2005年5月29日

スイス在住、中島正晃さんの人生訓

今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは中島正晃さんです。
中島正晃さん

 スイス・グリンデルワルトにお住まいの「中島正晃」さんは94年、手作りボートで大西洋を横断、8ヶ月かけてニューヨークに到着。その冒険は大変評価され、95年に「オペル冒険大賞」を受賞しました。そして去年、70歳にして、やはり手作りボート(魚の形の!)で大西洋から太平洋、そして日本に行く計画を立て、挑戦しますが、予期せぬ事態が発生、断念します。そんな「中島」さんをお迎えし、常識にとらわれない発想や生き方に迫ります。

魚の形の船!?

 スイス・アルプスの名峰、アイガー(3970m)の北壁を望む美しい村「グリンデルワルト」で「ホテル・ベラリー」を営む「中島正晃」さん。番組でそのお名前を知ったのは96年3月に東京で開催された「オペル冒険大賞95」の授賞式でした。
 1994年、当時60歳だった中島さんは小さな手作りボートでスイスのバーゼルを出発、ライン川を下り、地中海を経て、大西洋を横断!およそ2万キロを8ヶ月かけ、たったひとりで航海、ニューヨークに到着しました。そんな偉業が評価され、「オペル冒険大賞95」の大賞に輝き、番組で後日、中島さんに電話でその喜びを語っていただきました。
 そして去年、中島さんは10年ぶり、70歳にして新たな大航海にチャレンジ。やはり自分で造った魚の形をした、全長6メートル、幅1.2メートルのボート、その名も「ホワイ・ノット号」で、今度はスペインのバルセロナから大西洋、パナマ運河を経て、太平洋を横断、横浜港を目指すという計画を実行に移しました。
 ところがバルセロナを出発した12月1日の深夜、嵐による激しい船酔いのために、バルセロナ沖30キロ付近で停泊、嵐が過ぎ去るのを待っていました。そして翌日お昼頃、たまたま通りかかった漁船が「ホワイ・ノット号」に何かが起こったと勘違いし、沿岸警備隊に連絡、現場に警備艇が急行します。
 中島さんは必死で航海を続けることを訴えますが、言葉の問題もあり、意志疎通がうまくいかず、警備艇に収容され、「ホワイ・ノット号」は港までえい航されてしまいます。その際、手荒くえい航されたために、船内に海水が入り、航行に必要な計器類が浸水のために使用不可能となり、中島さんは泣く泣く航海を断念します。
 でも中島さんは全くめげていません。そのたくましい人生訓を語っていただきました。

●中島さんは去年、ホワイ・ノット号という船でスイスから大西洋、太平洋を横断して日本に行くという計画をたてて実行したんですが、出発して間もなく断念せざるを得ない状況になってしまいました。その時のことは思い出したくもないですよね。

「そんなことないですよ。過去に起きたものっていうのは充分消化しないと下痢を起こしますからね。実際問題、1年間と700万を1日にしてなくしちゃったわけですけどね。その時のショックっていうのは大きいですよね。今までそんな失敗をしたことがないしね。でも、そのまま放っておくっていうのは自分の腹の虫が収まらないですよね。失敗したあと家に連絡したんですよ。そして彼女に『もうやめるから! 悪かった!』って言ったんです。でも、帰ってきて1週間もすると変な虫が起きてきてね(笑)、彼女に『すまん! 悪いけど・・・』って言ったの(笑)。そのあと友達からメールが来て、『何もしない男には何も起きないよ』って書いてあったんです。嬉しかったですね。それに『失敗っていうのは過程であって敗北じゃないんだ。しかも何かをして、それがうまくいくようなものだったら、テレビか映画の筋書きでしかありえない』って言ってくれたんですね。そういうことを言ってくれる友達っていうのはありがたいですね」

●中島さんは10年前にライン川を下り、地中海を経て大西洋を横断、たった1人でニューヨークまで2万キロを8カ月かけて航海されたわけですけど、それから10年経って去年、新たな冒険にチャレンジしたキッカケってなんだったんですか?

「10年前の船の形を考えたときのスケッチが残っていたんですよ。鉛筆の形だとか車の形だとか書いてある中に魚の形も入っていたんですよ。10年前のことですから忘れていましたけど、今回出て来たので『魚の形でやろう』ということになったんです。しかも、前回はエンジンは2ストローク(混合ガソリン)だったんです。それは非常に燃費が悪いんですね。ところが最近、小さなエンジンでも4ストローク(普通のガソリン・エンジン)という非常に燃費がいいものが出来たんです。それを考えたときにニューヨークだけじゃなくて、日本まで行けるんじゃないかって思ったんです。タンクが少なくて済みますからね。それもひとつのきっかけでしょうね。人間っていうのはごはんを食べてお腹がいっぱいになっても、お腹が空いてくるとまた食べたくなるんですよね(笑)。それと同じことだと思うんです」

●今回はそれが10年という期間だったということなんですね。ホワイ・ノット号という名前の由来は何なんですか?

「結局、何をしたっていいじゃないかという思いから来ているんです。その一番大きなことは船が魚の形でしっぽが前で進むんですよ。僕は人と同じことをするっていうのが大嫌いなんですよ。本能的にできないって言ったほうがいいかもしれませんね。人間っていうのは本能的に子供を作りますよね。同じ子供っていうのは出来ないんですよ。だから物を作るにしても、絵描きだとか小説家とか彫刻家は同じものを作らない。人間には本能的にそういうものが含まれているんじゃないかって思うんですよ。だから、当たり前といえば当たり前で、特別なことではないですよね」

●人とは違うということでしっぽが前なんですね。

「というのは、細いゴムをつけてテストをしたんですよ。しっぽを前にして引っ張った場合と、頭を前にして引っ張った場合とではしっぽを前にしたほうがゴムが伸びないんですよ。頭にゴムをつけると伸びるんですよ。伸びるということはそれだけ水への抵抗が大きいわけでしょ。川でそれをテストしたんですけど、単純にそれだけのことですよ」

●この船も中島さん1人で建造されたんですよね。

「そうです」

●全部を1人で作るというこだわりは何ですか?

「自分の子供を人に手助けして作ってもらう人はいないでしょうよ(笑)。一番楽しいですよ。しんどいけど、しんどいっていうのは嫌なことじゃないですからね。本当に楽しい。自分の好きなことをやったら本当に寝食を忘れる。子供がそうですよね。遊んで遊んで御飯も食べないでバタンキューって寝ちゃうでしょ。だから、本能的なものだろうと思うんですね。我々、現代社会に住んでいると色々な制約があってそれだけじゃ生きていけない。それで、本能がますます淘汰されて情報のみで生きている。それが現代の一番の癌でしょうね」

文化の違い、言葉の違い

中島正晃さん

●中島さんはスイスに住まれて40年になるそうですが、スイスを選ばれたキッカケってなんだったんですか?

「40年というのは完全に正確ではないんですけど、日本を出たのが1964年なんですね。オリンピックの年だったんですが、それを見ないで、一般の海外旅行が自由化になったのでその年に出て、最初、ローマに行って半年、ミラノに行って1年。その後はお金もなくなったから帰ろうと思って車でウロウロしていたら、たまたまグリンデルワルトというところに行ってしまったんです。日本人の方が旅行で来られても同じだと思うんですけど、『キレイなところだなぁ。こんなところに住めたらいいなぁ』って思ったんです。思っているときに、ユースホステルの脇に家があって、そこに1人の女の子がいて、いつも通ると女の子がいたっていうだけの話です。その人が未だに僕の奥さんでございます」

●なるほど。40年前と今のスイスとでは何が違いますか?

「それは、非常に難しい質問ですね。というのは、人間というのは長く自分の持っていたもの、住んでいたところを基準にして物事を判断しやすいんです。ですからこれは良い悪いの問題ではなくて、日本と他の国っていうのは完全に違って当たり前なんですよ。良いとか悪いじゃなくて違うっていうだけです。完全に違います。大きく分ければ宗教的な文化とかがあるんですけど、その前に考えられるのは風土の差ですよ。風土の差が人間を作る。ということは顔つきも違うし、色も違うし、全てが違って考え方も違う、言葉も違う。それが人間の差を作るということですよね。良いとか悪いじゃないですよね。よく日本人は勤勉だとかスイス人は勤勉だというんですが、これはウソです。南方人はぐうたらかといったらこれもウソです。南方の人間がぐうたらなんじゃなくて、結局、手を上に伸ばせば木の実がある、手を下に伸ばせば魚がいる、そんなところで真面目に仕事をするほうが馬鹿ですわ。特にスイスの場合っていうのは、今でもそうなんですけど、食糧が自分の国だけでは間に合わないんです。しかも、昔はもっと大変だった。あの景色なんていうのは1銭にもならないですからね。で、寒いので頑丈な家を建てなきゃいけない。一生懸命仕事をしないと飯が食えない。しかも、薪でさえきちんと並べておく。あれは並べたいから並べているんじゃなくて、そうしておいたほうが1本盗まれても分かるからだと僕は思うんです。そういうところが根本にあるんじゃないかな。だから、彼らは敢えて勤勉であろうと思って勤勉なわけじゃない。それしかないんですよ。そういう意味で言ったら日本人も、こういう食事を食べて、こういう言葉を話して、こういう風土ではこういう人間しか生まれない。
 言葉っていうのは非常に面白いと思うんですけど、漢字というものがあるでしょ。この漢字っていうのが面白いんですよ。例えば、『亡ぶ心』って書いて『忘れる』でしょ。それから、立心偏っていうのは心でしょ。その右側に亡ぶを書けば『忙しい』でしょ。忙しいというのはお互いにいけない事ですよね。『心』が『亡ぶ』ですから。それから、『人の為』で『偽り』ですよね。『慌ただしい』もそうですよね。立心偏に『荒れる』でしょ。『荒れる』という字自体は草が亡ぶと川が流れて土地が荒れてくるわけですからね。当たり前といえば当たり前ですよね。前に僕、スイスで日本人の小学生や中学生を集めてスイス・アドベンチャー・スクールというのをやったんですよ。彼らにそういう字を聞くとまだ分からないんですよね。だから僕が『おまえたち馬鹿だなぁ。今、お前何食べた?』って聞くんですよ。すると『米食べた』って答える。で『何が出てくる?』って聞くと、『ウンチです』と言うので『じゃあ、書いてみろ』って言うんです。『米』が『異なる』で『糞』ですよね。そう言うと彼らは興味を持つんですよ。それで、やれ『癌』だの『偽り』だのって説明すると興味を持つんですよね。僕は面白いと思ったんですけどね」

●すごく面白いです!

「全部が全部それで説明できないけど、そういうところから入っていくことが教育だと思うんです。最近の教育っていうのは金を稼ぐための手段でしかなくなっているんですね。あれは教育じゃなくて情報でしかないですよ」

●子供達はそうやって詰め込まれて育ち、大人になっても何をしたらいいのか分からないまま来てしまって、子供達がかわいそうですよね。

「その子供達は誰が作ったのかというと?」

●大人です。

「悪いのは大人です。私も含めてね」

●どうすればいいんですか?

「僕も色々なことを考えたんですけど、人間という生き物を考えるんですよ。経営者連中にしたってそうですけど、人間という生き物を考えないで、枝葉の問題をやっていたってダメなんですよ。そのひとつひとつは葉っぱですよ。それを直したって病気は治らないですからね。土壌を治すとか幹を直さないとね。僕はもっと人間というものがどういう思考、言動を持っているか調べるのが一番の近道じゃないかと思うんです。そしたら、ある程度答えが出てくるんじゃないですか」

愛する人間になろう

中島正晃さん

●中島さんは去年のチャレンジは断念されたわけですが、次のチャレンジの予定はあるんですか?

「今年はもしかすると無理かもしれないけど、来る前に枠は造ってきたんですよね」

●新たな船のですか?

「ええ。前の失敗を全てカバーすることを計算して造りました。でも、今回の失敗はある意味でよかったんです。こんなに大きな失敗をしたのは生まれて初めてですからね。大きな失敗というのは大きなマイナスですよね。大きなマイナスというのはその反対に大きなプラスがなければ存在しえないですからね。というのは、あると思うのが僕の理屈ですから、それを自分で見つけなきゃいけないわけです。マイナスにしておいたんじゃ腹の虫が収まらないですよね(笑)」

●(笑)。前回造ったのは魚の形でしたが、今回造っている船はどんな形をしているんですか?

「車の形にしようと思っているんです。というのは、魚が本当に好きで子供みたいなんですけど、残念ながらどうしても良くするための解決策がないんですよ。やむを得ず魚をやめて今度は車の形にします。オールド・タイプのスポーツ・カーみたいな形にしようと思ってるの」

●クラシック・カーのような感じですね。

「ええ。車が大好きですからね」

●名前は決めていらっしゃるんですか?

「最初のボートが『SEIKO DA GRINDELWALD』、グリンデルワルトでの正晃だったので、今度は『SEIKO DA GRINDELWALD2』にしようと思ってるの。もしかして『ホワイ・ノット号』は名前が良くなかったんじゃないかとか勝手なことを言ってね(笑)」

●これで成功するとまた違う名前で試したくなったりするんですよね?(笑)

「それが人間でしょうね(笑)」

●スイスのライフ・スタイルから考えると船を1人で造るのって、すごく時間がかかるんじゃないですか?

「そうなんですよ。だから帰ったら場所を探したいんですけどね。というのは僕、元々人間嫌いなんですよ。何故かというと、僕は学校が12回変わったんです。小学校が6年で、中学校、高校が3年ずつで計12年でしょ。ということは、毎年学校が変わっていたんですよ。子供の時に学校が変わるっていうのは嫌なことですよね。それがひとつで、人間嫌いになったとも言えるんですよね。だから、赤面症で20歳過ぎまで人と話が出来なかったし、今でも好きじゃないからって、こんなマイクの前で話をしながら言うとみんなに『ウソつけ!』って言われそうなんですけどね(笑)。できれば道のないところへ行って生活したいというのが本音ですね。海の上に行くと1人なんですよ。最高にいいですよ。自然っていうのはウソをつかないですからね」

●できれば海のように人があまりいなくて、スイス国内に場所があればいいなという感じですか?

「そうですね。他のところへ行ってもいいんですけどね。それはまだ決めてないです」

●忙しさに心を滅ぼされている都会人に何かメッセージやアドバイスはありますか?

「言葉としては言えますけどね。最近、僕の好きな言葉は『愛する人間は幸せだ』なんです。日本ではよく『愛される人間になりなさい』って言うじゃないですか。じゃあ、百万長者の一人娘でミス・ユニバースで、頭が良くてノーベル賞をもらってるっていうんじゃ愛される人間かもしれないけど、単に気立てがいいだけじゃ愛されるかってんだ(笑)。だから愛する人間になりなさい。それが行動力に繋がると思うんですよね。だから僕は、誰が言い出したか分からないけど『愛される人間になりなさい』なんていうのはクソくらえって言うんですよ」

●愛する人間になりなさいということですね。

「そうですよ。愛するっていうのは行動でしょ。例えば、僕がボートを造ることでも愛するんですよ。本当に楽しいですよ。だから自分が存在するんですよ」

●自分が何が楽しくて、何を愛せるかっていうのが大事なんですね。

「そうですよ。それが人間とは限らないですよね。なんでもいいですよ」

●ありがとうございます。私もそのことを肝に銘じます。

「どういたしまして。勝手なことを言いましたけど」

●次回、新しい旅に出られるとき、または成功して戻られたときはお電話でもお話を伺えればと思います。楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました。

「勝手なこと言ってすみません」

●いいえ。とっても楽しかったです。

中島正晃さん 中島正晃さん
中島さん手作りの木製おもちゃ(?)。鉛筆をデコボコしたところに押し当てて、こすり、振動を与えると、プロペラが回転します。こすりかたによって、プロペラが右に回ったり左に回ったり・・・不思議!?

このページのトップへ

■スイス・グリンデルワルトで「ホテル・ベラリー」を営む
 「中島正晃」さん情報

 1994年、60歳の時に小さな手作りボートで大西洋横断に成功され、「オペル冒険大賞95」で大賞に輝いた中島さん。その後、去年10年ぶり、70歳にして今度は魚の形をした手作りボートで新たな大航海に挑戦したが、残念ながら途中で断念している。
 そんな中島さんが94年の大西洋横断に成功した潜水艦型手作りボート「SEIKO DA GRINDELWALD 号」は普段、世界三大交通博物館の1つ、ルツェルンにある「スイス交通博物館」に永久展示されているが、現在「愛知万博」の「スイス館」に特別展示されている。
 また、自由な発想で人生を楽しむ中島さんを十二分に感じられる中島さんのホームページには、去年チャレンジしようとした航海のことやその準備の模様、手作りボートの試作や制作過程なども載っている。
 HP:http://www.2hon5.ch

このページのトップへ

オープニング・テーマ曲
「ACOUSTIC HIGHWAY / CRAIG CHAQUICO」

M1. SEVEN SEAS OF RHYE / QUEEN

M2. DON'T DREAM IT'S OVER / CROWDED HOUSE

M3. WHAT I WANT TO DO / DAVID MEAD

M4. THE WAY IT IS / BRUCE HORNSBY & THE RANGE

油井昌由樹アウトドアライフ・コラム・テーマ曲
「FLASHES / RY COODER」

M5. TIMES LIKE THESE / JACK JOHNSON

M6. ALL YOU NEED IS LOVE / THE BEATLES

ザ・フリントストーン・インフォメーション・テーマ曲
「THE CARRIAGE ROAD / JIM CHAPPELL」

M7. LIVE YOUR LIFE BE FREE / BELINDA CARLISLE

エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
このページのトップへ

新着情報へ  今週のゲストトークへ  今までのゲストトーク・リストへ  イベント情報へ
今後の放送予定へ  地球の雑学へ  リンク集へ  ジジクリ写真館へ 

番組へのご意見・ご感想をメールでお寄せください。お待ちしています。

Copyright © UNITED PROJECTS LTD. All Rights Reserved.
photos Copyright © 1992-2005 Kenji Kurihara All Rights Reserved.