2003年6月22日

我らがオーシャン・セイラー・白石康次郎さんの
単独世界一周「アラウンド・アローン」奮戦記パート2

今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは白石康次郎さんです。
白石康次郎さん

 今週は先週に引き続き、我らがオーシャン・セイラー/海洋冒険家の白石康次郎さんの「アラウンド・アローン」奮闘記のパート2です。白石さんは、世界のセイラーが憧れる世界4大ヨット・レースのひとつ、アラウンド・アローン(去年9月にスタートし、たった1人で2万7000マイル、およそ4万3200キロを、約8ヶ月かけて風の力だけで世界を一周するという世界で最も過酷といわれるヨット・レース)に参戦し、日本時間5月8日の早朝、見事クラスIIで4位でゴールされました!
 今週は、そんなレースが終わってまだ間もない白石さんをお迎えしての第2弾。最大の難所といわれる南氷洋に突入する第3レグ:ケープタウン〜ニュージーランド・タウランガ、第4レグ:タウランガ〜ブラジル・サルバドル、そして最終レグ:サルバドル〜ニューポートのゴールまでを中心に、約8ヶ月にも及んだレースを振り返っていただきました。

●いよいよ第3レグ、ニュージーランドのタウランガに向けてのサザンオーシャンに突入ということですが。

「ケープタウンから頭の中に地球儀を想像して欲しいんですが、ケープタウンからニュージーランドまでの最短距離というのは南極を通った方が速いんですよ。でも氷もあるしヨットですから無理ですよね。なので、南極をクルッと回ってインド洋の下を通ってオーストラリアの下、タスマニアの下を通って、それからちょっと北上して、ニュージーランドの北側を回りました。で、タウランガ。オークランドのちょっと下ですね。そこまでのレグです」

●およそ7100マイル、約12700キロちょっとくらいの距離。

「そうです。そしてここをサザンオーシャンと言っているんですが、非常に海が荒れるんですね。ローリング40's、ホイール40度線、その下はよく台風が通過するところなんですね。そしてそのサザンオーシャンは常に波が高いんです。ちょっと吹くと6m〜7m波が立つんです。だからこのヨットレース界では非常に難所なんです。
 また、今まではずっと暖かいところを通ってきたのですが、これからは氷山の浮いてる港へ行くので、いろいろ装備ですね、ストーブを付けたり、セイルも風が強い用に替えます。レースの様子もガラって変わりますね」

●確か、クジラにぶつかったのもこのレグでしたよね?

「はい、衝突しましたね。よく聞いてはいたんですが、実際に衝突したのは初めての体験でした」

●どんな感じなんですか?

「私の当たり方は、波も3mくらいでフォローウインド、後ろから10ノット近くの風を受けて、結構いいスピードで走っていたんですね。その時は大きなショックはなくて、グッと船が止まって、『あれ?』って思って右側の窓を見たんですよ。そしたらものすごいでかい、本船用の浮きが浮いていたんです。そしてフシツボがいっぱい付いていて、『誰だ、こんなところにブイを落したのは?』と思いながら、ロープが絡んだのかなと思ったんですね。『しまったなー』って思ってもう1回見るとそのブイがグワグワ動き出したんですよ。それ、クジラの頭だったんですよ。そして逆側を見たらシッポがパタンパタンしているんですよ。要するに僕はクジラの背中の上に乗り上げていたんですよ。 それでクジラがグワグワ暴れだして、ヨットが揺れだして、クジラを引きずりながら5分ぐらい走っていたんですね。彼も逃げられなかったんでしょうね。やがてクジラが暴れだして、船から外れたんです。その時にクジラの尾っぽで、船の舵の半分を持っていかれたんですけど」

●白石さんも辛かったでしょうけど、クジラさんも辛かったでしょうね。

「辛かったでしょうね、大体船の大きさと同じくらい、12〜13mくらいのクジラで。幸い、僕は舵を半分持っていかれたけど、クジラはダメージがなかったと思いますよ。うまく自分で逃げていきましたから。非常に珍しいことでしたね」

●舵を半分持っていかれちゃって、その後はまたその修理ですよね?

「そうです、ニュージーランドでは修理が大変でしたけどね。そのレグは始まって1週間くらいで大きなストームが来て、ほぼ全部の船がひっくり返ってしまって、僕も無線機とか、計器類に水が入ってしまって、大変でしたね」

●でもこのレグの時ですよね、お正月を迎えたのは?

「ええ、クリスマスとお正月をこのレグで迎えましたね。当然、クリスマスセット、お正月セットを持っていきました。また例の如くクリスマスケーキを作って、祝いましたよ(笑)」

●(笑)。キッチンは充実しているんですよね?

「史上初の、でかいキッチンということで」

●そういうのを聞いていると、過酷なヨットレースなのに、いろんな意味でエンジョイもしながら旅をしている感じですね?

「世界一周はものすごく過酷ですから、真面目にやったらできません。シングルハンドの人達って、友達がいないからシングルハンドなのかと思ったら大間違いで、みんな明るいです。みんなユーモアを持っていて、そういう人間、その状況を楽しめる人しかできないです。あれを真面目に我慢してたらとても務まるものではないですね。レースも、過酷さも、正月も思いっきり楽しむ。クリスマスもみんな電話を掛け合ってメリークリスマスもしていましたし、みんなの日誌を見ても人一倍楽しんでますね。でないとあれだけ辛いことは耐えられないです。最初のスタート前に、クリスマスの日はみんなセイルをおろして休もうよとか、いろんなこと言っていましたから。たまたまクリスマスは天気良かったんですよ。だからみんな良いクリスマスを送ったと思いますよ。正月は荒れてて30ノットくらい吹いていてたんですが、それでも鏡もちを出して、俳句を詠んだりしてました」

『初波に 我が夢のせて 遊びをり』 By 白石康次郎

●そして、第4レグはそこからブラジルのサルバドルまでですよね?

「はい、第3レグも40日走って、8時間差で4位でしたが、この第4レグは日本から1番近いので、日本から応援団が来てくれたんですよ。でもそこで50項目を超える修理項目があったんですね。で、2〜3週間で全部直しました。おかげでスピリット・オブ・ユーコーはかなりのパフォーマンスに仕上がりました。
 次のメインイベントは悪名高きホーン岬を越えることです。ニュージーランドから南に下ってホーン岬、そこから北上して南緯の15度くらいの赤道近くまで行くんですよ。1番難所と言われたレグですね」

●このレグは、距離にして7800マイル、約14000キロちょっと。ここもやっぱり疲れましたか?

「一番問題だったのは、氷・氷山がかなり北まで上がっているというインフォメーションが出ていたんです。エルニーニョ現象で今までよりかなり北に上がっていると。でも、真っ直ぐ南に下ったほうが速いんです。さあ、どうするかということで、まともに突っ込んだ船はありませんでした。氷山を迂回しながら、回ってホーン岬に入りましたね。幸い氷山に激突した船はありませんでした。
 しかし、このレグは非常に大荒れで、クラス1の2挺がブーム(セイルを操作するもの)を折りました。あと、トップの選手がキールを傷めて島に入港してますし、デスマストで南米の町に入った船もありましたね。
 私の後ろを走っていたカナダは、ホーン岬で70ノットの追い風に遭い、波は12〜13mで自動操縦の調子も悪くて、ずっと彼らは寒い中、外で舵を握っていたらしいんですね。もうろうとしてたらしいです。その波にもまれて、ピッチポールといいまして、船が前転してしまったんです」

●えっ、そんなことって、あるんですか?

「あります。船のでんぐり返しですね。彼らはデッキにいたのでそのまま船と一緒に水中に潜り、そこでボキッてカーボンのマストが折れた音がしたらしいんですね。そのマストが折れたおかげでスッと船が起き上がって、彼らは船にしがみついて、海に放り出されなくて済んだんですね。それでエンジンをかけて1番近い港に入ったと。そういう出来事もありましたね」

●その頃、白石さんは?

「僕はですね、そこは非常にラッキーでした。ニュージーランドを出航して、ほぼ船が完全に仕上がって、私は高気圧と一緒に動いていたんです。なので20ノットくらいの風を常に受けて、前と後ろの船は常に荒れていたんですが、僕のところだけ1番良い風を受けて、ホーン岬までほとんど荒れることは無かったです。ストームに遭ったのも1回だけです。これはものすごく珍しい事なんですね。
 あと、今回は船がかなり沖だったんですね、初めて肉眼でホーン岬を見ることができたので、とても嬉しかったですね」

●どんな感じでした?

「暗い灰色の空に、尖った岬が見えて、とても感激したのを覚えています。これが悪名高きホーン岬かと。その後も順調で、今回初めて表彰台の3位に入りましたね」

●そして、ブラジルのサルバドルに入ったんですね。ここでもニュージーランドに続いて番組にお電話をいただいて、お話を伺ったりしましたけど、ここからがラスト・スパートという感じで、いよいよ進むわけですよね。

「そうですね、ブラジルでほぼ船は完成して、この状態でスタートしたかったというくらいで。ブラジルでは3週間くらいあったんです。そこで初めて完全OFFをとって、ヨットを離れてブラジルの南の島に行きました」

●あっ、バカンスを楽しんだんですね?

「バカンスを楽しみました。ブラジルに着いたら、みんなが『お前、休め』と言うんですよ。なので初めて2日間休みました」

●毎日、毎日スピリット・オブ・ユーコーにいたのに、初めて船から完全に離れた瞬間って、どういう気分でした?

「朝5時に起きて、原稿を書いていましたね、これさえ無ければと思いながら(笑)。でもサポートクルーのトニーと友達のマーフィーと男3人で南の島に行っても、あまり面白くないですね(笑)。女性のスキッパーの27歳のエマさんも『コウジロウ、水着見てもいいけど、絶対タッチしちゃダメよ、DON'T TOUCH !』って言われて、注意を受けながら、男3人で南のブラジルのアイランドで、生殺し状態(笑)」

●(笑)。それから、初めてのバカンスをエンジョイしたブラジルのサルバドルを出発して、アメリカのニューポートに向けての、いよいよ最終レグですね。

「このレグは、本船(一般の船)に気を付けること以外は、たいして危ない事は無かったんです。私のポジションは4位で、ライバルのカナダはマストを折ってしまってかなり後ろに後退していましたし、エベレストホライズンのチームを抜かせば3位になれたんですが、ここで面白いレース展開があったんですよ。
 クラス1のトップ、トミーヒルフィガーはどのレグも1位を獲りたかったんですよ。だから、僕も1位のブラッドも、2位のティムの船の動きをずっと見ていたんですね。ブラジルからアメリカまで、ブラッドはティムと同じ風を拾いたかったんです。なぜかというと、1位の船より2位の船の方が性能は上なんですよ。だから、2位の人間といれば必ず勝てるんですよ。だから、そういう選択をした。でも僕の船は40フィートなので、50フィートの2位のティムを抜かすには、同じ風では勝てないんですよ。だから僕は違う海面に出るという賭けをしたんです。ずっと沿岸沿いを行った船と、沖合を行った船。結果、どうなったかというと僕らが負けでした(笑)。賭けが見事に失敗して裏目に出て、少し遅れをとったんですが、要するに、海のどこを走ろうがかまわないので、そういうヨットレースの面白みというのはあるんですね」

●もうレースも最後ですもんね。

「そう。みんな面白いレース展開をしている中で、また最後に大きなストームが来たんです。その時に、クラス1のティスカレーといって、第2レグでマストを折った船が、またマストトラブルで、セイルが降りてこなくなっちゃったんです。32mの大きなマストのレールが壊れて、セイルが降りてこない、そこに大きなストームが来たんです。だから彼は50ノットの中、フルセイルで走ったんです。で、マストが折れてしまって、折れたままゴールしましたね。ガルフストリームという強い風とは逆の風でしたので、もう海面が泡立って、それはものすごかったですね。
 その時、私は3位でゴールしそうだったんですが、最後の2日間、これがものすごい霧だったんです。100m先が見えなかったんです」

●その時って、1番一般の船も多いときですよね?

「そうです、ゴール寸前のニューポートは軍港もある大きな港なんですが、もう夜中だと霧でマストも見えないんですよ。そんな状態で走るわけですから、もうレーダーと音に全神経を集中しながら走りました。あと1時間、10マイルという所でも、まだガスっているんですよ。こんなことでゴールできるのかなと思っていたんですが、最後、ゴール寸前にワーって晴れたんですよ。その晴れた瞬間、ニューポートの町が一気に見えてきたんですね。もう劇的でした」

●まるで映画みたいですね。

「映画みたいでしたね。それまで100m先も見えなかったのに、急にワーって町が見えだして、そこに迎えの船にみんな乗って来て手を振ってくれて、いよいよ多田さんが20年前にゴールした所、僕の思い出のスタート地点に、180日かかって無事ゴールしましたね」

●しかもそのゴールの日は、日本時間のお誕生日。

「はい、ブラジルをスタートしたときに、本当にバースデーフィニッシュをしたいと思っていたんですよ。僕は5月10日前後だと思っていたんですよ。本当に合わせたわけでも何でもなくて、バースデーフィニッシュをすることができましたね。その晴れ間はほんの一瞬で、また雨が降って雲っちゃったんですが、神様がちょっと御褒美をくれたのかな、と」

●ねー、ハッピーバースデーってプレゼントとして神様がくれたのかもしれませんね。でも、アラウンド・アローンというレース自体も180日で長かったですね。

「僕が『長いレースでしたね』って言われて思うことは、18年間なんです。多田さんに弟子入りしたときから僕のスタートなので、18年間かかってゴールしたときに、長い青春だったなと思いましたね。まさに青春の全てを賭けてきましたから。そして気持ちは本当に五月晴れでしたね。非常に爽やかな気持ちで一杯でした。
 前回のレースは文章で言うと“点”ですね。今回は“丸”です。やっと世界一周できるような人間になりました、今回世界一周して、18年間かかって思い描いた夢が叶ったということで。そして多田さんに本当にありがとうとお礼が言えますね。一区切りついたし、みんなも次はスピリット・オブ・ユーコーは卒業してスピリット・オブ・コウジロウでいいんじゃないのって言ってくれましたし、多田さんからも卒業かなというような感じですね。
 志はずっと持っていたいですけど、みんなの思い、僕のサポーターというのは十何年前から、ずっと応援し続けてくれていたので、今回の世界一周でやっと一区切りついたといった感じですね」

●それはスピリット・オブ・ユーコーでの一区切りであり、これからスピリット・オブ・コウジロウの新たなレグが始まるわけですね?

「(笑)。ゴールして、しばらくはゆっくり休もうと思っています。まだ出たいレースは一杯ありますね。ボルボ・オーシャン・チャレンジや、4年後のアラウンド・アローンとか。今までギリギリでやってきて、本当に勝負を賭けたというのはなく、お金や時間の制限もあったので、できるとしたら日本人初のクラス1、60フィートで、本当にしっかりしたチームを作っていいレースをしたいなと。子供達とも、世界中に友達を作って、いいレースをしたいと思っています。
 今は、とにかくここまでやってくれたみんなに、お礼が言いたいです。そして報告させて頂きたいですね。それから子供達には誇りを持って欲しいですね。君たちも参加したんだと認識を持ってもらって、喜びをみんなで分かち合いたいというのが今の気持ちです」

●先週、このアラウンド・アローンというレースがとてもフレンドシップで、スキッパー同士でも友情を大切にし、人間関係をとても大事にするレースで、また師匠の多田さんも“いつも楽しく”というモットーの中でやってこられた中、このアラウンド・アローンのレースも終わりました。油井さんもおっしゃっていましたけど、レースの全部が血となり、肉となっているんですね。

「そうですね、この1年間頑張った、命を賭け合った友情は忘れることはないですし、これ以上のものは手に入らないと思うんです。次に、もしクラス1に参加しても、また違ったものになると思うんです。だから今回のことも僕の人生で一生忘れることのできない宝ですね」

●改めて白石さん、本当にお疲れ様でした。そして、本当におめでとうございます。

「このラジオを聴いてくださった方にもたくさんの応援をいただきました。本当にありがとうございます。みなさんの夢をいつも心に描きながら走りました。皆さんの夢も世界一周ということを私が代表してやってきたということで、ぜひ皆さんも喜んでいただけたらと思います。そして、この喜びを分かちあって次の世代に伝えられたらと思っています。本当にありがとうございました」

白石康次郎さんをお迎えしての第1弾、「スタート〜第2レグ」の模様はコチラ!(2003年6月15日放送)

■このほかの白石康次郎さんのインタビューもご覧ください。

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■オーシャン・セイラー/海洋冒険家「白石康次郎」さん情報

 白石康次郎さんの公式ホームページには「アラウンド・アローン」中の、悪戦苦闘の航海日誌や写真、映像などがたっぷり載っているので、まだ見ていない方はぜひ一度アクセスしてみて下さいね。

白石康次郎さんの公式ホームページ:http://www.nagisa.tv/kojiro/

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オープニング・テーマ曲
「ACOUSTIC HIGHWAY / CRAIG CHAQUICO」

M1. THE ONE AND ONLY / CHESNEY HAWKES

M2. POETRY MAN / PHOEBE SNOW

M3. ISLAND GIRL / ELTON JOHN

油井昌由樹アウトドアライフ・コラム・テーマ曲
「FLASHES / RY COODER」

M4. SAILING / ROD STEWART

M5. SAILS / ORLEANS

M6. AND YOUR DREAMS COME TRUE / THE BEACH BOYS

M7. YOU'RE NOT ALONE / CHICAGO

エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
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