2003年6月15日

我らがオーシャン・セイラー・白石康次郎さんの
単独世界一周「アラウンド・アローン」奮戦記パート1

今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは白石康次郎さんです。
白石康次郎さん

 今週のゲストは、我らがオーシャン・セイラー/海洋冒険家の白石康次郎さんです。白石さんは、世界のセイラーが憧れる世界4大ヨット・レースのひとつ、アラウンド・アローン(去年9月にスタートし、たった1人で2万7000マイル、およそ4万3200キロを、約8ヶ月かけて風の力だけで世界を一周するという世界で最も過酷といわれるヨット・レース)に参戦し、日本時間5月8日の早朝、見事クラスIIで4位でゴールされました!
 ザ・フリントストーンでは、そんなレースが終わってまだ間もない白石さんを2週にわたってお迎えし、約8ヶ月にも及んだレースを振り返ります。第1週目の今週は、アラウンド・アローンというレースの概要、レースに参加した理由、下田からニューポートまでの船の回航、そして2002年9月からの第1レグ:ニューポート〜イギリス・トーベイ、第2レグ:トーベイ〜南アフリカのケープタウンまでの様子を中心に、各レグで起ったトラブル、とんでもないハプニング、寄港地でのつかの間の休息、子供たちの応援など、心に残る感動的なお話をたっぷり伺いました。

●お帰りなさい! そして、本当におめでとうございます。

「どうも、ただいま! 無事に帰ってまいりました。みなさんの応援、ありがとうございました!」

●バースデー・フィニッシュもしたし、爽やかな気持ちで帰国できたと思うんですが、実は油井昌由樹さんからメッセージが入っています。

油井さん「白石康次郎、おかえりー! ばんざーい! だね。いや、本当によくやるわ。それも子供みたいな笑顔で、毎日、死と隣り合わせにいるという状況で、ニコニコ一人で笑うなってくらい楽しそうだよねー。俺も、この間の(ゲストの)山村レイコちゃんも、楽しく生きてる一人だけど、康次郎にはかなわないかもしれないね」

「ありがとうございます。いや、本当に楽しかったですよ、楽しいというのはゴールの瞬間だったんですけどね。そこで18年間の苦労がみんな楽しみに変わって、とても良かったのを覚えていますね」

●最初に、このアラウンド・アローンというレースのおさらいから伺いたいんですが、このレースのことを少し教えてください。

「このアラウンド・アローン・レースは、1982年、ちょうど20年前に、はじめての単独の世界一周レースが行なわれまして、その時も今と同じように、クラス1とクラス2、60フィートと50フィートがありまして、クラス1でフランス人が優勝、クラス2で我が師匠である多田雄幸さんが優勝されたんです。その後、4年に1度ずつ行なわれて、第4回から名前がアラウンド・アローンに改められて、今回で6回目になります」

●その間で、コースは変わっているんですか?

「寄港地はいくつか変わってるんですが、大体、アメリカのニューポートから出まして、普段はアフリカ、ニュージーランドかオーストラリア、ブラジル、そしてアメリカに戻るんですけど、今回は初めてイギリスに寄ったんですね。だから今までの中では最長になります」

●師匠の多田雄幸さんが優勝されたのも影響がすごく大きいですか?

「最初に見たのは高校2年生の時かな。水産高校に通っていて、その時はヨットで世界一周しようなんていう思いはなかったんですが、船乗りになろうとは思って学んでいて、その頃日本人の多田雄幸が世界一周で優勝したというビックニュースが入ってきて、それから1年くらい後に本を読んで、その手作りの船で優勝したということと、仲間を大切にする恵まれた友情関係を知り、それから弟子入りをしたんです。第3回のレースでまた多田さんがチャレンジするんですが、その時はポートクルーで色々な港に行かせていただいて、スキッパー同士の友情を見て、やはり素晴らしいレースだなと感じて、このレースに出たいと思いましたね」

●今回は10カ国、13名でクラス1が7挺、クラス2が6挺でしたよね。

「ええ、そしてスキッパー同士は、クラスを問わずみんな仲が良かったですね。アメリカズカップとか、ウイントブレッドとかの他のレースは秘密を守ってあまり教え合わないんですね。でもアラウンド・アローンはみんな教えあい、助け合う。セイルを運ぶっていっても、あっという間に自分の仕事をやめて10人くらい集まる。こっちがいいとか氷山があるとか、沖でも連絡をとりながら、スタートするときに一つ一つ船を回って、抱き合って『セイル、セーフ』(とにかく安全に行こう)と言うんですね、勝とうとか、そういうことは言わないんです。そのへんがこのレース自体の魅力の一つです。他のレースではこういうのはないと思いますよ」

●レースは2002年9月15日にニューヨークからスタートしたんですが、白石さんはその前の6月2日に、まず下田を出発されたんですよね。

「今回は時間がなくて、3月に船を手に入れたんですが、その船はシングルハンド用ではなかったんです。フルクルー用、本当だったら6人〜8人で乗る船だったんですね。それをシングルハンド用にしなければいけない、お金も時間もないっていうことで、ニューポートに行くためには、まずサンフランシスコまで太平洋横断ですね。太平洋から南に下がってパナマ運河を通過して、マイアミ、ニューポートと、約3ヶ月で地球を半周しなければいけないんです。それで随分疲れましたね(笑)」

●(笑)。そうですよね、お電話で話していても、やっとスタート地点でこれからという時に、もう前半戦を終わったくらいの感じでしたよね。

「ええ、今回は特別に、テロの影響で平和を訴えるということで、ニューヨーク・スタートだったんです。それもあって予定もタイトで、スタート前は1日も休みがなくて、疲れて、モチベーションは下がるし、正直、スタートほど辛いものはなかったですね。みんなは『18年間かかったスタートということで、どうですか?』って言うんですが、本当は僕『やめたい』って言いたかったんですよ(笑)。だから、本当にギリギリのスタートでしたね」

●そんな形でも、スタートしちゃうと気持ちはグッと引き締まるものですか?

「いや、大変でした(笑)。第1レグはニューヨークをスタートしてからイギリスに行く1番短いレースなんですが、まず船に大きなトラブルが発生したんです。船の心臓部分のキール(重り)から水漏れが激しくて、グラグラ揺れだしたんですね。もし、そのキールが外れたら船がひっくり返って命も危ないですからね。そのボロボロのキールをキープするのが大変でしたね」

●それも全部一人でやらないといけないんですよね?

「そうです。でも、普段でも大変なわけですよ、24時間体制でいますから。常に神経を張り巡らせていますから、寝られない、1時間以上は寝られないです。もう一つ、今回はインターネットが繋がって、日誌を送ることになっていたんですね。それで確かに寂しくはないかもしれない、電話もあるし。でもスキッパーにとってみると負担が大きくなったんですよ。デジカメ、ビデオやフィルムでも撮るし、それをメールにしてさらに日本に送らなければいけない。その負担はものすごかったですね。
 さらに、他の船はシングルハンド用に作っているので、非常に人間工学で楽なようにできているんです。傾いてもチャートテーブルだけは水平に保つとか、中にいても楽なんですね。私の船は固定のチャートテーブルよりキッチンのほうが大きいんですから。そんな船はレースが始まって以来だって。その中でコンピュータを操作するのは非常に負担でしたね。
 それらはネガティブな部分ですけど、ポジティブな部分では、応援ね、声やメールが直接来るので、それはものすごくプラスになりましたね」

●そして、いよいよ第1レグのゴール、イギリスのトーベイに到着。

「ええ、この時はツイていなくて、キールのトラブルと、あと大きな高気圧にはまってしまったんです。何でかというと、私は船を走らせることで精一杯だったんですね。ナビゲーション、スタティクスと言って気象学とかコースを調べることができなかったんです。チャートも開く時間がなかったんです。普通はみんなコースを選んで風を読むんですが、僕はその頃、キールを直していましたからね。もう、カーレースのスタート前に、ドライバーがタイヤのネジ回しているみたいな感じですね(笑)、だからナビゲーションも何もかもできなかった。他の船より1週間くらい遅れて入って、遅れれば遅れるほど寄港地の時間は短かったですから。ギリギリ、スタートの5、6日前に入ったんですね」

●白石さんはそのまま、トーベイに着いても、ずっと修理だったんですか?

「そうです。トーベイはハリーポッターのような所で、非常に良い港でしたね。でも私はスタートまで6日しかない。その間にキールのボルトを替えなければいけない。タイヤのシャフトを変えるようなもので、ものすごく大工事ですよね、それをたった6日で仕上げなければいけない。だから僕らはスキッパー達が集まっている港では修理ができなかったんです。いい加減な形での出航は大きな事故に繋がるので絶対にしたくなかったので、また別の港まで行って、そこで朝から晩まで修理をしたんですね。私はサポートチームを持っていなかったんですが、幸い、多田さんの姪っ子さんがイギリスに住んでいて、その旦那さんのアイルランド人のトニーさんという方がいて、本当は彼は僕に『コウジロウ、ハロー』って挨拶をしに来ただけだったんですけど、その挨拶をしてきた手にドリルを渡して、彼は3日間ほぼ徹夜で修理させられていましたね(笑)。彼も一人では手に負えないので、アイルランドから友達を呼んで、何とかスタートに間に合わせたいということで、3人くらいで。特殊なんです、ヨットの部品というのは。そのトニーはイギリスの町工場に行って特殊な部品を作らせて、本当に毎晩やっていましたね。修理が終わったのはスタートの日の朝の4時です。12時にスタートなのに。それから仮眠して、朝の6時頃にスタート海面に走らせて、ヨットレースなんでスタッフにスクリューを封印してもらって、ランニングスタート。だから仲間とも会っていないんです。本当にそういう状態の連続、ドタバタで、第1レグはすごかったですね。よくスタートを切れたなという感じでしたね」

●実は再び、油井さんからメッセージが。

「えっ、まだあるんですか(笑)」

●まだあるんですよ、聞いてくださいね。

油井さん「俺、康次郎が伊豆の下田から出発するときにね、送りに行ったじゃない。母校の鎌倉の小学生の子供達もたくさん来ていて、みんなが手を振って『康次郎さん行ってらっしゃーい!』って出ていったよね。その時にさ、奥さんのミユキちゃん、俺は君たちの結婚を手伝ったよね、2人を紹介したようなもんだよね、ミユキちゃんは俺の番組のアシスタントで、君は用もないのに来てたよね(笑)、そのミユキちゃんが、本当にポロポロ涙を流しながら『お願いだから無事に帰ってね』って言ってたんだよね。康次郎のことももちろん心配だったけど、ミユキちゃんが康次郎がいない間をどう頑張っているのかもすごく心配で、でもよく無事に帰れました。
 多分、冒険家というか、白石康次郎も、野口健もそうかもしれない、彼らに会って話を聞くと、今回の8ヶ月間の体験を、全部聞くと同じ時間がかかるくらい、康次郎の記憶の中に、血となり、肉となっている、そういう体験をあなたはしたよね。それを母校の小学生とかと共有していったよね。もう、最高だよね。康次郎はえらい! 大好き」

●油井さんが、大好き!って。みんなが白石さんのことを大好きなんですよね。

「ありがとうございます(笑)。先ほど、第1レグが辛かったって言いましたけど、それを支えてくれたのは、仲間なんですね。母校の(横浜国立大学)付属鎌倉小学校の4年2組の仲間達もすごく応援してくれて、歌を作ってくれたりして、本当に励まされましたね。テープはもう何回も聞きました。泣きながらそのテープを聞いたのを覚えていますよ。
 私達のチーム・スピリット・オブ・ユーコーの特徴はですね、あまりヨットのプロがいないんですよ(笑)。しかし、やたら人数が集まっているんです。それは多田さんの時からのものもあるんですが、ヨットがテーマじゃなくて、とにかく世界一周をしたいという、それに賛同をしてくれる仲間達がみんなで知恵を出し合ってお金も出し合って、それでやってきたものなんですね。私も特にお金も才能もあったわけでもなく、夢しかなかった。その僕がですね、18年かかりましたけどこうやって世界一周できたのは、皆さんの支えと教えがあったからなんですね。確かに、やったのは僕ですけど、できるようにしてくれたのは僕ではないんですね。大勢の仲間達、小学生の応援のおかげでもあるんですね。そのどれを取っても成功しなかったと思うんです。まさにみんなでできること、やれることを結集した結果がこの18年間だと思うんですね」

●結婚なさって初めての長旅でもあるんですよね。油井さんもおっしゃっていましたが、奥様が涙している、その奥さんを残して行った康次郎さんとしては、電話もできるし、連絡はとれるけど、そういう意味での寂しさも、またバネになりましたか?

「結婚については、あまり航海に変化はなかったですね。油井さんの番組で知り合って、だから油井さんは仲人なんです(笑)。結婚を決めたときには世界一周をするという夢はあったので、冒険家と結婚するとマイナスになるのではないか、冒険の妨げになるのではないかというのが、彼女の場合は一切なかったです。結婚したことで冒険が削られるとか、気持ちが揺らぐとか、そういう迷いがなかった。だから結婚したんですけど、今回も『女房がいるから』いうのがなかったので、それが彼女の素晴らしい所だと思いますね、ちょっと分かりにくいですけど」

●ある意味では、奥さんが港なんですね?

「はい、だから出航も自然にできたし、本当に迷いなく集中できたということは、感謝してます。電話でもヨットのことはほとんど話さないんですよ。引っ越しの準備はどうだとか、もうちょっと見積りを取ったほうがいいんじゃないかとかね(笑)」

●(笑)。じゃあ本当に、普通なんですね。

「普通ですね。僕、全く家庭内での冒険は一切しませんから」

●いろんな意味でたくさんの人達の夢を乗せ、スピリット・オブ・ユーコーという、船の名前自体も師匠の名前からとって、そのスピリットという意味ではいろんな人のスピリットが詰まった船でもあるんですね。

「世界一周して分かったんですけど、スピリット・オブ・ユーコーって言うと拍手が起こるんですよ。やっぱり多田さんが残したスピリットってまだ世界中に生きているんですね。それは何かっていうと、楽しくやろうっていうことなんですよ。ハチャメチャな人でしたけど、楽しければどんな苦しいことでも耐えきれるというのが、師匠のポリシーだったんですね。そのポリシーが船にも生きているし、僕の今回のチームにも生きていると思うんですね。あの船の名前にして本当に良かったなと思っています」

●ファースト・レグがかなり大変で、第2レグのスタート、イギリスのトーベイではスタートの1時間前にやっと準備ができた、ということでしたが、いよいよその続きの第2レグは?

「第1レグはほとんどレースにならなかったんですね、クラス2で、ビリから2番目。そして第2レグも本当にボロボロでスタートしたんですね。そしたら、ストームが2回来ました。僕、嵐慣れはしていて、パッと気付いたら、2日間だけ、1位を取ったことがあるんですね。トミーヒルフィガーという50フィートの船を抜かして、2日間だけ前に出たんですね。あとキールも不安感が薄らいだので、これは面白いぞと。船をとばすことができたんですね。
 でも、そこにさらに大きな、本当にパーフェクトストームですね、2つの台風が一緒になって来て、大西洋半分を覆ってしまったんですよ。クラス1はスピードが速いので突っ込んでいったけど、我々は大きな選択を迫られたんです。このまま大きなストームに突っ込むか、非難するか。ストームの位置も悪くて、イギリスから南下するとヨーロッパ、スペイン、ポルトガルの沖合を通るんですが、ストームの中心はその西側にあったんです。つまり、全てが向かい風になるんですよ。予想では70ノットの向かい風で、ものすごいストームですよ。そこを突っ込んで抜けられるか。
 まず、トップのトミーヒルフィガーは『避難する』と宣言しました。するとみんなどんどん避難するんですよ。ここであわよくば抜けられれば、トップに立てるんですよ。でも迷った結果、本来の僕の目的というのが完走なんでね、今回はそれにしたがって避難したんですね。結果、クラス2全挺が避難しました。それで約5日間停滞したんです。
 その時に無理をした60フィートの船はマストが折れてしまっていたので、正解でしたね。サポートクルーが誰もいない所でしたが、そこのバイヨナの人もすごくいい人で、食事とかとても親切にしてくれて、そこでスキッパー同士が毎晩、僕の船に来たり外で食事したりして、いろんな話ができたんですよ。だからサポートなしで、スキッパーで5日間いられたのは良かったですね。そこでものすごく我々のチームワークができました」

●それぞれがライバルでありながらも、一つのチーム、レースを戦う仲間なんですね?

「命をかけあう、助け合う仲間なんですよ。その友情をものすごく育んで、どのスキッパーに聞いても、あのスペインは最高だった、いい想い出ができたっていうことを語っていますね。私にとっては初めての休みだったんですよ。2日間くらいゆっくり寝られたんですね。それで一気に体力が回復しました。それからレースがものすごく楽しくなりましたね。
 それからずっと2位のまま赤道無風帯に突っ込んでいったんですが、スキッパーは、その赤道無風帯ではどこを通れば速いかっていうのを迷うんです。その頃の僕は気象情報を持っていなくて、トップのトミーヒルフィガーは西に出していたんですね。僕はそれを知らないで真っ直ぐそのまま南下していったんです。そうしたら赤道無風帯に掴まって船がストップしてしまったんです。後ろの船はその僕の船を見て、どんどん西へ出して、せっかく2位だったのに、一気にビリ。みんなの電話でも『何でもっと西に行かないんだ?』って責められたんですけど、全員が後から言うのね。『お前、知ってるんだったら先に言えよ!』って言いたいんだけど、みんな後から言うの(笑)。結局、最下位になってしまって、その後ケープタウンまでで何とか2挺抜き返して4位になったんですね。そこまでは1番長いレグで50日かかりましたね。
 その時に1回、ダウンバーストという現象に遭いましたよ。スコールは風が強くなるんですが、その時はたった3〜4分で0ノットから40ノットまで吹き上がったんですよ。風が最初はなかったのでフルセイルだったんですね。そこに40ノットの風が来て、あっという間にひっくり帰ったんですよ。風の力で横倒しですね。それから船がなかなか風の力だけでは起きようとしないんです。あれはすごかったですね。マストが折れなくて良かったですけど」

●そういう状況の時って、一人でどうするんですか?

「真横ですから、クライミングするようにデッキに出て、ジブセイルをリリースして、それでもなかなか起き上がらなかったですね。なんとか風が30ノットくらいに落ちたときに起き上がって、セイルをリーフして。セイルも破けなくてよかったですね。突然、何が起こるか分からないのが自然なんですね」

●そうやって、この長いアラウンド・アローンのレースの第2レグまで終わって、これからどんどんつながっていくわけですけど。

「そうですね、次のレグはいよいよ、サザンオーシャンに突入するというレグですね。世界一周レースでは1番の難所なんです」

●なるほど。そのサザンオーシャンからのお話もじっくりお伺いしたいんですが、今週はここまでで、ここから最終ゴールまでのお話はまた来週たっぷりお届けします。

白石康次郎さんをお迎えしての第2弾、「第3レグからゴールまでの感動的なお話」はコチラ!(2003年6月22日放送)

■このほかの白石康次郎さんのインタビューもご覧ください。

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■オーシャン・セイラー/海洋冒険家「白石康次郎」さん情報

 白石康次郎さんの公式ホームページには、アラウンド・アローンの悪戦苦闘日誌や写真、そして映像などが満載。航海日誌には、文字通り悪戦苦闘ぶりが詳細に書かれていますし、プロフィールやこれまでの記録も掲載されています。

 また、子供たちの為の「ゲンキッズ・オーシャン・チャレンジ!」というサイトもあって、子供たちからの素朴な質問に答えているコーナーもあるんですが、大人でも十分に楽しめるので、ぜひ覗いてみて下さいね。

白石康次郎さんの公式ホームページ:http://www.nagisa.tv/kojiro/

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オープニング・テーマ曲
「ACOUSTIC HIGHWAY / CRAIG CHAQUICO」

M1. WELCOME HOME / CAROLE KING

M2. SAIL ON / COMMODORES

M3. TROUBLE AGAIN / KARLA BONOFF

M4. SEVEN SEAS / ECHO & THE BUNNYMEN

M5. JOYRIDE / ROXETTE

油井昌由樹アウトドアライフ・コラム・テーマ曲
「FLASHES / RY COODER」

M6. BORN ON THE WIND / AMAZONS

エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
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