2003.07.13放送

三浦豪太さんが語る三浦雄一郎の背中
 今週は、今年5月にお父さんの三浦雄一郎さんと共にエベレスト登頂に成功したプロスキーヤー/三浦豪太さんを迎えてお送りしました。今回のエベレスト登頂は「世界最高齢の登頂」「日本人初の親子同時登頂」、そして同行の山岳カメラマン/村口徳行氏の「日本人最多の3回目の登頂」と3つの大記録が打ち立てられた登頂でもありました。そんな記録的な登頂にまつわる想像を絶するエピソードはもちろん、三浦ファミリーのユニークな親子関係や家族の絆の話題まで、たくさんのお話を伺うことができました。

●遅れましたが、エベレスト登頂成功、おめでとうございます。親子で、しかも今回の登頂では「70歳と222日での世界最高齢の登頂」、「日本人初の親子同時登頂」、そして山岳カメラマンの村口徳行氏の「日本人最多の3回目の登頂」とすごい記録を作られましたね。
「ありがとうございます。もともと狙っていなかったわけではないですが、登ったら記録になってしまったという感じで。父の70歳というのは世界でもすごい評価される記録で、フタを開けたら日本で親子の同時登頂もいなかったということですが、村口さんも、もう何度も登っているということで、すごい記録ですよね。
 村口さんというのはすごい面白いカメラマンで、僕たちが登る前に2度登頂しているわけですが、いつも『疲れた』とか、『酸素が薄い、頭が痛い』とか言っているんですよ。そのわりには同じ感じで、エベレストの頂上で酸素マスク無しで写真を撮っているわけですよ。『あれは苦しいな、やっぱり』とか言いながら(笑)。それにはビックリしましたね。8800mの高さというのは人間が生きていける限界の標高なんです。そこに無酸素で登頂した方も何人かいますが、それでも数人。そんなところでマスクを外して仕事をしているんです」

●よく聞く話では、エベレストとかに登頂してもあまり頂上にはいられないと言いますよね。
「そうですね。あまり上にいると危険で、降りる時間を考慮するとそんなに長くいられないですね。僕たちの場合、写真撮影や日本に一報を入れたりして45〜6分いたんです。結構長い時間いちゃって、ベースキャンプのサーダーという1番のリーダーからも『そんなことしてないで、早く降りてこーい』って怒鳴られて、『はい、すぐ降ります』って降りはじめたんですよ(笑)」

●今回の登頂もかなり大変な状況で、しかもストームとかで4日間足止めをくらったんですよね。
「あまり人に自慢できるような記録ではないですが、エベレストのベースキャンプから頂上に着いて降りてくるまで、14日間、2週間かかったんですよ。登山史上稀に見るスローペースじゃないかなっていう感じで。天気の回復を待ちながらキャンプごと滞在して、特に8400mで2日間、そのまえに8000mでも2日間足止めをくらってしまって、最後また降りて一泊したので、全部で5日間8000m以上の高さにいたんですよ。僕たちの場合は70歳の父ということで、普通の隊のキャンプにもう1個キャンプを作って、倍の時間、普通の人が1日のところを2日かける、2日間が倍の4日間になっちゃって、8000m以上の高さに4日間以上いるなんて、あまりいないんですね。
 やっぱり生きて帰るというのは大前提にあったので、さすがにキャンプ5で足止めをくらった時は、どうやって生きて帰るかというのをみんなで話し合って、とにかく生きて帰れば父も71歳になっても次のチャンスもあるし、すぐ天気が回復するかもしれないというようなことを考えて、降りることを考えたんですが、父も含めてみんな元気で、冗談も言い合えるし、食欲もあるし、8400mで人一倍食べるんですよ。外にトイレに行ってもちゃんと硬いモノが出るし、それって重要で消化器官がちゃんと働いていることで、維持できていて、高度順応が出来ている。事実、1日待ってその次の日に頂上にアタックしたんですが、その日の朝にはほとんど酸素マスクを使わなくても登頂できましたから。でも長くいるところではないですね、あそこは」

●エベレストに登る途中で、食べ物がかなり豪華だったという話を伺っているんですが。
「食欲というのはおいしくないと出ないものじゃないですか。ですから、なるべくおいしく食べれるように工夫をして作ってたりするんですが、なかなか既成のフリーズドライの山用の食品はあまり好きではなくて、結局、ニンニク、キムチ、豚肉、牛肉、長ねぎ、玉ねぎなど、スーパーマーケットで売っている考えられる全ての食材を出発前にフリーズドライにしちゃったんですよ。フリーズドライにしたらすごいおいしいんですよ、カリカリして。あれ、スナックにしたら売れると思いますよ。今度、三浦ブランドで売ろうかな(笑)。キムチとかも、藤島さんと言う方が、いろんな業者さんを知っているんですね。何でもフリーズドライにできると言うんです。なので、すべてフリーズドライにしてしまおうということで、こんな物までフリーズドライになっちゃうのかという、鶏のササミとか、カルビの肉もフリーズドライになっちゃったし、小っちゃく、軽くなるんですね。それを鍋に入れたら戻るんですよ。そして味噌とキムチを入れてキムチ鍋にしたり」

●まさか、エベレストの山の上で、キムチ鍋を食べているとは・・・。
「グルメでした、山頂では(笑)。キャンプ5まで鍋を食べていましたからね。出発の朝には、ちょっと食料が少なくなったので納豆汁にお餅とワカメとポンダラを入れて、すごいおいしい海鮮雑炊を食べていまして、すごい贅沢してました。ところが、箸を忘れてしまったんですよ(笑)」

●(笑)。それ、どうしたんですか?
「村口さんが外に行って、外のテントを張る用のポールをとってきて、切って、箸を作りました。それを外したからテントが飛んでいくんじゃないかと思いましたよ」

●普通のどっかの裏山でのアウトドアキャンプじゃないんですから(笑)。
そして今年は特にエドモンド・ヒラリー卿の初登頂から50周年ということで、エベレストという山がすごく注目されて、登頂を目指す人もすごく多かったと聞いていますが。
「多かったですね。僕たちが登頂した日は、5月22日だったんですが、その日も109人頂上に立ったという報告がされています、チベット側と、ネパール側の両方合わせて。ネパール側は50人くらいだと思うんですが、頂上近くではちょっと交通渋滞になって。交通渋滞と言うのは不適切だな、登山渋滞になって(笑)」

●レポートを読んでいると、前がつっかえて追い越すに追い越せないっていう状況だったと。エべレストの頂上でそんな並んで登っているんだっていう。
「本当に、海開きの初日という感じで(笑)」

●(笑)。そういうことを考えると、以前、登山家の野口健さんに出演していただいたことがあるんですが、彼は清掃登山をやっているじゃないですか。エベレストでも続けていらっしゃいますよね。
「今回、野口さんと会って感心に思ったのは、てっきりシェルパ達に任せてると思ったんですよ。しかし、実際に野口さんとその下にいる人達はゴミを拾っているわけですよ。ベースキャンプにいてもゴミを拾っている、キャンプ2でもそうです。今回はキャンプ3まで行ってテントを回収してきたんですが、そこの7300mもあるところまで無酸素で行って、普通に行くだけでも辛いのに、ゴミを拾って帰ってくるというのは自分自身がやって。シェルパというのはその隊のリーダーのリーダーシップが出来ていないと動かないんですよね。だからこそ野口健さんのグループは、野口さんというリーダーが動いてやっているからこそ、清掃登山が成り立っているんだなと思いました。
 例えば、登山の酸素ボトルとかというのは2タイプあると思うんです。面倒で捨てた人と、命からがらでやむを得なく置いていった人。だから一方的にはそこに酸素ボンベがあることを批判できないんです。しかし基本的には、山に持っていったものは持って帰るというのが基本ですので、それを実行している野口さんの行動は素晴らしいと思います。今回のサウス・コルには全然酸素ボンベがないんです。それはほとんど野口健さんが担いで降りたり、ラッセル・ブライスさんや田部井淳子さん達も10年くらい前からやっている活動の中での努力の結果だと思います」

●親子でエベレストの登頂に向けての半生を描いた御本、『父の大きな背中〜三浦雄一郎と僕の冒険物語』というタイトルで発売されているんですが、私、実はこの本を読む前から挑戦をニュースで追っていて『すっごいな、この親子』って思っていたんですが、本を読んで『この家族だったら、やるな』って思いました(笑)。すごい家族ですよね。家族旅行でキリマンジャロ、豪太さん11歳、おじいさま77歳で登っちゃうというのを計画するお父様もすごいですし、ついていっちゃうお母様をはじめとする家族もすごい!
「そうですね、僕たちの家族はそんな感じでずっときているので、父という大きなリーダーがいて、そのリーダーが何かやるというのに一人だと心配で・・・、ってそんなことはないんですけど(笑)」

●いや、少なくとも豪太さんはそんなことはないですね(笑)。最初は戸惑っても、お父さん得意の『ホラ!』でね、頂上近くに豹の足跡があるとか動物王国があるように勝手に思い、動物がいるはずもないのに、行ってしまったのでは?
「(笑)。そうですね、今回のエベレストでも酸素が無かったり、食料が無かったりしたときでも、一歩踏ん張れるんですよ。その先に何があるのか見てみたい、そういった好奇心を刺激するのがお父さんはすごい上手いんです。何事をするのにも、外的要因よりも、そこの景色を楽しんだり、スキーのスピードを楽しむとか、内側からくる楽しみ、その内側からくる情熱っていうのはものすごい強いんです。数多くの探検家がそれを求めたように、父はいつまでも少年のような心を持っていて、自分だけの中にしまっておかない、必ずその夢は人に伝染するんです。その『ホラ!』は、ものすごく巧妙かつ大胆で(笑)、スケールの大きな人ですね」

●御本では、小さいころからお父さんは自分のことを「相棒」と呼ばせていたということですが、いくつくらいまでそう呼んでいたんですか?
「僕が留学するまで、12〜3歳くらいまではそう呼んでいました。世界的に有名になってからはほとんど家にいませんでしたが、来た時には子供と一緒に遊ぶというのが父の優先順位の1番を占めていていて、子供と一緒に新しい遊びを考えるのが大好きだったんです。子供のころは一緒の遊び仲間で『相棒、コレやろう』、『相棒、一緒に海いって蟹つかまえよう』という感覚で接していて、最高の遊び仲間、遊びの達人でしたね。確かに、今は父や両親とはなかなか遊ばない、その理由の一つに遊びを知らないからって言うんですね。でも一緒に無邪気になって遊びを考えればいいんです。だから、子供と一緒に山の中で過ごしたり、何かをやって過ごすことが大事であって、何かを教えるというのは二の次でも大丈夫だと思います。その背中を見て子供は育っていくので、やはり一緒にいることが意味があると思いますね」

●ここまでは三浦家の男性陣のお話でしたが、三浦家にはとっても素晴らしい女性陣もいらっしゃいますよね?
「実は三浦家は、僕たち男3人束でかかってもお母さんやお姉ちゃんにはかなわないんですよ、やっぱり女は強いですね(笑)。いつまでも姉には頭が上がらないし。実を言うと今回のプロジェクトに注ぎ込んだエネルギーは姉が1番多いのではないかなと思うぐらい、マネジメントしてくれました。その力は母から来ていて、三浦雄一郎が7大陸を滑り、エベレストを滑りというのは母がすごいマネジメントをして、明るく接して、小さい体にはすごいパワーを秘めていて、どこにあんなに家庭を見守りながらも、世界的に注目される人物をマネジメントしているのかな、っていうくらいテキパキものをこなします。
 今回は本当に家族のコンビネーションが大切で、父がいて、僕の兄もベースキャンプの村長みたいに通信機器や情報をすべて握って、彼の情報を元に隊は動いていて、日本では姉がいて必ず色々な人の目に届くようにしていましたから。ですからミクロなところからマクロなところまで全て効率良く家族として動いていました。これからもこのコンビネーションを大事にいきたいと思いますね」

●そんな豪太さん、お父さんと一緒に今回はエベレストの登頂に成功しましたが、三浦ファミリーのファミリー旅行の計画はないんですか?
「来年、僕の兄に4歳のリオという子供がいて、おじいちゃんから見て4代目になるんですが、おじいちゃん、お父さん、兄ちゃん、僕、姉、リオにその下の1歳のユウキで、親子4代でロッキー山脈にあるスノーバードで、おじいさんの100歳記念スキー会をやろうかなと思っています」

●この三浦ファミリー恒例の行事、まだまだ続きそうですね。そのいろいろな夢を見聞きする私達にも力を与えてくれる三浦ファミリー、もっともっと素敵な夢を見させていただければと思います。身体だけは気を付けて、無理をしないように頑張って下さい。今日はありがとうございました。

■ I N F O R M A T I O N ■
 今週は、プロスキーヤーの三浦豪太さんをお迎えしてお話をうかがいました。

・『父の大きな背中〜三浦雄一郎と僕の冒険物語
 今回のエベレスト登頂に至るまでのお話を、豪太さんが書かれたこの本。豪太さんとおじいちゃまやご両親、兄妹との関係なども綴られていて、お子さんのいらっしゃる方には三浦家のユニークな教育方針は参考になることもあるでしょうし、自分自身の生き方を改めて見直すきっかけにもなる内容だなと感じました。ぜひ読んでみて下さいね。
   実業之日本社/本体価格1400円

・また今回のエベレスト登頂の記録集も2冊出版されました。こちらも合わせて読んでみて下さい。
 『70歳エベレスト登頂〜三浦雄一郎・豪太親子の8848m
    双葉社/本体価格1524円
 『高く遠い夢〜70歳エベレスト登頂記』 三浦雄一郎 著
    双葉社/本体価格1500円

・更に、登頂の記録や日記などは、三浦ファミリーのホームページに詳しく載っているので、ぜひチェックしてみて下さいね。
http://www.frontier-world.co.jp/miura_family/


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