2004.04.11放送

島の心・BEGINの一五一会


 沖縄・石垣島出身のグループ、BEGINのメンバー・比嘉栄昇(ひが・えいしょう)さん、島袋優(しまぶくろ・まさる)さん、上地等(うえち・ひとし)さんをお迎えし、ニュー・シングル「いつまでも/ユガフ島」のことや、ふるさとの人や自然や音楽についてうかがいました。また、ギターと三線を合体、だれでも簡単に弾ける弦楽器「一五一会(いちごいちえ)」のこともうかがいました。

◎ふるさとは自分で探すもの
●比嘉さんと上地さんは2年前に出演していただいて以来ですね。
比嘉さん「5年くらい前の感じがしますね」

●島袋さんは今回が初めてですね。2年の間に色々なことがあり、比嘉さんも地元の沖縄に戻られたそうなんですけど、何がきっかけだったんですか?
比嘉さん「そろそろ後輩達に東京を譲らなくちゃっていう思いが出てきたんです(笑)。それは、多分東京が本当に好きになったからだと思うんです。東京って地方出身者がたくさん出てきて作っている町でもあり、それから東京を故郷として持っている方々がいらっしゃっるっていう、2つがハッキリ分かれて見えたときに、本当の東京が見えたような気がしたんですよね。その時に、やはり東京は自分の心の故郷なんだなぁって思った途端に、『あ、戻らなきゃ。ここにはいられない』っていう感覚が同時に来たんですよ。何故かと思ったら、あれだけ毎年毎年、地方から東京に夢を求めて来る連中がいるんだったら、俺達は夢なんてものじゃなく、音楽をやっていくってもう決まっているから、だったらそろそろ明け渡さなきゃっていう思いになったんですよ。そしたら『じゃあ、もう行きます!』っていう感じで、(メンバーの)2人にも急に話したんじゃないかな」

●島袋さんと上地さんはまだ東京にいらっしゃるんですよね。じゃあ、いきなり聞かされたという感じだったんですか?
上地さん「そうですね。栄昇はそう言っているけど、半年くらい前から栄昇は行きそうだなぁというムードはありました。僕達はまだ東京にいますけど、栄昇のおかげで沖縄に行く機会も増えて、沖縄でレコードを作ったり、ライヴも増えたし、物事を考える機会も増えたので、今は東京にいるんですけど、沖縄を基盤にして活動できている感じはありますね」
島袋さん「僕等3人が石垣島から出てきて東京に住んで、沖縄というものが全然抜けきれずにいた3人なので、それがより濃くなったかなという感じですね。沖縄の人の温かさなどを自分の中で忘れていて、そういうのを沖縄にたまに帰るとおばさん達の力強さや温かさを感じて、『そういえば沖縄ってこうだったなぁ』というのを忘れたり思い出したりしていたものが、忘れにくくなった感じはありますね」

●比嘉さんはそんな力強さの中にドップリと浸かって住んでいるわけですけど、ご自身の中の変化ってありますか?
比嘉さん「変化は、生活が変わるということで、例えば音を出すっていうことにおいては、自分は引っ越しをする際にお菓子をもってご近所をまわって、顔が分かっているから『僕はBEGINで歌を歌っているから、音を出すかもしれないので、うるさかったらいつでも言って下さいね』と言って全部の家をまわったんですよ。でもフタを開けてみたらウチが一番静かだったんです(笑)。ラジオの音は大きいし、あれは俺に歌っていたのかは分からないけど、高校生で俺の家に目がけて歌っている奴がいたんですよ(笑)」
島袋さん「ギター弾いて?」
比嘉さん「ギター弾いて(笑)」
島袋さん「なんか、拾ってもらおうと思ったんだろうな(笑)」

●デモ・テープのつもりでアピールしていったんじゃないですか?(笑)
比嘉さん「ものすごい声だよ。2時間くらい歌ってた。それで、何もなかったように帰っていった(笑)。そんな『はぁ!?』っていうような出来事もありました。あと、本当に1つ1つ自分でやらなくてはならないっていうのは、東京に住んでいるとテレビを見るには、室内にあるジャックにコードを差したら見られるのが当たり前ですよね。でも、沖縄に行くと台風があるので、飛ばされてアンテナがなくなった家が当たり前なんですよね。僕の家もそうで、どうするかといったら大家さんがやるんじゃなくて、自分達でやるんですよ。だから屋根に登ってアンテナを付けないとテレビが見られないんです」
島袋さん「だからホーム・センターにアンテナがたくさん売っているんですよ(笑)。東京じゃあまり考えられないさ」

●いわゆるD.I.Yショップみたいなものが盛んっていうことですね?(笑)
比嘉さん「ものすごいですよ(笑)。なんでも自分でやるので、台風が過ぎていくとホーム・センターにアンテナが嘘のようにダーっと並ぶんですよ(笑)。『これでいいのか!?』と思うんだけど、そういう風に生きているんですよね。何をやるにも自分でやっていくっていう感じです。だから、そんな中で音楽を考えたときに、今まで僕は見えない力を信じていたり、音楽で世の中が変わるんじゃないかとか、理想と幻の境目が分からずに何となくそのままにしていた部分があったんです。でも、今はハッキリと『これは違います』『これはあるかも』みたいに振り分けられるようになったんですよ。そういう意味では沖縄に行ってよかったなって思いますね」

●今年、2月25日にリリースされた『いつまでも』という曲の最初の歌詞が「生まれも育ちも選べないけれど、ふるさとだったら君と選べる」というのが、私の中で『あ、ふるさとと生まれた場所は違うんだ』っていう目からウロコなフレーズだったんですよ。それって今回沖縄に戻ってハッキリした夢と幻の境目の1つだったんですか?
比嘉さん「そうですね。沖縄で生まれたからウチナンチュっていうのは、違うと思ったんです。例えば、よく沖縄の血だからっていうけれど、それって両親からおじいちゃんおばあちゃんまでしかさかのぼれないんですよね。沖縄にいると『自分達はどこから来たんだろう』みたいなことを考えるんですけど、そんなことを言っていても人間はどこからでも来れるから、生まれたところではなくて、ふるさとは自分達で探していいんだっていう思いがあったんです。
 僕達が作った『島人ぬ宝』っていう歌が全国の人に聴いてもらえたんですよね。『島人ぬ宝』が出たときは、沖縄が復帰30周年ということで本当の意味で本土復帰出来たんじゃないかって思えたぐらいの年だったんですよ。だから逆に、僕達も含めた沖縄の人間は本当に本土復帰ということで本土に気持ちを開いたかっていうと、変に開いていなかったりするんですよ。ウチナンチュだからとかナイチュだからと振り分けて、簡単にしているところが今でもあったりする。そこで『島人ぬ宝』が本土の人が気持ちを開いたのなら、『いつまでも』っていう歌で沖縄の人間の気持ちを開きたかったんですよ。そういう歌を作りたかったんです」

◎ユガフ島って本当にあるの?
●去年、初めて沖縄を廻るツアーをされたそうですが、初めてだったんですね?
上地さん「そうですね。沖縄本島、宮古島、石垣島はやったことあるんですけど、鹿児島から沖縄に渡ってやるっていうのは初めてでしたね。5カ所を船で廻ったんですよ」

●船っていうところがミソですよね。
上地さん「そうですね。結構のんびりな感じなんだけど、あまりにものんびりしすぎてやることがないので酒飲んで(笑)、見た目は飲みツアーみたいな感じでしたね(笑)」

●移動だって島から島へっていう間はすることがないですよね。
上地さん「そうですね。自分達もライヴの反省会とか打ち合わせとかミーティングとかすればいいものを・・・(笑)」
比嘉さん「お前、そんな気サラサラなかっただろ(笑)。一番飲んでたのがこの男だったんですよ」

●(笑)。普通のミュージシャンの方がツアーをする時っていうのは、全国を廻って最後に「おつかれー!」って言って、打ち上げをするのが通常ですよね?
比嘉さん「そうなんですかね?(笑)」

●違うんですか?(笑)
比嘉さん「みんなは最後にガーンと飲むのかな」
島袋さん「俺達は常にやっているから最後にやらんもんね(笑)」
比嘉さん「俺なんかは疲れているから『もう、いいよ』っていう感じだよね(笑)」

●あれ?もしかして時代のギャップ?
島袋さん「俺達もそうしよう(笑)。最後にとっておこう」
比嘉さん「でも、伊江島に渡ったときにとある校長先生の家に招待されて、行ったら『歓迎BEGIN』みたいな横断幕がすでに庭に立っていて、島中の人達が来て『飲もーう!』みたいな感じになっているんですよ。そこで『明日ちょっと早いんで』とは言えないじゃないですか(笑)。だから飲んで・・・」
島袋さん「面白いのが、奄美大島から出発してどんどん南下して沖縄に辿り着いたんですけど、奄美大島の文化はどっちかというと日本本土と琉球沖縄のちょうど中間で、少し日本寄りなんですよ。下に下がってくると徳之島なんかはちょうど中間くらいで、沖永良部島になるとほとんど沖縄に近いんですよ。伊江島に入ると沖縄なんですけど、文化的な流れも見えて面白いですね。例えば食べ物も鹿児島の甘い醤油の味から、ちょっとずつ沖縄っぽい塩味になっていくみたいな。沖永良部島まで焼酎は黒糖焼酎ってやつで、伊江島に入った途端に泡盛になるんですよ(笑)。そういう文化的な流れが『あ、ここで変わってるんだ』というのが見えてすごく面白かったです」

●面白いですねー!そんな島の中で私が興味を持ったのが「ユガフ島」だったんですが、「ユガフ島」って本当にあるんですか?
島袋さん「ユガフっていうのは方言で恵み多き島っていう意味なんです。漢字では世果報島と書きます」
比嘉さん「例えば、石垣島のことをユガフ島と呼んだり、竹富島を『ウチの島はユガフ島だよ』って言ったり、『ウチの島は恵み多い、幸せを運ぶ島なんだよ』って使ったり、逆に憧れを込めて例えば鳩間島とかは『あそこはユガフ島だよ。向こうに行ったら出会いがあって結婚するよ』とか『子供が出来るよ。ユガフ島だよ』って言ったりするんですよ」

●この曲の中で意味が分からなかったのが、『ツンダーサ、オーリトーリヨユガフ島』という一節なんですが、これはどういう意味なんですか?
比嘉さん「ツンダーサはなんて言ったらいいかなぁ・・・」
島袋さん「直訳するとかわいいという意味なんですけど、もうちょっと複雑でかわいいのと愛しいのと入り交じったような・・・。なんて言ったらいいのかな(笑)」

●ちょっと分かった感じがする(笑)。
比嘉さん「そこに切ないとか、愛おしい、かわいいとか・・・」

●微妙な感情スパイスが色々入っているんですよね。そして、『オーリトーリ』っていうのはどういう意味なんですか?
島袋さん「オーリトーリっていうのはいらっしゃいという意味です。ウェルカムです。こんなに愛おしい島だからあなたもいらっしゃいという意味なんです」

●じゃあ、それは石垣島のことでもあり、日本という島全体のことでもあって、それぞれの心にあるユガフ島なんですね。スッキリしました。

◎誰でも簡単に弾ける『一五一会』
●去年の7月から9月にかけてBEGIN考案の世界一簡単なオリジナル和楽器『一五一会(いちごいちえ)』をフィーチャーした企画アルバムが3枚出ているんですよね。アルバムだけではなくこの『一五一会』という楽器も大好評なんですが、このネーミングはどこから来たものなんですか?
比嘉さん「この楽器自体が1度と5度から成り立っているんですけど、1度と5度というのをちょっとだけ説明させていただくと、ドレミファソラシドというのをドを1として、レは2と番号を振っていくと、ドミソ(1、3、5)というのが和音なんですよ。この3番目のミの音はもともと日本になかった音だと思うんですよ。とにかく沖縄の三線(さんしん)にはないんですよ。三線は1度と5度だけで成り立っているので、この3番目がなくなるとどうなるかというと、ものすごく簡単になるんですよ。いつも僕達は西洋から入ってきた第3番目の音を大事にしてたんだけど、もともとなかったからいいよと。その1度と5度で沖縄の人も日本の三味線の人も楽しいも悲しいも歌ってきたから、いいじゃないかということで、1度と5度で誰かに会えたらいいなということで『一五一会』にしたんですよ」

音来

●なるほどね! その「一五一会」の普及版楽器「音来(にらい)」の名前の由来はニライカナイ(神様がいるところ、幸せが来るところといった意味)からきているんですよね?
比嘉さん「はい、そうです」

●今、島袋さんが持っているのが音来なんですね。
島袋さん「はい。本当に指一本で弾けちゃうんですよ」
(と、音来をポロンポロンと鳴らす島袋さん)

●音はギターなんですけど、弦は4本なんですね。
比嘉さん「6本もいらないんですよ(笑)。指が5本なのに何故1本多いんだ!っていう・・・」

●三味線も3本ですもんね。それから考えると1本多いくらいなんですね。
比嘉さん「そうなんですよ。挟み込んで弾くために親指が後ろにまわって、テコの原理でいくとすると、4本しか使えないんですよ。だから弦は4本でいいんですよ」

●これで誰でもなんでも弾けちゃうんですか?
比嘉さん&島袋さん「そうですよ。弾いてみます?」

●私、指が短くてギターも弾けないんですよ。
比嘉さん&島袋さん「大丈夫、大丈夫」
比嘉さん「番号をふってあるので、4番目をペタッと押さえ込んで下さい」

●ここですね。
島袋さん「それでジャランと弾いてみて下さい」
(ジャランと鳴らすエイミー)
比嘉さん「これでいいです」
島袋さん「あぁ、もう弾けましたね」
比嘉さん「これで、例えば『涙そうそう』だったら・・・」
上地さん「何も押さえないのが1なんです」
比嘉さん「ボロンボロンと弾いて下さいね」

●1、1ですね。
(ここでエイミーが島袋さんにアドバイスを受けながら、比嘉さんの歌う『涙そうそう』の伴奏を1小節務める)
島袋さん「そうです、そうです」

●弾けるじゃーん!(笑)。どうよ!
島袋さん「今、初めてでここまで弾けたので、5、6回練習すれば自分で弾いて歌えるようになります」

●ギターを一切やったことのない私でも、初めてでここまで出来るんだから、誰でも弾けますね。
島袋さん「弾けるんですよ」

◎一五一会を広める意識はありません!?
●これ、何がきっかけでこの楽器を作ったんですか?
比嘉さん「3人で、音楽をやっていてCDを発売してライヴをやるだけが音楽かなぁという話をしていたんですよ。俺達、音楽家として飯を食べてるんだから、もっと出来ることがあるんじゃないかと考えたときに、簡単な楽器があったらいいよなぁっていう話になったんです。どうして人が楽器に近づこうとして敷居が高くなって、いつの頃からか『バイオリンは3歳の頃から始めなきゃいけない』とか言い出してるぞと(笑)。でも、コンピューターは勝手に向こうから近づいてきて、あっという間にコンピューター・ミュージックに生楽器がやられていて、だったら生楽器が人に近づけばいいよっていう話はしていたので、そんなところから思い付いたのかなと思いますね」
島袋さん「最初は試作品から始まったんですけど、知り合いのミュージシャンにこういう楽器があるんだって話をしたら、面白がるんですけど、最初にまず『これをどうするの?』ってミュージシャンは頭でっかちだから理論から入るんですよ。いや、指一本で全部いけるからっていう話をして、実際に触ってみると『あ、なるほどな』って言って笑いが出てくるんですよ。最初に指一本で弾けたときにみんなが『あーっ、弾けた!』って笑ったときが一番嬉しかったですね」
上地さん「歌詞カードの歌詞の上に番号がふってあれば、歌詞を見ながら弾けて歌えるんですよ」
比嘉さん「僕等が夢見たのは、沖縄ではおじいちゃんと孫が一緒に三線を弾いているっていう光景をよく見るんですよね。そんな風にこの楽器がおじいちゃんやおばあちゃんと、お孫さんとの歌の橋渡しみたいになればいいなと思いますね。あとは、そろそろ音楽を買うっていう感覚をなくそうぜっていう想いなんですよね。乱暴な言い方だけど、プロに頼らず自分で作ればいいよっていう、そっちの方が楽しいし、俺なんかはそれで飯を食べているから矛盾するかもしれないけど、(島袋)優のおじいちゃんおばあちゃんが生まれ育った鳩間島っていう、今、人口60人くらいいるか?」
島袋さん「60人いないかもしれないね。40数名だと思う」
比嘉さん「その島に小中学校があって、そこに楽器を置いてきたんですよ。たまたま番組をそこで収録することがあったので、一五一会を子供達に託してきたんですよ。それだけでも卒業式で使ったり、運動会で使ったりしているらしいから、そのうちにきっと鳩間島からオリジナルの歌が生まれていくんだろうなぁっていう喜びというか、それこそ酒を飲みながら『鳩間島どうなっているかなぁ』みたいな、いつも考えれば嬉しいっていう感じですね」
上地さん「『自分達が一五一会を発案して、自分達が広めます!』っていう意識は全くないんですよね(笑)。1つの提案をしたっていうだけで、自分達がどうしようっていうのも一切なくて、『こういうのどうですか?』みたいな感じなんですよ。だから、その中で楽器を弾くことがもっと身近になったときに、家庭家庭に歌が出来たら素敵な日本が出来るんじゃないかと思うんです」
比嘉さん「だから、ハワイとかに持っていきたいなと思う。沖縄に日系のおじぃおばぁがいるからその人達に、ハワイアンだったらコードも複雑じゃないから『こんなに簡単に弾ける楽器があるから、これだったら歌えるよ』って言って、持っていきたいなという思いがありますね。でも、世の中が色々な戦争とかあるし、そんな中で歌が大事だよって沖縄に行ってから思うようになったんだけど、祖先の人達が今教えてくれているのかなぁという風に考えているんです」

●これからも楽しみにしています。この一五一会が日本の楽器として新たなミュージック・シーンに打って出るような、日本という島の「島人ぬ宝」になるような楽器になればと思います。今日はどうもありがとうございました。



■ I N F O R M A T I O N ■
 2月25日にマキシ・シングル「いつまでも/ユガフ島」をリリースした石垣島出身のグループ「BEGIN」。今年3月には15年目に突入。今年の夏は6月26日(土)に沖縄県宜野湾市で開催される『うたの日コンサート』に出演後、東京からツアーをスタートさせます。また 『フジ・ロック・フェスティバル』にも出演する予定(こちらに関しては日程が近づいたら改めてご紹介します)。

・「東京公演情報」
日程:7月14日(水)と15日(木)
会場:厚生年金会館
チケット代:5,000円(税込み) 5月15日より発売開始
問い合わせ:かりゆしネット(BEGINオフィシャル・ファンクラブ)
TEL:03-5457-3486

・夢の和楽器「一五一会『音来』」
 去年7月に発売され大盛況となっているBEGIN考案のオリジナル和楽器「一五一会(いちごいちえ)」。その普及版として価格をおさえたヴァージョン「一五一会『音来(ニライ)』」の予約受け付けが先ごろ開始されました。
価格:4万5,000円(税込み、専用ソフトケース付き)
第一便の発送:4月28日(水)予定
問い合わせ/予約:(株)ヤイリギター
TEL:0574-62-1138

BEGINのオフィシャルHP:http://www.amuse.co.jp/artist/begin/profile.html


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