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石斧は“すべて丸く収まる”道具 〜縄文人から学ぶ持続可能な生活〜

2020/11/1 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、縄文大工の「雨宮国広(あめみや・くにひろ)」さんです。

 雨宮さんは1969年、山梨県生まれ。20歳のときに丸太の皮を剥くアルバイトをきっかけにチェーンソーを使いこなすログビルダーに憧れ、大工の道へ。その後、伝統的な木造建築を学ぶために弟子入りし、大工修業。そして石の斧「石斧(せきふ)」に出会い、人生が一変。縄文時代の人々の知恵や技術に傾倒し、いまでは縄文大工と名乗って活動されています。

 そして先頃『ぼくは縄文大工〜石斧でつくる丸木舟と小屋』という本を出されました。

 きょうはそんな雨宮さんに石の斧だけで作った縄文小屋や丸木舟、縄文の暮らしから見えてきた、先人たちの知恵や技術についてうかがいます。

☆写真:的野弘路

写真:的野弘路

すべてが丸く収まる!?

*それでは雨宮さんにお話をうかがいましょう。縄文大工と名乗っているのは雨宮さんだけなんですか?

「そうですね、私が知る限りでは多分私だけではないかと思います」

●では縄文大工とは? 

「私が作った言葉です。縄文という言葉はみんな、縄文時代ということで知ってると思いますけども、縄文大工って確かに一体何? っていうところで、僕は縄文大工って、本にも書かしてもらってるんですけども、簡単に一言で言いますと、“すべてが丸く収まるものを作る”大工さんですかね(笑)」

●丸く収まるというのは? 

「私たちは人のためにと言って一生懸命毎日仕事しています。でも、これから私は地球のために仕事をするべきだなと思っています。(石斧は)人間以外の、地球上に生きているすべての生命が笑顔で楽しくて面白く暮らせる、そんなものが作れる道具ではないかなと思っています。そういう道具を使う大工さんのことを私は縄文大工と名付けました」

●石斧とはどこで出会ったんですか? 

「やっぱりチェーンソーに憧れました、そして伝統的な手道具の鉄の道具にもハマって、大好きで、その世界をまっしぐらで走っていました。でも何かしっくりするものがなかった、何かモヤモヤがあったんですね。

 あるときその石斧と出会った。自分で石斧を作って、栗の木にひと振り、振り下ろした時にですね、もう今までの曇っていた心が、ほんとその時は青空だったんですが、もう澄み渡るその青空の気持ちになって、これだ! と思ったわけですよ。その時にこの石斧と一生共に生きていくっていう覚悟しました! たとえお金にならないと分かっていても、共に生きていくぞとその時思ったんですね。2008年ぐらいの時ですね」

写真:的野弘路

●何が違ったんですか? 

「一言で言えばすべてが丸く収まるなと思いましたね。そのモヤモヤっていうのは結局、人間中心主義の物づくりを感じていたってことなんですよ」

●この本にも1本のペンがあれば何でも書けるように、1本の石斧があれば何でも作れるという風に書かれてましたけど、そんなにこの石斧ってすごいものなんですか? 

「私も最初は石斧自体、まぁ石自体ただの石ころだと思っていました。皆さん斧って聞くと大体は薪を割る斧を想像されると思うんですが、私もその1人でした。しかしですね、鉄の斧も石斧を使う前にたくさん使ってたんですけども、斧1本で木を切り倒すこともできる、そして柱とか梁(はり)とか角材にもできます。板を作ることもある意味できます。
 そして穴を掘ることもできる。伝統的な木と木を組み合わせる継手(つぎて)・仕口(しくち)なども作ることができるんですね。ということは斧1本あれば、家ができてしまうということがやってみて分かりましたね」

かわいい縄文小屋!? 

写真:的野弘路

※雨宮さんは石川県・能登の貴重な縄文遺跡「真脇遺跡(まわきいせき)」で縄文小屋を造ったそうですが、石の斧を使ってすべてひとりで作業されたんですか?

「設計は大学の先生、研究者と共に考えた中で、大まかな基本的な設計は私が任されてやったわけです。なぜこれをやったかと言いますと、私常々思っていたんですが、日本全国の遺跡にある縄文小屋を見まして、皆さんも感じてると思いますが、まずそこに入りたくありません。

 中に入ったらじめじめしてる、カビ臭い、虫がいっぱいいる、床は濡れている、真っ暗、薄暗い、出入り口から風がピューピュー入ってくる、そこでとても住みたいと思えない縄文小屋だらけでした。こういう小屋は絶対私は作りたくないなと思ってたんですね。

 私がやっぱり作りたいのは、見てかわいい! まずはかわいい。そして中に入ったら素敵だな! 実際にそこで暮らしたら本当に居心地がいいね! 健康的に暮らせるね! 機能的だね! そういう小屋を作りたかったんですね。

 自分の思いを100%ぶつけました。やっぱり先生方もその情熱に納得して頂けまして、雨宮に任せるから是非やってみてくれ! ということで、もうこれはいくぞって感じで、走り出したんですが、実際の作業は地方創生事業の中で、能登町が主催でいろんな人が参加できるワークショップという形でやりました」

写真:的野弘路

●どれくらいの期間がかかったんですか? 

「設計に1年かかりまして2015年。で、2016年〜2017年の2年間で完成まで作業を進めていきました」

●実際作られていかがでした? 

「とにかく縄文人たちのレベルの高さ、また自然を活用する高度な技術と知識と、とにかく精神性にびっくりさせられるところが大きかったですね」

●例えばどんなところに感じます? 

「私たちは当たり前なことなんですけども、森との付き合い方を忘れてしまってるんですね。たまたまその縄文小屋に使った木は、近くの栗の木が主体の雑木林だったんですけども、その30年〜40年前に炭を作るために、その雑木林が切られていたわけですよ。

 その切られた株から“ひこばえ”と言って、また元の切り株からいっぱい赤ちゃんが出てくるんですよ。それが2〜3本、ぐぐーんと一緒に成長するわけですよね。そうすると1つの株から2本〜3本、ちょうど直径15センチぐらいの、すーっとまっすぐな栗の木が育ってくるわけですよ。実はそういう細い、小径木の栗の木が一番使いやすいし、加工しやすい、っていうことなんですね。

 それをまた切りますよね。そうするとまたそこの株からまた出てくるわけですよ。そういう風にして森との循環型の暮らしというんですかね。人が手を加えることによって、自分たちの住むところもできる。
 その間にはまた30年経てば、また建築材に使える材料は出てくる。だけど建物自体は30年〜100年以上持ちますから、その材はまた違うものに使ったりという風に、どんどん恵みを生み出してくれる。そして自分たちの暮らしも豊かになっていくっていう森との付き合い方、自然との付き合い方をやっぱり知ってる人達なんだなっていうことは感じましたね」

<縄文時代の基礎知識と加曽利貝塚>

 ここで縄文時代はどんな時代だったのか、おさらいしておきましょう。
 縄文時代は紀元前1万3000年頃から1万年以上の長きにわたって続いたとされています。厳しい氷河期が終わり、気候が温暖になってきた頃で、ドングリやクルミが実る落葉広葉樹の森ができ、海や川では魚介類が豊富に獲れるようになり、人々は木の実や魚、貝などを獲って食べたほか、森にいる鹿やイノシシ、ウサギなどを狩りで捕まえていたと考えられます。

 食料が安定的に確保できることから人々は竪穴住居を作り定住するようになり、土をこねた縄文土器で「煮る」などの調理や、食料の貯蔵も行ない、狩りのパートナーとして犬との暮らしも始まっていたようです。そして、竪穴住居がいくつか集まって「ムラ」となっていきました。

 そんな人々の暮らしを現代に伝えるのが貝塚。大量の貝殻のほか、動物の骨や土器の破片なども含まれていて、当時の食生活などが垣間見えます。かつては「縄文時代のゴミ捨て場」という認識でしたが、丁寧に埋葬された人骨などが出土することもあり、「もっと神聖な場所だったのではないか」という説も出てきています。

 実は、千葉市は貝塚の数が日本一多く、全国でおよそ2400カ所あるとされる縄文時代の貝塚のうち、およそ120カ所が千葉市内に集中しています。
 中でも有名なのが、国の特別史跡に指定されている加曽利貝塚。日本最大級の規模を誇るだけでなく、集落跡としても、およそ2000年間にわたり栄えたムラの変遷がたどれる貴重な遺跡で、それが21世紀の現代まで自然環境とともに保全され、考古学研究の発展にも多大な貢献をしてきました。

 加曽利貝塚では今月28日までの予定で本格的な発掘調査が行なわれていて、ムラの構造解明を目指しています。発掘実施日には毎日、学芸員による説明が行なわれたり、加曽利貝塚博物館のホームページでも調査の様子を発信していますので、一度チェックしてみてはいかがでしょうか。

◎加曽利貝塚博物館HP:https://www.city.chiba.jp/kasori/

旧石器人の超高度な技術

※さて、「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」をご存知でしょうか。

 このプロジェクトは国立科学博物館の人類進化学者「海部陽介(かいふ・ようすけ)」さんが中心となって進めたプロジェクトです。
 目的は、旧石器時代に日本人の祖先がどうやって海を渡って日本列島にやってきたのか、それを実証するために、当時あったであろう技術と素材を使って舟を作り、人力だけで海を渡るというもの。

(*詳しくは以下の番組アーカイブをご覧ください)
https://www.bayfm.co.jp/flint/20190831.html
https://www.bayfm.co.jp/flint/20190907.html

 このプロジェクトは2016年に実験が始まり、2019年に台湾から沖縄・与那国島までの本番の航海が行なわれ、黒潮に流されながらも見事、渡りきりました。そのときに使った丸木舟、全長およそ7メートル50センチ、重さ200キロの舟を、石の斧だけで造ったのが雨宮さんだったんです。

 この歴史的なプロジェクトに参加して、いまどんなことを思っていますか?

「とにかく旧石器人、半端じゃないレベルだなと思いましたね。とにかく木工技術が超高度なレベルですよね。これは私が30年間大工をやってきまして、特に手道具を主に使ってやってきた職人の私ですら、石斧を使うには非常に高度な技術がいるなってことが分かったんです。

 それを使いこなしてる旧石器人たちって一体どんなレベルなんだっていうことですよね。それはきのうやきょうにできることではなくて、何十年も積み重ねないと道具ってのは自分の手足にならないんですよ。ということは、日頃からものづくりをたくさんしていたってことですね。石斧でね。これはすごいことですよね」

『ぼくは縄文大工〜石斧でつくる丸木舟と小屋』

※縄文時代よりも前の、旧石器時代の人たちも優れた技術を持っていたんですね。

 雨宮さんは石の斧で丸木舟を造っている時に、多くの人たちから「大変ですね」と声をかけられたそうです。そんな時、雨宮さんはこう応えていたそうですよ。

「でもよく考えてみてくださいって私言うんです。大変なことになってるのはチェーンソーを使う時なんですよ」

●え!? どういうことですか? 

「多分皆さん、単純に体が大変だろうって言っていると思うんですけれども、体は正直、汗かきます。でもそれ気持ちいいんですね。とても楽しいです。健康的です。だから全然大変じゃないんです。

 何が私は大変になるかって言うと、地球環境がめちゃめちゃ大変なことになっちゃう、チェーンソーを使うとね。そういうところまで皆さん考えてないなーって。そういうこともまた伝えたいんですけどもね」

●具体的にどういったことなんでしょうか? 

「一番最初に頭に置かなければいけないことは、私たち人間もそうですけども、生命にとって必要なものは空気、水ですね。これはもう絶対的な条件なんですけども、その水とか空気を作っているものは何かっていうことですね。これは木、森ですね。

 その森の木を今、チェーンソーという木の伐採道具を使って、世界の肺もと言われる森林を今もバンバン伐っているわけですよ。石斧の大体200倍〜300倍ぐらい早さで、あっという間に伐り尽くしていきます。その木を伐り尽くせば、当然、空気も水もなくなっていくわけですね。これ大変なことになりますね。

 あとチェーンソーを使う時には化石燃料が必要なわけです。その地下資源もあともう何十年でなくなるっていうことも分かってることですね。そしてそのチェーンソーを維持するにも、壊れたら、ほとんどが皆んなそうですけども、使い捨て文化でして。
 チェーンソーが壊れたらまた新しいものを買う。そしてまた作るのに大量のエネルギーを使う。という風な大量生産、大量消費の中の道具でもあるんですよね。

 やっぱりその速さ、大量に速く伐っている行為は非常に危ないですよね。石斧だと、1日に1本しか伐れない木が、チェーンソーを使うと何百本も伐れるわけですよ。それを世界中の至る所で毎日行なっているんですね。これはもう空気がなくなるぞと言っても過言ではないですね」

縄文暮らしは毎日がワクワク!

*雨宮さんは現在、山梨のご自宅にある縄文小屋で暮らしています。どんな小屋なんですか?

「大きさは、畳で言いますと3枚分の大きさですね。そして真ん中に炉がありまして、火を焚くところがありまして、床は土です。壁は土壁で、屋根は板葺き(いたぶき)で、自然素材の縄文小屋に近いような小屋に暮らしています」

写真:的野弘路

●寒くないですか? 

「夏は涼しく、冬はぽかぽかです!」

●ええ〜〜!? 

「私は1年中、半袖と裸足で暮らしてるんですけども、全然寒くないです。毎年暑さは厳しくなってくるんですけども、そんな小っちゃな小屋に夏にいて、『ぼくは縄文大工』の執筆もしたりしましたけども、小屋にこもっていても、全然暑さは感じませんね。

 それはですね、土の床、そして土の壁が湿気を含んでいまして、それが蒸発する時に熱を奪い取っていく、気化熱って言うのかな。熱を奪い取ってくれるんですよ。それで空気が冷やされるんですよね。だからとてもひんやりとするんですね。
 皆さんも多分、体験として古い民家に真夏に入った時に、ひやっとした感じを受けたと思うんですけども、それはそういうことだと思いますね」

●ご家族は何とおっしゃっているんですか? 

「小さい時からこういう変わり者の父さんですから、変わったことをやっているってことが当たり前に見てますんで、普通に思ってるんじゃないですかね。ただ普通のお父さんと違うなとは思っていると思いますけど、普通ってなんだよってことですけどね(笑)」

●実際に縄文小屋で暮らしてみて一番感じたことってどんなことですか? 

「とにかく日々の暮らしが楽しいですよ。外との一体感がありますからね。常に外を感じながら、だけど壁に囲まれ、火に温められ、なんとも自然と一体になる。そして(現代社会は)これだけ物にありふれているのに、毎日何か新しい発見がありますね。食べることとか寝ることにしても着ることにしても、何にしても発見がありますね。ワクワクします!」



●食事はどうされているんですか? 

「食事は、一番大きなところは米を食べてないですね。なんでだ?って言われるんですけれども、やっぱり弥生時代に渡来人が米を伝えた、伝えたというか持って作り始めた、その農耕に対して、縄文人になってみて、縄文人としてと言わせていただいて(笑)、やっぱり森との共生、これを実践していけるような暮らし方を自分でやりたいんですね」

●縄文の生活から学ぶことってすごく多そうですね! 

「そうですね。今世界が目標としている持続可能な暮らしっていうのは、そこにあると思うんです。やっぱり自然との共存ですね。自然と共に暮らすっていうこと。

 いわゆる農耕社会って、やっぱり温暖な気候、安定してる気候だったらいいんですけども、どうも地球は10万年周期で寒冷な気候になる。農耕ができない時代の方がはるかに長かったわけですよ。いま現在、1万2000年前から続いている温暖な気候も、もう終わろうとしてると言われてるんですね。

 そういう時にどうやって今のこの世界の77億の人口を支えていくんだ!? ということですね。それはやっぱり豊かな自然環境、豊かな森、そういうものを私たちはもう一度、森と自然と関わって、作り上げていくことをしていかなきゃいけないんじゃないかなと思います」

●改めて自然のことを学ばないといけないですね。

「本当に目先だけの暮らしを成り立たせるっていうことではなくて、やっぱり今を生きる人の使命として、未来へつなげる暮らしをすることが使命ではないでしょうか」

☆過去の雨宮国広さんのトークもご覧下さい。


INFORMATION

ぼくは縄文大工〜石斧でつくる丸木舟と小屋


『ぼくは縄文大工〜石斧でつくる丸木舟と小屋』

 石の斧「石斧(せきふ)」など、太古の道具で物作りをする面白さなどを紹介しています。また、縄文小屋や丸木舟を造ったときの記録や、縄文暮らしなど興味深い話が満載で、写真も豊富です。私たちの生活様式を見直すきっかけにもなるかもしれません。平凡社新書シリーズの一冊として絶賛発売中です。ぜひ読んでください。詳しくは平凡社のサイトをご覧ください。

◎平凡社HP:https://www.heibonsha.co.jp/book/b517408.html

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