2002.7.28放送
  写真家・芝田満之さんを迎えて
しばたさん1
 今回ゲストとしてお迎えしたのは写真家の芝田さん。テレビのコマーシャルを撮られたり、広告の写真を撮られたり色々な活動をしてらっしゃいますが、やはりベースは海。実は16歳ぐらいの頃からサーフィンを始められて、それがきっかけになっているとお見受けしました。会話はまず、海の写真を撮られるようになったきっかけから始まったんです。

「サーフィンがなかったら海の写真は撮っていませんでしたね。16からずっとサーフィンをやってたんですが、サーフィンの媒体がその頃なかったんです。外国のサーフィンの雑誌は洋書屋さんで売ってましたから、そういうのを授業中見ながら“あぁ、こういう波いいな”とかやってましたけど、まさかそれを自分で撮るようになるとは思ってなかったんです。で、たまたま21か22ぐらいの時に日本でサーフィンの雑誌が創刊したんです。その頃僕はよく水中カメラで、一緒にサーフィンやってる仲間たちとかを遊びで撮影してたんです。その撮ってる写真がその本に記載されて、何となくお金になる世界になっちゃったんですね。で、そのままズルズルと今まで写真家ですけどね。」

でもズルズルでここまで来れるというのも・・・。

「まぁ、運も良かったんですけどね。あと、自分たちでサーフィンをしながらサーフィンを撮るって人はあまりいなかったですよ。」

あぁ、浜の方から撮るとかっていうのはあっても・・・

「そうです。それに違うフィールドから来てサーフィンを撮る人たちってのは結構いましたけど、サーフィンの世界から出てきたカメラマンというのはいなかったんですよ。」

サーフィン・フォトグラファーってやつですね?
「まぁ、そんな名前を付けられましたね。」

私の記憶では、“ビッグ・ウェンズデイ”や“カリフォルニア・ドリーミング”なんかの映画でみんながサーフィン映画観賞会みたいなのをやるのを見て、かっこいいなぁって思ってたんですけど、何年か後には日本でも原宿とかでやってるという話を聞いたので、日本でもやってるんだと思ったんですが、そういうところしかなかったんですかね。
「サーフィンの情報自体がなかったですからね。ホントに小さいミニコミ誌みたいなのがまず出来て、世界の情報なんかはそこにはなくて。当時、そういった映画の上映とかをしてる方がいて、僕もそのお手伝いをしたりしたんですけど、会場に集まるサーファーたちの話が情報ソースなんですよ。それがすべて。今はどっか行きたいなと思えば雑誌に色々でてますけどね。会場に来るやつも海にいるメンバーが集まるだけですから、どこに行っても同じなんですね。原宿であろうが、九段会館であろうが、藤沢市民会館であろうが、同じメンバーが集まってきちゃうんです。そんな程度のコミュニティだったんです。」

じゃぁ、せいぜいそんなサーファーたちが海外に行ってきて“あそこの波がどうだった”というのが情報?

「もうそれはものすごい情報ソースですね。ただ、僕が二十歳ぐらいの時に海外に気楽に行けてた人はあまりいなかったんじゃないでしょうか。かなり厳しい時代だったと思いますね。サーフボード持って旅に出るというのが。」

ということは旅といえばまず国内?
「そうですね。国内は密に情報がありますから。北海道から沖縄までホントに世界に誇れる波がいくつもあるし。ただ、それを当てるのがものすごい難しいんですけどね。」

相手は自然ですからね。うまく巡り合えればいいけれど・・・。
「それはすごくまれなことですよね。今は波情報もあるし、地元に電話すれば教えてくれるだろうし、ものすごく楽にキャッチできる時代になったんじゃないですかね。」

ということは、そういうのがなかったころというのは、天気図が頼り?

「そうですね。大体天気図を見ればどの方向にうねりがあってというのが何となくわかりますからそれを目指していくんでしょうけど。日本でも海外でも波探しに行くと、立つまで遊ぶしかないんですよね。相手が自然だとそうなっちゃいますよ。どうしてもそこのいちばんいい状態を写真家としては提供したいじゃないですか。乗るほうもそうですけどね。目指していってもないものはないですから。ハワイだって冬のノース・ショアで、ないときは一ヶ月ぐらいなかったり。波があっても風が違うとかになると写真にならないですからね。そうなるとその間、遊んでるしかないんですよね。」

ホーム・ページ(http://www.firstswell.com/)にもホントに鮮やかな写真が載ってますが、初めて海外でいったところはどこだったんですか?
「カリフォルニア経由でメキシコ行ったんです。22,3の時。ただ、情報はまるっきりなかったですけどね。海外の雑誌の記事切り抜いて、行けばこんなところがあるんだろうなって。カリフォルニアに滞在して用意をしてるときに、毎晩行くバーがあって、そうしたら、たまたま後ろに座ってたメキシコ系アメリカ人が“オレが案内するよ”って。こんな調子のいい話ないでしょ?危ないじゃないですか。危険そうなやつだったし、まさかと思ったんだけど、約束したその日の朝バック持って現れたんですよ、そいつが。だからそいつと一緒に2〜3週間旅をして、波も全部キャッチ出来て素晴らしい旅だったんですけどね。」

その人もサーファー?

「そう。サーファーだったんです。それでそいつとすごく仲良くなって、それ以来メキシコ6回ぐらい行ったんですけど、常に彼が案内してくれて。」

色々な出会いってあるもんなんですね。なんか、サーファー同士、海が取り持つ仲間意識というか、そういうのが出来てくるんですかね。

「目的が同じですからね。波に乗ることが目的で、あとのことは個人個人好きなことやってていいわけで、目的が同じ方向見てる人たちって気持ちが通じ合えることもあるんじゃないですかね。サーフボード1枚持ってれば世界中旅できるって凄いことですよね。行けば地元の人とサーフボード1枚のおかげでコミュニケーションとれるわけですから。サーフィンって、そういうのが多いんですよ。誰かがいないとその地域のいいところがわからない。だからまずそこの一番気楽そうなやつに話しかけるわけです。そうすると何となく情報が入ってくるから、コミュニケートとらないと先に進めないんですよね。たまたまその時は向こうから声をかけてくれたんで、良かったんですけど、それに乗ってなかったらこんなになってなかったですよね。だって、その時その旅が成功して初めて記事になったわけで。それで味を占めたということはないけど(笑)」

でもそれまで全然情報がなかったものがしっかりとした形で、日本で紹介されたわけですから画期的だったんですよね。

「当時のサーフィンの本としては凄いことだったんじゃないでしょうか。今はタヒチにしろどこにしろ情報はどんどん出てくるけど、そういう情報をつかんでくる人がいないんですから。ただそれを読者が喜んでくれたかどうかはわかりませんけどね。身近なほうが好きかもしれないし。ただ、新しい波をとにかく見せてあげたいというのはずっとありましたね。」

私サーフィンやらないので、よくわからないんですけど、“いい波”の定義っていうのはなんなんですか?

「いい波の定義はね、いい波なんですよ(笑)乗らないとわからないし。見た目よくてすごくきれいでも全然違うときもあるし、自分がその波に対処できないといい波にならないんですよ。で、そこには階段があって、ゼロでも一歩でも百歩でも面白いんですよ。でも百歩まで登れた人は百種類の波と遊べるんです。だけど、一歩の人も一歩の波は遊べるんですね。技術によって、あるいはハートによって、よくもなるし悪くもなっちゃうから、見た目悪くても面白かったりホントにハワイみたいな大きな波で笑いながらやってる人もいるわけじゃないですか。だから自然とうまくつきあう方法というのは、ものすごくサーフィンから学びましたよね。」

まぁ、芝田さんはあちこち旅してらっしゃいますけど、やはり仕事が多いんですか?
しばたさん2「そうですね。でもプライベートでも多いから年に数回は外にでてますけどね。最近僕の妻がサーフィンを始めちゃったんです。僕は20年も30年もやってるじゃないですか。でもこの2年ぐらいで始めたからものすごくのめり込んでるんです。今まではヨーロッパだなんだといってたのが、海があるところじゃないと行かない。サーフィンができるところじゃなきゃいやだと。私の今までの何十年はすごく損した。なんで私にサーフィンをやらせなかったんだって言ってますからね。だから妻がやるんで、その分僕もやる回数が増えたんです。」

なるほどね。ところで芝田さんは7月15日に発売された『BeSan』の3号目でも写真が掲載されてますが、すごくいい写真ですよね。

「多分ご覧になっていただけるとわかると思うんですが、最初のページと次のページと写真を分けてあるんです。いただいた片岡(義雄)さんの文章が比較的日本をテーマにしてるんで、最初のページは全部日本のものなんです。これと海外の写真をミックスして作ってみたんですけどね。」

『記憶の中に探す海岸』ということで、サーファーたちがボードを小脇に抱えて・・・。
「なんか海でのそういう出来事みたいなのが好きなんですよ。サーフィン終わって歩いてる姿とか。昔からそうだったんですけど、サーフィンやってる人を撮るということにあまり興味がなかったんです、実は。もちろん仕事ですから撮ってますけど、そのまわりにあるものや状況の方が興味があって、一つの仕草だったりをまとめてみると、そこに物語ができるじゃないですか。その物語性が大好きなんです。だから文章があって写真があると合うんじゃないですかね。」

これからも芝田さんは仕事だけじゃなくてプライベートでも海の写真を撮り続けられると思いますが、芝田さんにとって“海”とはなんですか?
「定義づけることは多分出来ないと思いますけど、一番近くにあったものだから、遊び場なんじゃないでしょうか。仕事場でもあったんだけど、ホントはもっともっと海のことを知るためにいろんなことをしなくちゃいけないと、今思ってるんですけどね。今まではサーフィンだったり釣りだったりカヤックだったりヨットだったりとか、たくさんいろんなことやってたんですけど、でももっともっと、世界の海の流れやカルチャーをちゃんと勉強しようかなと思ってますけどね。」

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