2004.07.04放送

野田知佑ハモニカライヴ5

 6月26日に上野公園の水上音楽堂で開催された「野田知佑ハモニカライヴ5」の模様をお送りします。今年の出演者は野田さんほか、お馴染み、モンベルの社長・辰野勇さん、津軽三味線の第一人者である二代目高橋竹山さん、吉野川みんなの会の代表・姫野雅義さん、そして歌手の加藤登紀子さん。個性的なメンバーによるトーク・ショーや、加藤さんのミニ・インタビューをお送りします。

◎加茂川に生まれ、鴨川に住む
 まず、ステージに登場したのは司会を務めたモンベルの社長、辰野勇さんとこの日の主役、カヌーイストで作家の野田知佑さんです。
辰野さん「野田さん、四国での生活はどうですか?」
野田さん「これから梅雨時になって、川が氾濫するのでこれからが面白いね。魚が畑に出てくるんですよ。それからホタルが飛ぶでしょ。四国は今が一番面白い時季なので、本当は東京なんか来たくなかったんだよね」
辰野さん「野田さん、今日は当然ハモニカを準備していただいていますよね? 早速ですけど一曲やっていただけませんか?」
(会場から拍手)
野田さん「『夏の思い出』をやりましょう」

(ここで、野田さんのハモニカによる『夏の思い出』が披露され、会場から拍手が沸き起こる)

辰野さん「ハモニカの優しい音というのは懐かしい感じがしていいですね。野田さん、人が川に足を運ばなくなったことが、色々なところで公共事業によるコンクリート化が進んでいく、一番の原因ではないかなって思うんです。誰も声をあげない。そういう部分がありますよね?」
野田さん「その通り」
辰野さん「それをなんとか止めようということで、まず子供達を川に連れ出してしまおうじゃないかということを4年前にみんなで考えまして、『川ガキ養成講座』というのを徳島県の吉野川で姫野雅義さんが中心となって始めました。今年が4年目です。とりあえず、何はともあれ姫野さんに入っていただきましょうか。姫野さーん!」
(ここで姫野雅義さんがステージに登場)

「吉野川みんなの会」代表・姫野雅義さん
辰野さん「姫野さんは今から4年前の2000年に、第十堰の可動堰反対住民運動を組織されて阻止されたんですよね?」
姫野さん「もう4年前になりますね。2000年の1月23日です。1、2、3とよくいわれました」
辰野さん「その後の吉野川の状況を教えていただけますか?」
姫野さん「吉野川の状況もどんどん変わっていまして、世の中悪いことが多いんですけど、吉野川はいくつか希望があるんですね。例えば、みなさん『緑のダム』ってよく聞くじゃないですか。長野県では田中康夫知事が『脱ダム宣言』を出されましたが、とにかく、日本はダムを造ってどの川もダムだらけになってしまっている。けれども、ダムになったからといって必ずしも安全にもならないし、環境は悪くなる。じゃあ、どうすればいいのかということを科学的に解明したのが吉野川で、緑のダムの研究が先月まとまったんですよ。つい2日前に緑のダムをこれから吉野川の(洪水を防ぐ)治水の大きな計画の大きな柱にしようと、徳島市が国に対して提案しようということが2日前に決まりました。そういう動きが出たり、先程辰野さんが言われたように『川ガキ』、子供達が川で遊ぶのが当たり前のような川を取り戻していこうという動きがどんどん広まっています。そういうことで50年、100年、200年ぐらい先を見た動きがそろそろ始まっているかなというのが4年経った今の状態です」
辰野さん「ありがとうございます。野田さん、今年が4回目の川ガキ(養成講座)ですよね」
野田さん「一番いけないのは、『子供は川に行ってはいけない』、『川で泳いではいけない』という考えが徹底していることなんですね。日本中の河原に行きますと、『遊泳禁止:建設省』『いい子は川で遊ばない:建設省』という立て札が30年前から立っていたんですよ。覚えているでしょ。みんないい子になって川で遊ばなかったんですね。だから今、40歳以下で川で遊んだことのある人は少ないです。みんないい子で、悪い子がいなかったんですよ。昔、我々が子供の頃を考えると、夏は日本中の川で子供の歓声がワーッと聞こえましたよ。で、最近の日本の川っていうのは歓声が聞こえないんですね。沈黙の川です。
 川の学校でやっているのは、とにかく川に放り込む。放り込むというのもただ放り込むだけではなくて、1つの餌として魚を捕ろうということで、潜って水中メガネをつけさせて魚を追わせる。そして、小さな500円くらいの銛を持たせるんですね。そして一日中潜って魚を突かせると、夕方には1匹か2匹小さな魚を突いてきます。これで彼らの何かが変わるんですね。川っていうのは魚を捕るのが一番面白いんです。ナイフを与えて突かせた魚を割いて料理して食べる。そういうことをやると、川ガキ講座が終わったころに、魚を捕ったのを見るとみんな口々に『食べよう!』と言うんですよ。これはすごいことで、今は『キャッチ・アンド・リリース』なんていう偽善的な釣りが流行っていますが、要するにそういうことではなくて『捕った魚を食べよう』というのは非常に健全な発想ですね。それをなんとなく子供が身に付けてしまう。そういう子供達は我々の誇りですね。ちょっと教えるだけで違うんですよ。大したことを教えていないのですが、そういったことを大人が奨励してやったり、誉めてやることが大事ですね。それだけで随分変わります。
 とにかく、今の日本の川に対する学校の対応を僕は納得できない。『川が危ないから、川に行かせない』『遊泳禁止』『ナイフは危ないから持たせない』そうじゃなくて『川は危ないから、川で泳がせる』『ナイフは危ないから、ナイフを持たせてナイフに慣れさせる』といったやり方で我々はやっているんですよ。これは成功だと思いますね」
辰野さん「今日のもう1人の素晴らしいゲストの加藤登紀子さんが、千葉の房総のほうでそういった活動をされているそうなので、是非そういったお話もうかがいたいと思います。加藤さん、お願いします」
(ここで加藤登紀子さんがステージに登場)

辰野さん
「加藤さんは房総のほうで『鴨川自然王国』をされていますけど、その辺のお話を聞かせていただけますか?」
加藤さん「『自然王国をやっています!』って言うほど、何をしているというわけではないのですが、そうですねぇ。何を話したらいいかなぁ・・・」
辰野さん「いっぱいあり過ぎて大変でしょうけど・・・」
加藤さん「『自然王国』自体は私の夫の藤本敏夫が20年以上前に、作ろうとしてまだ作りかけているっていうのかな。何が自然王国なのかっていうのは、私もまだ分かっていないと思っているんですけど、もともとは有機農業の農産物をみなさんに買ってもらうルートを作らなければ、これ以上オーガニックの農業はダメになるんじゃないかということで、『大地を守る会』というのを作ったんです。考えてみたら60年代前半、1961年から農業基本法というのが変わったんですね。そこから農業が全部、近代農業のほうにシフトして、あっという間に有機農業がなくなっていったんです。農産物を作っている側のことが分からないといけないんじゃないかということで『鴨川自然王国』に入ったんですけど、自然王国という名前はその後につけました。私も2年前からそれを引き継いでいます」
辰野さん「藤本さんが亡くなられた後ですよね」
加藤さん「はい。もう2回田植えをやりましたけど、正直、去年田植えをしたときアメリカザリガニにやられたんですよ。『またここにもアメリカが来るのか』と思って頭に来ちゃいましたけどね(笑)」
辰野さん「許せませんね」
加藤さん「植えても植えても食べられちゃうのね。それでアメリカザリガニに食べられちゃって、ウチの田んぼは地図みたいになってしまっているけど、農業担当者に『どうするの?』って訊いたら、『また植えればいいんですよ』って言うから、空いたらどんどん植えてザリガニとイタチごっこでやって、それで採れましたよ。今年は、ある日田植えのあとに見たら、ウチの田んぼは情けないことになっているわけ(笑)。『どうなっちゃったの?』って訊いたら、『草が生えないように糠(ぬか)を撒いたら、稲のほうも一緒に枯れちゃったんですよ』って言うから、『あんた、淡々としているけど、どうするの?』って訊いたら、『構わないですよ。また植えればいいですから』って言ってまたやるんですよ。そんな調子で経験してきたということで、まだまだ農業を経験したとはまだ言えないですね。
 私が吉野川に大変興味があったのは、私自身が京都の加茂川で育ったんですね。で、たまたま今住んでいるのが千葉の鴨川なんですよ。で、京都の加茂川の下流の方は鴨川、上流の方は加茂川と書くんですが、私は京都の加茂川の上流にある上賀茂神社というところで育ったんです。それはそれは本当に川がキレイなところで、偶然なんですけど千葉の鴨川というところは加茂川という川が流れているんですよ。だから、本当に京都と因縁が深いなと思ったんですけど、加茂川が鴨川市の命なんですね。ところが、本当に悲惨な川なんですよ。1回あそこにカヌーで行きましょうか。メタンガスとかで死ぬかもしれないね。なぜ、去年私が鴨川に住所を移したかというと、色々な思いがいっぱいになってきちゃったんですけど、その加茂川が本当に汚い。すでにその上流に廃棄物処理場が出来ているんですね。それに管理型っていう恐い廃棄物処理場が源流の上に出来ようとしている。それなのに『私が自然王国の姫です』なんて言って(笑)、『田植えとザリガニが・・・』って言っている場合じゃなくて、私は鴨川市民になりましたけど、たった1本の川に支えられて何千年も暮らしてきた鴨川という町の川が死んでいて、しかも川の上流に平気で廃棄物処理場を作ろうとしているという現実にぶつかって、私はきちんとした市民にならなければ、ちゃんとこれと取り組めないんじゃないか思って市民になったということで、これが長い自己紹介です」

◎日本人には“自分のもの”という権利意識が足りない
トーク・ショーも佳境に入ったころ、話題は「川は一体誰のものか」という点に移っていきました
野田さん「40年くらい前から川離れというのは始まっているんだけど、その前に『僕はカヌーイストである』『僕は川を下る』と言うと必ず訊かれるのが、『川を下るときは許可が要るの?』『国に許可が要るんだろう』と言われますね。というのは日本人は全然権利意識がないんですよ。この調子で行けばあと10年もすれば『道路を歩くにも許可がいる』という風潮がでてくると思いますね。全く権利意識がないですよ」
加藤さん「私は東京のど真ん中で子供を3人育てたんですけど、ウチの娘が『東京って山はないし、どうしてこんな町なの?』って言ったことがあって、ウチはマンションで電話番号が“庭なし”っていう番号だったんです(笑)。子供を育てるのがマンションの中って本当に情けないですね。あるとき思い立って、東京の地図を広げて『これを家の庭っていうことにしよう』って言ったの。ウチには庭がないんじゃなくて、全部庭なんだと。それで『今日はウチの庭はどうなっているか見に行こう』って言って、時々多摩川に行くんです。そうやって掃除をしてきたりします。一時期、高尾山もウチの庭でした(笑)。東京の地図を広げるとウチの庭には山が3分の2くらいあるんですよ。『あら、ちゃんと山もあるじゃない、ウチは』って(笑)。それで、少しでも『ウチ』って言ってしまっていいんじゃないかと思うんです。そうじゃないと『国のものでしょ、これは』とか『これは都のものでしょ』ってなってしまう。山を見たときにも『これはどこのもの?』って言うでしょ」
辰野さん「でも、国家権力によってコントロールされているという概念は東京にとくに強いですね。僕、東京の街を歩いていてもよく感じます。野田さんがおっしゃったように、『川を下ってもいいんですか?』って当たり前のことを平然と訊くのは関東の方ですね。僕らの仲間で内田正洋っていうシーカヤックをやる男がいるんですが、彼が言うには西日本でカヌーを教えると全然やりやすいというのは、とりあえずどこでも行ってしまうからだと。東の人は1から乗り方を教えてもらったり、許可をとらないと乗れないと思っている人が圧倒的に多いというところはありますね」
姫野さん「僕がなぜ第十堰の問題に関わったかというと、あそこが僕の子供の頃の遊び場だったからなんですね。で、なぜ吉野川が勝ったかというと、第十堰とか吉野川というのは自分のものだっていう心の動きが、徳島の人達に広がっていったからなんですね。つまり、そういうことが他県や東京の人達にも共感を広げていったっていうことだと思うんです。結局、『これは自分の大事なものなんだ』っていう意識がエネルギーになって、いいものが残っていくんだなという気がします」
辰野さん「この前の台風のあと奈良県の吉野川をカヌーで下ってきたんですよ。普段は毎秒5トンくらいしか流れていない川が、増水して1200トンの水が流れていたんですよ。で、僕は嬉々となって行ったわけ。普通は危ないから行くなって言うんだけど、そういう時ほど面白いから行くんですよ。行って素晴らしいカヌーをして帰ってきたんですけど、ドロドロの水だったんです。山水が出て『グランドキャニオンか!?』っていうくらいドロドロの水だったんです。で、昨日四国の吉野川へ行ってきました。大歩危(おおぼけ)小歩危(こぼけ)が増水して300トンくらいの水が出ていました。でも、水がキレイなんですよ。あの川はまだ望みがある。奈良の吉野川は上に大滝ダムが出来て、山そのものの緑が弱ってしまっているんです。山が弱っているかどうかというのは川を見れば分かるんですよ。雨が降ったら泥んこになるような川はダメなんですよ。少々降ろうと木が受け止めてくれる、そういう環境が山には必ずあるんです。それが四国の吉野川にはあるんですよ。だから、あきらめることなく姫野さんのように住民運動でああいう形で止められたり、これから子供達を育ててやっていくっていうのはすごく楽しみですね」

◎私と川は切っても切れない関係<加藤登紀子>
 先ほどトーク・ショーの話の中に出てきた加藤登紀子さんが育った京都の加茂川の思い出を、ザ・フリントストーンのために語っていただきました。

加藤さん「加茂川で育ったということの意味の大きさを今すごく感じていて、泳ぎを覚えたのももちろん加茂川なんだけど、いつ帰っても加茂川の流れが変わらないのは嬉しいですね。その上流の方に上賀茂神社ってあるんですけど、その中に山から流れてきた楢の小川という川が流れているんですね。万葉集にも『風そよぐならの小川のゆふぐれはみそぎぞ夏のしるしなりける』って入っているのよ。すごく偉そうで古代的な川なんだけど(笑)、その川がこの社家町の横を流れていて、そのうちの一軒に私は小学校時代に住んでいたのね。その家のシステムが素晴らしくて、神社から流れた川、加茂川とは全然違う別の川で、町造りをしたときの水路だと思うのね。そこから一軒ずつに細い水が流し込んであるわけ」

●その川からですか?
加藤さん「その川から1戸ずつの家の中に水が流れているの。それで、その白壁の家は1戸ずつ川の橋を渡って入っていくんだけど、そのところに洗い場があるわけ。なおかつ家の中に水が流れ込んでいるんですよ。それで私は引き揚げ者で自分の家がなくてほとんど居候状態だったから、敷地の中の小屋みたいなところに住んでいたんです。母はすごく“どん底生活”とか言っているんだけど、私の記憶の中ではいつも家の中に川が流れていて、しかも家の前にも川が流れていて、そしてその川の流れのほとりを毎日歩いて学校に行って、夏休みになると加茂川で泳いだという、私と川の関係は切っても切れない関係で、私は心の中で生きている時間っていうのは川だと思っているんですね。 今、同じ家がまだあって、そこは保存地区になったので川も変わっていないんだけれども、1軒ずつの中に入っている川は干上がって水がなくなっていました。神社の中から流れてくる水は、私は昔から神々しいと思っていたくらいキレイな水で、砂金がサーッと下に沈むような世にも美しい川だったのね。今は生活排水が混じっちゃって、神社の中から濁った水になっちゃっているのね。だから、その意味で自分の子供時代は素晴らしかったなと思うの。だけども、残念ながら私達はあんなに素晴らしい自然環境の中で育ったくせに、自然を壊してしまった世代なんですね。あんなに素晴らしい自然の環境を味わっておきながら、なぜそれを壊したのだろうかというのが、私にとっては痛烈につらいものなんですよね。
 上賀茂小学校というところで私が課外授業をしたときに、みんなで歌を作ろうということになって、『何をテーマに作る?』って訊いたら、みんなが『未来!』って言ったのね。私は『そんなしょうもないものじゃなくて、恋とかそういうものにしよう』と言ったのに(笑)、6年生は全員が『未来をテーマにしたい』と言ったわけ。私の子供の頃はあんなに自然環境は素晴らしかったのに、子供時代は誰も地球環境のことは話題にしない。高校時代でも大学時代でもなかった。学生運動の真っ最中にもなかったんです。私はそれをとっても反省しています。
 上賀茂という世の中の一般的な尺度からすると、とても恵まれた環境で暮らしている子供達でさえも意識の中でとても不安がっているのは印象に残りましたね。だから、今回、吉野川のほうは川の学校の子供達に歌を歌ってもらったり、作ってもらったりしたんですね。とても嬉しかったのは、『俺の自慢のガキです』って言って野田さんが子供達を紹介して、『当然だろ』という表情をしているガキ達の態度ですね。『俺達が自慢であるはずだ』っていう。その関係がすごく素敵だったのと、色々なところで子供達に合唱団で歌ってもらうんだけど、川ガキ達はどの合唱団よりも元気がよくていい歌を歌ってくれました」

◎加藤さんがUNEPを通して見たものとは?
 加藤登紀子さんは千葉県・鴨川で去年から「鴨川・未来たち学校」を始めました。
 この学校は地域をもっと知り、自分たちの手で理想的な地域に育てていくための勉強の場なんですが、去年は「水を考える」「海に聞こう」「ゴミをどうする」というテーマのもとに、それぞれに造詣の深い講師を迎えたシンポジウムを開催。
 そして今年2月には「永六輔」さんをゲストに「土をつくる」というテーマで第4回目のシンポジウムが開催されました。
 実は今回の、野田知佑さんの「ハモニカ・ライヴ」の翌日には野田さんをゲストに迎え、「くらしを見る」というテーマのシンポジウムが行なわれています。

 最後に加藤さんに、未来たち学校を通してこれからやろうとしている活動についてうかがいました。

加藤さん「出来るだけ考える頭の中の原点は小さいほうがいいと思って、鴨川市にこだわっているんですけど、本当は自然水系とか環境という意味でいうと、南房総を1つの単位として考えていかなきゃいけないと思っているんです。未来たち学校には館山の人達もたくさん来ているんですね。そういう意味で言ったら、小さな点から始まって南房総になって、房総半島全部、千葉県になってそれから少しずつっていう考え方をしていけたらいいなぁって思うんです。堂本知事も環境に熱心な方で、もともとUNEP(国連環境計画)に近い組織の一員だったんですね。だから、その意味で対話する機会がすごく多くて、千葉の市民になることで、千葉県全体に対しても発言できるのは嬉しいなって思っています。
 私はこの間UNEPのお仕事でインドに行ったんですけど、ガンジス川の上流にあって、一番の聖地といわれているヤムナ川をキレイにしようという活動を見に行ったのね。で、その一員の中にインド人の大変熱心なヒンドゥー教徒がいて、その人がベナレス(現在はバラナシ)まで沐浴をしに行ったんだって。だけど、あまりにも水が汚くて沐浴なのに頭まで入れられなかったんだって(笑)。そしたら、そのあとに頭を怪我しちゃったんだって。それで、『これは神様からのお怒りだ』っていうので、自分がヒンドゥー教徒でありながら、今まで自分の身を清めていてくれた川をこんなに汚してしまって、清めるどころか自分は頭も入れられないって、それからなんとしても川をキレイにしようということで意気込んでいました。
 だけど5000年くらいインドには歴史があって、それまでずっと川は死んだ人を火葬せずに流してもその川が浄化してくれるくらいの大きな川だったわけでしょ。それが急激に変わっていったっていうのは、流域に工場が出来たり、科学物質がたくさん入っているような生活排水が流されたりということが、一挙にすごいことになったんですね。インドでも環境に関するNGO活動は盛んですし、ネットワークもすごく熱心にやっているんですね。だけど、あまりにも汚くなっていくスピードが速くて、地球の上は恐ろしいことになっているという実感はありますね。
 UNEPって1972年に出来た組織なんですね。1972年の時点でこの地球は21世紀の真ん中くらいで、人間のこのままの生産活動をしていけば人間のライフ・サイクルは崩壊するだろうというS.O.S.が出てのスタートだったんですね。ところが1972年から後の自然破壊というものは幾何級数的にそれ以前よりすごいんです。あのS.O.S.は何のために発されたのかなという意味では、UNEP頑張ってきたけど、どうやってこれから頑張っていけばいいのかというのが大きな課題ですね」
お忙しい中どうもありがとうございました。

(津軽三味線奏者・二代目高橋竹山さん)
イベントの最後は全員で「ふるさと」を歌って終わる。三味線とハモニカの合奏!?

■ I N F O R M A T I O N ■
■カヌーイスト/作家「野田知佑」さんの最新刊
カワムツの朝 テナガエビの夜
小学館/定価1,260円
 雑誌「BE-PAL」に長期連載中のエッセイ『のんびり行こうぜ』をまとめた本。徳島県日和佐での暮らしや吉野川の川ガキの話などが綴られている。

■歌手「加藤登紀子」さん情報
 鴨川自然王国、国連環境計画(UNEP)の親善大使など幅広く活躍されている歌手「加藤登紀子」さんは現在、春から夏にかけてのコンサート・ツアー中。関東近郊のスケジュールは下記の通り。
・7月10日(土) 中野サンプラザ(東京都)
・7月14日(水) 千葉県文化会館
・7月17日(土) 大宮ソニックシティ(埼玉県)
・『青い月のバラード Sound History〜語りと歌でつづる加藤登紀子の世界〜
ユニバーサル・ミュージック/定価4,800円
 朗読と歌によるCD3枚と貴重映像入りDVD『青い月のバラード』のオリジナル・フォト エディット、紅白歌合戦出演時の「知床旅情」「百万本のバラ」などを収録。
問い合わせ:トキコ・プランニング
問い合わせTEL:03-3352-3875
加藤登紀子さんのウェブサイト:http://www.tokiko.com/

■NPO法人「吉野川みんなの会」情報
 姫野雅義さんが代表を務めるこの会では“未来の子供たちに日本一の吉野川を手渡したい”という想いから、“徳島県の宝”ともいえる吉野川の自然環境を守るために様々な活動を行なっている。
ウェブサイト:http://www.daiju.ne.jp/
・「吉野川 東京の会」
 「野田知佑ハモニカライヴ」など、東京で吉野川を守る活動を行なっている団体。
ウェブサイト:http://www.mandala.ne.jp/yoshinogawa/

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