2006年3月26日

住所不定無職の旅人・中林あきおさんが語る「旅の醍醐味」

今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは中林あきおさんです。
中林あきおさん

 歩いて日本を一周した住所不定無職の旅人「中林あきお」さんをゲストに、416日、およそ9000キロの旅を振り返りながら、その旅の模様をまとめた本『泣き虫男、歩いて日本一周してきます〜9024Km 416日の旅日記 試練編』と『完結編』に沿って、歩く旅に出た理由や、旅の先々で起こった、忘れられない出来事などうかがいます。

旅に出るために最初に剣道を習いました

●中林さんのお名刺には「住所不定無職」という肩書きが書いてあるのですが(笑)、これはどういう理由からなんですか?

「名刺に『旅人』って書くのが恥ずかしかったんですよ。なんかカッコつけてるような感じがして。で、旅をしている間は仕事もしていないわけだし、寝床はテントと寝袋なので、これはどう考えても住所不定無職だなと思ったわけです(笑)」

●(笑)。では、番組的には旅人と呼ばせていただきます。

「あ、もう光栄です!」

●旅人として日本一周を徒歩でなさって、9024キロ、416日かかったそうですが、そもそも徒歩で日本一周しようと思ったのはなぜだったんですか?

「僕自身、26〜27歳の頃に自信を持てない時期があったんですが、もともと20歳の頃からずっと本を出したいという夢があったんです。それがどうにもこうにも叶わずに、賞とかに何度か出してもかすりもせずにいたので、視点を変えなきゃいけないなっていうことで思いついたのが、徒歩による日本一周の旅という企画だったんです。さすがにこれだったらインパクトがあるんじゃないかと思いまして、思いついたときには手を叩いて喜んだものです」

●旅に出る前って、色々と準備をなさったんですか?

「本当は、旅に出る方はホームページとかで、旅人の先輩の方々の行ないなんかをリサーチして、旅に出るっていう方が多いですよね。最近、僕も旅人サイトなんかにリンクを張らせていただいているんですけど、そういう方が普通なんですね。でも、僕が旅に出ようと思って一番最初にやったことは、剣道だったんです。日本一周徒歩の旅なので、多分、危険がいっぱいだろうと思って、『これはまず武術だ』ということで、剣道を習いました」

●ということは、旅にも竹刀を持っていったんですか?

「持って行きました」

●その視点がすごいですよね。

「旅人仲間には『旅に行くのに剣道を習ったのは、お前しかいない』とよく言われました(笑)」

●(笑)。私も最初に剣道を習ったっていう本の下りを読ませていただいたときに、旅人仲間からそう言われて「本当だよな」って思ったんですけど(笑)、よく考えてみると、日本一周を徒歩で廻ろうという人は、精神的にもある程度強くなきゃいけないし、肉体的にも鍛えなきゃいけない。ということを考えると、武道というのはトレーニングにもいいのかもしれないなぁと思いました。

「やはり自信はつきますね。竹刀をもって寝袋に入るだけでも全然違いますし、実際、千葉の九十九里浜くらいを歩いているときに、野犬に襲われたんですよ。6匹くらいの犬に囲まれて、どうにもならないときに竹刀がすごく役に立ったんですよ。それで九死に一生を得た感じでした。『無駄なことはないんだな』と思いましたね」

泣き虫男、歩いて日本一周してきます〜9024km 416日の旅日記 試練編〜

●この度、その旅の模様をまとめた本『泣き虫男、歩いて日本一周してきます』の表紙にも使われている中林さんの旅の時の写真が、ポンチョでキャリアに荷物を積んでいるんですよね。

「そうです。プロパンガス・キャリアーなんです」

●この番組に出て下さる旅人の方は、バックパックで旅をされる方が多いので、キャリアーっていうのは新しいなって思いました。

「最初に、バックパックを背負って歩いてみたんですけど、足が壊れちゃうんですね(笑)。僕、体が元々弱いんでしょうか、訓練不足と言われればそれまでなんですけど(笑)、旅をする前に10キロの荷物を背負って、往復で60キロを2泊3日で実際にやってみたんですよ。すると、足の裏がマメだらけになりまして、『これを毎日は無理だ』と思ったんです。そうしたら、出発の1日前にウチの親父が使っていた石油ストーブのガソリンを入れるポリタンクのキャリアーが1個空いていて、それに荷物を載せて駅まで歩いてみたらかなり楽だったんですよ。『もう、これで旅をしよう!』と思いまして、急遽この旅のスタイルになったんです」

●この旅をする前って、アウトドア派でも何でもなかったんですね?

「全くないです。むしろ引きこもりです。一日中ゲームをしているような奴でした」

●じゃあ、体力的なことを考えても、結構・・・。

「無謀でしたね。だから、最初に旅の計画を立てるときに、1日30キロくらい歩いてとっとと東京を脱出する予定だったんですけど、初日は15キロしか歩けずに、荒川の河川敷で高校生達に笑われながらテントを張って寝ました」

●それは東京駅から出発して荒川までですか?

「そうです。あっという間ですよ(笑)。遠足状態ですよね(笑)。最初の頃はそんな感じでした」

初めての焚き火で得たものとは!?

中林あきおさん

●旅の醍醐味って人との出会いだってよく言うじゃないですか。印象に残っている出会いを教えていただけますか?

「圧倒的に印象に残っているのは、北海道に佐呂間町という小さな町があるんですが、そこを歩いているときに、ちょっとしたキッカケから『お前、祭に参加しないか?』と声をかけられたんですね。で、参加したお祭りが北海道でも1番か2番くらいの大きなお祭りで、よさこいソーラン祭っていうすごいお祭りだったんです。僕もかけ込みで練習をして、その佐呂間町の集団に混ぜてもらって、みんなで1週間くらいかけて札幌まで遠征して、実際そこでお祭りをやるというすごい経験をさせて頂きました。これは、我ながら『旅ってすごいなぁ』と実感した出来事でしたね」

●北海道といえば、この番組にも何度かご出演いただいている自然写真家の倉沢栄一さんですが、本の表紙に載っている中林さんのポンチョ姿の写真も倉沢さんがお撮りになられたそうですね。

「そうなんです。襟裳岬に百人浜っていう浜辺があるんですけど、その辺に倉沢さんはお住まいをお持ちで、僕、実は旅人のくせに岬とかあまり好きじゃないんですよ(笑)。旅人って大体、岬を目指すものなんですけど、とにかく岬に至る道ってアップダウンが激しいんですよ(笑)。そりゃ、バイクで行けば気持ちいいだろうけれども、徒歩じゃすごくやるせないんですよ。それで、襟裳岬に着いたときは、歌にもありますけど、『何もないところだなぁ』と思って、すごく落ち込んでいたんですね。その時に僕があまりにも浮かない顔をしているので、倉沢さんが『ちょっとコイツに襟裳の凄さを教えてやろう』ってことで、僕にパッと声をかけて下さったんです。倉沢さんは襟裳でアザラシの生態を研究されていらっしゃるんですけど、アザラシをいっぱい見せてもらって、写真集とかも見せていただいて、夜には僕が泊まっている民宿にお酒を持ってきて下さって、一緒にご飯を食べたりして、楽しい思い出を作らせていただきました」

●ご本を読んでいても、凄くピュアなヤンキーの子達と出会ったりとか、自分の息子のようにご飯を作って出してくれた知り合いのご両親がいらっしゃったりとかしてますけど、最初のご本の方に書いてあった新潟の大工さんが凄く印象的でした。

「大工さんですね。本を読んで大体突っ込まれるところのひとつに、新潟事件というのがございまして・・・」

●ありましたね。これは是非本を読んでいただきたいと思います。

「そうですね。旅をしているときも打ちひしがれて、新潟から旅立ったわけなんですけど、あの辺は日本海側でも1、2を争うような美しい海岸がずっと続いている場所なんですね。本当は美しい景色のはずなんですけど、恥ずかしながら僕はうつむきながらとぼとぼと歩いていたんです。すると、巻町というところに住む大工さんが白い軽トラックでやって参りまして、『車に乗って俺の家に泊まっていけ』とおっしゃるんですね。でも僕、その時はひどく内向的になっていて、『いいです。歩きですから』というふうに追い返したんですよ。そして、とぼとぼと歩いていると、またその方が反対方向からブワーッと帰ってきて、『お前が歩きの旅なら、明日、ここまで送り返してやるから、今日は俺の家に泊まっていけ』とおっしゃったんですね。それを聞いたときに、自分の小ささが恥ずかしいやら、その方の懐の深さがうらやましいやらで泣いてしまいましたね。それが大工さんとの出会いです」

●その方に教わったことってすごく多かったそうですが、特に焚き火と本に書いてありました。それまで焚き火ってやったことがなかったんですか?

「なかったですね。僕、ガスコンロとか自炊道具って持っていってなかったんですよ。じゃあ、どうやって飯を食っているのかといったら、メロンパンとかカップラーメンとかを食べていました(笑)」

●(笑)。焚き火をやってみてどうでしたか?

「よかったですよ。『お前は焚き火をしたことはあるのか?』と聞かれまして、『ないです』と答えると、『お前が何を悩んでいるかなんてちっとも興味はないが、いっぺん、自分でおこした火を一晩中眺めてみろ。すると、大抵の悩みは吹っ飛ぶぞ』と言われたんですね。最初は意味が分からなかったんですけど、実際にやってみたら本当にその通りで、日本一周も一から十なんですけど、焚き火も一から十で、自分で燃やすものを持ってきて、濡れていたら乾かして、やぐらを組んで、火が点かないので、火を点ける方法を考えて、火を点けて、やっと暖まれる。そういう段階を追っていかないと、火は点かない。僕の頭の中で火はひねれば点くというものだったので、『あっ! 火はこういう段階を踏むことによって、やっと点くんだな』っていうのがそれで初めて分かって、なんでもこの通りだと思ったんですね。僕、その時すごい悩み事があったんですけど、『この悩みごとにも打開点があるんだろう』と思って、その焚き火をしたときに大工さんがおっしゃっていたことが分かった気がしましたね。その火を見つめながらコップ酒を飲んでいたんですけど、豊かな時間でした」

ゴールの瞬間は?

泣き虫男、歩いて日本一周してきます〜完結編〜

●前半の旅で、顔を上げて周りの景色を楽しみながら旅をすることを覚え、後半は四国や沖縄、屋久島といった本当に自然の濃いところに行かれてるじゃないですか。特に印象に残っているところはどこですか?

「屋久島に渡ったときに、縄文杉を見るというのが旅の1つの大きなテーマだったので、見に行ったんです。僕は元々、すごい景色を見てもあまり感動をしないんですよ。その時のテンションの方が大事なんですね。で、縄文杉を見たときは周りに誰もいなくて、それどころかあそこって携帯電話の電波も繋がるんですね。それでビックリしまして、僕のは繋がらなかったんですけど、携帯で話ながら下山している人なんかを見て、テンションが萎え萎えになりまして(笑)、『もうだめだぁ』って思ってすぐ寝てしまいました。
 で、次の日に下山しまして、途中に割と有名な『止まり木』っていう名物ライダー・ハウスがあるんですけど、そこのメンバーに引きずられるようにして、『屋久島一周105キロ、24時間タイム・トライアル』というのに徒歩で参加することになったんですね。これはかなりインパクトがありましたね。僕の旅は1日で30キロを歩く旅なので、普通に考えると3日分の距離を1日で歩ききることになるんですけど、かなり印象的でしたね。
 屋久島には西部林道というところがありまして、そこは手付かずの自然があって、道路も自然に沿って作ってあるような、自然に優しく人に厳しい場所なんですけど・・・」

●ちょうど西側の部分ですね。

「そうです。そこなんかは唖然としましたね。普通に舗装してあるアスファルトなんですけど、『なのに何だ、この自然は!?』っていう(笑)、山の中状態なんですね。屋久島の自然の懐の深さっていうのを、アスファルトの上にいて感じましたね。きっとそういう自然は山の奥に行かないと体験できないのが、屋久島では普通のアスファルトにシダがダラーンとなっているところが続いたりとか、見たこともない風景が広がっていたから『やっぱり、屋久島というのはすごいんだ』と思いました。僕にとっては縄文杉よりもそっちの方がかなり印象に残っていますね」

●中林さんって、お話をうかがっていると、北海道でもそうですし、屋久島でもそうなんですけど、引きずり込まれやすいタイプなんでしょうかね?(笑)

「巻き込まれ型という感じですね(笑)。最初は、僕が怪しい格好で歩いているもので、誘ったほうは誘ったほうで『ヤバイ。変な奴、誘っちゃったな』って思っちゃったりして、最初はお互いぎこちないんですけど、日が経つに連れてお互いどんどん打ち解けていくので、最後の別れがつらいんですよね。それが本のタイトルの『泣き虫男』にも繋がっていくんですけど、出会って別れるたびに号泣するような旅でしたね。最後の方は嬉しくて泣いてましたからね」

●そんな最後のゴールである東京駅に着いた時にはどうでしたか?

「僕、日本一周というのも1つの夢だったんですけど、1から10までやることで、1、2、3、4、5、6、7、8、9の段階を踏んでやっと10に行けるものなので、1の時に10を見ると『凄いぞ!』って思うんですけど、9の段階から10を見ると大したことないんですね。だから、東京駅から歩きだして、ずっと歩いて横浜まで来たから、東京まで行けばゴールじゃないかって分別臭く思っちゃうんですよ。なので、もう分かっちゃったんですね。きっとゴールをしても大して感動をしないなというふうに思ったんですよ。で、凄くしらけた感じでゴールをしようとしていたら、全くのサプライズで私の古い友人が東京駅の僕がスタートした地点で待っていたんです。そいつが後半の旅に出るときにお守りをくれたんですが、また『助走を長くとったほうが、遠くまで飛べると聞いたことがあります』なんてクサイことが書いてあったんですよ(笑)」

●いい言葉ですね。

「そうなんですよ。そのお守りをくれたやつが『おかえりー!』なんて言うものだから、またそこで号泣ですよ(笑)。こいつはどんな気持ちで僕のことを待っていてくれたのかなぁってことを考えたら、涙しか出ないですよね。気持ちが溢れたときに出てくるのが涙なんだなぁとその時思いましたね」

見かけたら声をかけて下さい!

●日本一周徒歩の旅は感動の涙で終えられた中林さんですが、次の旅のご予定などはあるんですか?

「実はですね、今回、めでたく上下巻という本を出させていただくに当たりまして、本を出したからには売らなければいけないなという妙な営業根性がございまして(笑)、企画第2弾として、日本一周徒歩の旅の本を、日本一周徒歩の旅をしながら売って歩くというのを始めようと思っています。実は『歩いて日本一周したやつなんか五万といるんだから、大したことないんだぞ』と言われたことがあって、すごく傷ついたんですね。じゃあ、さらにもっとレアなことはないかと考えたら(笑)、ここに行き着いちゃったんですね。この路線では独走させていただきます(笑)」

●(笑)。ということは、今回のキャリアーには自分の荷物のほかに、ご自身の本も積まなきゃいけないんですね。重いですよー!

「それは、やはり僕の志の重さですよね。どんどん売っていけば軽くなるので。またどこかで補充して重くなるんですけどね(笑)」

●(笑)。今回で、日本二周目になるわけですけど、本を売りながら歩く日本一周の旅は、今回も反時計回りなんですか?

「ええ。全く同じルートを全く同じに行こうと考えています。で、前回、お世話になった方々との再会の旅にできればなと思っております」

●この番組を聞いてらっしゃる方々が、近くでキャリアーを引きながらポンチョを着て、怪しげに歩いている人がいたら、「中林さんですか?」って声をかけてみて、是非、上下巻セットで買っていただきたいと思います。

「セット割引もございますので、よろしくお願いします(笑)」

●(笑)。二周目を終えられるのは、予定ではいつぐらいになりそうですか?

「1年くらいあれば十分かなと思いますね。友達からは『本を売り切るまで帰ってくるな』と言われているんです(笑)」

●(笑)。では、売り切って戻られたら、また番組にもご出演いただければと思います。

「是非、よろしくお願いします!」

●全部、売り切らなきゃダメですよ!

「そうですね。ガツンと売り切ってきたいと思います」

●その時にはまたよろしくお願いします。今日はどうもありがとうございました。


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■住所不定無職の旅人「中林あきお」さんの著書

・『泣き虫男、歩いて日本一周してきます
  〜9024km 416日の旅日記 試練編〜』

えい出版/定価777円

・『泣き虫男、歩いて日本一周してきます〜完結編〜』
えい出版/定価777円

 2003年から2004年にかけて、徒歩で日本一周の旅をした時の記録を綴った2冊。

 尚、現在「中林」さんは“日本一周、徒歩の旅”の本を、“徒歩で日本一周しながら売る旅”に出ている最中。キャリアーに本を乗せて旅をしている「中林」さんを見かけたらぜひ声をかけ、本を買って下さいね!

・中林あきおさんのHP:http://akioteam.at.infoseek.co.jp/top.html

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オープニング・テーマ曲
「ACOUSTIC HIGHWAY / CRAIG CHAQUICO」

M1. TAKE ME HOME / PHIL COLLINS

M2. LONG WALK BACK / DANNY WILDE & THE REMBRANDTS

M3. HANDLE WITH CARE / TRAVELING WILBURYS

ザ・フリントストーン・インフォメーション・テーマ曲
「THE CARRIAGE ROAD / JIM CHAPPELL」

油井昌由樹アウトドアライフ・コラム・テーマ曲
「FLASHES / RY COODER」

M4. THE RIVER OF DREAMS / BILLY JOEL

M5. 涙そうそう / 夏川りみ

M6. WHERE ARE YOU NOW / JANET JACKSON

エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
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