2010年7月4日
今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは、伊沢正名さんです。伊沢正名さんの自然に対する、ゆるぎないこだわり |
※野外で排泄する行為は、軽犯罪にあたります。また、番組として「屋外での排泄」を薦めているわけでもありませんので、ご注意ください。 |
●今回のゲストは、写真家、そして「糞土師(ふんどし)」の伊沢正名さんです。よろしくお願いします。
「よろしくお願いします。」
●伊沢さんは、2008年に「くう・ねる・のぐそ〜自然に“愛”のお返しを」という本を出版されています。伊沢さんは、写真家でありながら、「糞土師(ふんどし)」という肩書きも持っているということなんですが、どういった仕事をしているんですか?
「一言でいえば、野ぐそをひたすらして、そのことを話したり、元々カメラマンだったので、うんこの写真とか、お尻を拭く葉っぱの写真も撮りますが、今は、写真家ではなく、あくまで糞土師なんです。写真家は、もう辞めました(笑)」
●今はもう糞土師1本ということなんですね(笑)。そもそも、野ぐそを始めたきっかけは何だったんですか?
「それは、1973年の秋に、家の近くで、し尿処理場建設反対の住民運動があったんですよ。それまで、私は自然保護活動をしていて、住民運動側の方達が正しくて、行政や企業など、自然を破壊する人たちが悪者だと思っていたんですが、し尿処理場というのは、みんなが出したうんこを始末するんですよね。自分達で臭くて汚いうんこを出していながら、その処理を自分たちの家の近くでされたら困るというのは、エゴですよね。それで『これは住民のエゴで、善じゃないんだ』と思ったんです。しかし、そのときは私もトイレでうんこをしていたんです。ということは、し尿処理場で処理されてしまう。これは困ったと思いまして『なんとか処理場で処理しない方法はないのか』と考えたら、野ぐそしかないということで、1974年1月1日から始めました。
みんな当たり前に考えていますが、出すだけ出しておいて、処理を自分の家の近くでされたら困るというのは、おかしいと思うんですね。出した以上は、責任を持つというのは当然じゃないですか。」
●そういう風に改めて言われると、確かにそうだと思います。
「だから、みんなは悪意はないんだけど、処理をすることを考えていないんですよね。でも、よく考えてみたら、それは自分勝手だと思うんです。」
●伊沢さんは外で排泄をされているわけですが、観察をすることで、分かることってあるんですか?
「した後はもちろん埋めるので、どうなったかというのは、分からなかったんですが、本を出す最終段階のときに、野ぐそがどのように土の中で分解していくのか、掘り起こして、観察したんですね。“野ぐそ後掘り返し調査”という、科学的な調査です(笑)。夏と冬で、200個近くのうんこを掘り起こして、全部確かめてみました。」
●全部土に還っていたんですか?
「もちろんです。段階を経て変わっていきます。」
●そういう話を聞くと、物質って循環しているということを感じるんですが、伊沢さんが実際に観察をして、そういうことって感じますか?
「そうですね。最初はうんこそのものです。それが最終的に土みたいになるんですね。その分解の過程は、匂いの変化でいうと、ヘドロの匂いに変わっていくんですね。うんこ臭からヘドロ臭、そこから、痛んだ野菜の匂いに変わっていって、次に香辛料の匂いになるんです。物によっては、キノコの匂いや針葉樹の樹脂の匂いのような、いい匂いになっていくんですよ。それが段々消えていって、無臭になっていくんです。」
●今の話を聞くと、自然の中ですると、害になったりするんじゃないかという心配があったんですね。
「普通はそう思いますよね。私も最初は、し尿処理場の問題もあって、野ぐそを始めたときは『自然の中に放置するということは、自然に対して、害になるんじゃないのか』と思って、できる限り分解が進むように、微生物がたくさんいる林の中でしようと思ったんですけど、むしろ色々な生き物がうんこに寄ってきたんです。まず、動物や菌類が寄ってきて、分解した後は植物が寄ってくるんですよ。分解した後のうんこには、無機養分がたくさんあるんですね。だから、色々な生き物が群がってくるんです。」
●伊沢さんは現在も、野ぐそを毎日しているんですよね?
「もちろんです。私は、1日1便です(笑)」
●(笑)。それでも、TPOをわきまえて、しているんですよね?
「もちろん、人に迷惑をかけてはいけないですから、正しい野ぐその仕方というものはあります。これはあくまで、排泄物をゴミとして処理をするのではなくて、自然にお返しをするという考え方でやっています。そのためには、まず分解しやすいようにすること。あと、人間社会で“臭い・汚い”という思いがあるので、きちんと穴を掘って埋めること。これは基本です。その他に、お尻の拭き方とか、色々あるですが、正しい野ぐその仕方を1つ挙げるとすれば、きちんと穴を掘って埋めるということです。」
●お尻を拭く紙は、どうしているんですか?
「普通は皆さん、紙で拭いていますよね? 私も最初のころは紙で拭いて、うんこと一緒に埋めていたんです。あるとき『今日はここでしよう』と思って、穴を掘ったら、ちり紙が出てきたんです。前にした野ぐその後を掘り返したんですよ。そのときには既に何ヶ月か経っていたので、うんこはキレイに分解されていたんですけど、紙だけ残っていたんですね。そのときに、紙はいかに分解しにくいものなのかということを知って『これはまずいな』と思いましたね。なので、そこから紙で拭くのを止めました。」
●代わりに何で拭いていたんですか?
「葉っぱと水で拭いていました。」
●葉っぱと水ですか!
「紙って、作るために森林伐採をしますよね。その材木を使って、製紙工場に持っていって、色々な薬品やエネルギーを使って作りますよね。だから、紙って普段何気なく使っているけど、森林伐採から製紙過程、色々な薬品やエネルギーを使っているから、自然環境を破壊していますよね。それを考えたら、紙って無駄に使うものではないと思うんです。だったら、葉っぱがその辺にたくさんあるし、実際日本でも、紙が貴重な時代では使わなかったですよね。むしろ、葉っぱとか、色々なものを使ってましたよね。それって、自然に優しいし、しかも葉っぱって、お尻を拭くのに、紙以上にいい葉っぱがたくさんあるんですよ。中には、すべって、よく拭けないものもあるので、最後は水で洗ったりもしています。実は去年、その葉っぱを使って“お尻を拭くための葉っぱ図鑑”を作ろうと思ったんですね。そのために、基準として、紙ってどのぐらいの拭き心地なのか、確かめたんですよ。1〜5までの5段階評価なんですが、紙は3.5なんですよ。」
●1番よかったんじゃないんですか!?
「3.5なんです。一応、ちゃんと拭けるけど、決して上クラスじゃないんですね。それに対して、4や5の葉っぱって、たくさんあるんですよ。」
●どういう葉っぱが拭き心地がいいんですか?
「1番有名なのは、フキですよね。フキの葉っぱって、お尻を拭くからフキなんですよ。」
●そうなんですか!? 知らなかったです!
「その他にも、100〜200種類ぐらいの葉っぱを使っていると思います。例えば、キウイって食べますよね? でも私にとっては、キウイの葉っぱの方が好きです(笑)」
●実よりも葉っぱなんですね(笑)。
「あの葉っぱって、若葉で、裏が真っ白で、毛がたくさん生えていて、柔らかいんです。4〜5ぐらいの評価が付くぐらい、気持ちいいです。だけど、大きく育ってしまうと、破れやすくなったりして、ダメなんですけどね。」
●伊沢さんは、これからもこういう生活を続けるんですか?
「もちろんです。死ぬまで野ぐそをし続けます。はっきり言って、今は介護の問題とかありますが、いずれは死にますよね。皆さん生きるために、食べますよね。食べ物って生き物ですよね? 生き物を食べて生きているということは、命を奪いながら生きているわけですよね。動物だから仕方のない宿命なんだけど、人間って他の命を奪って生きていくことに対しての責任って考えたことってありますか?」
●なかったです。
「なかったですよね。当然、食べないと生きていけないから、それは権利だと言ってもいいですよね。でも、権利を主張するのであれば、責任を果たさないといけない。権利として命を奪ったのであれば、その分の責任を果たすということは、自然に命を返すことじゃないかと思うんです。自分の命を返すことはできないけれど、命の元を返すことが大事じゃないかと思うんですね。だから私は、命を返すということって、野ぐそをして、うんこを自然に還すことだと思っているんです。野ぐそをして、うんこを自然に還せば、色々な生き物が、それをごちそうとして食べて、新たな命が芽生えたりして、命の再生に繋がるんですね。だったら、食べることで他の命を奪った分、野ぐそをすることで、お返しして、バランスを取っていくということが、私にとっての“生きる責任”だと思っているんですね。だから、野ぐそは“生きていく責任”で、責任を果たすことは当然だと思っているから、野ぐそができなくなったら、私の人生はお終いだと思っています。
死ぬということをマイナス・イメージとして持っていますよね。私にとっては『生き物はいつか死ぬんだ。死ぬということを考えたら、生きている間にどういう生き方をしたらいいか』ということが見えてくると思うんですよ。だけど『死にたくない』と思っていると、『あれもしたい、これもしたい』といった感じで、権利を振り回すばかりで終わってしまって、死ぬときになって『責任を果たしたかな?』って思い返してみたら、やっていないんじゃないと思うんです。それに気づいても、もう遅いです。むしろ、死ぬということを考えたら、『権利を主張する分、責任も果たそう』と思えば、人生も見えてくると思うんですね。死んで腐るということは、うんこを見れば分かるんです。うんこは、色々な虫に食われたり、菌類に分解されたりして、徐々に土に変わっていくんですね。土に変われば、無機養分になって、それを植物が吸収する。ということは、他の生き物がうんこを基にして、栄えていくんですね。
今、私の物事の考え方として、“肛門で物事を見て、うんこになって考える”というやり方をしているんですね。これはどういうことかというと、自分が朽ち果てることによって、他の生き物が自分を食べてくれるということなんですね。だから、自分が朽ち果てて、無になるにしたがって、他の生き物が栄えていくんです。自分が生きているときは、他の生き物を食べていくから、殺していますよね。うんこになったら、その反対ができるんですよ。でも、うんこを水洗トイレで流したり、死体を火葬にしたりすると、それができないです。だから私は、死んだら土葬と決めています。」
●“土に還る”ということですね?
「そうです。そして“うんこになって考える”というのは、自分が朽ち果てることによって、自分以外の生き物を栄えさせていけますよね。それを考えると、死って怖くないんですよ。『自分が死ぬことで、他の生き物が喜んで、栄えてくれるならいいじゃない』って思うんですよね。その代わり、生きているときは、他の生き物を食べて、命をいただく。それは仕方のないことです。だから、死ぬことは、責任を果たす最後の段階だと思います。」
●そういう風に言っていただけると、死ぬことにも意味がある、意味を見出せる気がします。
「しかも、それって役立つんですね。自分自身は終わりかもしれないけど、自分が生きている間に、ワガママ勝手に色々やってきましたよね。だから最後ぐらい、他の生き物のために役立ってもいいんじゃないですか。そう思うと、気持ちよく死んでいけますね(笑)」
●(笑)。今回のゲストは、糞土師の伊沢正名さんでした。ありがとうございました。
YUKI'S MONOLOGUE 〜ゆきちゃんのひと言〜
今週は、糞土師の伊沢正名さんにお話しを伺いました。最初は糞土師と聞いて、実はギョッとしてしまったのですが(伊沢さんごめんなさい!)お話を伺ううちに、生きていく上で欠かす事の出来ない、排泄の意味や新しい命との繋がりなど、今までと違った見方で、排泄を考えるようになりました。私もこれからは、地球で生きていく責任を考えながら過ごしたいと思います。 |
伊沢正名さん情報 著書「くう・ねる・のぐそ〜自然に“愛”のお返しを」山と渓谷社/定価1575円 伊沢さん流の正しい野ぐその仕方や、拭き心地のよい葉っぱなどが詳しく載っているほか、掘り返し調査の記録が掲載されています。 その他、伊沢さんの詳しい情報は、伊沢さんのHPをご覧ください。
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