2020/6/4 UP!
木曜日限定のコーナー
Daiwa Sakura Aid ~BLOOMING LIFE~
桜のシーズンも過ぎ去り、今週から、内容一新。
日本が誇る歴史や文化、芸術の素晴らしさを次の世代に伝えることで、
みなさんの“花咲く毎日”を応援していきます。
さて、「元祖クールジャパン」の仕掛人といえば・・・葛飾北斎。
彼の代表作『冨嶽三十六景』は、富士山をテーマにした“風景画シリーズ”です。
たとえば、山をバックに、巨大な波がうねる様子を描いた「神奈川沖浪裏」。
そして、「赤富士」としておなじみの「凱風快晴」。
また、富士山に大きな稲妻が走る「山下白雨」など、
日本を代表する山「富士山」を、様々な角度から描き切りました。
そんな北斎ですが、実は“ちょっと変わった人”としても有名でした。
そのあらわれとして、生涯で93回も繰り返してきたことがあります。
それが・・・引っ越し。
実は彼、「引っ越しフェチ」だったと言われているんです。
さらに、ペンネームとなる「雅号」を30回も変えていたとか。
彼にとって引っ越しや改名は、気持ちの切り替えや新しい画法にチャレンジする
ためのきっかけだったという説もあります。
さあ、そんな天才・浮世絵師、葛飾北斎の名前が世界に広まったのは、
彼が亡くなったあとのことでした。
日本を代表する浮世絵師「葛飾北斎」。彼がこの世を去ったのち、
19世紀後半に欧米で日本ブーム“ジャポニスム”が巻き起こりました。
日本の文化や芸術が、西洋人に高く評価され、なかでも注目されたのが、
「葛飾北斎」だったのです。
その生き生きとした画風は、ゴッホやモネ、ドガといった印象派の画家に
大きな影響を与えたと言われています。
たとえばエドガー・ドガの「踊り子たち、ピンクと緑」。
腰に手をあてたバレリーナの後ろ姿を描いたこの作品ですが、
80年以上も前に描かれた「北斎漫画」に、力士が全く同じようなポーズを取る構図を見つけることが出来ます。
そして、ポール・セザンヌの風景画には、名作『冨嶽三十六景』の構図と、
いくつもの共通点が指摘されています。
北斎の芸術は、彼の亡き後、海をわたり、世界へと広まって行きました。
その原動力となったのは、飽くなき探究心。
カリスマ浮世絵師・葛飾北斎は、90歳で亡くなる間際に、
こう言い残しています。
「天がもうあと5年、長生きさせてくれたなら、
私は真の画家になれただろうに・・・」
今日取り上げたのは、天才浮世絵師の葛飾北斎でした。
♪きょうの選曲♪
『 薔薇と野獣 / 細野晴臣 』