2002.5.26放送
動物行動学・日高敏隆先生を迎えて
今週のゲストは動物行動学の権威、動物学者の日高敏隆先生です。日高さんは昨年暮れ、新潮社から『春の数えかた』という本を出してらっしゃいます。じっくりと生物の行動について話をうかがおうと思うんですが、そもそも動物行動学とはなんぞやというあたりから早速聴いてみました。
「まぁ、日本語でいえば動物の行動がどういうきっかけでおこるのか、とか、その行動はどういう意味を持っているのか。生まれたばかりの赤ん坊は、人間もそうだけど、大人にできることが出来ないじゃないですか。例えば、チョウチョの幼虫はイモ虫だけど、イモ虫は羽もないし、飛べないじゃない。でも親になったら平気で飛びますよね。そういうふうに行動が発達していくわけです。それは自然と大人になるとできるようになるのか、色々な学習練習をするのか、という問題もあるわけだ。象の鼻がどうして長くなったかというのは、何となくわかるような気がするんだけど、行動が進化するなんてのは、どうやって進化するのかよくわからない。そんなことを研究する学問です。」
そこで、まずうかがいたいのが、動物達のファッションについて。人間を除く生物の多くは、クジャクのようにメスの気を引くためにオスが着飾っている、という話をよく聞きます。でも人間はメスが着飾ってますよね。これはどうしてなんでしょう。
「他の動物の場合には、オスもメスも、とにかく自分の血がつながった子孫をできるだけたくさん残したいわけです。どうしたらいいか。オスは自分で子供を生めないから、とにかくできるだけたくさんのメスに迫って、自分の子供を生んでもらうんです。メスの方はオスがいないと子供が生めないからオスは必要なんだけど、自分が生む子供の数は決まってるじゃないですか。オスが何匹いても、それだけたくさん自分の子孫が残るわけじゃない。オスの方はメスに迫れば迫っただけ自分の子供がたくさん残るということで、オスの方は数でこなしてるわけ。
メスの方はそうじゃないけど、自分で生んだ子供は絶対自分の子なんですよ。だから自分の本当に血のつながった子孫ができるわけ。オスはちょっと頼りないところがあって、仮に自分の奥さんが生んだ子供であってもだんなの子供かどうか、本当はわからない。この頃、人間は病院で赤ちゃん生みますね。その時ダンナがたまたま出張かなんかでいない。連絡を受けて急いで帰ってきて病院で自分の子供に対面する。そうすると看護婦さんが赤ちゃん抱いてきて、必ずいう言葉が決まってるんです。“お父さん似ですね”ということになってるんです。似てても似てなくても構わないんです。そう言うことになってるんです。あまり純真な看護婦さんが“あまり似てないですね”なんて言ったりしたら大変なことになっちゃうんです。ところが女の方にすれば生まれた赤ちゃんがお母さんに似てなくても、その人が生んだことに間違いないんです。だからあまり似てませんねと言われたって平気なんです。つまりどういうことかというと、メスはオスを選んでるんです。
集まってきたオスからいいオスを選ぶ。いいオスというのはできるだけ丈夫なオス。ところが人間の場合は一夫一妻になっているからメスがオスを選ぶことは他の動物と変わらない。ところがオスもメスを選ぶようになっちゃったんですね。他の動物の場合はメスがオスを見て、このオスは丈夫かどうかということを判断するときに、できるだけファッショナブルというか、クジャクのような鳥だったら羽根の色がピカピカ光って輝くばかりに美しいというのは、絶対丈夫なんです。そうやって選んでるんですよ。しょぼくれたようなやつはメスに選ばれないから子供を残さずに死んじゃうんですよ。だから、クジャクという鳥はきれいなほうが子供を残すようになっていったから、クジャクは段々きれいになっちゃったわけだ。ところが人間の場合は両方で選びあってるから話がややこしくなるわけで、女の方が“この男いい”って選びますね。でもその男がその女を選ぶかどうかはわからない。そこには権力の問題とか財産とか、家とか、いろんなことが絡まってるんだけど、とにかくそうなってる。そうすると女から見たら“この男大好き”と思っても相手が選んでくれないということが起こりえて、そこで失恋とかという話が出てくるんです。だから人間の場合は作家という職業が成り立ってくるわけだ。」
恋愛小説家というやつですね。一夫多妻制じゃないためにいろんなことが人間社会では起こっている、ということですね。
「そうそう。だから化粧品屋が出来て、高い化粧品を売って儲けてるじゃないですか。それに身体をきれいに見せるためのブラジャーとか、寄せてあげたり小さいの大きく見せるとか大きいのを小さく見せるとか、服だってそうでしょ?そのためのばく大な産業が成り立ってるわけですよ。」
なるほどね。先生のお書きになった『春の数えかた』には面白い動物達のいろんな行動が紹介されているんですが、ここで私の素朴な疑問をぶつけたいと思います。
「はい」
新聞にも載ってたんですが、頭のいい鳥といわれているカラスが、石鹸を盗んで食べたり貯蔵していたりしている、という話があります。
「これねぇ、わからないんだけど、新聞にはちゃんと実験したりということも書いてありますから、持ってくことは確かなんだろう。でも何故なんですかねぇ。」
実際に食べてるかどうかまではどうなんですかね。
「新聞にはそこまで書いてないですね。隠すのは隠すみたいですけど、本当にそれをガリガリかじっているのかどうかはわからないようです。でもカラスって雑食性だから、何か特別なものを、これだけをつまんで食べるという鳥じゃないのね。例えば小鳥で小さな青虫とかイモ虫ばかりを食べるやつは、そればかり探すわけで、植物の種とかクッキーが置いてあっても食べないんです。食べるものが決まってるんですね。ところがカラスはいろんなものを食べます。とにかく変なものがあって、アレっと気になったら突っついてみる、食べてみる、試してみるわけです。いたずらが好きというか好奇心が強いというか、色々なものに対する好奇心があるんですね。だからカラスはいろんなことをやってみて人間を困らせてるわけですな。」
そうですね。そういう意味でいうと、カラスと人間って私、すごく似ているような気もするんですが。
「そうですよね。人間も何を食べたらよいかというのはわかってないんです。だから小さな赤ん坊の時は、何でも口に入れちゃうでしょ、画鋲とか。見ててこわいよね。だけど、ああやって試してみて、これはだめだとか、学習してるんですよ。で、その辺にあるもので、これは食べられるとわかったら、いろんなものをたべますね。だから人間はとんでもないところでも住めるんです。ところがモンシロチョウなんて、カラシナのにおい、つまりワサビのようなにおいがするものしか食べないの。菜っ葉だったら油菜の仲間ですね。キャベツとかアブラナとか大根とか。これはみんな同じ仲間だから同じ傾向のにおいがするんですよ。だから同じ葉っぱだからと思ってほうれん草をやっても絶対食べません。これ仲間が違うから、そのにおいがないんです。僕らはみんな青汁とかにする同じ菜っ葉だと思ってますけど、ところがモンシロチョウは、そんなずさんなことはやってないわけで、においを嗅ぎ分けてます。そこには好奇心なんてないわけね。そうするとその植物がないところでは育てない。ところがカラスはこれがなければ、じゃぁこっちってやるからいろんなところに住めるんです。人間もそれに近い。」
ということは、この石鹸を食べてるカラスというのは、今のところテスト期間中で、この先石鹸を食べてるカラスが増えてきたら、食べるためのお試しだったんだということがわかる。
「そう。」
もうひとつ。これも新聞によるとライオンが、本来エサにしているオリックスの子供を育てたという記事がありました。これなんか、ライオンの一種の母性愛の表れなのかなと思いましたが・・・。
「母性愛というのは動物行動学では否定されてます。ようするに、自分の血のつながった子孫をとにかくたくさん残したい。それには赤ん坊だから育てなくちゃいけないんで、一生懸命育てる。その時に、一体それは誰の得になるのかという問題ね。母親にしてみれば自分の血のつながった子孫が増えてもらいたいというのは母親の得になります。そのためには育てなければいけない。しかも、その時その赤ん坊は自分が生んだ子供だから絶対自分の血がつながった赤ん坊なんだ。これを育て上げないと自分の子孫は増えないわけですね。そのために一生懸命やってるんで、本当は自分のためにやってることで、赤ん坊が可愛くてやってることじゃないんだということになっちゃうんです。」
なるほどね。
「だから母性愛なんてなくて、それは母親のエゴである、ということになってるんです。その証拠、という例があってね。これ、随分残酷な話なんですが、ネコが子供を生むでしょ、5匹ぐらい。その中で1匹だけどういうわけかわからないけど、小さくてヒヨヒヨしてるのがいる。そうするとたいていの場合、母ネコはヒヨヒヨしてる子ネコには乳をやらないんです。3日ぐらいやらないと飢え死にしちゃうんです。飢え死にするとたいてい母ネコはその子ネコを食っちゃいます。自分の子供ですよ。で、これはなんだ、と。残酷といえば残酷なんだけど、でも、この母ネコにすれば自分の子供が可愛いんじゃなくて、自分の血のつながった子孫ができるだけ増えて欲しいと思ってるから、今このヒヨヒヨした子供に自分の限りある乳をやっても多分育たないだろうと。そうするとその乳をやったことは無駄な投資になる。だからそれは見殺しにして、乳は将来見通しのある4匹の丈夫なほうにやる。しかも死んだ子ネコをおなかの中で育てるのに、相当な栄養をやっている、つまりコストがかかってますから、それを取り返すべく食べちゃう。そのタンパク質を取り返してミルクにしてちゃんとした子供に与える。というようなことまでやっているのではないか。このどこに母性愛があるか。」
う〜ん。そうですね。
「でしょ?そういう例が実は非常にたくさんあるんです。だから母性愛なんていうのは人間がヒョイと考えた、ある種の美しい幻想にすぎないのではないかということになってるんですよ。」
そうかぁ。
ところで、日高先生は現在、総合地球環境学研究所の所長をなさってますが、ここではどういう研究をなさってるんですか?
「これは去年の4月に出来た新しい国立の研究所なんですけど、ようするに地球環境問題というのはせっぱ詰まった問題になってます。これをどうしたらいいか。何故、人間だけがそんな問題を起こしてしまったのかというところから初めて、今後もこのままいくとひどいことになるだろうと。そうしたら我々の次の世代はどうするんだろう、未来はどうなるんだろうということになる。それに対して本当にまじめに考えなきゃいけない。地球温暖化といったら炭酸ガスの濃度が高くなっていけば温暖化が進むということはわかってる。これは自然科学的にわかってるんです。じゃぁ、それを下げればいいじゃないかというんだけども、ついこの間、アメリカがそれに対して“ちょっと待て”といったでしょ?その理由はなんだといえば、それは経済問題ですよね。経済のレベルが下がってしまう。そうすると政治家にしてみれば非常に問題になり、下手をするとその政権の存在が危うくなるかもしれない。これ政治問題ですね。そっちの方を優先させたわけね。環境問題よりも経済問題・政治問題を優先させたわけだから環境はまた悪くなるわけだ。自然科学だけでいけば、CO2濃度を下げたらいいに決まってるんだ。それで話がすむなら簡単なんだけど、政治・経済、あらゆる問題がそこに絡まるわけですよ。宗教の問題、伝統、いろんなことが絡まってるはずなんです。その辺をどうしたらいいか、全体的にいろんな分野の専門家が集まって、自分の専門ではこう見えるんだけど、違う目で見たときどうなるか、ということを勉強していかないといけないわけです。そうしないとこの問題は解決しない。だからこの研究所にはいろんなものに関心持った人が集まって、一緒になってものを見て、幅の広い形で問題意識をもって、どうしたらいいかを考えていきましょうという研究所。」
我々の未来に対して日高先生の役割は増すばかりという感じですが、是非頑張って研究を続けていっていただいて、我々の明日の指標になるようなものを提示していただきたいと思います。
日高敏隆さんの著書&ホーム・ページ紹介
エッセイ集『春の数えかた』
新潮社/本体価格、1,300円/絶賛発売中
動物行動学の権威、日高敏隆さんが雑誌に連載していた34のエッセイをまとめたこの本には、様々な生き物たちや自然界の素朴な疑問などがユニークな視点から綴られていて、専門の知識のない私たちが読んでも理解しやすく、すごく面白いです。まだ読んでいない方は、ぜひ読んでみて下さい。
日高敏隆さんが所長を務める「総合地球環境学研究所」。興味のある方はぜひ、ホーム・ページを覗いてみて下さい。
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