います」

●比較した際に親子関係というのは、どうなんでしょうか。野生での親子関係と研究所、仮にいえばアイちゃんとアユム君の関係を見ると違いってあるんですか?

「そうですね。子供を育てるかぎりの親子関係でいえば本質的な違いは感じないですね。アイがアユムを慈しんで育ててる様子は野生のチンパンジーの親子の姿にぴったり重なると思います。ただ、そういった親子関係が取り結べる以前の段階で人間の環境で暮らしているチンパンジー。現在日本には373人のチンパンジーがいるんですけどね。多くは動物園です。249人が動物園にいます。そういった373人のチンパンジーをひとりひとり識別して、暮らしぶり、特に子供を生み育てる記録を見ると、チンパンジーで既に100例以上、妊娠出産の例があるんですけども、大体半分が育児拒否になりますね。お母さんが子供を育てない。ちょっと常識に反しますよね。子供を生んで育てるというのは、種を存続させる本能のようなもので、それがないと命が次の世代につながっていかないわけですから、そんなものは本能としてゲノム、遺伝子の中に組み込まれているべきですよね。組み込まれていそうなものだけど、そうじゃないっていってるんですよね。人間の環境で生まれ育つと子育てが出来ない。具体的には出産したと同時に“ギャッ!”といって飛びすさってしまう。なんか黒くて大きな悪魔がお尻から出てきた、そんな感じなんですよ。あるいは、そうでなくて、かろうじて子供を抱きしめたとして、天地が逆になっちゃって、頭が下になってしっかりちゃんと抱けない。そうすると子供は乳首にたどり着くことが出来なくって、段々やせ細っていく。ドクター・ストップがかかって人工保育になる。色々なケースがありますけども、そうやって育児が出来ないのが2例に1例。100例の出産があったら50がそうなっちゃう。野生ではそんなことないですからね。野生ではみんな子育てが出来ます。なぜなら、生まれてすぐの時から周りを見渡すと、子育てしてるわけでしょ? お母さんがいて赤ちゃんがいて、育ててる様子をいつもいつも見てるわけですよ。でも、人間の環境で人工保育された、ましてや一人で育てられたチンパンジーは仲間を見ることもなければ子育てを見ることもないわけでしょ? 必要な経験を小さなときに積まないわけですよ。すると大人になってからちゃんとできない。育児も本能だけで決まっているわけじゃなくて、幼いころに適切な時期に充分な量の経験がないと出来ない、そういうことだと思いますね」

●さて、最後になりますが、先生に今後の活動に於いて、座右の銘のような言葉を聞きました。

「自分の好きな言葉の中に『千日をもって鍛と呼び、万日をもって練と呼ぶ』と。まぁ、鍛練ということの中身は何かということでは、それは千日続ければ鍛と呼ぶにふさわしく、万日続けることによって始めて鍛練したといえる、そういうことだと思うんです。千日って、大体3年。あることに集中して3年やれば、まぁその道で精進して、“鍛”と呼べるレベルに達して、万日ということは十倍ですから30年。30年近くやったら鍛練した、その道に精進した、一定のレベルに達した、そういうことだと。それを具体的な一つの目標にして千日を頑張り、万日を頑張れば、僕の場合はチンパンジーですね。それぞれの人にはそれぞれの人生の目標があると思うんですけども、夢を追っていくというか。僕自身は鍛練という言葉が好きなんですけど、ジェーン・グドールさんが好きな言葉は“FOLLOW YOUR DREAM”なんです。夢を追いかけてということでしょうね。そしてそれに付随する彼女がいつも言うことは“YOU CAN MAKE THE CHANGE”あなたがこの世界を変えられる、あなたが自分の人生を変えられる、あなたがこの街の暮らしを変えられる。あなたの夢を追って、毎日努力しなさい。だから彼女が言ってることと、自分がモットーとしてきたことを重ねると、目標はできるだけ高いところにおいて、ちょっとずつ前に進める。別に人に勧めるわけではないんですけど、私はこういう生き方が好きだということだと思いますけどね」

●より深く、私たちもチンパンジーのことを知るためにも研究が進むことを期待しています。


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■松沢哲郎さんの著書&ホーム・ページ紹介

松沢哲郎さんの本

『おかあさんになったアイ』
講談社/本体価格1,500円/発売中
 「アイ」や「アユム」、そしてチンパンジーのことをもっと詳しく知りたくなったかたに松沢さんの著作をご紹介。チンパンジーの文化と教育について書いたこの本には「アユム」の誕生からの1年を綴ってあるほか、野生チンパンジーの暮らしぶりや、よくある質問に答えたページもあります。また、難しい漢字にはふりがながふってあるので、小学校高学年から読めるようになっています。
 ほかにも『チンパンジーの心』という本が岩波現代文庫から、『チンパンジーはちんぱんじん』という本が岩波ジュニア新書から発売中。また、松沢さんはつい最近までNHK教育テレビの番組「人間講座」の水曜を担当。その9回分の内容をまとめたテキスト・ブック『進化の隣人チンパンジー〜アイとアユムの仲間たち』はNHK出版から出ています。ぜひご覧ください。

 「アイ」と「アユム」の近況を知りたいかたは、京都大学・霊長類研究所のホーム・ページを見てください。かわいいアユムの写真もたくさん。
京都大学・霊長類研究所のホームページhttp://www.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/

 また、松沢さんは野生チンパンジーの研究家ジェーン・グドールさんとの親交も深く、「ジェーン・グドール・インスティテュート・ジャパン」略して「J.G.I.ジャパン」の活動をサポート。そんな「J.G.I.ジャパン」では随時会員を募集中。詳しくはホーム・ページをご覧ください。
J.G.I.ジャパンのホームページhttp://www.jgi-japan.org/

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オープニング・テーマ曲
「ACOUSTIC HIGHWAY / CRAIG CHAQUICO」

M1. THE WAY YOU DO THE THINGS YOU DO / UB40

M2. SPECIAL LADY / RAY, GOODMAN & BROWN

M3. TWO OF US / AIMEE MANN & MICHAEL PENN

M4. BETWEEN TWO WORLDS / NED DOHENY

M5. WHAT I AM / EDIE BRICKELL & NEW BOHEMIANS

M6. BABY MINE / ART GARFUNKEL

M7. KEEPING THE DREAM ALIVE / MFQ

エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
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