2010年7月25日
「100万回のありがとう」。 坂本達さんが世界一周で感じた人と自然の温かさ
今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは、坂本達さんです。
自転車の旅人で、ミキハウス社員の「坂本達」さんは、10年前に4年3ヶ月も有給休暇をもらい、自転車で世界一周5万5千キロメートルの旅をされました。帰国後も、旅の途中でお世話になった方々への恩返しプロジェクトを進めるなど、会社員という枠を飛び越えたユニークな活動をされています。
今回はそんな坂本さんから、世界一周の旅のことを改めて振り返っていただきつつ、新たな活動のお話などうかがいます。
4年3ヶ月の旅を実現するまでの道のりとは
●今回のゲストは、自転車の旅人で、ミキハウス社員の坂本達さんです。坂本さんは、この番組には何度も出演していただいていますが、私は初めてお会いしますので、初歩的な質問をすると思いますが、よろしくお願いします。
「よろしくお願いします。」
●坂本さんは、1995年9月から、1999年12月までの4年3ヶ月に渡って、自転車で世界一周5万5千キロメートルの旅をされたんですよね?
「そうですね。」
●その旅をしようと思ったきっかけと、目的は何だったんですか?
「きっかけは、小学生の頃にまで遡るんですけど、僕の父親の仕事の影響で、よく転校をしていたんですね。小学5年生のときに、新しい学校に行ったんですけど、なかなか馴染めなくて『学校に行きたくないな。僕は一生、暗い人生を送るんだな』って思っているときに、父親が世界地図を広げて『世界には色々な人たちがいて、色々な文化や考え方があるんだ』という話をしてくれたときに、“目の前のことが大変であっても、諦めてはいけない”とか“視点を変えることはいいことだ”ということを学んだんですね。なので、その小学生のときの出来事がきっかけになりました。目的というと、そのときに『世界には色々な人がいる』ということを知って、また、自分のことを好きだと言ってくれる人に会ってみたいと思って、色々な世界を体験してみたいというのが目的でした。」
●その思いは、社会人になるまでずっと温めておいて、社会人になってから、その夢を叶えたんですか?
「社会人になるまでの間も、旅に出たり、国内を自転車で回ったりして、色々な形で、夢を叶えていたんですね。その後、会社に入ったとき、“夢を応援したい”という会社の考えがあったので、会社でできないかと思って、チャレンジを始めたんです。」
●でも、いくら自由な社風とはいえ、4年3ヶ月もの有給休暇を取るというのは大変ではなかったんですか?
「そうですね。“自由”という言葉の裏には“責任”という言葉があって、『やりたい』と言って『じゃあ、やってみな』って言われても、できなかったら信頼をなくすので、『やる』ということはそれだけの責任を負わないといけないので、それなりの準備と、周りの人たちから『ワガママ言って』って言われるんじゃなくて『やりたいんだよね?』って言われるような、日々の仕事の仕方とか、そういうことを心がけていましたね。なので、3年ぐらいかけて、仕事をしながら、会社の人たちを説得しつつ、夢を追っていたという感じです。」
●社長はその説得を受けて、どう仰ったんですか?
「もちろん最初は『そんな馬鹿げた企画なんて』と、相手にもしてくれませんでした。でも、『どうしても世界一周という夢が捨てられない。けれど、お金がすごくかかる。やはり、会社を辞めないと実現できないな』と思ったときに、自転車や浄水器、カメラなど、世界一周をするのに必要な、社外のスポンサーが10数社付いてくれたんですね。それだけのスポンサーが既に付いていることを知った社長が『お前、本気だったのか!?』と驚いたんですね。普通は本気だと思われないんですけど、そういう色々な準備をしているのを見てくれて、社長も“本気だったら、実現する”ということを体現している人ですし、伝えたいと思っている人だったので、最終的には『無期限で、給料も出すから行ってこい!』と言ってくれたんですね(笑)」
●(笑)。じゃあ、4年3ヶ月というのは、社長から設けられたのではなくて、自分で決めたんですか?
「自分で決めました。『好きなだけ行ってこい』って言われると、逆に『好きなだけ行ってきます』とは言えないんですよね(笑)」
本のタイトルに込めた坂本さんの想いとは?
●坂本さんは今年4月、その旅のことをまとめた本「100万回のありがとう〜自転車に夢のせて〜」を出版されましたが、この本のタイトルの「100万回のありがとう」って、すごく素敵なタイトルだなって思ったんですが、どうしてこのタイトルを付けたんですか?
「世界一周から帰国してちょうど10年が経ったんですね。『世界一周を達成したときって、どんな気持ちになるのかな?』って思ったら、例えば、1日の終わりに出会った人が、僕を家に泊めてくれたり、食事を提供してくれたり、道案内をしてくれたり、日本で僕のことを応援してくれる会社の人・家族・友達とか、その日に会う人を含めて、誰ひとり欠けても、こういう形で夢が叶わなかったと思うと、感謝の気持ちしかなくて、いつも『ありがとう』と思っていたし、口にしていたことだったんですね。それを帰国してからの10年間“恩返しプロジェクト”と題して、“やった”とか“ほった”という本を書いたんですけど、その本の売り上げで、色々な恩人たちに対しての活動をしています。その活動を含めて、最後には助けられて『ありがとう』だったので、総合して『ありがとう』かなと思いまして、回数にして100万回ぐらいかなということで付けました。“自転車に夢をのせて”は、自転車という手段で色々な人と出会ったので、そのタイトルにしました。」
●本の中には、たくさんの国のエピソードが入っているんですが、たくさん思い出はあると思いますが、特に印象に残っている思い出をいくつか紹介していただけますか?
「表紙がアフリカの子供たちと一緒に笑って映っている写真なんですが、日本と比べると、想像を絶するような厳しい環境の中で生活をしていながら、人のことを思いやれる人にたくさん出会ったんですね。その中でもギニアという西アフリカの国で、平均寿命が46歳という厳しい環境の中で、現地の人がたくさん亡くなる“マラリア”と“せきり”という熱帯病に、僕がかかってしまったんですね。その村で僕のことを診ていてくれたドクターが、村に残っていた最後の薬を使って、僕を治療してくれたんです。それが最後の薬だということを聞いたときは信じられなくて、取り返しのつかないことをしてしまったと思いました。村の子供たちの命をいただいているので、自分を責める気持ちしかなかったんですね。また、その村では週に1回しか肉を食べることができないのにも関わらず、村長さんが鶏肉を差し入れてくれたんです。村長さんが『みんなで『今日食べる肉を食べるか、君に食べさせるか』を話し合いをしたんだ。みんなが『君に食べさせたい』ということで、肉を持ってきた』と話してくれまして、僕は声をあげて泣いたんですね。『僕だけがなんでこんな辛い思いをしないといけないんだ』と思っていたんですが、本当は僕たちが助けないといけないような環境で生活をしている人たちが裕福な国に住む人間を助けたということは、忘れられないですね。」
●坂本さんが旅にでてから、価値観で変わったことって何かありますか?
「20代の頃は“やる気さえあれば、何でもできる!”って思っていましたが、そういうことは1つもなくて、色々な人に支えられて、色々な人が見えないところで応援してくれることで初めてできるんですよね。『感謝の気持ちとか、生かされているというのは、こういうことなのかな』とすごく感じました。日々、前より充実して、感謝をしながら生きることができるようになったところが、1番変わったところですね。」
●この本の中で「“人は善である”と思えるようになった」と書いてあったのがすごく印象的だったんですけど、それはどういうことですか?
「日本を含めて、世の中っていいことも悪いこともあると思うんですね。人に関してもそうなんですが、悪いところを見ていたら、その人の悪いところしか引き出せないですけど、逆にいいところを信じていると、それに答えてくれる気がするんですね。物事の明るい面・暗い面のどっちに着目をするかというと、明るい面の方に着目した方が、色々な面でプラスになると感じたので、そう書きました。」
自然が坂本さんに話しかけてくる!?
●坂本さんは、多くの人とのふれあいがあったかと思うんですが、この本を見ていると、すばらしい自然と出会うことも多かったんじゃないかと思うんですが、どうでしたか?
「そうですね。大自然にも出会いたくて走っていたという部分もありましたね。アフリカに赤い砂漠があったり、チベットで5000メートル以上で、気温がマイナス30度の峠をキャンプをしながら越えたり、南米では、風が吹き荒れるようなところを自転車で毎日走ったりして、圧倒される自然の前に、自分の無力さを感じました。いくら準備をしていて体力があっても、どうしようもないということが日々続いて、何事も起こりうるという大自然の怖さを教えてもらいましたね。でも、その中で、風が色々なメッセージを送って教えてくれたり、太陽や雲が話しかけてくれたり、サボテンや森が声をかけてくれたりして、そういう温かい面もあるんですよね。今となっては、そういう色々なものが支えてくれていたということが、今、日本で大変なことがあっても『もうちょっと頑張れるかな』と思えるようになったのかと思います。」
●先ほど話にも出て、私も気になっていたんですけど、アルゼンチンでサボテンから話しかけられたんですよね?
「日本語で話しかけられましたね(笑)」
●(笑)。それはどういうことなんですか?
「あのときは高山病にかかっていて、頭痛がするし、吐き気もして、やる気がなくなってきて、全然進まないんですね。転倒をしても、立ち上がるのが面倒なんですよ。ずっと風の音だけがしている状態で、『もう嫌だ』と思っていたら、声が聞こえてきたんですね。そのサボテンたちが『僕たちは、好きで暑くて乾いたところに生まれ育っているんじゃない。でも、文句を言っても何も変わらない。『雨が降らない』と言っても、すぐ降るわけじゃない。だから、体から水分が蒸発しないように、枝や葉っぱがトゲになったし、水を蓄えるような仕組みを作ったりして、この環境で今できることをやっているんだ。君は日本という国で生まれて、何でもできる環境の中で、夢も叶えているのに、文句がいえるのか?』と言われまして、返す言葉がなかったんですね。そのサボテンが傷つきながらも、一生懸命、子孫を残しながら生きているんですよ。」
●でも、それって、幻覚じゃないんですか?
「どうなんでしょうか。でも、そのときはそういう風に受け取っていたんですね。そのとき、自分が敏感になっていて、そういう気がしたのか、思い込みをしたのか分からないんですけど、そのとき僕はそういう物の見方をすることで、その状況を切り抜けることができました。なので、今も植物とよく話をしますね(笑)」
●(笑)。あと、カメルーンでも「森の声が聞こえた」と書いていますよね?
「あのときも、森の中を走っていたら『ようこそ、ようこそ』という日本語が聞こえてきたんですね。やっぱり幻覚かもしれないですね(笑)」
●(笑)。
「誰もいないはずなのに、『ようこそ、ようこそ』と聞こえるから、『森が声をかけてきてくれている』と思って、僕はとっさに『ありがとう』と返事をしました。」
●チベットでも、風の教えがあったみたいですね?
「よく本を読み込んでくれていますね(笑)。あれは、目が開けられないほど風が強い日で、『どこまで行けば、風除けになるような、休めるところがあるんだ!?』って思っていて、風で体温が奪われていく中、途中で『もうダメだ。ここで休もう』と思って、休もうとしたら『あと○○ぐらい行けば、休めるところがあるよ。あと少し頑張ってみよう』という声が聞こえたんで行ってみたら、人が住んでいる家があって、そこで暖をとることができたんです。そこは地図にも載っていないし、誰かが教えてくれたということじゃないんです。風が教えてくれたのか、直感だったのか、分からないんですけど、敵と思えるような向かい風と仲良くなることで、色々な応援をしてもらったということがありましたね。」
坂本さんの今後の夢とは?
●坂本さんは旅から帰ってきて、旅の途中でお世話になった方々に恩返しをするプロジェクトを進めているということなんですが、どういったプロジェクトなんですか?
「帰国して、ちょうど10年ということで、本が『100万回のありがとう』を含めて4冊出したんですが、その本の印税を手にしたときに『これは自分が受け取るよりも、お世話になった方々に返そう。借りた恩は返さないといけない』と思ったときに、本当なら助けなきゃいけないのに助けてくれた人たちのことが浮かんできたんですね。まず、最後の薬を使って、僕を助けてくれた村に行ったときに、村の人たちは、汚い水を飲んで、汚染されるということなので、キレイな水が必要だと思ったんですね。『じゃあ、みんなで井戸を掘ろう!』ということで、僕は井戸掘りの支援をさせていただきました。次に、その村にいる、命の恩人のドクターのところに行って、ドクターの長年の夢だった診療所を作りました。『診療所を作って、より多くの命を救いたい』という夢を応援させてもらいました。その診療所が去年の4月に完成したんですね。今年の9月に、その診療所の完成を見に、ギニアに行きます。そういった恩返し活動をギニアで1つ行なっています。また、今年9月に奨学金制度を作って、医者・看護士になりたいという人を支援していって、いずれ僕の支援がなくても、彼らだけでできるような仕組みを作ろうと思っています。
あと、世界一周をしている間に、ブータンというヒマラヤの国の人たちがいまして、彼らの夢が『子供たちを学校に通わせたい』というものだったんですね。子供たち全員が学校に行けるキャパシティがない村だったんです。実は、僕は少し前まで、母校の大学で授業を持っていまして、そのときの学生をブータンの村にホームステイをさせていたんですね。学校訪問も無理いって、させていただいていたので、そのときに受け入れてくれた方たちに、何か恩返しがしたいと思って、『みんなの夢を応援します』ということで、教育支援プロジェクトをブータンで行なっていて、去年の5月に幼稚園と小学校が完成しました。今後は、村のみんなが使える図書館や、ここでも奨学金の制度を作って、子供たちを学校に通わせるということを考えています。」
●現地の方たちの反応はどうですか?
「まず、井戸に関しては、水が全てなんですよね。子供の病気が減ったりとか、食料も貧しいので、抵抗力が弱いというところで、キレイな水というのは、ありがたいんですよね。現地の人たちの顔つきも、以前に比べれば、余裕のある、おだやかな表情になりました。恩人のドクターが働いている診療所も、日が昇る前から患者さんが診療所に来て、ドアを開けると、外に患者さんが並んでいるという状態なんですね。自分の村から2日ぐらいかけて来るという患者さんもいるんですけど、そういう人たちが、そこでちゃんとした治療を受けているんです。ブータンも、学校の開校式に呼ばれて行ったんですけど、現地の人を先生として雇っていて、自分たちで誇りを持って取り組めるような空気を感じました。支援という形ですが、そういう人たちに会いにいきたいという想いがすごく強くて、笑顔を見れたときには『やっててよかったな』って思える活動ですね。」
●坂本さんは、帰国してから2年後に、日本全国を自転車で巡って、日本の子供たちに向けて、学校を中心に86ヶ所を訪れて、夢を持つことなどを伝える“夢の架け橋プロジェクト”というプロジェクトも実行したんですよね?
「そうですね。夢を持つことの大切さとか、自分が経験したことを伝えていくことも自分にできることだと思いまして、会社で仕事をしている傍ら、年に100回ぐらい、全国の学校を回っています。今って、子供によっては『夢なんてどうせ叶わない』とか『世界一周をやって、意味あるの?』とか思っているんですね。僕も心がそれほど強いわけでもないし、体力も人並みなんですけど、こういう人でも夢は叶えられるということを伝えています。夢の力ってすごくて、ダメだと思っていて、できないこともできるようになるということを子供たちに伝えたいと思っています。それを“夢の架け橋プロジェクト”では、北海道から沖縄まで、全て自転車で回りました。結局、会社を7ヶ月間ぐらい休んでしまったんですが、そんな活動をやっていました。」
●坂本さんは、旅から帰ってきて10年が経ちましたが、今後の夢ってありますか?
「もちろん会社の仕事をしながらなんですが、今年の9月にギニアに戻って、奨学金の制度を整えるのと、そこにはまだ電気がきていないので、ソーラーパネルを診療所に付けて、夜でも診察ができるようにするというのが1番近い夢です。あと、ギニア人のドクターを日本に呼んで、日本を紹介したり、僻地医療とか、現地に役立てられるようなものを見てもらったりしたいですね。あとは、世界をもう1周したいですね(笑)」
●(笑)。では、その2回目の世界一周を叶えたら、またこの番組に来て、お話を聞かせてください。
「行く前にも呼んでください。」
●そうですね! 是非、行く前にも来ていただいて、出発前の意気込みを教えていただけたらと思います。というわけで、今回のゲストは、自転車の旅人で、ミキハウス社員の坂本達さんでした。ありがとうございました。
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