2003.11.9放送

自転車で地球を2周!! 埜口保男さん登場
noguchisan
 自転車で世界を旅する「自転車屋」埜口保男さんをお迎えしました。埜口さんは今までに世界を2周している究極のサイクリストで現在も看護士という仕事を続けながら、資金と休みを工面、世界一周の旅に挑んでいます。そんな埜口さんは2年前に北極で亡くなった冒険家、河野兵市さんと若いころに旅の途中で出会い、気が合ったふたりは南米でかなり無茶な登山などもやっています。そのころの、埜口さんしか知らない河野さんの思い出を書いたノンフィクション『みかん畑に帰りたかった』は去年小学館のノンフィクション大賞を受賞しています。
 世界を股にかけるサイクリスト埜口さんに自転車の旅の魅力や、河野兵市さんとの思い出についてうかがいました。

●「自転車屋の」といいますと自転車屋さん、お店屋さんと勘違いされる方もいらっしゃると思うんですが、お店屋さんではないんですよね?
「はい、店ではないですね。趣味が高じてその趣味を一生懸命やっている人を『屋』をつけて呼ぶ事が多いので、いわゆる『山屋さん』とか岩登りやっている人なんかを『壁屋さん』なんていいますけども、その類いで自転車でいつも移動しているという感じですね」

●どこに行くにも大体は自転車で行かれるんですか?
「はい。自転車さえあればどこにでも行けますのでいつも自転車で移動します」

●それはいつくらいからそうなんですか?
「一番最初は19歳の時ですね。学校がつまらなくて何か自分の事をしたいなあって時に、北へ北へと向かっていったらどこまで行けるだろうと思ったのが初めで、北海道に向かって自転車をこいだのが一番最初でしたね」

●それからもう埜口さんは地球を2周してらっしゃるんですが、それは最初の北へ北へと北海道に向かった延長で日本の外、海の向こうに行ってみたいという発想だったんですか?
「そういうことになっちゃいましたね。日本の場合は北に向かっていくと最後に終点がありますよね。で、その終点があるのがつまらなくてもっと先まで先までと考えて日本を出てただひたすら走っていたら、ぐるりとまわって帰っていたということなんです(笑)」

●(笑)。ちなみに国の数でいうと何カ国を旅されたんですか?
「2回まわって今まで104カ国ですね」

●日本を離れて第一ポイントはどこだったんですか?
「最初はアラスカから入りました」

●アラスカからどのように進まれたんですか?
「北米、南米、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニアに各1年ずつ居ました。当時の旅人はみんなそうだったんですが、私も旅の途中で資金難で現金を作る必要が出ましたのでお決まりのニューヨークでの皿洗いをしました」

●それが私はビックリだったんですが、ニューヨークでのお皿洗いの仕事ってバイト料としてはすごく良かったんですよね?
「はい、良かったですね。当時はひと月1,100ドルになりました。1ドル250円の時代でしたので換算すれば約30万円くらいでしたね」

●そんな埜口さんの言葉でとても分かりやすいのが、御自身の旅は「冒険」ではないと。いわゆる「旅」「アウトドア活動」と言ってらっしゃるんですが、この「アウトドア活動」っていうのが私達からするとちょっとした森に入ったりキャンプに行ったりという程度の事を考えるんですが。
「私達もそれとそんなに変わらないですよね。ただ時間的にもう少し長いだけだと思いますね」

●ちょっとじゃなくて凄く長いですけどね(笑)。
「長いですか?(笑)」

●ちょっとそこらの森でキャンプと違って、結果として地球2周ですからね。「アウトドア活動なんだ」「旅なんだ」とおっしゃって「冒険」と定義なさらないのはどうしてなんですか?
「したいことをただしてるだけっていうのが果たして『冒険』かという意識もありますし、どうも私の考える『冒険』っていうのはその先の予想がつかないというのが前提のような気がするので、『冒険』の定義を求められたときにはいつもマゼランが最後の人だというふうに僕は説明しています」

●じゃあもうそれ以降は冒険と呼ぶにはある程度先が見えていたりとか・・・。
「もう地図が出来上がっていますので、しいて言えばまだ当時出来ていなかったアフリカに入って行ったリビングストンとか、北極に向かって行ったアムンゼン、南極へ向かったスコットその辺も含めますけども、純粋に考えるとマゼラン辺りが最後じゃないかなというイメージが強いので僕はただの「アウトドア」だと説明していますね」

●じゃあ埜口さんは「自転車屋」であり「アウトドアズマン」「旅人」であるということなんですね。
「そういうことになりますね」

noguchisan_book●埜口さんはこれまでも何冊か自転車絡みの本を出してらっしゃるんですけど、今年出された本は今までの本とは内容的にちょっと違って、タイトルが『みかん畑に帰りたかった』。この本は去年小学館のノンフィクション大賞を受賞されているんですよね。それで副題の方に「北極点単独徒歩日本人初到達・河野兵市の冒険」とあるように2001年に徒歩で北極点から日本に帰ってくるという壮大な冒険「リーチング・ホーム」に挑戦し、結果的にはホームにリーチできずに、帰らぬ人となってしまった埜口さんの友人の河野さんについて書かれたノンフィクションということなんですけど、この本を書こうと思ったきっかけってなんだったんですか?
「まず河野君が亡くなってしまい、河野君は自分の事が書けなくなってしまった。それと彼とは南米で約半年近く一緒に活動していましたので、その時の姿を知らない人がたくさんいるということも含めて、河野君の実家のお母さんお姉さん方に僕の知っている河野君というのをまとめて渡した原稿がベースになっています」

●この本を読んでいて凄く感じたのは、河野さんと埜口さんってとても似てらっしゃいますよね。
「同じ目的で結果的には同じような環境で育っていたというのもありますし、わずか2ヶ月しか年齢の差がなく同世代というのもあって、性格はまるで違うんですが、なぜか気が合うという人でしたね」
 
●この本を読んでいて凄く感じるのが「最後の冒険って河野さんは本当にしたかったのかなあ」っていうことで、本の中でも埜口さんが?(クエスチョン・マーク)を出されていますが、私も読んでいてそういうことを凄く感じるようになってしまったんですが。
「多分、河野君は元々北極は行きたかったし、冒険もやりたかったことだと思います。同時に私も自転車で世界をまわりたかったんです。別に私はこれ以上求めるつもりはないし、それが最後でも良いんじゃないかという思いもあったので、あとはごく普通の社会人として生きていこうと思っていました。河野君も、本人から直接意見を聞けないので何とも言えませんが、その後次なるイベントを求めたか、あの辺りで河野君としての別な人生が始まったかは分かりませんけども、彼は彼なりの目的はあったと思いますね」

●埜口さんが書かれた『みかん畑に帰りたかった』という本の中に、80年代の初めに海外を旅されている自転車屋さんの方達が言っている言葉で「金(かね)の北米、女の南米、我慢のアフリカ、悟りのインド、何もないのかヨーロッパ」というのがあって、これって何となく皆さんお分かりになったと思うんですが、ヨーロッパって何もないんですか?
「イスタンブールに立つと分かるんですよ。あそこはヨーロッパとアジアの狭間ですから。ヨーロッパ側は雰囲気が『死にたくない、死にたくない』って言っているんですよ。アジア側は『生きよう、生きよう』としてるんですよ。ヨーロッパには失礼ですが過去の国なんですよ」

●今も改めてヨーロッパをまわってらっしゃいますけど、それは今も変わらないですか?
「ヨーロッパに行ってますけども、長旅ですとその辺は雰囲気的に良く分かるんですよ。特にイギリス辺りの下町に行きますと『昔はよかった』という人が多いんですよ(笑)」

●そうなんだ(笑)。「何もないのか」と言ってしまうと可哀想だと思えば「歴史のヨーロッパ」いう言い方も出来ますよね。
「そうですね。『歴史を探るヨーロッパ』とかね。そういうのもありますし、私は歴史が大好きなので、今回のドイツではかなり歴史を追いかけながら動いてきました」

●『金の北米』っていうのはニューヨークで皿洗いをするとお金になるとか、ラスベガスがあるとかそういう意味での『金の北米』なんですか?
「もちろん稼ぐんだったらニューヨークを含めたアメリカが一番手っ取り早い、という意味で『金の北米』なんですね。実際1ドル250円だった時代に日本の倍以上の賃金が貰えましたからね」

●女の南米は?
「南米という国は水商売の方、娼婦というような言い方をしますけども、そういう方があちらには豊富にいます。北米で稼いだ資金をネタに南米に行き、あそこでみんな沈没するんですね(笑)」

●男の人達はね。ホント男ってヤツは・・・(笑)。では「我慢のアフリカ」。これはやはりアフリカを走るのって我慢の連続なんですか?
「アフリカは全てがビザですね。ビザがなかなか貰えないのでひたすらビザの発給を待ちます。私の場合は自転車なので自分の意志で移動できますけども、バスを使って移動している方はバスが来ません(笑)。時間通りに出ません。暑いです。雨だらけです。そんなひたすら我慢我慢の世界ですね(笑)」

●(笑)。そして「悟りのインド」。
「やはり仏教の発祥の地といいますか、あの国に行くと『自分は一体何なのか』という哲学的な発想が湧いてくるんですね」

●それに対して「何もないのかヨーロッパ」と締め括られるわけですね。
「はい」

●埜口さんの本職は看護士さんなんですが、そのお仕事の合間にお休みをとって旅に行かれたりというのは今も続けていらっしゃるんですか?
「はい。でも最近は時間がないから出来ないという人が結構いるんですよね。でも私の場合は社会人をやっています。今同時に某大学に所属していて学生もやっています。暇に任せて本も書いています。私に出来ているんだからあなた達にも出来ますよという例を作るために毎年1週間、海外を自転車で走っています。1週間というと移動距離が目安で大体500キロなんですね。そして地球1周が4万キロでそのうち海がありますので、大体2万キロ走れば地球一周の形になります。40,000÷500で40という答えが出るわけですよ。つまり40回行けばいいんですよ。年に1回行って40回って事は20歳から60歳までですよね。そうすると計算上はサラリーマンを続けながら出来るはずなんですよね。その例を作ろうとして今移動中で先々月にドイツを600キロほど走ってきました。これが今『小間切れ世界1周第3ラウンド』と言ってますけども、その8回目です」

●ドイツに行かれて、この次は来年ということになるんですか?
「ええ、来年ですね。どこに行くかはハッキリとは決めていませんけども、今まで結んだ線をさらに延長しつつ、私の性格上同じ所はあまり行かないのでなるべく行っていない所を狙って、地中海の島伝いに移動しようかなと思っています」

●そういう旅をしてみたいけれども出来ないという人達は難しく考えず、気張らず、小間切れで良いじゃないかという、まさに埜口さんスタイルの旅を実践すれば何事も可能だっていう事ですよね。
「そうですね」

●来年そんな地中海の島々をまわられたらまた是非お話聞かせて下さいね。楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました。

雨の中を傘も差さずに取材場所まで来てくれた埜口さん。「雨なんて気にしていたら自転車で山なんて登れないからね」とおっしゃっていた姿が印象的でした。

■ I N F O R M A T I O N ■
◎埜口保男さん
2001年に北極で帰らぬ人となった冒険家、河野兵市さんとの思い出を綴った本
『みかん畑に帰りたかった』。
 この本ではお話にもあったように河野さんとの出会いに始まり、南米で過ごした時の数々のエピソード、日本での生活、そしていろいろなものを背負うに至るまでの経緯などが描かれています。友人である埜口さんしか知りえなかった河野さんの素顔や心情、苦悩が分かる優れたノンフィクションになっていますので是非読んでみて下さい。
第9回 小学館ノンフィクション大賞受賞作
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