2003.09.28放送

〜ドクターにしてフォトグラファー、井上冬彦さんの究極の癒しとは〜
 アフリカのサバンナに魅せられ15年も通い続けている、自然写真家・井上冬彦さん。最新の写真集「LOVE LETTER〜母なる大地に想いを込めて」は、美しい野生動物・親子・荘厳な風景の写真を通じて“命の輝き”や“安らぎ”を感じ、なにか癒されるものがあると評判です。今週はそんな井上さんをゲストにお迎えし、写真集の話題から、井上さんにとってのアフリカ・野生動物・本業である医者としての想い、そして写真に込められたメッセージについてまで、とても興味深いお話をうかがうことができました。

●自然写真家の井上冬彦さん。でも井上さんの本業は「井上先生」、お医者様でいらっしゃるんですよね?
「はい。でも、僕は医者と写真のどちらもライフワークだと思っていて、つまり僕の本当にやりたいのは命の表現者になることなんです。その表現をするうえで、一つには医者という方法があるし、一つは写真家というものがあると思うんですよ」

●写真家になられたというか、写真を撮り始めたのはいつ位からだったんですか?
「本格的に始めたのは、アフリカに行ってからです。今から15年前ですね」

●そのアフリカへ行かれた理由は何ですか?
「子供の時からの夢だったんです(笑)。子供の頃は、動物が好きで動物の番組をよく見ていて、将来は動物学者になってアフリカの大地に立ってみたいという淡い夢がありました。だから大学受験の時には、医者になろうか、それとも動物学をやろうか、どっちもやりたかったので迷ったんですよ。でも、どちらかというと医者になるのが怖かった。なぜかというと、当時の僕は人と話すのがとっても苦手だったんです。
 でも『出来るんだろうか』という思いはあったけど、逆に『逃げちゃいけない』っていう思いも出てきたんです。医者になってからでも動物学を勉強できるけど、動物学者になってから医者になるのは、まず無理だろうと。ということで、まず医者になってみようと思ったわけです」

●夢にまで見ていた、子供の頃からの夢だったアフリカ、実際に初めてアフリカの大地に降りたときって、どんな印象でしたか?
「なんかね、故郷に帰った感じとでもいいましょうか、とにかく気持ちがいいんですよ。それから、動物園とは違う本当に生き生きした動物達の姿を見て、ものすごい感動しましたね。日本では、なかなかそういう感動は無いと思うんですよ。そんな感動の中で『あ、この感動を誰かに伝えなきゃいけないな』っていう思いが出てきたんです。
 しかし僕には、それを絵で表す自信はないし、文章の自信もない。その感動を伝える方法を持っていませんでした。そんな時、たまたま父のお古のカメラは持っていたんです。でも、僕もたまに写真を撮ったことはありましたけど、全然素人以下のレベル。当然ですけど1枚も撮れてなかったんです。全部ピンボケでした(笑)。
 それが僕のスタートなんです。写真が好きでプロになりたいと思っている方は、徐々に上手くなっていったり、偉い先生について修業したりしてプロになっていくのに、僕のような全くのド素人が、ただ思いを伝えたいっていうことでプロになったというケースは、極めてレアじゃないかなと思いますね」

●じゃあ、最初は全部ピンボケの写真からスタートしたんですね?
「ええ、最初はピンボケばかりで悲しかったですね(笑)。でもね、すぐにもう1回行って撮ろうと思い、今度は自分のカメラ、レンズ、三脚を揃え、初めてポジフィルムにも挑戦したんです。でも、撮れませんでした(笑)。撮れるわけないんですよ、経験無いんだから」

●そうやって、井上さんが納得できる写真が撮れたのは何回目くらいでしたか?
「3回目でしたね。いまだに僕の代表作のうちのいくつかは、3回目の写真なんですよ。その写真をプロに見せた時は、みんな驚いていました」

●でも、何かそれって嬉しいですよね。
「ええ、まあ嬉しかったですけどね。でも、まだ自分の感動が伝わる写真じゃないと思って、それからもアフリカに行き続けることになりました」

●その、井上さんにとって3冊目の写真集が「Love Letter〜母なる大地に想いを込めて」になるんですよね?
「はい。それが個人で出す写真集としては3冊目になります。最初は、1996年に『サバンナが輝く瞬間』という写真集を出しました。それはどちらかというと、野生の決定的瞬間を収めた写真が多いです。その次に出したのが『サバンナの風に吹かれて』という写真集で、これは僕自身がサバンナで癒されているんですね。はじめは無我夢中で撮ってたので、キリキリしながら撮っていましたけど、そのうちにこのサバンナの空間の中で、自らが癒されてるのに気付き始めたんです。
 そんな中で、何となく自分が変わっていったと実感したのが、1995年の最初の写真展なんです。その写真展で『僕自身の感動を伝える』という当初の目的を達した気がして、すっごく嬉しかったんですよ。でもね、もっと嬉しかったことがあって、それは来た人から『元気になりました』『癒されました』『今日一日優しくなれます』、そういうような感想が山のように届いたことなんです。普通は写真展会場にノートを置いても、たかだか数ページしか感想を書いてくれないのに、僕の時は大学ノート1冊埋まったんですよ」

●それ、凄いですねー!
「凄かったですよ。それが僕の転機でした。当時は大学病院の医者をしていて、その時から医療というのは治療だけじゃダメで、治療と癒しがあってこそ医療なんだと思っていたんです。今は治療分野がますます進歩しているけど、癒しはどんどん隅へ押しやられている。これでは、患者さんが本当に求めている医療は出来ないんじゃないかって思っていたんですね。
 じゃあ、僕自身がそれを出来ていたのかっていうと、そうではありませんでした。それがとっても辛かった。大学病院の医療ってすごく忙しいんですよ。そういう癒しの行為をするには、よく話を聞いてあげて、よく説明しなければいけない。でも、それをすればするほど、患者さんをたくさん待たせることになるし、自分自身の首も絞めていくんです。
 でも、それが写真展で出来ちゃったんです。気持ち良くなる、元気になるということは、癒されたからそうなるんです。その行為を本当は医療の中でやらなくてはいけないのに、写真展で出来ちゃったんです。これは、感動なんてものじゃなかったですよ」

●でも、それは井上さんが意図してやったことではなかったんですよね?
「ええ、意図したわけではないですけど、その瞬間に僕の写真と医療とが全くリンクしちゃったんですよ。それから僕の写真に対する姿勢が変わっていきました。それまではもう『決定的瞬間を撮るんだ』という思いだったけど『人の気持ちを癒す写真が撮りたいんだ』という思いに変化していきました。そういう思いになってから撮った写真を集めて展覧会を開いたのが1998年です。そこで認められて僕の第2作目の写真集になったのが『サバンナの風に吹かれて』なんですよ。
 僕自身が医療の中で決定的に足りないと思っていたことが二つあるんです。一つは、やはり『癒しの行為』、もう一つは、日本人が考える『命の意味』です。医療としては延命することを目標に治療しますけど、一般の人も自分の人生は何なのかを考えていない場合が多い。その上、医者も考えてないから、お互いに最後の命をどう集大成をつけていくかが分からないんです。結局、医者もどうサポートしていいか分からないし、そして何となく延命してしまうから、その人の生命自体も輝いていないし、死ぬ瞬間も輝いていない。
 僕は大学病院で、そういう生と死ばかり見てきました。だから『命が輝いていること』そして終着点である『死の輝き』、それらをもっと世の中に取り入れられなければいけないと思ったんですね。でも、それを患者さんに話しても、概念的には分かっても、本当に心の中に響いてこないんですよ。だからその響いてくるものを作ってみたかったんです。
 サバンナに行くと命が輝いてるんですよ。なぜかというと、動物達の命の一歩先は死なんです。彼らにはその瞬間しかない。その瞬間、その瞬間を一生懸命に生きている。死が見えなくなると、生が輝かなくなるんですよ。だから動物達の命を見るとキラキラ輝いている。そんな「命の輝き」を撮って出来た本が、この『Love Letter〜母なる大地に想いを込めて』なんです」

●アメリカのネイティブインディアンの人達の言葉で「今日は死ぬのにいい日だ」というのがありましたけど、いい言葉だなあと思いながらも、やっぱり私にはそうは言えないなともずっと思っていました。でも、写真を拝見し、文章を読み、終わったときには「今日は死ぬのにいい日だな」って思いながら「死にたいな、死ねるかも知れないな」っていう気持ちに変わりました。
「ありがとうございます。それがこの本の意図なんです。でもそうするためには、文章で説明して頭で分かっても、魂には響かないんですよ。魂に響かせるには、徹底的に個々の写真が美しくなければいけないし、徹底的にその動物達の命が輝いていなくてはならない。それにはこだわりました」

●また今回の写真集には、親子の写真が多いように感じたんですが?
「僕がここで表したかったのは無償の愛なんです。命の中の大きな部分というのは、愛だと思うんですけれど、親と子がいればそこに愛があるということではない。親の愛とは子供を守ることじゃなく、子供が一人で生きていけるようにすることなんです。本当に小さいうちは守らなくちゃいけないですけど、やがて大きくなる子供に対しては独立させなければいけない。人間の特に日本の親子関係を見ると、親離れや子離れをしない人がすごく増えているように感じますけどね。ですから、ある意味ではすごく優しくて、すごく厳しい、そういう親子関係を表現しようと心掛けました」

●守るという言葉の解釈の仕方が、今は過保護という言葉で表すようになっている?
「親が守るというのが、親のためになっちゃいけないと思うんですね。あくまで『子供のために』という愛を描きたいと思いました。多くの方は、この写真を見て『かわいい』『ほのぼのとしている』といいます。でも、親子関係で悩んでいる人は必ず『切ない』と言います。
 無償の愛を見て、自分がそれを得られなかった、親が支配する愛で育った、子供が少ないから親は子供を支配しようとする人が、今の日本ではすごく多いんです。それで苦しんできた人達はこの写真を見て必ず『切ない』と言います」

●なるほど。じゃあ、井上さんの写真集を見て何を感じるかで、今の自分というものを改めて見直せるということですね。
「そうですね。多分、毎日見るたびに違います。すごく文章を短くしてますから、毎日全部読めると思います。動物の親子の写真や子供の写真ではニコッとして、そういう時は気持ちが軽くなる。大草原や大自然の写真では、中に吸い込まれていく感じがすると思いますよ」

●しかも、そういう時って深呼吸しちゃうんですよね。
「その、吸ったときに入ってくるのはサバンナの空気なんです。その瞬間に、その人はもうサバンナにいるんですよ。この東京近郊で生きているってことは、たくさんの鎧を身にまとって生きている、つまり現実を生きるっていうのは非常に大変なことなんです。でもサバンナに飛んでいった時は、鎧を全部剥いで損得や利害関係を考えずに素の自分になっている。その瞬間は気持ちがいいでしょ? それが、本当に癒されたときなんです。
 そして、それを何度も繰り返さなくてはならない。たまにじゃダメなんです。何度も繰り返して、素の自分って何かっていうのが分かってくると、本当に自分のやるべきことが向こうから出てくるんですよ。みんな、やるべきことって決まっているけど、分からない。それは、親が『こうなりなさい』とか、周りが『こうしなさい』っていうのに振り回されちゃっているからなんです」

●自分の人生なのに、周りの人に舵をとられてしまっているわけですね?
「そうなんですよ。ところが、本当の自分になる瞬間というものをたくさん作っておくと、やるべきことが見えてくるんです。そこで僕の結論なんですが、真の癒しというのは、本当の自分を生きることだと思うんです。だから、見て気持ちがいい、かわいいというのは短期的な癒しなんです。でも、もっと長期的な癒しというのは、本当の自分を生きること。それには、たくさん感動して、本当の自分っていうのをドンドン出していかなきゃいけない。
 人を癒すということは、自分を癒すことだと学んだように、人にあげればいいんだなあって思ったんです。今の社会って、人から奪おうとばっかりするでしょ? 人からエネルギーを奪う、これが支配ですよ。人から奪ったエネルギーを得て、生きている人ばっかりじゃないですか。だから、こんな嫌な世の中になっちゃうんです。
 でも、人にエネルギーをあげたら、相手が返してくれるんですよ。だから、写真展をやるでしょ? すると、みんなが素晴らしい感想にして、エネルギーを返してくれるわけ。そうすると僕は、さらにパワーアップしていくわけですよ。だから『あげればいいんだ』ということに気付いたんです。あげればもらえる、また力強くなってまたあげる、またもらう、その繰り返し。
 全ての本がそうなんですけど、心を病んだ人、入院してとても苦しい状況にいる人にプレゼントして欲しい本を作りたいと思いますね。その時ベッドサイドで見てニコッてしただけで、病気は治る方向に向かうんです。笑うということは自然の治癒力を高めるんです。それから『命ってこういう意味なんだ』ということから『死は終わりじゃないんだな』ということに気付く人もいるかも知れない。そうすると残された命を、いかに一生懸命生きるかを必死に考えるかも知れない。みんなにサポートしてもらって、それがまっとうできるかも知れない。そうなったらすごい幸せじゃないですか。
 だから僕は、この本一冊で医療行為をしようと思っているんです。それは人を癒すことであり、命の意味を気付かせることでもあります。でも、まだ未熟。これはまだ第一弾です。僕の最後の夢は、この本を見ただけで『あ、死んでもいいんだ』って笑顔で言えるような本を作ることが究極の目的ですね」

●それって、素敵ですね・・・。
「でもそれって、どんな哲学書も、どんな宗教書も成しえなかったことでしょ? 成しえるかどうかは分からないけど、僕の生きてるかぎりの挑戦です。個体の死は終わりじゃなくて、命は循環している。その中で自分は何をすべきかを、恐らくみんな知っているけど、その情報は埋没してるんです。なぜ埋没するかというと、大体は親の責任、親がいろんなことを押し付けるから、大切なことをどんどん奥底に追いやる。そしてこの社会が追いやってしまうんです。
 でも、それを引き出すのは感動なんですよ。医者が撮ってる写真集だからって、甘いと思われるのは心外なので、どこまでもシャープに、美しく、徹底的にこだわりました。まだ僕自身、写真が100点だとは思っていないし、まだまだ上手くなろうとは思っていますけど、1枚1枚にたくさんを込めて、その中で僕のメッセージをきちっと伝えられるような本を、20年後、30年後くらいに出来たら良いなと思いますね」

●私はこの写真集をもう一度、二度、三度、毎日見ながら、心の変化を感じつつ、この先の井上さんが撮られる写真を楽しみにしていますので、素敵な写真をこれからもたくさん撮って下さいね。今日はどうもありがとうございました。

■ I N F O R M A T I O N ■
 今週は、写真家の井上冬彦さんにお話をうかがいました。

■『Love Letter〜母なる大地に想いを込めて
 お話にもあったように、徹底的に美しさとシャープさにこだわった写真が満載の、井上さんの最新の写真集です。見ていると、とても優しい気持ちになるような写真ばかりです。是非、ご覧下さい。PHPエディターズ・グループ/本体価格2,000円で絶賛発売中です。

■井上さんの写真展、『サバンナに“いのち”輝く』
 10月9日(木)まで、新宿三井ビル1階のペンタックス・フォーラムで開催されています、ぜひお出かけ下さい。
 また、10月4日(土)の午後3時30分からは「スライド&トークショー」も行なわれるそうなんですが、こちらは会費制で、予約が必要です。
 詳しくは、ペンタックス・フォーラム、TEL03-3348-2941 までお問い合わせ下さい。

■井上さんの公式ホームページ「Breeze in Savanna」。
http://fuyuhiko.jp/

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