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福井から東京に恐竜がやってきた!〜「オダイバ恐竜博覧会2024」の見所 & 恐竜王国・福井の謎に迫る!

2024/4/21 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、現在開催中の「オダイバ恐竜博覧会2024」の監修を統括された「福井県立恐竜博物館」の主任研究員「柴田正輝(しばた・まさてる)」さんです。

 柴田さんは1975年、兵庫県生まれ。子供の頃からお城や古墳など、古いものに興味があり、特に幼稚園の頃に見た、小さな葉っぱの化石に感動! いまだに印象的な出来事として覚えているそうです。

 そして、地質の研究をしていた広島大学大学院時代に偶然にも恐竜の歯の化石を発見。これを機に、恐竜の研究をしたいと思うようになり、恐竜研究の先進国アメリカに留学。モンタナ州立大学ボーズマン校を経て、現職の福井県立恐竜博物館の主任研究員、そして福井県立大学・恐竜学研究所の教授として活躍されています。

 今週は、いま話題の「オダイバ恐竜博覧会2024」をクローズアップ! 恐竜博の見所ほか、なぜ福井で恐竜の化石が多く発掘されるのか、そして見つかった新種など、恐竜王国・福井の謎に迫ります。

「オダイバ恐竜博覧会2024」

なぜ福井で恐竜化石!?

※「オダイバ恐竜博覧会2024」のお話の前に、なぜ福井県で恐竜の化石が多く発見されるのか、そのあたりのお話から・・・どうして福井県で恐竜の化石がたくさん発掘されるのでしょうか?

「よく聞かれる質問のひとつではあるんですけど・・・現在、日本では実は北海道から鹿児島まで様々な場所で、恐竜化石は発掘されているんですね。

 恐竜化石を見つけたいとか見つけようと思った時に、恐竜化石が見つかるポイントが大きく3つあります。 まずひとつ目は、恐竜時代の地層があることなんですね。恐竜時代は時代名でいうと、三畳紀から白亜紀っていう時代なんですが、ざっくりいうと、だいたい2億3000万年前ぐらいから6600万年前ぐらいの地層なんです。やっぱり恐竜がいた時代の地層がないと、化石は見つからないんですね。それがあるってことがひとつの条件なんですね。

 もうひとつは、恐竜は、みなさんよく間違えちゃうんですけども、陸にいたその時代の大型の爬虫類なんですね。ですから、空を飛んでいる翼竜だとか、海にいた首長竜は、恐竜とは呼ばないんです。なので、陸の体積した地層、川とか湖で溜まった地層があるということ、これがふたつ目になります。

 ですので、恐竜時代の陸とか川とか湖で溜まった地層があれば、そこでは絶対に恐竜化石が見つかるんですね。それに加えて最後は、その地層が見えていないと化石を見つけることができないので、その地層が見えていることっていうポイントがあります。

 というのも、日本の山々を見ていただければわかるんですけども、恐竜で有名な、例えばアメリカや中国のそういう発掘現場をイメージしてみても、日本の山は木々で覆われていまして、地層がほとんど見えないんですよね。そこに今の条件のふたつを満たす地層があったとしても、やっぱり見えていなければ、見つけることはできない。その3つの条件さえ満たせば、日本のどこでも恐竜化石は発掘されます。

 現在、兵庫県や熊本県でも多くの恐竜化石が発見されているんですね。その中でなぜ福井県が日本でいちばん恐竜化石が多く発見されているのかというと・・・これがいちばん大きなポイントではあるんですけれども、継続的に発掘調査を行なっていると・・・。
 福井県の発掘調査は1989年から始まっていまして、そこから1年とか2年の休止時期はあるんですけれども、ほぼ継続的にここ30年以上発掘調査を行なっています。そこにほかの県、ほかの場所とは違うポイントがあるので、そういうところから福井県が、日本でいちばん恐竜化石を産出する場所になっていると言えると思います。

 福井県の場合は、私たちの発掘現場は勝山市というところにあるんですね。その隣の大野市でも恐竜化石は発見されているんですが、恐竜博物館が発掘調査を行なっているのはまさに、その勝山市のひとつの発掘現場のみ。その現場だけでずっと発掘調査をやっています。
 ですから、もちろん先ほど言った3つの条件も重要なんですけれども、我々の場合は、先人たちが恐竜の骨も含めたその当時の骨の化石、脊椎動物の化石が密集している地層を見つけてくれていますので、そこをずっと調査することによって多くの化石を発見することができています」

福井県立恐竜博物館・主任研究員 柴田正輝さん
福井県立恐竜博物館・主任研究員 柴田正輝さん

福井で発見された6種の新種

※勝山市北谷町の発掘現場で、これまで6種の新種が見つかったそうですね。どんな恐竜の化石が発掘されたんですか?

「全部説明するとたぶん1時間ぐらいかかるので、だいぶ割愛しないといけないんですが、特に重要なものとしては、日本の恐竜として名前が付けられた『フクイラプトル』という恐竜がいるんですね。これは肉食恐竜なんですが、福井の恐竜の代名詞みたいな感じで、よく使っている恐竜になるんです。鋭い前の爪を持つ全長4メートルほどの肉食恐竜、これが非常に代表的な恐竜のひとつです。

 そのほかに植物を食べる草食恐竜の『フクイサウルス』。これは日本で最初に全身骨格が復元された恐竜になるんです。そういった恐竜も発見されたり、全長10メートルほどの首と尻尾の長い『フクイティタン』という草食恐竜も発見されています。

 まだまだいるんですよ。最も新しいものとしては・・・論文になることによって、学名としてちゃんと恐竜に名前が付くんですけども、昨年の9月に名前が付いたばかりの『ティラノミムス』という新しい恐竜ですね。

 これはオルニトミモサウルス類という恐竜で、(映画)『ジュラシックパーク』をご覧になられたかただったら、ダチョウ型の恐竜が集団で走ったりするのを覚えていらっしゃるかたもいると思います。その恐竜のずっと祖先になるタイプにはなるんですけれども、このような恐竜が発見されているように、非常に多様な恐竜化石が発見されて、名前が付いているんです。今回のお台場恐竜博でも展示しています。

ティラノミムス・フクイエンシス
ティラノミムス・フクイエンシス

 『スピノサウルス』っていう、みなさんによく知られた恐竜がいるんですけども、その歯の化石も発見されています。それ自体はまだ骨の化石が発見されていないので、種類だとか新種なのかどうかっていうところも含めて、はっきりはわかってないんですね。歯の化石だけが発見されていますので、今知られている6種類に加えて、将来まだまだ新しい種類を発見することができるんじゃないかなというのが、私たちの発掘現場になります」

●その6種の中に、柴田さんが発掘された新種も含まれているんですか?

「私も2007年から発掘調査に参加していますので、私が調査に参加してから発見して名前が付いたものも半分ほど含まれています。やはりその中でも思い入れのある恐竜のひとつは、フクイティタンという首と尻尾の長い恐竜ですね。これはちょうど私がこの恐竜博物館で仕事を始めた次の年に発見できた恐竜ですので、非常に思い出のある恐竜のひとつになります」

世界に誇れる恐竜博物館

※柴田さんが所属する福井県立恐竜博物館は、規模や展示内容も含め、世界的にも評価されているそうですね。どのあたりがいちばんのアピールポイントなんですか?

福井県立恐竜博物館の全景
福井県立恐竜博物館の全景

「当館は恐竜博物館としては、やはり世界的にも展示標本数も展示の仕方も展示内容も、かなり誇れるレベルにあると、自画自賛ですけれども、私も海外の博物館を見てそのように思っています。

 私たちの博物館が目指してきたところのひとつとして、まずはアジアの恐竜を数多く展示して、当館に来れば、アジアの恐竜を様々たくさん見られる、そんなふうにしたいという、私たちの先輩がたの思いもあります。そういった中で、去年の7月にリニューアルしてから、恐竜の全身骨格が50体展示されているんですね。こんな博物館は日本にはどこにもなくて、世界的にも非常に少ないんですね。

 その中で、もちろん福井県の恐竜は当館でしか見られませんけれども、それ以外にも中国やタイ、そういったところで発見されている、当館でしか見られないユニークな恐竜化石を展示できているのが、ユニークなポイントのひとつですね。

 もうひとつは、やはり発掘現場を持っている博物館、世界的にもあるんですけど、発掘現場の近くにある博物館はなかなかないんですよね、世界的にも。で、発掘現場を持っていることと、発掘現場から15分しか離れていないという利点を利用して、博物館本体とは別に、発掘現場に『野外恐竜博物館』っていうちっちゃな博物館も持っています。

 もちろんここは非常に雪が多い地域ですので、雪が溶けた春から秋までしかオープンしてないんですけど、発掘現場を直接見ていただける、なおかつそこで私たちが発掘している岩石を直接割って、化石調査の体験もできるというような、ほかの博物館にはない特徴があるということが、たくさんのお客さんに来ていただいている理由になるんじゃないかなと思います」

(編集部注:実は福井県立恐竜博物館は世界三大恐竜博物館のひとつとされています)

福井県立恐竜博物館の近くにある発掘現場
福井県立恐竜博物館の近くにある発掘現場

※柴田さんは、どんな恐竜を専門に研究されているんですか?

「私は今、恐竜博物館では恐竜を研究していますが、恐竜といってもやはり恐竜博物館の研究員も複数人いますと、個々に研究する種類が分かれているんですね。
 私の場合は植物を食べる草食恐竜のイグアノドン類っていう種類で、それを専門的に研究しています。その軸となっているのが福井県で発見されているフクイサウルスという恐竜になります。このフクイサウルスという恐竜なんですが、ぱっと言ってしまうと、一般的に子供たちにはあまり人気がない恐竜の仲間なんですね」

●え、そうなんですか?

「というのも、なんていうかな・・・ツノも持たない、敵も襲わない、武器も持たない・・・見た目がツルッとしているって言ったらおかしいですけど、走って逃げるぐらいの恐竜なので、子供たちを魅了するような恐竜ではないですね。

 ですが、やっぱりその当時の恐竜の中では非常に重要で、どの発掘現場でも恐竜の中では比較的多く見つかる種類です。もちろん肉食恐竜の餌にはなっていたんですが、非常に多様に進化して世界的に広まる種類なので、その種類を調べることで、その当時の恐竜の移動みたいなことが議論できればなと思っています」

(編集部注:柴田さんは博物館のプロジェクトとして、中国やタイでの発掘を10年以上、行なっているそうです。特にタイでは福井と同じ時代の地層から、福井で発見された恐竜に近い化石が発掘されていて、その中から「シリントーナ」と命名された恐竜の発見があったそうです。
 名前の由来はタイのシリントーン王女で、古生物学の発展に寄与したことから王女の名前をとって「シリントーナ」と名付けられたそうですよ。この「シリントーナ」の骨格標本は福井県立恐竜博物館に展示されているそうです)

お台場を背景に泳ぐスピノサウルス

●柴田さんが監修を統括されました「オダイバ恐竜博覧会2024」を、私も先日見学させていただきました。第1会場から第3会場までどれも本当に楽しかったです。

「ありがとうございます」

●多くの家族連れのかたがいて、賑わっていました。お父さんお母さん、大人たちもみんな夢中になっている姿がすごく印象的だったんですね。今回の恐竜博覧会は福井県立恐竜博物館の特別協力ということで、福井からどれくらいの数の全身骨格ですとか標本などを持ってこられたんですか?

「ロボットと一部の実物以外は、ほぼ全部、福井県立恐竜博物館から持ってきたものを展示しております。全身骨格だと恐竜以外のものも含めて21体持ってきておりまして、そのほか細々なものを含めると、もう少し展示数が増えるんですが、その標本すべて恐竜博物館から持ってきております」

●恐竜の復元ロボットも迫力ありますね!

「今回展示しているロボットはすべて実物大です。実物大のスケールで、なおかつロボットを作っている会社さん自体が世界的に恐竜のロボットでは有名なところです。非常に作り込んだ、リアルに動く、非常に鮮やかな生き生きとしたロボットが展示できているのかなとは思います」

●今回の恐竜博覧会でいちばんのアピールポイントというと、やはり第3会場の展示ですか?

泳ぐスピノサウルス
泳ぐスピノサウルス

「第3会場の、やっぱり展示自体ですね。フジテレビ本社屋の“はちたま”という球体展望室、あそこで見られる景色と展示はここでしか見られないものになるんですね。
 当初この展示を作る時に、やはりスピノサウルスっていう恐竜にフォーカスするとなった時に・・・このスピノサウルスは、ぜひフジテレビで見ていただきたいんですけども・・・遊泳スタイル、水中で泳ぐような感じで復元されていることが一般的になってきて、その泳ぐスタイルでロボットを作るということになったんですね。

 そのロボットが“はちたま”から見た背景、東京の背景の中を泳いでいるようなイメージで、ロボットを配置できればという思いがあって、それが見事に表現されています。やはりここでしか見られないポイントとしては、“はちたま”でのスピノサウルス、第3会場のその展示かなとは思います」

(編集部注:第3会場に展示されているスピノサウルスは全長15メートル! 第1会場にあるティラノサウルスの12メートルよりも大きいんです。迫力がありますよ! そんなスピノサウルスには、ある仕掛けが・・・ぜひ会場で体感してください。

ティラノサウルス
ティラノサウルス

誰でも楽しめる恐竜博覧会

※福井県立恐竜博物館の研究員でいらっしゃる柴田さんとしては第2会場の「恐竜研究最前線!」に注目してほしいんじゃないですか?

「今回このように恐竜博物館の恐竜を研究している研究員の、それぞれの研究のトピックっていうか研究テーマみたいなものを、このように展示するのは初めてでした。どのようになるのかなと思ったのですが、各研究の個性も出たし、その研究員がどんなことをしているのかを、みなさんに知っていただく非常にいい機会になりましたね。

 また、その展示も我々研究員からすると、全体的にけっこうカタくなってしまうイメージなんですけれども、今回フジテレビさんでやらせていただくっていうことで、フジテレビさんがかなりポップで明るい雰囲気にしてくださったので・・・。なんていうのかな~、博物館はカタくてなかなか行きにくいって思っているかたがたにとっても、言い方はいいかどうかはよくわかりませんけども、ハードル低く、恐竜展示を見ていただいて、我々の研究を知っていただく、いい機会になったんじゃないかなとは思います」

●今回の展示で、特にこだわった点があったらぜひ教えてください。

「やっぱり我々の感性だけではできないところを、フジテレビさんの柔らかい、けっこう明るくカジュアルなところと、融合できたっていうのがいちばん大きいのかなと・・・。  
 先ほどもおっしゃっていただいたように、お父さんお母さんが来て、一緒に驚いていただけるっていうように、やはり第1会場と第3会場に関しては、一般のかたが恐竜を楽しんでもらえるような展示を含めているんですね。

 難しくならずに、“恐竜って、こんなんで、こんなんだったわ!”っていうような感じで楽しんでいただいて、第2会場では少し学術的なところをお勉強していただく、なおかつ福井県立恐竜博物館がどういう研究を行なっているのかを知っていただくという、ちょうどカタいところと、柔らかいところをミックスした、一般の人が受け入れやすい、来やすいような展示にできたというところが、今回の魅力になるんじゃないかなと思います」


INFORMATION

「オダイバ恐竜博覧会2024」

 現在開催中の「オダイバ恐竜博覧会2024」は第1会場では、全身およそ12メートルのティラノサウルス・ロボットがお出迎え! 第2会場の「恐竜研究最前線!」では、福井県勝山で発見された6種の新種のうち、3種の全身骨格を展示。中でも東京初展示が新種「ティラノミムス・フクイエンシス」! 

 第3会場には世界初展示となる、全長15メートル! 新作スピノサウルスのライフサイズロボット、そして実物のスピノサウルスの下顎と、同じく頭の骨の復元模型は日本初展示となります。

 「オダイバ恐竜博覧会2024」は5月6日まで、フジテレビの本社屋で開催。時間は午前10時から午後6時まで。チケットの料金など、詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。

◎オダイバ恐竜博覧会2024:https://www.odaiba-dino2024.jp

 日本が世界に誇る「福井県立恐竜博物館」にもぜひお出かけください。

◎福井県立恐竜博物館:https://www.dinosaur.pref.fukui.jp

世界を放浪する自転車の旅人、山下晃和。自転車とキャンプのすすめ!

2024/4/14 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、自転車の旅人、モデルの「山下晃和(やました・あきかず)」さんです。

 山下さんは1980年生まれ、東京都出身。高校生の時に海外に行きたい、そんな思いから、ロサンゼルスに語学留学。その時、文化の違いにカルチャーショックを受け、もっと広く世界を見てみたいと思い、大学では語学を学んだそうです。

 きょうは、そんな山下さんに東南アジアや中南米の自転車旅のお話ほか、山下さんが主宰する自転車とキャンプを楽しむイベント「BIKE & CAMP」についてうかがいます。

☆写真協力:山下晃和

写真協力:山下晃和

スペイン語と自転車旅

※得意の語学を活かす意味でも、山下さんは自転車での旅をライフワークにされ、海外に出かけています。移動手段に自転車を選んだのは、なにかきっかけがあったのでしょうか。

「それは20代の頃に、モデルの仕事が本業なので、自転車雑誌の仕事で自転車ウエアを着ることがあったり、あと自転車メーカーのカタログとか、雑誌のページで自転車を見ることがあって、その中でツーリング自転車っていう、旅専用の自転車があるのを知ったんですね。

 その雑誌はレース系の雑誌だったので、普通の自転車ではなくて、レース用の、ドロップハンドルって言われているような、スピード出すための自転車が多かったんですけども、バッグをくくりつけて、タイヤがちょっと太めで、いろんなキャンプ道具を積載できる自転車があるのを知って、すぐ買いましたね」

●実際に初めて、そのツーリング自転車で行った国はどちらだったんですか?

「いちばん最初に行った国は東南アジア、早速縦断しました」

●えー! いきなり縦断ですか! そんな急にできるものなんですか?

「できると思って行ったんですけど、もちろんできないところというか・・・そもそも僕は香港からスタートしたんですね。香港のチョンキンマンションっていう安宿街があって、沢木耕太郎さんの『深夜特急』っていう本を読んで憧れていたんで、そこをスタート地点にしたんですけど、行ってから香港が地続きで自転車で走れないことに気づいて(笑)、早速フェリーに乗せて中国本土に渡るみたいなこともあったりしました。

 ほかにもカンボジアも国道がつながっていると思ったら、川を渡らないと国道がつながってないってところがあるんですね。そういうところも含めると、全部自転車じゃねえだろうってなると思うんですけど、でも一応、目的としていた国は全部走りましたね」

●それ以降、旅する時の移動手段は基本的には自転車なんですか?

「自転車のことが多いですね」

●今まで自転車で、どんなところを巡ったんですか?

「最終的に僕が目標にしていた中南米に行きたいと思って、大学で勉強していたのがスペイン語 だったんですよ。スペイン語は中南米の国で主要な公用語になっているところが多いんです。そこを(地元の人と)話をしながら旅をするには自転車がいちばんいい手段というか・・・観光地をずっと旅していくと英語を使うケースが増えてしまうと思ったんで、できるだけ公共交通機関、バスとかそういうものを使えればいいなと思ったんですね。

 自転車雑誌でツーリング自転車を見つけてから、自転車だともっと面白い旅になりそうだぞって思って、それを組み合わせて、中南米を自転車で走ったら、たくさん言葉を使えるんじゃないかっていうのがあって、それを最終目的で、練習で東南アジアを走ったという感じです」

●確かに自転車だと出会う人の数が増えそうですよね?

「そうですね。困りごとがあったら自転車の場合、本当にすぐその人に話しかけないと、次にどなたに会えるかがわからないので、身振り手振りいろいろ使ってですけども、会話しようと頑張るんですね。自分は、そういうところに身を置かないと、ついついほかの言葉を使っちゃいそうになるんですよ」

写真協力:山下晃和

(編集部注:山下さんがこれまでに自転車旅で訪れた国は約30か国。国内外を走ったトータルの距離はおよそ3万3千キロ。ちなみに、キャンプ道具と自転車の総重量は50キロから55キロ、1日の移動距離は80キロから100キロほどにもなるそうです。
 旅のスタイルは目的地だけを決めて、あとは行き当たりばったり。東南アジアも中南米も、半年くらいかけて旅をされたそうです)

笑って旅したバングラデシュ

※自転車旅の魅力は、どんなところにありますか?

「自転車旅の魅力は、いちばんはやっぱりその国の純度の高い文化が見えることだと僕は思っています。観光地は英語がしゃべれるかたがいたりとか、観光地でもその国の文化、ちょっと着色しているような文化があると思うんですね。

 観光地と観光地の間にある、本当に小さな町とか村には全くそういうのがなくて、日々の暮らしそのままを見せてもらえるというか、見ることができる機会があるので、それが自転車旅のいちばんの良さかなって思いますね」

●これまでの旅で印象に残っている場所とか、人との出会いって何かありますか?

「観光する場所としては、マチュピチュとかアンコールワットは素晴らしいとは思ったんですけども、実際にそういう素晴らしい景色以外に、自分の中に面白いとか、記憶にずっと残っているところは、実はバングラデシュという国で、そこが本当に面白かったですね」

●どういうふうに面白いんですか?

「まず、人が面白いです! 僕が自転車で旅をしているので、その時はインドから入ったんですけど、最初の町に着いて、商店みたいなところで飲み物を飲んでいたら、村中の人が集まってきたんですよ。日本人が来たぞ、みたいな噂が流れたらしくて、たくさん集まってきて、ジロジロジロジロ見て一緒に写真を撮ろうとか、あとSNSにあげてもいいかみたいに言われて、ちょっとヒーローみたいな気分になって、面白いなと思っていたんですね。

 その村が特別に日本人が少ない場所なんだと思っていたところ、止まるところ止まるところで集まってくるんですよ、人が・・・。どうやらSNSを見た人が次にこの町に来るかもしれないよみたいになって、僕を追いかけてくれるというか、(SNSを)見たよっていうような人もいて、本当に笑っちゃいましたね。なんで知ってるのとか、君見たよ、何かで、みたいな感じで、もう笑い続けてました。おじさんが隣にいて写真を撮ったりするんで、誰だろうとか思いながら、そんな笑いの連続でしたね(笑)」

写真協力:山下晃和

ラオスの親切、ボリビアのアルパカ

※ほかにも東南アジアの旅でこんな出来事があったそうですよ。

「いちばん面白いことがありまして、ラオスで・・・本当にラオスという国を僕は知らなさすぎて、町と町の間がけっこうな山あいで、進むのが本当に大変だったところが多かったんです。

 なにせ50キロ近いキャンプ道具を積んで、さらに自転車でアップダウン、標高1000メートルから0メートルみたいなところを、ずっと行ったり来たりして大変だった時に、僕はキャンプするつもりで、その村に入ってテントを張らせて欲しいっていう感じで、民家のかたにお願いしようとしたら、そんなことしなくていいよ、こっちに部屋があるよって言われて・・・学校の小屋みたいなところがあって、誰も人はいなかったんですけど、小さな小屋にここに寝ていいよって言って案内してもらったんですね。

 で、けっこう綺麗だったんですよ。ここで寝ていいんだと思っていたら、この町は実はお風呂は少ないから、あの竹から出ている水で水浴びしてもいいよっておっしゃって、子供たちと一緒にキャッキャッ言いながら水浴びさせてもらったんですよ。で、就寝しようと思っていたら、コンコンって音が鳴って、ろうそくを持ってきてくれたんですよ。暗いだろうって言って、これ使っていいよって持ってきてくれて・・・そこで、一晩過ごしたことがありましたね」

●すごいですね。親切なかたというか。

「最高でしたね。0円でしたけど、本当にスーパー高級ホテルなんじゃないかなってぐらい感動した 1日でした。
 また面白いのは、その小屋から夜ちょっと外に出たら、星空がめちゃくちゃ綺麗で、光がないとこんなに星って見えるんだって思って、黒いカーテンみたいなところにいっぱい白いペンキをバーッてつけたような、そんな夜空でした。震えました」

●忘れられない情景ですね。

「一生たぶん忘れられない景色ですね、あの星空は」

※ほかに 自転車の旅で出会った絶景などありますか?

「ボリビアのアルティプラーノっていうところがあるんですけど、標高が3000メートル近いところで山の上なんですね。でも山の上だからといって、アップダウンがあるんじゃなくて、アルティプラーノは高い所の平らな所っていう意味があるんです。

 高い所をずーっと走る、山の稜線をずっと走るみたいな箇所があって、そこは人工物がほぼなくて、高い所なんで植生がなくて、草原みたいな感じのところが続いて、ずーっとアルパカの群れがいて、その中を走るみたいな光景があったんで、それは感動しましたね」

●アルパカと一緒に走れちゃうんですか?

「走れていましたね、その時は。草を食べている姿を横に見ながら、ずーっと自転車で直線の道を永遠に走っている時は、幸せだな〜自転車でよかったな〜っていう瞬間がありましたね」

(編集部注:山下さんが海外に旅に出るのは、いろんな国の文化や風土に触れることで、改めて、日本の良さを再認識することや、現地の人々の暮らしや生き方を見てみたい、そんな理由もあるそうです)

山下晃和さん

自転車とキャンプ、恩返しと車椅子

※山下さんは「BIKE & CAMP」というイベントを主宰されていますが、どんなイベントなのか、教えてください。

「このイベントは自転車とキャンプをテーマにした『旅イベント』ってうたっています。自転車とキャンプって、けっこうハードなイメージだと思うんですけど、旅フェスにするとちょっと緩く感じると思うんですよ。
 そこに会場があって、みんなで集まってキャンプをして1日過ごすのは、旅の目的地としてもいいですし、あとは自転車の試乗もできるんです。旅用の自転車ってなかなか見る機会少ないと思うんですけど、自転車メーカーが来てくださって、そういう試乗もできて、アウトドア道具とかも展示してある、そんなイベントになっています」

●イベントの趣旨というか目的っていうのは、どんなところにありますか?

「いちばんの目的は、自転車キャンパーをひとりでも増やすことっていうのが僕らの目標にあります。自転車で早く走る、ロードバイクとかはけっこう今人気になってきてはいるんですけど、ちょっとスポーツになってしまうので、その土地の魅力をもうちょっと感じてもらいたい場合には、キャンプで一泊をすることによって、たとえば地元のスーパーで買い出ししたりとか、本当に行き先がわかんなかったら誰かに聞かなくちゃいけなかったりとか・・・。

 あとはキャンプを終えた次の朝とかは、学生が通学している風景が見られて、その横を自転車で走ることができたりとかすると、その場所の暮らしがわかるんですよ。

 そういった観光の新しいスタイルが自転車キャンプには含まれているなと思っているんです。そういうのをもっと体験してもらいたい、自分が好きだからっていうのもあるんですけど、それをもっと初心者向けにワークショップなどをしながら、やりやすいような環境を作りたいなと思って始めたイベントだっていうのがひとつ。

 あともうひとつは、僕が海外を旅していて、いろんな人にお世話になったんですね。たとえば自転車で走っていたら、うちに来てご飯を食べていきなよ!とか、突然言われたこともあったりしたんです、カンボジアとかであったんですけど・・・。あとは突然、これはネパールだったかな・・・これ食べていいよ!とか水を飲んでいいよ!って言って渡されたことがあったりとか、いろんな人に助けてもらいながら旅をしていたんで、恩返しをしたいっていう思いもあって・・・。

 実はこのイベントでチャリティオークションをやっているんです。このチャリティでは『海外に子ども用車椅子を送る会』に全部寄付金としてお渡ししています。  海外にはその車椅子がすごく少なくて・・・日本の車椅子は世界でもナンバーワンの造りなんですね。そのナンバーワンの車椅子が、子供が成長したら捨てられてしまうケースが多いので、それを会のかたが修理して直して、海外に送るっていうボランティアをやっているんです。それに僕はすごく感銘を受けて、実は僕もボランティアで年に何回か直しに行っています。自転車と同じパーツなんで直せるんですよ」

写真協力:山下晃和

●なるほど〜。

「タイヤも一緒、ブレーキも一緒なんで、協会のメンバーみんなで直しに行ったりしています。海外の子供たちに恩返しになるかなと思って、それは(イベントで)前面にはうたってはないんですけども、何か役に立てるかなと思って、そういう思いも込めてチャリティにはしています」

(編集部注:「BIKE & CAMP」は一般社団法人「自転車キャンプツーリズム協会」が行なっているイベントで、山下さんはその協会の理事でもいらっしゃいます)

5月開催の「BIKE & CAMP」

※5月に開催を予定している「BIKE & CAMP」、その日程や開催場所など、詳細を教えてください。

「5月の25日、26日の土日で、福島県いわき市のワンダーファームという所でやります。あと関東でも10月26日、27日に茨城県土浦市で開催が決定しました」

●お〜、そうなんですね! 秋に!

「秋に関東でやります」

●ワークショップみたいなものはありますか?

「はい、あります。毎回焚き火のワークショップはやっているんです。それ以外に僕はたぶん、自転車キャンプの道具をどうやったら、バッグにうまく詰められるのかなとか、どういったバッグを選べばいいのかとか、あとはどういう自転車を選べばいいのかみたいなところを含めた自転車旅のワークショップっていう、ざっくりとした本当に初心者向けのものをやる予定ですね」

写真協力:山下晃和

●自転車でキャンプって、どうしてもちょっと大変そうなイメージがあるので、一歩踏み出すのに勇気がいると思うんですけど・・・。

「そうなんですよね(苦笑)」

●でもそういうかたには絶対いいですよね。簡単にできるんだよっていうのを教えてもらえるわけですよね。

「そうなんです。だからカゴ付きの普通のシティバイクで乗りつけてもらっても、できるようなやりかたを教えます」

●いいですね! 参加したいかたはどうしたらいいんでしょうか?

「ワークショップは基本的には無料でやっているので、その場に来てもらえればすぐ教えます。宿泊だけはホームページから予約いただくんですけども、だいたい100名くらいまでで締め切りにはなっちゃうんですけど・・・」

●なるほど。じゃあ早めがいいですね?

「そうですね。宿泊したいかたは、できるだけ早めにホームページから予約していただければと思います。日帰りで来たいかたはもう自由です! 無料です! 誰でもOKです」

●では最後に、今後こんな旅をしてみたいという夢があれば、ぜひ教えてください。

「そうですね・・・夢というか、今年は中国の(新疆)ウイグル自治区を旅したいなと思っています。そこは本当に以前からずっと行きたかったんですけど、コロナ禍があってなかなか行けなかったんですね。民族衣装とか、あとウイグル人は帽子をいっぱい被るのがオシャレだっていうの聞いて、見てみたいなと思って・・・」

●きょうも帽子をかぶっていらっしゃいますね!

「帽子が好きすぎて(笑)」

●そうなんですね!

「いっぱい持っているんですよ。ウイグル人はどうやら男性は帽子をかぶることがオシャレだっていうことで、もともとモデルとして仕事をしていて、ファッションにも興味があるんで、どんな帽子なんだろうと思って・・・」

●いいですね〜。

「帽子探しの旅にしようかな〜(笑)」

●いいですね! ファッション・チェックに!

「ファッション・チェックに行こうと思っています!(笑)」


INFORMATION

写真協力:山下晃和

 5月開催の「BIKE & CAMP」、日程は5月25日(土)から26日(日)。開催場所は福島県いわき市の「ワンダーファーム」。どなたでも無料で参加できますが、宿泊を希望される方は、事前にご予約ください。山下さんのワークショップほか、ツーリング自転車の試乗もできます。ぜひご参加ください。
詳しくは「BIKE & CAMP」のオフィシャルサイトをご覧ください。

◎BIKE & CAMP TOUHOKU24:https://touhoku24.bikeand.camp

◎自転車キャンプツーリズム協会:https://bikeand.camp

 山下さんのオフィシャルブログもぜひ見てくださいね。

◎山下晃和オフィシャルブログ:http://blog.livedoor.jp/akikazoo/

番組のシンボル、風間深志さんが登場!「生きている限り、青春だ!」

2024/4/7 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、記念すべき第1回目の出演者、冒険ライダー、そして地球元気村の大村長「風間深志」さんです。

 風間さんは1950年生まれ、山梨市出身。1982年に日本人として初めて「パリ・ダカールラリー」に参戦。さらに、バイクによる史上初の北極点と南極点に到達など、前人未到の大冒険を成し遂げたレジェンドなんです。

 そんな風間さんが1988年に仲間と設立したのが「地球元気村」で「人と自然が調和している社会」の実現を目指して活動しているNPO法人です。

 今回は、20年以上続けているモンゴルでの植林活動のほか、地球をナビゲートする「テラなびサミット」のことなどうかがいます。

風間深志さん

モンゴルのゴビ砂漠で植林活動

●今週のゲストは、この番組の記念すべき第一回目のゲスト、冒険ライダーそして地球元気村の大村長、風間深志さんです。ご無沙汰しています。よろしくお願いいたします!

「どうもどうも! あれからあっという間の1年だね〜、早いもんですね、本当に」

●風間さんには、毎年4月の第1週目にご出演いただいています。

「そうだ。この時期にお声がかかるんですよね、なぜかね」

●この番組「ザ・フリントストーン 」がこの4月から33年目ということで、長いお付き合い、本当にありがとうございます!

「33年! すごいな〜、よく続いているね、フリントストーン。まあ続かないとね!」

●長寿番組として頑張っております!

「意味は火打ち石でしょ? フリントストーンっていうのは・・・みなさん、わかっていますか〜?」

●今回は、この話題からいきたいと思います。地球元気村では2013年からモンゴルで植林活動などを行なっていらっしゃるということで、モンゴルで活動するようになったのは何かきっかけがあったんですか?

「きっかけ? モンゴルに通い始めてから20年は経つんですよ。ただ行くだけじゃ、と思ってね。どうせなら、ゴビ砂漠が好きだから、あそこは砂漠化していて、遊牧民のかたたちの牧草地も草がなくなってきているって話を聞いたんですよね。だったらゴビ砂漠で植林やっちゃおうって・・・。で、行き始めたのが2013年で、まあそれからもう10年経ちましたね」

●どのあたりに行くんですか?

「僕がよく行っているのは・・・いろいろあるけど、最初に行ったのはドルノゴビ県って言って、中国との国境に面しているっていうかね。まあモンゴルのいちばん暑いところだね。ラクダに乗って、それで時として馬にも乗りながら内陸のほうに入っていって(植林を)やるんですね」

●植林は毎年されるんですか?

「毎年! 大変なんですよ。植林はするだけだとだめでね。(植林)した後のメンテナンス、それで水をちゃんとあげるとかやらなきゃいけないから、やっぱり井戸掘りからだなっていうんで、いちばん最初の2013年は植林だけやったんだけど、2014年には井戸を掘りました」

●すぐに水って出るんですか?

「いやもう大変・・・150メートルとか掘って、それで水がピューって出るわけ。出るんですよ、結構!」

●どうでした? その時。

「すごく気持ちよかった! あそこはある意味、永久凍土なんだよね。地下水はすんごい冷たいから、夏でも手が痺れるほど冷たい。その水も美味しかったな〜」

●感動しそうですね、水が出た時! 

「もう感動、感動しまくりのゴビ砂漠(笑)」

●モンゴルの活動には地球元気村の村民(会員)のかたがたも参加されているんですよね。

「行けるんだよ、いつでも。いつでも行ってもらいたいし、今年も行くからね。今年もたぶん7月の終わりくらいに行くかな。行こうと思っているので、ぜひ興味のあるかたは行ってもらいたいですね」

●行ってみなさんで何をされるんですか?

「僕の場合バイクに乗るのが好きだから・・・植林するでしょ? で、植林を3日間くらいやるんだよね。そうしたら飽きるじゃないですか。バイクでトレッキングに行くわけ。あちこちを見学しながら、それがすごく楽しい」

●いいですね〜!

「あんまり早いマシンに乗ると、かっ飛びたくなるから、あれはだめなの! パワーのない125ccくらいのマシンで行くといいね。モンゴルはやっぱり草原が魅力ですから、遊牧民のかたたちがいっぱい住んでいて、もう本当にピースフルだね」

ノマド文化に学べ

※地球元気村では、モンゴルの遊牧民の生き方や伝統ともいえる「ノマド文化」に学ぶことを提唱されています。改めて「ノマド文化」について教えてください。

「ノマドっていうのは遊牧民っていう人たち、定住しない人たちのことをノマドって言って、例えばサハラ砂漠周辺にはトゥアレグ族って人たち、ラクダの民がいて、200万人くらいいるんだよね。

 一方モンゴルにも、モンゴル全体で300万人だけど、ウランバートルに180万人が住んでいて、300万人引く180万人、120万人がノマドなんですね! って言ったら、いやそこまではいかないと(笑)。ということで、80万人くらいいるんだよね。その人たちが本当に昔ながらの生活をしているわけ。南米のパタゴニアに行くとガウチョっていう人たちがいて、それもやっぱりノマドの人たちなんだよね。

 で、僕らは定住して、物質文明に、氾濫する物質に覆われていて、幸せの単位が物の数とか、たくさん物を持つとかっていうところに幸せを感じるけど、大間違いなんでよね。

 モンゴルの人たちは、1年間に5回くらい場所を変えて住むわけ。そうすると、持っていく物は本当に必要最低限の、これはいらないかなっていうのは、絶対捨てていくっていう流儀なんだって。そのくらい、俺たちの1%にも満たない物で過ごして、幸せを感じて子供も作って、豊かな生活を送っているんだよね。

 だから僕らはそこの人たちに、あなたたちにとって幸せとは何ですか? とか聞いてみたい。そういう勉強を今、俺たちはしなきゃいけないなと思って、地球元気村で、一生懸命ノマド・ノマド・ノマド! って言っています(笑)」

●2019年には「地球元気村 in モンゴル」を設立されました。その拠点はどこにあるんですか?

「向こうに地球元気村モンゴルがあるの。Googleで調べて、モンゴル地球元気村って(検索)やるとパシっと出てくる。ウランバートルから南に40キロくらい走ったところにキャンプがある。そこがモンゴル地球元気村で、そこで楽しくやっています。
 来てくださいね、ぜひ。いいんだよ〜本当に! 夜は満点の星空なんていうもんじゃない。ものすごい。星が降るっていうのはあのことだね。そうやって焚き火して、みんなモンゴルの人たちはやっぱり遊びがないから、結構みんな歌を歌うんだよね。代わる代わるにみんな歌を歌って夜を過ごすわけ。心が高揚して、人情も濃いし、本当に現代社会の人間たちが忘れかけてしまったことや物が全部あるね」

●あったかい場所ですね。

「そうです。だから今モンゴルの遊牧民たちに目を向けて、全員あの真似はできないけど、俺たちはね。でもそこにある心の持ち方、俺たちはやっぱりすごくそこを学ばなきゃいけない時期かなと思って・・・」

「テラなびサミット」開催!

※地球元気村では、先月の3月6日から7日に山梨市で「第一回 テラなびサミット」を開催しました。これは2022年に「地球元気村」のサポートメンバーと作った「テラなび委員会」がもとになっているということなんですが、改めて「テラなび委員会」とは何か、説明していただきました。

「『テラ』はギリシャ語の地球、『ナビ』はナビゲーションのナビで、地球をナビゲートするっていう委員会を作って、それでなんか考えようってね。

 この夏、くそ暑い夏がまた来るんですよ。お年寄りみんな、いやだって、なんとかしてほしいって言うじゃん。でもこれは文明が作った、様々な部分で作ったひとつの結果だから、直そうったって、そうはいかねえんだ。だからそれを考えての結論は、ひとりひとりのライフスタイルを変えていくってことに、そこにゴールするんだけど、みんなの生活の価値観を変えるってことなのね。

 例えば10何年前に計画停電があったよね。あの時、真っ暗になったよね。8時以降は電気を止めようとかね。みんな、できるのかなって(思って)やったけど、やったらさ、気持ちよかったじゃん。夜なんて暗いのは当たり前だよって。何も夜中に落とした10円玉探さなくていいだろうって。
 そういうことで、夜の闇は闇として受け入れるほうが気持ちいいねっていう気づきがあったよね。そういうふうにライフスタイルを、みんな自然に寄り添うような形で変えていくっていうのは、大事な時代になったね」

●「テラなびサミット」は山梨市で行なわれたんですよね?

「やった! このあいだね、すげえウケたよ! 小学生たち30人呼んでね。テラなびサミットの人たちは、だいたい先生ばっかりだから、大学の教授、校長先生を40年やりましたとか、なんかの先生だから、子供たちに話しかけるのが上手でさ。(小学校の)校長先生がすっげえ感動しちゃった。”素晴らしい1日をきょうは過ごしていただきました”ってすごく喜んでくれた。

 この時代はみなさん、こういうふうに変えましょうなんて言わないでしょ。だから俺は地球元気村を36年やって、何のために地球元気村を今までやっていたんだろう・・・やっぱりこういう時に、言わない大人が言おうと、みなさん変えましょうって、生活のベクトルっていうかね、そういうものを変えていくっていうのが、どっかですごく必要だ。
 そうしなかったら、また40度を超える夏は来るし、生物多様性もこの30年で8割の昆虫がいなくなって、それから脊髄動物の67%がこの27年でいなくなっちゃったんだって。そのぐらいひどいんだよ、今」

風間深志さん

能登の被災地で炊き出し

●今年の初めには能登半島で大きな地震があって、多くのかたが被災されて、風間さんも地球元気村のスタッフのみなさんと一緒に現地で炊き出しされたんですよね。

「行きましたよ! ちょっと(名刺を)あげるね」

●お名刺、ありがとうございます。石川県観光大使!?

「去年の10月に(石川県観光大使に)なったの、観光大使だからね。能登半島は羽咋市と輪島市の観光大使もやっているからね。3つに関係するからじゃないんだけど、非常に馴染み深いのね。あの人たちが大変なことになったので、できることって何かと思ってね。
 とんでもない倒壊とかね、道が混乱するほどの状態になったから、なかなか近づけなかったけど、先月は行ってきました。今月も再来週に行きます。山梨のほうとうを持って行ったの! 喜んでくれたよ!」

●風間さんがネギを切っている写真がホームページに載っていましたね。

「ネギをあんだけ切るとさ、400人分切ったの、目にすげえ染みるね! 玉ねぎだけかと思ったら、ネギもこんなに染みるのかって、やってみなきゃわかんないことをやりましたけど。もうなんだろう、あんなに時間が経っているのに、こんな料理を食べたのは初めてだっていうんだよ。ほとんどカップラーメン、あれが定番化していて、ああいうものばっかり食べているみたい・・・」

●風間さんは能登にバイクのイベントで何度も行っていますよね。

「SSTR(*)ですごくお世話になっているんですよ。SSTRで(参加者が)1万人を超えたでしょ。調査とそのあとにも行くから、数万人のかたたちがお世話になっているからね、年間。だからそこにはみんなふるさと意識を持っているしね。やっぱり困った時は本当にお助けさせてもらいたいと思うんですよ」

●今後も支援活動は続けていくんですか?

「これから2年から3年続くね。間違いなくずっとやりますよ」

(*「サンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー」の略)

自然と共存できるように

※風間さんは去年、この番組のインタビューで、2026年頃に4輪で「ダカールラリー」にチャレンジしようかな〜というお話もされていたんですが・・・その後、4輪の国際ライセンスを取得するなど、着々と準備を進めているようですよ。

「なんか自分でも思うよ。なんつーのかな・・・富士スピードウェイのストレートを200何十キロで走って、そんなこと、俺やっていいのかよって・・・現実に潰されちゃうような歳だからね、今(笑)。
 そういう心の葛藤がありながら、でも生きている限り青春でね、頑張ろうと思っています。そういったことでみなさんが、なんか勇気をもらえるって言ってくれるから、俺はそういう役割だなと思って、向こう見ずみたいなことやっていますけど、要は簡単に言うとバカなんだけどね(笑)」

●生きている限り青春ってかっこいいです!

「あ、本当ですか? 言ってみたいでしょ!」

●素敵です!

「言っちゃたら、自分も」

●はい! メモらせていただきます。

「言えばいいんですよ、生きている限り青春だって!」

●全力で遊んで全力で学ぶって、かっこいい!

「遊ぶってのがいちばん大事なこと。仕事は誰でもやるんだけど、遊びがうまくできるか、遊べる時間を確保できるか、これはやっぱりね、人生の生き方上手かもしれないね。だからみんな楽しく過ごしたいじゃない? どうせこの地球に生まれたら、楽しく笑って死にたいよね、年寄りっぽいけど(笑)」

●改めて、今後の地球元気村としてのチャレンジがあれば、教えてください。

「今ね、この時代でしょ、地球温暖化、気候変動、ひどいじゃん。こういったものさ、笑って見ていられないから、本当にみなさんが地球元気村で感じたような、自然に親しみを持って、自然に優しい生き方が、まず自分のそれぞれのスタンスでできるようになってくれればいいなっていう・・・。
 そういうかしこまった言い方をするとすごくウケないんだけど、本当にそれをやんないといけないんですよ。 だから俺は本当にみんなが楽しく、そういったことを受け入れられて、それが実践できる方法がないかなって、もう20年も考えていますね。

 昔はよかったんです。(自然を)好きになることがいちばんの普及だって言って、キャンプも流行らせました。アウトドアも思いっきり流行らす原動力になりました。でも今この状態じゃん。
 で、それがどういうことかって・・・この自然というものに対する向かい方、人間と人間が生きることっていうことを、みんなで考えなきゃいけないね。俺ひとりの力では何にもできないから、みなさんの力を借りて、メディアの力も借りながら、みんなと自然と共存できる方向に歩いていきたいね」

☆この他の風間深志さんのトークもご覧ください


INFORMATION

 山梨市の地球元気村ファーム「天空のはたけ」では5月中旬にサツマイモの植え付けが予定されています。また、地球元気村が運営している山梨県山中湖村の村営山中湖キャンプ場では、だれでも参加できるイベントを月に一回開催しているそうです。

 そんな地球元気村では、随時村民を募集中です。プレミアム村民は会費が年間10,000円、村民になると年4回、会報誌「地球元気村」が届くほか、イベントの参加費が割引になるなどの特典がありますよ。
詳しくはNPO法人「地球元気村」のオフィシャルサイトをご覧ください。

◎地球元気村:https://chikyugenkimura.jp

 風間さんが主宰されている一般社団法人「日本ライダーズフォーラム」でもイベントが目白押しです。
 地域社会を元気にするための「にっぽん応援ツーリング」が4月27日からスタート。そして世界環境デーにあわせて、6月2日にはライダーの立場で地球環境の未来について考える「第2回 へそミーティングin山中湖」が開催されます。ほかにも、女子だけのツーリングラリーなども予定されていますよ。
詳しくは「日本ライダーズフォーラム」のオフィシャルサイトをご覧ください。

◎日本ライダーズフォーラム:https://www.round4poles.com

「ありがとう マウイ」〜大災害に見舞われたマウイ島への思い

2024/3/31 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、「リトルギフトブックス」の代表「増本幸恵(ますもと・ゆきえ)」さんと、ハワイのスペシャリストで、エッセイストの「近藤純夫(こんどう・すみお)」さんです。

 「リトルギフトブックス」は、もともと編集者だった増本さんが、いま世の中に出しておくべき本、贈り物として届けられる本を出していきたいという思いで、去年の3月に鎌倉で立ち上げた出版社です。

 増本さんと近藤さんは、「アロハスタイル」という雑誌の創刊号からの付き合いで、20数年前に最初の取材先としてマウイ島を訪れ、世界最大級の休火山とも言われるハレアカラにも行ったそうです。

 近藤さんはハワイの伝統や文化、歴史、そして自然、特に植物に精通した、まさにハワイのスペシャリストで、この番組の初出演は1995年6月、その時はケービング、つまり洞窟探検のスペシャリストとしてお話をうかがいました。ちなみに火山島のハワイの島々には洞窟がたくさんあって、近藤さんは以前は、洞窟探検のためにハワイに通っていたそうです。

写真協力:リトルギフトブックス

 ハワイは数多くの島や環礁からなる諸島で、おもな島はワイキキのあるオアフ島やビッグアイランドと呼ばれるハワイ島を含め、魅力的で個性的な島が6つあります。そのうち、ハワイ島に次いで2番目に大きな島、マウイ島で昨年8月8日に大規模な山火事が発生、ラハイナという街が焼失してしまったのは、記憶に新しいことだと思います。

 そんなマウイ島の復興支援のために、今年2月に『Dear Maui マウイを巡る12の物語』という本が発売されました。

 今週は、その本を出版した増本幸恵さんと、企画の段階からサポートされた近藤純夫さんをお迎えし、マウイ島への思いや、その後の状況などについてうかがいます。

☆写真協力:リトルギフトブック

マウイへの思い

※「リトルギフトブックス」から出版された『Dear Maui マウイを巡る12の物語』、この本を企画したのは、増本さんなんですよね?

増本さん「企画したというよりも・・・日本で夜、ニュースを見ていたら、マウイの火災のことが飛び込んできまして、本当にどうしようと思って、わなわな震えるような感じでした。まずは、どこに寄付をしたらいいのかを相談しようと思って、近藤さんにメールを送ろうとしていたんですね。

 そのメールの文章を考えて打っている時に、いや、待てよと・・・。私は出版社を立ち上げたばっかりなんだから、もしこれを本にすることができて、それを復興支援に充てられたら、お金もそうですけれども、その本を見てくれた人の気持ちもマウイに向くし、そんなことができないかなと思ったんですね。

 その思いを文章にして、近藤さんにメールでお送りしたんです。そしたら確か夜10時過ぎていたと思うんですけれど、5分も10分経たないうちに近藤さんからお電話をいただいて、よし、やろう! っていうふうに言ってくださったので、企画がスタートしてというよりも、思いつきで走り出したという感じだと思いますね」

増本幸恵さん

●近藤さんは、増本さんからお話を聞いて、いかがでしたか?

近藤さん「災害がかなり激しかったので、これは街のレベルとかハワイ州のレベルを超えて、アメリカ合衆国自体がバックアップしないと、到底復興できないだろうなと感じたんですね。ハワイは、復興基金というのをすぐに立ち上げまして、この復興基金のことを知っていたので、増本さんから相談があった時に、これを寄付するという形が最もストレートに現地に伝わるんじゃないだろうかっていうお話をしました」

(編集部注:本作りの資金は、クラウドファンディングを募り、結果、156名のかたからの支援があったそうです)

※この本には、12名のかたが原稿や写真を寄せていらっしゃいます。みなさん、お知り合いだったんですか?

近藤さん「メンバーのうちの3分の2ぐらいは僕の知り合いでもありますので、直接お願いする形を取ればよかったんですが、やっぱりこの企画の発起人は増本さんなので、増本さんを通じて、みなさんに依頼を差し上げたという形です。みなさん、ふたつ返事で、すぐにやるよ! って言ってくださったのはすごく感謝ですよね。

近藤純夫さん

 ラハイナの災害というのはよく知られているんですけれども、実はこの火災はラハイナだけじゃないんですよ。ラハイナの北の街でもあったし、南の遥か離れたところにもありましたし、なんとハワイ島にも起きたんですね。相当離れたところに広範囲に火災が起きていたんですけれども、その中でもマウイ島はかなりの場所で火災が起きましたので、島全体も含めてラハイナを応援したいなというのがまず基本にありました」

●増本さんは12名のかたからそれぞれ原稿があがってきて、編集者としてどんなお気持ちでしたか?

増本さん「12名の中でいちばん最初に写真をあげてくださったかたが、佐藤秀明さんという写真家のかたなんですね。写真とエッセイをいただいたんですけれども、そのエッセイのいちばん最初が『ありがとうマウイ』っていうひとことで始まっていたんです。それを見て涙が出そうになって・・・。

 その後、みなさんからいろんな原稿が届く中で、なるほどなって・・・みなさん『ありがとうマウイ』っていう気持ちで書いてくださったり、寄せてくださったんだなっていうのがわかったので、そこからスムーズに、例えば順番だったり写真の選び方だったりっていうのは、本当にスムーズに流れていきました。写真家さんにしてもテキストを書くかたも全然個性が違うので、すごく面白かったです。編集自体はとっても面白かったですね」

(編集部注:『Dear Maui マウイを巡る12の物語』に原稿や写真を寄せている12名のかたはボランティアという形で協力されています)

歴史的にも重要な島

※近藤さんはマウイ島、そしてラハイナにもよく出かけていたんですよね?

近藤さん「仕事柄ハワイのことをやっていますので、等しくいろいろな島に行きましたけれども、マウイ島は・・・僕は中でも植物のことを結構よく本にしていまして、その先生がマウイ島にいるんですね。なので、一般には行かないマウイ島の素顔みたいなものをいろいろと教えていただいたこともあって、思いはたくさんありました。
 ラハイナは兎にも角にも昔のハワイ州の首都ですから、そういう意味でもいろいろと象徴的なものがたくさんあったところなんですよね。それがすっかりなくなったことには相当ショックを受けました」

写真協力:リトルギフトブックス

●改めてマウイ島はどんな島で、ラハイナはどんな町だったのか、教えてください。

近藤さん「ラハイナは先ほど言いましたように、かつてハワイ州の首都だったんですね。首都っていうことは国だったわけですけど、国である前の、まだ伝統文化の社会の時代からいちばん大事な場所だったんですね。それはハワイ諸島の右側、つまり東側に当たるところに大きなハワイ島という島があって、左側の日本側になる西側には小さな島がいくつも連なるんですけど、(マウイ島は)ちょうどその真ん中にあるんですよ。

 だから、このマウイ島を制するものは全部の島々を制するみたいなものが、ずっと伝統文化の時代にあったんですね。厳密にはマウイ島の左端にあるラハイナと、右端にあるハナという街、このふたつが最も重要な街だったんですね。

 なので、ここからいろんなものが始まっていますし、それから現代になって、つまり国が、ハワイ王国というのが作られた後からも、ハワイで最初に文字が・・・ポリネシアって文字がないので言葉だけなんですけど、最初に文字が作られたところなんですよ。

 その文字を学んで、いわゆる識字率と言って、読んだり書いたりできる人たちは、当時アメリカ合衆国全体でも2番目に高かったという場所なんですね。そういう伝統的にも文化的にもハワイの象徴と言える街だっていうのがあって、ハワイの人たちにとってラハイナは特別な場所だったんですよね」

(編集部注:近藤さんによれば、さとうきびから砂糖を作る産業に多くの日本人移民が関わっていた歴史があり、明治から大正にかけて、ラハイナに暮らしていた人たちの半分以上が日本人だったそうです。ハワイと日本の結びつきを感じますよね)

写真協力:リトルギフトブックス

※増本さんは初めてマウイ島に行った時は、どんな印象を持ちましたか?

増本さん「行くまでは本当にハワイのイメージは、いかにもワイキキなイメージだったんですけれども、例えばハレアカラは、圧倒的なスケールで迎えてくれましたね。それからハナのほうに行くと全然違う景色で、緑が豊かで田舎の漁村のような雰囲気も残っていて、そしてちょっと行くと素敵なリゾートホテルがあったりという、すごく面白い島ですね。でもなんていうか、地球の鼓動というか、ハワイ島とも違う営みを感じました」

忘れてほしくない

※増本さんはマウイ島に、お知り合いはいらっしゃるんですか? 

増本さん「例えば今回の著者のひとり、岡崎友子さんはマウイ島にお住まいで、ご自分でも支援活動に回っていらしたんですね。みなさん、火災のあとは無事に過ごされているんですが、最初に聞こえてくる声と今聞こえてくる声は随分違っています。

 初期の頃はとにかくメディアの人たちが、日本に限らず世界中のメディアの人たちが、悲惨なラハイナを撮りたい、聞きたいというオファーがすごくあって、困ったっていう声が聞こえてきたりしていたんですが、だんだん落ち着いてきました。今お話をしていると、復興は進んでいるそうですが、問題もいろいろあるようです。

 こんな本を作ったよ! ってお伝えすると、すごく喜んでくださるんですよね。
というのも、もう7か月ぐらい経ちますけれども、世界の人はラハイナに火事があったことを忘れかけているんじゃないか、自分たちのことは忘れられているんじゃないかって、なんとなくうちひしがれているところに、日本でこんなに応援してくれている人がいることに勇気づけられたっていう声を聞きます」

●近藤さんの知り合いのかたは、みなさんご無事でしたか?

近藤さん「レストランを経営している友達とか、先ほど言いました学者のかたとか、いろいろと(知り合いが)いまして、地元で長く暮らしているんですけども、多くのかたがやっぱり増本さんが言われるように、忘れて欲しくないというのは、強い思いとしてあるんですね。でも一方で、我々日本人も正月から能登の大災害を見たりして、やっぱり災害は次々起きるので、そうするといつも同じ気持ちを持ってということはできませんよね。

 で、思ったのが、増本さんとも強く話をしたんですけども、本という形を取って、我々は物書きだったり写真家だったりするわけですから、その持っているパワーでできることをしたい。でもそれがすぐ消えてしまうような類いの本であってはよくないんじゃないかと・・・。ずっとわずかであっても、そう言い続けることができるような立ち位置の本を出したいという気持ちが強くありました。

 それを伝えたところ、本という形でこれが残るっていうことはすごくいいことだと言っていただいてはいます。なので、その気持ちも大切に、またハワイに関わっていく身としては、これからも忘れずにマウイという島を見続けていきたいなっていうのは、今の偽らざる気持ちです」

『Dear Maui マウイを巡る12の物語』

大火災の原因は?

※去年8月8日に発生したマウイ島の山火事、その原因は特定されたんでしょうか?

近藤さん「特定はされていませんけれども、ほぼという形で一応言われているのが火の不始末です」

●火の不始末?

近藤さん「ハワイは、この大火災で世界中に知られましたけど、山火事は毎年起きています。それがいろいろな悪いタイミングで重なったために大きな災害となったんですけれども、その8割が人の火の不始末と言われています。その不始末のうちのしかも半分以上が観光客じゃないかと言われているんですね。だから我々にとっては他人事ではないということですよね」

●やっぱり気候変動による乾燥とかも影響しているんですか?

近藤さん「それもあるとは思います。ハワイはすごくざっくりと言うと、島の右上と左下で気候が全く違うんです。なぜかというと、広い太平洋を北東側から、つまりアメリカ大陸の側からずーっと湿った風が来るんですけれども、山に当たると全部雨で落ちるんです。

 だから地図の右上は緑が生い茂っているんですけど、山を越えると、もともと乾燥しているんです。だから火事は起きやすいんですね。右上では起きないけど、左下では起きる。でも悪いことばっかりじゃなくて、左下は晴れていることが多いってことですから、リゾート地はどの島でも左下にあるんですね」

●なるほど・・・。私もフラダンスを習っていて、フラの仲間とみんなで寄付させていただいたんですけれども、焼失から7ヶ月余り経ってラハイナの復興は、現状はどういう感じなんでしょうか?

近藤さん「まずラハイナと、それからその隣にあるカアナパリとか、さらに上にはカパルアという町がありまして、下のほうには街はそれほどないんですけども、この周辺はほぼ被災しているので、焼け残ったものもわずかながらあるんですが、ホテルを含めてそれはすべて避難所になったんですね。

 だからラハイナにあるホテルで残ったものは、すべて今は避難されているかたが住んでいます。で、カアナパリはラハイナと比べると、もうちょっと大きい街なんですが、ここは被害がラハイナほどではなかったので、ラハイナの住民はここに避難しているかたが多いです。カアナパリから順にホテルの運営を再開しているんですが、それはなぜというと、避難民のための建物を作って、そこに移動できたから(ホテルを)やっているわけですよね。

 ではラハイナはどうだったのか? っていうと、なかなかそう簡単にいかなくて、まずは避難民の落ち着く先がないとどうにもならない。しかも建物が少ないということで、なかなかできなかったんですけど、先月からまずカフェとレストランとがひとつふたつと再オープンしているところで、まだこれからですね。相当先になると思います」

●観光で訪れることができるのは、いつぐらいになりますか?

近藤さん「訪れられます。今も大丈夫ですよ。焼け野原になっていますけども、シャットアウトはしていませんので訪れることはできます」

●そうなんですね。

近藤さん「はい。ただ宿泊施設はないので、そこはどっか遠くから車で移動して、また戻るみたいな形になると思います」

マウイストロング基金

※本の売り上げは、寄付されるんですよね? そのあたりのお話を少し詳しく教えてください。

増本さん「はい、売り上げから利益の分をすべて寄付させていただきます」

●寄付する先は決まっているんですか?

増本さん「はい、マウイストロング基金という地元の支援団体がありまして、そこにとは思っているんですけれども・・・」

近藤さん「もうちょっと詳細にお伝えしますと、マウイストロング基金っていうのは、ハワイコミュニティ財団っていうところが運営しているんですね。これは突然作られたものではなくて、もう100年以上こういう活動をしていまして、すごく長い歴史を持っているんです。
 年間の予算もすごくて、そういうところなもんですから、ハワイ州政府も観光客も含めて、すべてここを起点にして動くようにできているので、ここがいちばん確かだろうということで、我々も(寄付する先を)ここにいたしました」

●そうなんですね。おふたりそれぞれにおうかがいしたいんですけれども、改めてこの本『Dear Maui マウイを巡る12の物語』を通して、どんなことを伝えたいですか? では増本さんからお願いします。

増本さん「なんでしょう・・・私は本当にマウイを好きになってもらうのがいちばん嬉しくて、私が知っていたマウイと、この本を通して知るマウイは全然違うというか、知らないことばっかりだったんですね。なので、この本を見ていただいて、みなさんもマウイを好きになってもらって、マウイに行ってもらうのがいちばん嬉しいです」

●近藤さんはいかがですか?

近藤さん「マウイは観光地としては特別によく知られているところで、結構、長期滞在されるかたの多いところなんですね。でも、逆に言うと歴史とか自然とかそういったものは、あまり多く語られてこなかったところがあります。

 大災害が起きましたけども、これを機会にマウイをリピーターのかたにはもうちょっと深く、新しいかたには観光地の象徴となるラハイナがなくなったことで、これから再建されますけれども、観光地というのをまた違う目で見ていただけたらいいなと思っています。この本がそういうことにはとても役立つと思っていますので、ぜひみなさんに読んでいただきたいなと思っています」

☆この他の近藤純夫さんのトークもご覧ください


INFORMATION

『Dear Maui マウイを巡る12の物語』

『Dear Maui マウイを巡る12の物語』

 今年2月に出版された、マウイ島の復興支援のためのこの本には、近藤さん始め、写真家の佐藤秀明さんや高砂淳二さん、フリーライターの今井栄一さん、ハワイ研究家の平川享さん、そしてオーシャンアスリートの岡崎友子さんほか、合わせて12名のかたが原稿や写真で、マウイ島への思いを寄せていらっしゃいます。本の収益はすべてマウイストロング基金に寄付されます。

 お買い求めは「リトルギフトブックス」のオフィシャルサイトから、どうぞ。

 なお、本の発売を記念して、鎌倉のブック&ギャラリー「海と本」で4月14日までフェアを開催中。また、代々木上原の「シティライトブック」でも、4月19日から24日までフェアを開催。ほかにも本屋さんやフラの大会でブースを出店する予定だそうです。

 詳しくは「リトルギフトブックス」のオフィシャルサイトをご覧ください。

◎リトルギフトブックス:https://littlegiftbooks.com

アンモナイトは「巻貝」の仲間ではありません〜謎だらけのアンモナイトに迫る!

2024/3/24 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、アンモナイト博士、公益財団法人「深田地質研究所」の研究員で、古生物学者の「相場大佑(あいば・だいすけ)」さんです。

 相場さんは大学院時代、訪ねた研究室で先生から本物の化石を手渡され、生まれて初めて触った、てのひらに載るアンモナイトの化石に猛烈に感動! 謎に包まれたアンモナイトの研究の道に進んでいらっしゃいます。そして、新種をふたつも発見するなど、若手の研究者として注目を集め、さらに巡回展「ポケモン化石博物館」の企画と総合監修を務めたことでも知られています。

 きょうはそんな相場さんに、アンモナイトはいったい何の仲間なのか、どうしてぐるぐる巻いているのか、海の中をどうやって移動していたのかなど、知られざるアンモナイトの生態についてうかがいます。

☆写真協力:相場大佑

相場大佑さん

アンモナイトはなんの仲間?

 相場さんは1989年、東京都生まれ。横浜国立大学大学院から北海道・三笠市立博物館の学芸員を経て、現職。専門は古生物学。特にアンモナイトの分類や進化、生態などを研究し、生物としての姿を解き明かそうとされています。

 そして先頃、新しい本『アンモナイト学入門〜殻の形から読み解く進化と生態』を出されました。

●表紙のアンモナイトのイラストを見て驚いたんですけど、アンモナイトって目とか口とか、あとこれは腕ですか? 数本の腕のようなものがあるんですね?

「はい、そうなんですよ。渦巻きの殻を持っているので、(一般のかたは)巻貝やカタツムリみたいな体をイメージされるんですけれども、実は(殻の中の)本体の化石ってなかなか見つからないんです。研究からこんな姿をしていたんじゃないか、腕がいっぱいあったり大きな目を持っていたりっていうことが、最近わかったりしています」

●巻貝だと思っていたんですけど(アンモナイトは)巻貝じゃないってことですか?

「はい、そうです。アンモナイトはこう見えても、実はイカとかタコの仲間なんです」

●イカとかタコとは、見た目も全然違いますけど・・・。

「イカとかタコのことを頭足類(とうそくるい)というんです。イカ、タコのほかに、オウムガイっていう生き物もいまして、殻を持った頭足類なんですけども、実はイカも殻を持っているんですよ、体に・・・。

 体の中にプラスチックのペラペラの棒みたいなのが入っていて、あれが実は貝殻の名残りだったりするんですけども、その貝殻が退化せずにこうやって残っていたのがアンモナイトです」

●表紙のイラストは、相場さんが発見されたアンモナイトをもとに描かれたと、うかがったんですけど・・・。

「そうですね。僕が学生時代に北海道で見つけたお気に入りのアンモナイトがあって、きょうは(それを)持ってきているんですけど・・・」

写真協力:相場大佑

●わぁ~〜ちょっと触ってもいいですか?  けっこうずっしりと重いんですね! 手のひらサイズの、ドーナツのようなベーグルのような形ですけれども、これがアンモナイトなんですね!

「そうですね」

●確かに渦を巻いていますよね。

「渦を巻いていて、殻が剥がれているところで、ちょっと内部構造が見えていたりとかして・・・」

●白地に所々に茶色いところがありますね。

「はい、そうですね。この白いところが殻で、この茶色のところが、殻が剥がれて内部構造が見えているところって感じですね。学生時代から北海道で調査したいんですけども、そこでこれ見つけて、ほとんどこの状態で川に落ちていて・・・」

●えっ! 落ちていたんですか?

「そうですね。で、拾って、うわ! すごい! と思って、一発ハンマーでボコってやったら、この形が出てきて・・・(笑)」

●えぇ~そんなに簡単にアンモナイトって発見できるものなんですか?

「そうですね。北海道には、アンモナイトが生きていた白亜紀の地層が広がっているところがあって、そこの流域の川をいくと、こういったアンモナイトはよく見つけることができたりします」

●今もすごく触りながら愛でている感じがありますけれども・・・(笑)

「持っていると落ち着くんです(笑)」

写真協力:相場大佑

どうして絶滅したのか!?

※アンモナイトという呼び名には、何か由来はありますか?

「アンモナイトっていう名前ですけども、もともと“アモン”っていう、古代エジプトの神様がいて、太陽神なんですけど、その神様の頭の部分に羊のツノみたいな渦巻き状のツノがついていたんです。アンモナイトが最初に見つかった時に、これはアモンの頭の部分なんじゃないかみたいなことが考えられて、”アモンの石”という名前でアンモナイトとつけられています」

●へぇ〜そういう由来があったんですね! アンモナイトは絶滅した、いわゆる古生物と言われている生き物ですけれども、どうして絶滅しちゃったんですか?

「アンモナイトが絶滅したのは、中世代・白亜紀末で、同じ時期に恐竜とか絶滅しているんです。それはなぜかというと、巨大な隕石が現在のメキシコのユカタン半島という所に落ちて、それがきっかけで地球全体の環境がガラッと変わってしまって、その環境変動に耐えられなくて絶滅してしまったというふうに言われています」

●アンモナイトはいつ頃、地球上に誕生したんですか?

「アンモナイトが誕生したのが、今からだいたい4億年ぐらい前です」

●4億年前に誕生して、そこから絶滅まではどれぐらい繁栄していたんですか?

「絶滅したのがおよそ6600万年前ですので、3億年以上にわたって地球上で
繁栄していたと言われています」

●化石の代名詞とも言えるのがやっぱりアンモナイトだと思うんですけど、世界中でこれまでに何種類ぐらいのアンモナイトが見つかっているんですか?

「アンモナイトは確かに化石の代名詞、なんかアイコンみたいな感じですね。世界中から化石が見つかっていて、今の時点で1万種以上、もしかしたら2万種近くかもしれないというぐらいの数が見つかっています」

新種アンモナイト
新種アンモナイト

●みんな渦を巻いて、基本的な形は同じ感じなんですか? 何がそんなに違うんですか?

「渦を巻いているのが基本ではあるんですけども、異常巻きアンモナイトっていう少し巻きがほどけたものとか、そういったものもあります。巻いているってひとことで言っても、殻が横に膨れてぶっとくなっていたりとか、円盤のようにぺっちゃんこになっていたりとか、それから突起が付いていたりとか、殻の表面にそういう装飾があったりとか、いろんな特徴によってアンモナイトは分類されています」

ぐるぐる巻きの理由

※アンモナイトはイカやタコ、そしてオウムガイの仲間ということなんですが、見た目でいちばん似ているのは、オウムガイ・・・ですよね。ということは、アンモナイトを研究する上で、生きているオウムガイを参考にすることも多いですか?

「そうです。まさにその通りで、実は系統でいうとイカとかタコのほうに近い、オウムガイはちょっと親戚関係としては遠いんですね・・・なんですけれども、やっぱり体の外に殻を持っている頭足類という意味では、現在、生きているオウムガイが唯一になりますので、泳ぐ時の殻の挙動とか、研究する上ではオウムガイはすごく参考にされている側面があります」

オウムガイ
オウムガイ

●アンモナイトのいちばんの特徴でいうと、やっぱりぐるぐる巻いた殻かなって思うんですけど、そもそもどうしてぐるぐる巻きなんですか?

「実はアンモナイトの祖先は棒状で巻いていなかったです。さかのぼると巻いていなかった、ボールペンみたいな形の殻をしていたんですけども、それがある時に巻いて、アンモナイトが登場するわけです」

●どうして? 何があったんですか?

「それは、答えからいうとおそらく巻いていたほうが、泳ぎやすかったっていうのがあって、アンモナイトが登場した時代、古生代のデボン紀っていう時代なんですけど、その時代はたくさんいろんな種類の魚が登場した時代で、すごく速く泳ぐ魚とかが登場したんですね。そんな時にアンモナイトは食べられる側だったわけですけども、その食べられる側のアンモナイトも速く泳げたほうが逃れることができるということで、より巻いたものが残っていって、巻いた形に進化したと・・・」

●まっすぐなほうが速く動けそうじゃないですか?

「あ〜確かに、そんなイメージもあるんですけども、例えば私たちが頭に帽子をかぶったことを考えた時に、とんがり帽子をかぶると、たぶんすごく邪魔だと思うんですね。そのとんがっている部分が巻いてあったほうが頭が動かしやすい・・・なんていうんでしょう・・・コンパクトになっているほうが抵抗がないというか、海の中では邪魔にならない・・・。

 しかも、実はアンモナイトの殻の中に空気が入っていて、浮きの役割をしていたので、まっすぐだと浮きになっている部分が邪魔になってしまうというか、そういうのがたぶんあると思います」

●殻自体は硬いんですよね?

「殻自体は硬いです。普通の貝殻と同じです」

(編集部注:アンモナイトは、速く泳ぐためにぐるぐる巻きになったというお話でしたが、魚の歯形がついた化石も見つかっていて、ほかの生き物から身を守るために、丸い形になったとも考えられるそうです。
 また、色や柄は化石として残らないけれど、中にはその痕跡が残っている化石も見つかり、殻にストライプや点線、放射状の模様を確認できたそうです。

 そして、今まで見つかったアンモナイトの化石で最大のものは殻の直径がなんと! 2メートル50センチくらい、一方、小さいものは1センチにも満たないそうですよ)

殻の形で泳ぎが変わる!?

※アンモナイトは海の中をどうやって移動していたんですか?

「アンモナイトは、すごくいろんな形があって、その形ごとにけっこう生き方が違ったんじゃないか、みたいなことが最近言われていて、中にはもしかしたらあまり泳がなかった種類もいたかもしれない・・・なんですけど、それあとで説明するとして・・・。

 泳ぐものとしては、形によるんですけども、ディスクみたいな平べったいアンモナイトは、海の中を切るように一直線にぴゃーっと、速いスピードで泳いだかもしれないみたいなことが言われていたり、ずんぐりした丸っこいアンモナイト、(きょう)持ってきているやつよりも、もっと丸っこいボールみたいなアンモナイトもいるんですけども、そういうアンモナイトはあまり速く泳がない代わりに、いろんな方向に方向転換できて、泳いでいたんじゃないかと言われたりします。

 実は最近、アンモナイトのロボットを作って、そのロボットがどういう泳ぎ方をするか、みたいなことを調べた研究があって、そんなことがわかっています。で、泳がなかったんじゃないかなと言われているやつがいて、異常巻アンモナイトって呼ばれているちょっとヘンテコな形をしたアンモナイトなんですけども・・・」

●細長〜い渦みたいな感じになっているんですね。

「そうですね。ワインを開けるコークスクリューみたいな形をしていたりとか、それを限界まで引き延ばしたようなものとか、巻貝みたいな形のものとか、そういったものがいろいろあって、アンモナイトはもしかしたら、あまり泳げなかったんじゃないかなと・・・。アンモナイトが泳いでいる挙動を直接見ることはできないんですけれども、それこそ、今生きているオウムガイから推測することができますね。

 オウムガイがどんなふうに泳いでいるかっていうと、まず水を吸い込むんですよ。吸い込んだ水を筋肉を使って体の外に押し出すんですね。その時に漏斗(ろうと)っていって、管みたいなものがあって、そこから水をピューッと噴射するんです。それがオウムガイの泳ぎ方なんですね。

 アンモナイトもやっぱり同じように泳いだのではないかと言われていて、実際に漏斗の化石と思われるようなやつも痕跡が見つかっていたりとかするので、おそらくオウムガイと同じように水を吸い込んで、漏斗から噴射して、後ろの方向に進む、そんな泳ぎ方をしていたんじゃないかなっていう想像がされています」

(編集部注:相場さんによると、この10年くらいで見つかったアンモナイトの化石の中には、大きな目の痕跡が残っていて、視力の良さを推測できたり、殻の中にある内臓の胃の部分に、消化されていないミジンコやウミホタルの仲間「貝形虫(かいけいちゅう)」などの化石が見つかり、アンモナイトが何を食べていたのかも少しずつわかってきているそうです。

 また、アンモナイトにはオスとメスがいたということですが、どうやって繁殖していたのかはまだわかっていないそうです。孵化する前の卵の化石は見つかっているので、おそらくイカやタコのように大量に卵を産んで子孫を残す戦略だったと、考えられるということでした)

もっと知りたいアンモナイト

※アンモナイトのいちばんの魅力はどんなところですか?

「これ、難しいですね・・・(笑)。魅力はいろいろあるんですけども、いちばんっていうと、なかなか難しいですね・・・そうですね・・・やっぱりこれだけ数が見つかっていて有名な化石なのに、まだまだたくさん謎があるっていうことですかね。その体の、本体のことで言えば、足がおそらく10本だったんじゃないかって推測はされているんですけども、実際に足の化石は見つかっていなかったりするので、正確には足が何本かわからないとか、いろんな謎があります。

 1万種以上見つかっているって言いましたけども、今生きている現世の頭足類でイカ、タコが700種類なんですよ。でもイカ、タコってすごくいろんな形のものがいますよね。すごく大きいものがいたりとか、透明にスケスケになっているイカがいたりとか、いろんなイカ、タコがいて、それでも700種類なんですよ。

 だから1万種以上いるアンモナイトって、たぶん僕たちが想像できないような姿をしたようなやつも、もしかしたらいたかもしれないって思うと、すごくワクワクしますよね」

●まだまだ謎が多いということですけれども、今後解き明かしたいことって何かありますか?

「アンモナイトには謎がいっぱいありますけども、解き明かしたいことでいうと、例えば、異常巻きアンモナイト、ヘンテコな形をしたアンモナイトがいますけども、なんでそういう形に進化したかって、はっきりわかっていなかったりするんですよ。なので、そういうヘンテコな形、私たちにとってヘンテコに見える形が、なんでその形になったのかは、やっぱり明らかにしたいっていうのがあります。

 それから、先ほどのお話もちょっと被りますけども、やっぱり本体、どんな姿をしていたのか、どんなふうに海の中で生きていたのか、一生をどういうふうに過ごしていたのか、そういう生き物の側面をもっともっと知っていきたいなと思います」

●生きているアンモナイトが発見されたら面白いのになって思っちゃうんですけど、そういう空想をされたことはありますか?(笑)

「そうですね。想像はしたことありますけど・・・見つかるかな〜(笑)」

(編集部注:相場さんに首都圏で、アンモナイトの化石が展示してあるおすすめの博物館を教えていただきました。まずは、上野にある国立科学博物館の日本館のほうに、北海道で発見された化石がたくさん展示されているそうです。ほかにも、神奈川県立生命の星地球博物館、千葉県立中央博物館などを挙げてくださいました。

 そして、都内の施設でアンモナイトが見つかる場所として、東京駅の地下構内や、地下鉄三越前駅の改札付近、そして日本橋三越本店の、石材の壁や床に化石が眠っているそうですよ)


INFORMATION

『アンモナイト学入門〜殻の形から読み解く進化と生態』

『アンモナイト学入門〜殻の形から読み解く進化と生態』

 アンモナイトがどんな生き物だったのかを最新のトピックや研究、そして写真やイラストを交え、わかりやすく解説。まさにアンモナイトを知るための、うってつけの入門書です。ぜひ読んでください。誠文堂新光社から絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。

◎誠文堂新光社:https://www.seibundo-shinkosha.net/book/science/85247/

◎公益財団法人 深田地質研究所:https://fukadaken.or.jp

家庭で飼えない動物を飼ったら、1日いくらかかるか、「妄想」しましょう!

2024/3/17 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、東京都大田区で動物病院を営む獣医師「北澤 功(きたざわ・いさお)」さんです。

 北澤さんは1966年、長野市生まれ。北海道にある酪農学園大学を卒業後、長野市茶臼山動物園や城山動物園に獣医として勤務。動物の飼育や治療に加え、展示エリアの設計も担当。

 その後、2010年に東京都大田区に「五十三次どうぶつ病院」を開設し、現在は獣医師としての仕事の傍ら、子供たちや一般向けに動物の生態などを解説する講演活動のほか、本も執筆。そして先頃、『妄想お金ガイド パンダを飼ったらいくらかかる?』という本を出されています。

 きょうはその本をもとに、もし家庭で、ジャイアントパンダやキリンを飼ったら、エサ代や光熱費など、日々いくらお金がかかるのかなど、家庭では飼えない動物の飼育を、北澤さんと一緒に「妄想」します。また、イヌやネコの健康管理のお話などもうかがいますよ。

☆写真協力:北澤 功

北澤 功さん

イルカ 、キリンの飼育を妄想!?

●では、本に掲載されているリスト「飼えない動物、一緒に住んだらいくら?」から、いくつか動物をピックアップしてお話をうかがいたいと思います。まずはイルカ・・・1日9,333円ということで、これはプールの維持費とかすごく大変そうだなって思うんですけど・・・。

「いちばんはプールですね。実は狭いところでも飼えるんです。なんだったら(スタジオの)この部屋くらいのところで、水いっぱいしたら生きていくことはできるんです」

●このスタジオくらいで・・・?

「ええ、水いっぱい入れてね。だけど、飼うってことはただ飼うんじゃなくて、その子がいかに快適にするかなんで、それが大事です。そうすると、やっぱりある程度大きなプールが必要だし、プールの温度もその子が寒くて我慢しなきゃいけないとかじゃなくて、きちんとした温度も必要だったり・・・。

 とにかく綺麗な水、水の中で生きているので、汚れたらすぐ病気になりますので、いかに健康で快適に楽しく住むか。イルカは自分たちのものじゃなくて、地球から預かったものなんで、快適にするために飼うにはやっぱりお金がかかると・・・」

●しかも海のそばに移住するっていうふうに本に書かれていましたけど(笑)

「海のそばって、新鮮で綺麗な海水がどんどん手に入るから、お金もかけずに水質管理もしやすいんで、たぶん海のほうが楽しいんじゃないかな、イルカも(笑)」

●エサはどうですか?

「けっこう食べるからね。やっぱりお魚もなんでもいいってわけじゃなくて、新鮮で美味しい魚というかね・・・そういうことを考えていくと、比較的やっぱりエサ代はかかりますね」

●お金がかかるんですね〜。では続いてキリンです。1日3,666円ということで、イルカよりはちょっと安いのかなっていう感じですね。

「これは基本的に施設を、建物で飼うってなったら別になっちゃうんだけど、暖房とエアコンをうまいことやればいいのと、パドックって言ってるんだけど、遊ぶところをきちんと作ってやれば、あとはほとんどエサ代でいけるなと思っています」

●3階建てに住んだら、毎日窓から顔を合わせることができると本に書かれていましたね。

「キリンってなつくんです、すごくなつくんです。毎日行ってエサをあげていると、梯子(はしご)じゃないけど、ちょっと高いところに登ってキリンにエサをあげたりすると、目の前の同じ高さでエサをあげると楽しいんですよ。長い舌で巻き取ってエサをとってくれます」

●庭付きの3階建てのお家に、家族が3階から見ていればいいですね(笑)

「そこのベランダで、自分たちは食卓で食事しながら、隣でキリンが(エサを)食べてるって最高!」

北澤 功さん

パンダは別格!? コアラは偏食家!?

※本に載っているリストの中から、続いてはジャイアントパンダです。1日にかかる費用が、21万6,166円、1ヶ月になると、なんと648万円5,000円ということになっていますが・・・いかがでしょうか。

「とにかくすべてが高い(苦笑)」

●すべて?

「レンタル料とかもかかりますので・・・。ジャイアントパンダに関しては、最先端の治療をしなきゃいけないですし、そういう研究費もかかります。エサも特殊で、新鮮な竹を・・・あの子たちはわがままだから、まずい竹を食べなかったりしますので、大変。エサ代もでかいし、施設も(費用が)すごくかかりますからね」

●レンタルっていうのは、中国からレンタルされたっていうことですよね。

「そうです。基本的に動物はすべてレンタルっていうか、私たち人間のものじゃないんです。全部借り受けているんです。たまたまジャイアントパンダの場合は、中国から借り受けているって形ですが、でも中国も地球から借りているって思っています」

●最新の治療をしなきゃいけないっていうのは、何かあるんですか?

「最新の治療っていうか、わからない、治療法が・・・やっぱりみんな経験がないし、すごく大事なことがわからないですね。薬の量もどのくらいやったらいいのかわからないですし、はたしてジャイアントパンダにはこの薬をやって大丈夫なのかもわからないから、そのデータとか(を集めるの)もやっぱり大変です。獣医とかもやっぱりすごく大変なんで、そういう部分はやっぱりお金もかかりますね」

●しかも竹を選ぶんですね。

「そうです。わがままです(苦笑)」

●竹専用の冷蔵庫もいると、本にも書かれていましたね。

「地震とか、なんかあったら(竹が)手に入らないことを想定しなきゃいけないので、ある程度のストックは絶対的に必要なんでね」

●なるほど〜。じゃあやっぱり高くなりますね。

「はい、ジャイアントパンダは別格ですね」

北澤 功さん

●あともうひとつ、コアラです。コアラは1日26,500円ということで、ユーカリしか食べない超偏食家!と(本に)書かれていましたけど・・・。

「いや大変なんですよね、食べ物を考えると・・・偏食っていう動物もいっぱいいるんです、それしか食べないって動物が・・・。特にコアラになると、それしか食べないんで、まずユーカリを確保しておくことが大変ですね」

●ユーカリは動物園でも大きな負担になると本に書かれていましたね。

「最近はコアラの飼育やめるところも出てきています。あまりにも大変すぎるし・・・ただ飼うんじゃなくて、 動物たちを快適に過ごさせてあげたいんで、良質のエサを手に入れるために・・・ということを考えると、あまりにもお金がかかりすぎますね」

(編集部注:動物園の獣医だった頃、飼育している動物は全部診ていた北澤さんによると、ライオンやトラは麻酔を打って眠っている間に診察や治療はできたそうですが、大きなゾウはそうもいかず、知能も発達しているので大変だったそうです。

 動物園ではエサや飼育環境に注意し、動物にストレスを与えないようにすることが肝心で、基本は予防医療。治療よりも病気にさせないことが大事だとおっしゃっていました。

オランウータンのフジコ

※動物園の獣医時代に経験した、こんなエピソードを話してくださいました。

「私ね、獣医ではあるんだけど飼育もやっていたんです。最初の担当はずーっとチンパンジーとオランウータンの人工保育、親が飼育放棄をしちゃった子たちの親代わりをずっとしていたんですよね。ほんと親としてやったらね、(彼らは)すごく賢いから治療を理解してくれる、良好な関係ができたら、注射もできるし、苦い薬もあげることができるし・・・ただ関係ができないと、逆に(彼らのような)賢い動物は難しいですね」

●どうやって寄り添って関係を良好に持っていくんですか?

「動物たちの飼育で、力で抑えようとか、そういうこともあるんだけど、あの子たちは折り合いをつけるっていうか、もう人間関係と一緒、力で抑えるんじゃなくてお互いが信頼するような状況を作らなきゃ、力じゃ絶対無理ですね。

 とにかく信頼関係のためにお互い、それぞれ性格がオランウータンもチンパンジーも個体によって違うから、その性格に合わせた接し方というか、お願いしますっていうようなイメージでやっていましたね」

●ほんとに人対人っていう感じですね。

「もうそうですね。オランウータンなんて特に完全に人と同じぐらいの感覚でしたね。
 私、動物園から離れてもう10何年経つんですけど、そのオランウータンだけは未だに私が行くと覚えていてくれて、なんて言うんだろう・・・作った関係はもう絶対失わないし・・・昔は触る関係だったんだけれど、(オランウータンとの)間に柵があったり、会うと両方ちょっと悲しいことはあるんだけどね。だけど本当に行くだけで、すぐ近づいてくれるし、 子供の頃にしていた遊びを一緒にしてくれるとか、そのぐらい賢いしね、面白い! あの子たちは本当にすべてが面白いですね」

●そのオランウータンは、長野の動物園で飼っているんですよね?

「そう、お母さんが育児放棄っていうか、自分が人に育てられちゃったんで、やっぱり子育てわからなかったんですね。産んで抱っこしたのはいいんだけど、おっぱいのやり方がわかんなかったりとかで、すごくパニックになっちゃったんです。それでうまく育てられなかったってことで、私たちが取り上げて、哺乳瓶で(ミルクを与えて)育てたんです。そういうふうにしてずっと育てたんですよね」

●生まれてすぐの状態から一緒にいたわけですね。

「そう、ず~っといました。ちょうど同じようなチンパンジーもいたんです。同時期に同じのがいたんで、チンパンジーとオランウータンを一緒に(育てていました)。私、前にオランウータンを抱っこして、背中にチンパンジーを背負って、園内散歩をしたりとか・・・」

●もう本当に赤ちゃんですね!

「そうです、同じ同じ!」

●名前とかつけていたんですか?

「フジコ」

●フジコ! それは北澤さんがつけたんですか?

「いや、俺じゃないんですけどね」

●フジコちゃん!

「今でも可愛いですけどね! 可愛いたって、もうおばあちゃんだけどね。頭いいんだよね、すごく頭がいい」

写真協力:北澤 功

(編集部注:北澤さんが赤ちゃんの頃から育て、心を通じ合わせたオランウータンのフジコは、長野市茶臼山動物園に行くと会えますよ。

 北澤さんは、動物園勤務を離れたいまでも、プライベートで動物園に行くそうです。そんな北澤さんから楽しみ方のアドバイス。動物園に行くと、展示されている動物を全部見ようとするかたが多いと思いますが、それよりも、推しの動物に会いに行く感覚で、定期的に行って変化を見つけたり、ポイントを絞って、例えば、きょうは動物の足だけを観察するとか、そんな楽しみ方もありますよとご提案いただきました)

災害時にペットを守るために

※北澤さんの動物病院に来院する動物は、やはりペットの犬や猫が多いと思うんですけど、おもにどんな病気を患っていることが多いですか?

「単純で、猫ちゃんは腎臓病、ワンちゃんは心臓病、(それには)意味があるんです。猫ちゃんは本当は砂漠の生き物だったんです。砂漠の生き物だから水がない、水がないところに生きていたから、少ない水で生きようと思うから、腎臓っていうのは水を再利用しようと考えています。腎臓の能力はすごく高いんです。なので、腎臓が頑張るから、歳をとると腎臓病になる。

 ワンちゃんのほうは狩りをするために心臓がすごく発達しているんです。早く走ったり、長距離を、オオカミですから、(狩りを)やるために心臓の能力がすごく高いから、歳をとるとやっぱり負担がかかるんです」

●季節によって来院する動物って変わったりするんですか?

「冬は猫、夏は犬」

●どうしてなんですか?

「やっぱり心臓病が多くなるのは夏。あと膀胱とか、泌尿系はストレスで膀胱炎になったりしますよね。猫ちゃんはそういう泌尿器系、腎臓から膀胱系はやっぱり冬のほうが(猫は)すごく苦手。寒いのが苦手なのは猫ちゃんで、暑いのが苦手なのはワンちゃんっていうのは生態的にもそうですから・・・」

●残念ながら日本って自然災害が多く発生します。東日本大震災そして直近では能登半島の地震と大災害に見舞われました。最優先はやっぱり人命救助とか被災者の支援なんですけれども、犬や猫を飼っているご家庭で、避難所に行かず車などで生活することを選ぶっていうかたもいらっしゃると思うんです。

 ペットを飼っているかたに向けに、日頃から用意しておいたほうがいいよっていうものとか、災害に遭った時にペットを守る方法などありましたら、ぜひ教えてください。

「まずね、飼うにあたって、ちっちゃなケージだったり、ペットのケースに慣らしとくことが大事です。今まで入ったことないのに急に入ったら、パニックになっちゃうから、普段からそこで寝るとか、なんかあったら、お客さん来たら、そこに入っているようにするとか・・・。

 安心する狭い空間、あの子たちっていうのは、そんなに広くなくても安心な場所が好きだから、その場所だと安心だよってことを慣らしておくと、震災とかあっても、その中に入れてどこかにいてもストレスは少ないです。まだ慣らすことが大事ですね。

 あと、当然ご飯はやっぱりある程度用意してほしい。病気のワンちゃんとか猫ちゃん別ですけど、出来れば、ある程度いろんなものを食べる練習(をしておく)、ただ人間の(食べ物)はダメです。人間の物でもいいのは生の肉、味を付けていない肉とかは全然いいです。胸肉とかそういうのは全然いいです、味ないものだったら。

 お菓子とかは絶対ダメなんだけど、基本的にいろんなフードをちょっと食べさせといて、(災害時に)いろんなもの食べられる状態を作っといてあげると・・・鶏肉なんて食べさせておくといいですよ! 胸肉がね。自分で食べてるのをちょっと湯がいて、たまにあげとくと、筋肉もつくし・・・。そうなった時に鶏肉だけちょっと余っていたら、それも食べることができますし・・・。

 あとね、ペットシート! とにかくペットシートはいっぱい用意しとくといいです。やっぱり汚れがいちばん臭いを呼びますから、みなさん大変ですけど、どんどん替えられるぐらいにしておくと・・・あれは人も使えますから。袋にペットシートを入れておけば、トイレ替わりにもなるから、ペットシートはすごく便利ですね」

写真協力:北澤 功

(編集部注:北澤さんが営む、東京都大田区にある「五十三次どうぶつ病院」は、傷ついた野生の鳥や動物の保護活動をする病院として東京都から指定されていて、これまでに野生のフクロウなどが持ち込まれたことがあるそうです)

ペットと長く一緒にいるために

※北澤さんの新しい本『妄想お金ガイド パンダを飼ったらいくらかかる?』には、実際に飼える犬や猫なども載っていました。当たり前のことなんですが、ペットを飼うと日々お金がかかりますよね。

「お金はかかります、なんでもかんでも。だけど工夫によって、かからない飼い方があるんです。病気にさせなければ医療費はかからない。人間が食べるものをあげなかったら病気はぐっと減る。いっぱい走るのが大好きだったら、いっぱい走らせあげることによって病気が減るとか、お金をかけない飼い方はありますので、それをしっかりやってもらうといいと思いますね。楽しく飼えます」

●ほかに飼う前に何かやっておいたほうがいいことはありますか?

「まずね、調べること! 飼い方を調べること! 私、基本的に生態学が好きなんで生態を学んでから治療に入っていく。なんでこの子は病気になったの? って思ったら、この子はこれを食べるのはダメだからっていうのがあります。そこまで調べなくてもいいけど、ワンちゃんってなんで散歩が好きなの?とか、猫ちゃんは寒いの苦手だよ!とか、それを調べて知っておくだけでも、食べ物をちょっと知っておくだけでも全然違います。知ってから飼うことはすごく大事だと思っています」

●獣医師としてペットには、こう接してしてほしいってありますか?

「いや、難しくないです。好きであればいいんです。好きもただ可愛いんじゃなくて、好きだから長く一緒にいたいから、いい飼い方と良好な関係を作る! それです。でもやっぱり好きだったり、可愛がるっていう気持ちがなかったら、それができませんのでね」

●愛情と、尊重してあげるっていうか・・・。

「いいですね、尊重はいいですね、すごくいいと思いますね」


INFORMATION

『妄想お金ガイド パンダを飼ったらいくらかかる?』

『妄想お金ガイド パンダを飼ったらいくらかかる?』

 北澤さんの新しい本をぜひ読んでください。きょうご紹介した以外にもアザラシやオオカミ、カンガルーやチンバンジーなど、合わせて32種の動物を掲載、もし家庭で飼ったら、いくらかかるのか、そしてどんなことが起こるのか、ぜひ「妄想」して楽しんでくださいね。

 動物が大好きな北澤さんとしては、地球でともに暮らす動物たちに興味を持ってほしい、そんな思いも込めているそうです。日経ナショナルジオグラフィックから絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。

◎日経ナショナルジオグラフィック:
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/product/23/120100061/

◎五十三次どうぶつ病院: https://53tsugi.com

エディブルウェイ=食べられる道〜人と人、人と町の「つながり」をつくる景観〜

2024/3/10 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、千葉大学・予防医学センターの特任研究員で「エディブルウェイ」の代表「江口亜維子(えぐち・あいこ)」さんです。

 江口さんは、石川県小松市生まれ。武蔵野美術大学卒業後、設計事務所に勤務。当時、東京都杉並区にあった阿佐ヶ谷住宅に暮らしていたことで、自然と人、人と人がつながる空間「コモンスペース」に関心を持ち、2013年に千葉大学大学院に進学。木下勇教授の研究室で、環境に配慮した住宅づくりや住民参加の街づくりなどを学んだそうです。そして2016年から「エディブルウェイ=食べられる道」の活動に取り組んでいらっしゃいます。

 今回は、エディブルウェイ・プロジェクトの活動や災害時に役立つ、人と町、そして人と人のつながりについてもうかがいます。

☆写真協力:江口亜維子

写真協力:江口亜維子、大橋香奈

エディブルウェイ・プロジェクト

※まずは、江口さんが進めている「エディブルウェイ・プロジェクト」、これはどんな活動なのか教えてください。

「まず、『エディブル・ランドスケープ』という考え方があります。直訳すると『食べられる景観』で、ランドスケープの中の植栽に果物だったり、実のなる木や野菜、ハーブとか、食べられる植物があって、それで構成された景観のことを言います。で、エディブルウェイ・プロジェクトは、町中でエディブル・ランドスケープをやってみようという活動です。

 私たちがやっているのは、沿道のおうちだったり、お店の軒先、道路に面した小さなスペースにお揃いのプランターを置いて、そこで野菜やハーブとか食べられる植物を、地域のお住まいのみなさんと一緒に育てて、食べられる景観づくりの実践をするというプロジェクトです。

 エディブルウェイっていう名前なんですけど、沿道から見えるところにプランターが置かれているので、プランターが並ぶことでエディブルな道(ウェイ)ができるよっていうことと、あとはエディブル・ランドスケープの方法・・・ウェイには方法って意味もあるので、その方法をみんなで探求していこうという、ふたつの意味をかけてプロジェクトの名前にしています」

(編集部注:研究室のプロジェクトとして始まった「エディブルウェイ」の活動は、2020年から市民参加型の活動となり、現在、江口さん始め、3人のメンバーが中心となって進めているそうです。ほかに、野菜などの苗を育てるボランティアチーム「苗部(なえぶ)」があって、ここには小学生も参加しているそうですよ。

 そして気になる実際の活動場所は、JR松戸駅から千葉大学園芸学部のキャンパスまでの約1キロ、その沿道のお店や住宅など60軒ほどが活動に参加。各軒先には、ロゴを大きくプリントした黒いフェルト製の、バッグのような形をしたプランターが点在し、野菜などが植えられているとのことです)

写真協力:江口亜維子

プランターが育てるコミュニケーション!?

※お店や住宅の軒先にプランターを置くとなると、プロジェクトに賛同してくださるかたの協力が欠かせませんよね。どうやって集めたんですか?

「最初は、当時の研究室の留学生だったり学生だったり、あとは師匠の先生だったりと、その1キロ沿いを一軒一軒訪ねて、エディブル・ランドスケープという考え方があって、町の中でやってみたいと思っているんですが、興味はありますか、もし興味があったら一緒に活動しませんかっていうことで、プロジェクトの説明だったり、エディブル・ランドスケープの説明をして、賛同していただいたお宅から(プランターを)置き始めたっていう感じです」

●お店や住民のかたがたは、すぐに理解ってしてくださったんですか?

「大学周辺のお宅のかたは割と、その当時地域にコミュニティガーデンがあって、大学生との活動に理解があったりするかたが多かったり・・・。
 あと園芸学部のキャンパスは学園祭で苗木や苗、野菜とか売ったりしているので、けっこう地域のかたが買いに来ています。園芸学部周辺のかたは、ちょっとお話をうかがっていると、”これ、園芸学部のキャンパスで買った木よ”とか”このみかんは園芸学部で買った苗木よ”みたいな感じでお話ししてくださるかたが多かったんですよ。すごく暖かく受け入れていただきましたね。

 7軒のご近所同士のかたたちで、その7軒に(プランターを)置き始めたら、同じものなので、すごく目立って、これは何?って、近所で話題にしていただいて・・・。で、口コミであそこの誰々さんも置きたいって言っていたよとか、プランターを運んでいる時に、うちにも置いてとか、そういう感じで、けっこう口コミでじわじわと広がっていったという経緯になります」

(編集部注:プランターに植えてある野菜などの日々のお世話は、各個人の園芸活動の一環としてやってもらっているそうですが、年に2回、植え替え講座や、タネや苗の交換会を実施。参加者のかたが余ったタネや、ハーブの挿木などを交換。中には珍しい野菜などを育てているかたもいて、そこでも情報交換を含めた参加者同士のコミュニケーションが生まれているそうですよ)

写真協力:江口亜維子

※活動するにあたって、何か規則のようなものはあるんですか?

「基本的には規則は特にはないんですけれども、(エディブルウェイ ・プロジェクトは)景観づくりでもあるので、プランターを道から見えるところに置いてくださいっていうことと、食べられるものを植えてねっていうことはお話ししていますね」

●食べられるものっていうことで、育った野菜は食べちゃっていいんですか?

「基本的には、各家庭で育てているものを各家庭で召し上がってくださいって話していて、コロナが始まる前までは、収穫時期の最後のほうに少しずつみんなで持ち寄って鍋をしたりとか、サンドイッチを作ったりとかサラダそうめんを作るとか、ちょっと収穫祭のようなイベントはやっていました」

●いいですね。みんなで集まって食べるっていうのは・・・。

「そうですね。あとはプランターが目立つので、そこでお水やりとかをしていると、道行く人に話しかけられたりするみたいで、そういうコミュニケーションの中で、(育てた野菜を)おすそ分けしたよっていうようなエピソードはいくつか聞いたことがあります」

写真協力:江口亜維子

東日本大震災と阿佐ヶ谷住宅

※そもそもなんですが、このプロジェクトを始めたのは、なにかきっかけがあったんですか? 

「きっかけはいろいろあるんですけど、私が食べる植物を育てることに関心が向いたのは、2011年3月の東日本の震災がきっかけです。その当時は、東京都杉並区にある阿佐ヶ谷住宅という古い団地に住んでいて、やっぱり揺れは揺れて、地震後の数日は都内のスーパーとかコンビニに行っても、物が買えなかったり買い占めが起こったりとかしていました。

 都市で災害に遭うと、なんて言うんだろう・・・死んでしまうかもっていう危機をすごく感じて、計画停電があったりとかもしたので、自分が生きるために何が必要なんだろうみたいなことをけっこう真剣に考えている時期でした。そんな中で食べるものを自分で育てるって大事な気がするなって思いました。

 で、当時住んでいた阿佐ヶ谷住宅は『コモン』っていう、団地内の建物以外の緑地が豊かに計画されている団地で、専用庭もあったりとか、建物と建物の間にゆとりのある緑地帯があったんですね。そこに果物のなる木を植えている人もいれば、専用庭で畑している人もいて、自分もそこで野菜を育てたりもしていたんですけど、真剣に育てたい!みたいなことを考えたりしていました。

 地震でうまく物が買えなかったりとか、心細い思いをしたんですけど、団地で普段、顔を合わせて挨拶していたかたたちと声をかけあったりとか、特に花粉症のすごい時期だったのでティッシュを分けていただいたりとか、耳鼻科を教えていただいたりとか・・・・。

 本当に些細なことなんですけど、当時の自分はすごく心強い経験をして、普段、挨拶程度のつながりでも、地域のつながりってすごく大事なんだなっていうことも同時に感じたっていうことがありました。なので、なんて言うんでしょうね・・・つながりづくりや、食べられるものを育てる、このふたつはすごく大事だなって感じたのが、このプロジェクトを始めるきっかけになる、大もとにあるかなっていうふうに思います」

(編集部注:「エディブルウェイ・プロジェクト」の基礎になっている「エディブル・ランドスケープ=食べられる景観」は、1980年代にアメリカ人のランドスケープデザイナー、ロサリン・クリーシーが提唱した概念だと言われているそうです。

 「エディブル・ランドスケープ」という言い方は比較的新しいものですが、江口さんによれば、実はこの考え方は古代からあって、例えば、エジプトでは庭園の中にオリーブやブドウなど、実がなる植物を植えていた。また、日本でも奈良時代に、街道沿いに果樹の木を植える律令、今で言う法律があったとのこと。お陰で、夏は行き交う人々に木陰をつくり、果実は旅人を飢えから救うことにもなっていたそうです)

災害時にものを言う「つながり」

※あすは、東日本大震災が発生して13年、そして今年初めには能登半島で大きな地震がありました。自然災害の多い日本では、いざというとき、日頃培ってきた人と人との「つながり」がものを言うような気がしますが、改めて、いかがでしょうか?

「なにかあった時に、その時住んでいる地域だったり働いている場所だったりで、顔の知っている人がひとりでもいるっていうことが、すごく心強いんじゃないかなって思いますね。東日本大震災の時の私自身の経験で言うと、普段は挨拶するぐらいのゆるいつながりであっても、困った時とかは、大丈夫ですか?とか声をかけたり、気遣いあったり、助けあったりできるのかなって思いますね」

●「エディブルウェイ」は災害が発生した時に、その地域の人たちを救う一助になるかもしれませんよね。

「そうですね。すごく小さなプランターでの栽培なので、直接的な助けになりますって言い切れないんですけど、エディブルウェイの活動をしている中で、プランターを置いているかたたちが、苗の配布交換会とかで顔を合わせたりしています。本当に世代を超えて緩いつながりができていたりするので、人のつながりという面では(災害時の)一助になるといいなっていうふうには思います」

●都会に住んでいると、なかなか近隣住民と会話する機会も少ないのかなって感じるので(エディブルウェイの)効果は大きいかもしれませんよね。

「そうかもしれないです。今やっている地域も住宅地なんですけど、大学までの通学路でもあって、何もしてない時は、特に誰も知らないし、すごく退屈に歩く15分だったんですね。ただこのプロジェクトを始めたことで、歩いていると必ず知っている人に出会うので・・・」

●いいですね~。

「そうですね。一緒に活動していた留学生はこのプロジェクトに参加したことで、ここの街に住んでいる人たちがすごく親切な人なんだなっていうことがわかって、安心して歩けるようになったって言っている子がいました」

写真協力:江口亜維子

ささやかな園芸活動が広げる未来

※「エディブルウェイ ・プロジェクト」で、今後やってみたいことはありますか?

「今運営のメンバーで話をしているのは、夢や野望になるんですけど、地域の中に拠点を作って、エディブルウェイのプランターで採れるもので作った食だったり、ハーブティーだったりを提供できるようなカフェ・・・あとは、そこに行くとエディブルウェイを始められる資材、プランター、苗とかを買えるような拠点をいつか持てるようになったらいいねっていう話はよくしています」

●このプロジェクトを通して、最も伝えたいことはなんでしょうか?

「本当にこのプロジェクトでやっていることって、プランターをおうちの前に置いて、ひとりひとりの日常的なささやかな園芸活動が主になっているんですけど、そういう個人的な活動も、通りから見えることで町の景観づくりになったり、あとは関係づくりになったりとか、地域の環境を学び合う場になったりっていう、いろんな広がりが出てきています。本当にささやかな園芸活動もこうやって地域の中で発展していけるので、ぜひみなさんも野菜を育てたりとか、そういう活動が広がっていくといいなって思います」

写真協力:江口亜維子

INFORMATION

 現在、江口さんたちプロジェクトのメンバーが直接手掛けているのは松戸だけですが、都内や千葉の団地、商店街、そしてNPO団体などからも問い合わせが入っているそうです。この放送を聞いて、自分が住んでいる街でもこの活動をやってみたいと思われたら、「エディブルウェイ」のオフィシャルサイトやSNSで問い合わせてくださいとのことです。

◎エディブルウェイ:http://edibleway.org/

◎インスタグラム:https://www.instagram.com/edible.way/

あなたが知らないキツネの世界〜コンコンとは鳴かない!?

2024/3/3 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、麻布大学・獣医学部の教授「塚田英晴(つかだ・ひではる)」さんです。

 塚田さんは1968年、岐阜県生まれ。愛知に住んでいた頃に、大学にいったら、野生動物の研究をしたいと思い、大自然なら北海道! という理由で、北海道大学に進学。まずはクマの研究をするサークルに入り、痕跡を探すフィールドワークの面白さに目覚め、その後、長年キツネの研究を行なっている研究室に所属。

 そしてキツネの調査に出掛けるということで、先生に連れて行ってもらったフィールドがなんと! 町中だったそうです。そこで、町中であっても公園や樹林帯など、ちょっとしたすき間を見つけて、上手に暮らしている「都市ギツネ」の存在を知り、俄然興味がわき、キツネの研究をすることになったそうです。

 北海道大大学大学院時代は、キタキツネと人間社会の関わりなどを研究。キツネの研究は30年以上、博士号はキツネの研究で取得。まさに「キツネ博士」でいらっしゃいます。専門は野生動物学、動物行動学など。そして先頃、『野生動物学者が教える キツネのせかい』という本を出されました。

 きょうはそんな塚田さんに、賢いとされるキツネの、あまり知られていない生態や鳴き声、そして優れた能力についてうかがいます。

☆写真協力:塚田英晴

塚田英晴さん

キツネは賢い動物!?

※以前、河川敷に暮らすホンドキツネの写真絵本を出された写真家「渡邉智之(わたなべ・ともゆき)」さんにお話をうかがったことがあって、キツネは私たちが生活しているすぐ近くで暮らしていると、教えていただいたことがありました。

 でも、意外と見たことがある人は少ないように思うんですけど、どうしてなんでしょうね?

「基本的には、私たちは昼間に活動しますよね。夜も暗闇の中で活動したりすることもありますけども、基本的にキツネは昼間には出てこなくて、夜になってから活動するので、彼らと出会う機会がなかなかないってことが、ひとつあると思いますね。

 あと、キツネは群れてなくて、ほぼ単独で生活しているんですね。一頭で歩き回っているっていうような感じなので、見かけることがあっても一頭しかいなくて、私たちを見ると、さっと逃げたりとか隠れたりすると、意外に気づかないっていうことがあるんじゃないかなっていうふうに思いますね」

●キツネは、昔話や童話に出てきて、人を化かしたり、稲荷神社では神様の遣いだったりとか、ほかにもずる賢いなんていうイメージもありますけど、実際のキツネはどういう動物なんでしょうか?

「基本的に肉食性で、獲物を捕らえて食べることがとても好きな動物なので、獲物を捕まえるためには彼らの裏をかいて、ある意味、騙し打ちをしたりとかしないと捕まえられないっていうところがあると思うんですね。なので例えば、死んだふりをして油断させて、ぱっと飛びついたりとか、そんなところが知恵を感じさせるのかなって思いますね。

 あとはハンターに追われたりすると、足跡を犬が追ってきますよね。キツネは追われていることを察して、自分の足跡を追う追手をうまくまくために、『止め足』っていうテクニックを使うんですね。普通に進んでいるように見せるんですけども、ある時、少し離れたところにジャンプして、足跡がついてないように見せかけて、どこに行ったんだろうってわからなくさせる、そんなことをするんですね」

(編集部注:キツネは分類でいうと「イヌ科」に属し、日本に生息しているのは、北海道にいるキタキツネと、本州より南にいるホンドギツネ、そしてギンギツネと呼ばれる、毛色が違うキツネがいるそうですが、種でいうと、いずれもアカギツネだそうです。

 ちなみに世界には12種のキツネがいるとされていて、ほぼ全世界に分布しているとのこと。好んで暮らしているフィールドは、開けた環境で草原があって林があるような、いわゆる里山。おもな獲物はネズミや小鳥などの小動物、ほかにもバッタなどの昆虫、ヤマブドウやサルナシなどの果実も食べるそうですよ)

優れた聴覚で獲物をゲット!?

写真協力:塚田英晴

※初歩的な質問なんですけど、キツネの大きさや体重は、どれくらいなんですか?

「鼻先から尻尾の先まで含めるとだいたい1メートルぐらいですね。尻尾だけで30センチ強といったところですかね」

●体重は?

「4〜5キロなんですよ」

●意外と軽いんですね。

「そうですね。ちょっと重めの猫とか、小型の犬ぐらいの大きさですね」

●やっぱり見た目の特徴でいうと、長い尻尾だと思うんですけれども、この長い尻尾には、なにか役割はあるんですか?

「はい、キツネはネズミを捉える時にジャンプをして捕まえたりするんですけど、空中での姿勢をうまく保つためにバランスを取ったりするのに、長い尻尾は役に立っていると考えられています」

●確かに地面とか草むらに顔から突っ込むような動画を見たことあるんですけど、キツネはどうやって、そこに獲物がいるのを察知するんですか?

「ネズミの場合ですと、キツネが好きなネズミは草と土の間にトンネルを掘って生活しているんですね。なので、動き回ったりするとカサカサっていうような、体が草とこすり合うような音がするんですけども、その音をかなり感度の高い耳でキャッチして、どこにいるのかを正確に突き止めるんです。

 あと音も、左右の耳の聴こえ具合で、音が遠くからやってくるとか、右からやってくるとか左からやってくるとかだいたいわかります。それをすごく感度を高くやることができて、数メートル先にいるネズミの位置をピンポイントで捉えて、ジャンプをして、2.5メートル先で5センチぐらい誤差で捕らえることができます」

●すごいですね! 確かにキツネの耳は大きいですよね。聴覚が優れているっていうことなんですね。

「そうですね。人間だとだいたい、高い音だと2万ヘルツぐらいまでしか聴こえないんですけど、キツネの場合は4万8千ヘルツぐらいまで聴こえるので、およそ2倍ぐらい高い音が聴こえますね」

写真協力:塚田英晴

(編集部注:塚田さんによれば、キツネの視覚は人間と比べると、青色がよく見えていないなど、色の感度はあまりよくないそうですが、暗闇でもよく見え、獲物の動きを探知できるようになっているとのこと。また、嗅覚は優れていて、私たちとは違う匂いの世界を持っているそうです)

キツネの子育て、オスは子煩悩!?

※キツネは基本的に夜行性ということですが、オスもメスも単独で行動しているんですよね?

「基本的には一頭で動き回るっていう感じなんですね。ただ交尾の時期、1月から2月にかけて繁殖をする、交流する時期なんですけども、その時はオスとメスが連れ立って歩く、2頭でよく一緒に歩いているのを見かけますね」

●発情期、いわゆる「恋の季節」は1年に1回なんですね?

「はい、1回ですね」

●縄張りみたいなものはあるんですよね?

「はい、動き回る範囲が決まっていて、その範囲を特定のファミリー、オスとメス、あと子供で一緒に暮らしていて、隣のファミリーとはあんまり交わらないような形で暮らしています。そういう意味でテリトリーなんですけども、だいたい広さは数ヘクタールから数千ヘクタールぐらいまでと結構幅があるんです」

●かなり広いところもあるんですね。

「そうですね」

●出産はいつ頃なんですか?

「出産はだいたい3月から4月にかけてですかね」

●一回の出産で、どれぐらいの子供を産むんですか?

「3頭から5頭、まあ4〜5頭そんなところですかね。哺乳類では本当にメスだけが子育てをすることも多いんですけれども、イヌ科の仲間はオスもかなり子育てに参加する特徴があって、キツネも例外ではでなくて、オスは非常に子煩悩ですね」

●子ギツネはどれぐらいの間、親ギツネと一緒に暮らすんですか?

「同じ行動圏の中に暮らしているのが6ヶ月ぐらいですかね。4月に生まれて10月ぐらいになると旅立っていくっていうような感じになります」

●先ほどおっしゃっていた縄張りを出なきゃいけないってことですか?

「そうですね」

●(子ギツネが)出ちゃったら、そのオスとメス、お父さんとお母さんだけが残るっていう感じですか?

「そうですね。基本的にはオスとメスが残るんです。中にはおもにメスなんですけども、娘が行った先からまた戻ってきたりとか、そのまま残ったりとかっていうこともあって、そうすると拡大家族みたいになったりしますね」

(編集部注:塚田さんによると、キツネの寿命は、生まれて最初の冬を乗り越えると、6年から7年くらい。特殊な例として、キタキツネで14年、生きた個体もいたそうです)

子ギツネが、鳴き真似にだまされた!?

『野生動物学者が教える キツネのせかい』

※キツネは鳴き声をよく出す動物だと本に書いてありました。どんな声を出すんですか?

「よく”コンコン”って言いますね」

●はい、そのイメージがあります。

「あれは、発情期の声なんですね! (鳴き真似)こんな声です」

●へ~〜、ではコンコンとは鳴かないってことですか?

「そうですね。普段は・・・いろいろな声があるんですけども、例えば(ほかの個体に)近づいて甘えたりすると、”ミーミーミー”っていうような声を出します。あとは警戒をしている時、敵が来たぞっていう時は、”フォンフォンフォン(鳴き真似)“と鳴きますね」

●“コンコン”のイメージしかなかったです。いろいろあるんですね。

「はい、この”フォンフォンフォン“は、要するに”ワンワン”にちょっと似ている感じの声ですかね」

●ほかに特徴的な鳴き声はありますか?

「そうですね・・・親が例えば、獲物を巣穴に持ち帰った時、巣穴に隠れている子ギツネを呼び出す時に特徴的な声を出すんですね。喉の奥から”グググググッ”というようなちょっと低い声を出すんですけども、実はその鳴き真似、私、得意です(笑)」

●本にも載っていましたよね!

「そうなんですよ。その鳴き真似をすると、子ギツネが間違えて、ちゃんと巣穴から飛び出してくるんです」

●塚田さんの鳴き声を親ギツネの鳴き声だと思って、子ギツネが出てきたんですね! すご〜い! ちょっと聴かせてください。

「はい、やってみますね。(鳴き真似)こんな声です」

●すごい!

「今すごく喉の奥のほうから出した声なんですけど、これは口に何かをくわえている状態でも出せるんですよ。(鳴き真似)口の先のほうじゃなくて喉の奥のほうで出すので、多分獲物をくわえて帰ってきて、その獲物をくわえている状態でも出せる声なんだと思うんですね。喉の奥のほうから出す“ググっ”という声なんですけども、子ギツネたちがそれを聴くと、(親ギツネが)獲物を持って帰ってきたっていうような感じになるんですかね。それで一斉に巣穴から出てきますよ」

写真協力:塚田英晴

※塚田さんは、どんな方法で野生のキツネの調査をされているんですか?

「昔と今ではだいぶ違うんですけど、昔はどちらかというと、キツネの社会がどんなふうになっているかを調べていたので、キツネの巣穴の前でずっと待っていて、キツネが現れたら、そのあとを追いかけるというような、ちょっと効率の悪いやり方をしていました」

●キツネから警戒されたりとかはしないんですか?

「警戒されますよ。だから、すぐにまかれてしまいます」

●頭がいいんですよね!

「そうなんですよ。だから、まかれないようにずっとずっと根気強くやっていると、(キツネのほうが)またここに来たか! みたいな感じで、それであとをついていけるようになるんです」

●観察中にキツネが見せた行動で、何か印象に残っていることはありますか?

「ずっとつけ回していて、すぐにまかれてしまうんですけども、ある日、私があとをついていくのを許してくれた個体がいて、私がちょっとまかれそうになると待っていてくれて、近づくとまた歩き出して・・・本当に私、この子と友達になれたんじゃないかっていうような気分にもなりましたね。それがとても感動的な思い出としてはありますね」

都市環境を利用する野生動物

※自然環境の変化は、キツネの暮らしにどのような影響を与えていると思われますか?

「私たちはある意味、自分たちが暮らすために森を切り開いて田畑を作って、都市を作っていくようなことによって、(野生動物の)生活場所が脅かされていくんじゃないかっていうようなイメージを受けますよね。どちらかというと、キツネは森林よりも開けた環境が好きなんですね。

 私たちがそういった形で森林を切り開いて、開けた環境を作って、農地を作って植物を生やして、そこにネズミとかが増えるような環境を作ると、実はキツネにとって棲みやすい環境を作っているような気がしますね。

 自分たちが暮らすために生活を改変していく、環境を変えていくっていうことが、逆にキツネにとって棲みやすい環境を作っているんじゃないかなって思います。

 動物なんかいないと思われるような都市の環境でも、最近キツネは入り込んでいて、数を増やしていることが知られています。私たちが作っていく環境、これから都市が地球の中でもいちばん栄えていくような環境と言われていますけども、そういったところでも、したたかに生き残っていけるのが、キツネなんじゃないかなっていうふうに思いますね」

●塚田さんは30年以上キツネを見続けてきて、改めて今どんな思いがありますか?

「やっぱりとてもしたたかで奥深い動物だと思いますね。生き物って多分どんどん変化していくと思うんですけど、(キツネは)そういった変化を非常に短いスパンで見せてくれるような動物なのかなと思っています。そういうところがとても魅力的だし、これからどんなことを見せてくれるのか、楽しみな動物ですね」


INFORMATION

『野生動物学者が教える キツネのせかい』

『野生動物学者が教える キツネのせかい』

 塚田さんの新しい本をぜひ読んでください。童話や映画などに登場するキツネから、野生動物としての生物学的な生態、そして人との関わりなど、キツネに関する幅広い情報を、とてもわかりやすく解説、まさにキツネの教科書的な本だと思います。おすすめですよ。緑書房から絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。

◎緑書房:https://www.midorishobo.co.jp/SHOP/1636.html

シリーズ「SDGs〜私たちの未来」の第19弾!〜カブトムシで世界を救う!? TOMUSHIのビジネス・モデルに迫る!

2024/2/25 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンは、シリーズ「SDGs〜私たちの未来」の第19弾! 今回は「SDGs=持続可能な開発目標」の中から「飢餓をゼロに」
そして「つくる責任 つかう責任」に関係する事例をご紹介します。

 ゲストは、カブトムシの力で有機廃棄物を資源化し、世界の食糧不足にも貢献することを目指すスタートアップ企業、株式会社「TOMUSHI」の代表取締役CEO「石田陽佑(ようすけ)」さんです。

 石田さんは物心ついたときから、ツノが生えたカブトムシが大好きで、双子のお兄さん建佑(けんすけ)さんと夜、近くの森によく、捕まえに行っていたそうです。ところが、なかなか捕れないので、カードゲーム「ムシキング」で知った憧れのヘラクレスオオカブトを、おじいちゃんやおばあちゃんにお金を借りて購入。そして飼育したら繁殖して増えたので、お兄さんと相談して、売ってみようということに。

 そこで、またまた祖父母を説得して、起業のための資金を出してもらい、2019年に地元の秋田県大館市で、TOMUSHIをスタート。実は石田さん、以前、東京で別の事業を立ち上げたんですが、大失敗。TOMUSHIは、再起をかけての出発だったんです。

 カブトムシを育てて販売する事業は当初、とてもうまくいき、絶好調! そこで、調子にのって、銀行から資金を調達し、たくさんカブトムシを育て、もっと儲けようとしたところ、大量に発生した害虫がカブトムシのエサを食べる事態が発生、大ピンチに。そんなときに、銀行から地元で出る廃棄物をエサの代わりにできないかと提案され、試してみたら、ビジネスモデルが大転換したそうです。

 ちなみに社名の「TOMUSHI」を、株式会社の表記を省略し、「株」だけにして読むと「株 トムシ」になります。

 きょうはカブトムシが大好きな石田さんが、双子のお兄さんと立ち上げたカブトムシ・ビジネスの可能性に迫ります。

☆写真協力:TOMUSHI

石田陽佑さん

有機廃棄物をカブトムシのエサに

※TOMUSHIのオフィシャルサイトにもいろいろ説明が載っていますが、事業内容を、ひとことでご紹介すると「有機廃棄物を、カブトムシの力を使って、資源化する」ということですよね。有機廃棄物に目をつけて、最初からうまくいったんですか?

「最初は、とにかくエサをなんとかしなければいけないって必死だったですね。なんとなく昔から、カブトムシは腐葉土を食べるとか、腐ったものを食べるとかあったので、それだったら有廃廃棄物を食べるんじゃないのかなという期待をもとに、そこからいろいろ実験を始めたのがきっかけですよね」

●有機廃棄物といってもいろいろあると思うんですけれど、具体的にどんな廃棄物を
どこから集めてくるんですか?

「いちばん最初に紹介されたのは、いくつかあって、木材廃棄物ですね。それから農業残渣(のうぎょうざんさ)、メインなものでいうと、廃菌床(はいきんしょう)と呼ばれるキノコを育て終わったあとの土台になっている部分で、これも廃棄物になってしまっているので使えないかとか・・・。

 あとは畜産糞尿、牛の糞とかそういったものが使えないかとか・・・こういうところから始まったんですけど、結果的にほとんどどれも(カブトムシは)食べられるんですね。最初こういうのがきっかけで、有機廃棄物の中でも廃菌床、畜産糞尿、それからの木質系の廃棄物に目をつけて始めましたね」

●たくさん量が必要だと思うんですけど、どうやって集めるんですか?

「これが、我々が想像していたよりも、はるかに事業者側のほうが量をたくさん排出してしまっていて、調達というところでは、そこまで苦労することなくできていましたね」

●それをカブトムシの幼虫が食べられるエサにする技術を開発されたっていうことなんですよね? どういう技術なんですか?

「カブトムシといえどもなんでも食べられるかというと、非常に難しいところがあって、カブトムシにとって毒性があったりとか、食べられない状態のものがあるんですね。我々食べさせる前にエサを一度発酵という過程を通すんです。

 発酵というと、キムチとかを想像されるかもしれないですけれども、あれに近くて、大量に微生物が発生して、それによって熱が放出されて微生物が活発になるわけです。その活発になった微生物が、カブトムシの嫌がるものとかを食べてくれることがわかってきているんですね。

 それで最終的には、ある程度熟成させた状態のものを与えると、カブトムシの成長がよりよくなるのがわかって、微生物の組み合わせだとか、カブトムシとの微生物の組み合わせを研究してきていますね」

カブトムシを品種改良!?

※TOMUSHIのもうひとつの特徴として、カブトムシを品種改良したそうですが、どんなカブトムシになったんですか?

「当初、カブトムシを品種改良しようとしたのは・・・いちばん最初、有機廃棄物を食べることがわかった時に、これはもしかしたら、 有機廃棄物をカブトムシが食べるということは、これがタンパク源になるんじゃないかと・・・。そうするとゴミがタンパク質になるんだったら、世界中の食料危機を救えるんじゃないかというのがきっかけですね。

 そこの食料の部分に対して、カブトムシを品種改良というか生産効率を考えていた時に、一年でワンサイクルしかしないと、どうしても採れる量が少ないというところで、これの成長速度が速くならないかというのが最初のきっかけです。

 いろいろ(カブトムシの)サンプリングをして調べていくと、地域によって成長速度が違ったんですね。簡単にいうと、寒い地域のカブトムシほど成長速度が速かったんです。これは冬眠があるから速いんですね。
 冬眠がある期間は成長できないので、早く成長してしまってから冬眠をするという習性があって、この習性を利用できないかっていうので、それとゴミを食べることに特化したカブトムシを掛け合わせて品種改良を行なっていったんです。成長速度が速くて、なおかつゴミを食べられるカブトムシが誕生してきたというそういう背景がありますね」

●もともとのカブトムシ、つまり親はどこから持ってきたんですか?

「あ、これは日本各地のカブトムシを採取してきて、その子孫をとって、成長速度がどのぐらいなのかとか、どれだけ差があるのかとか、そういったものを測定してその中から選抜をして、これとこれを掛け合わせようっていうので、掛け合わせて残してきていますね」

●カブトムシ好きですから、そういう作業も楽しそうですね!

「楽しいですね! もうたまらないんですよ! 趣味の延長線みたいなもんですよね、もうこれは!」

●例えば、外国産のカブトムシが逃げ出して、日本のカブトムシと交雑するとか、自然界に影響を与えるというような心配事はないんですか?

「これは、非常によく聞かれる質問なんですね。基本的にこれも意外と知られてないんですけれども、外国産のカブトムシはそもそも日本の屋外で生活ができるかというと、ほとんどの種類は難しいんです。一部生活できる種類もいるんですけれども、そういったものは特定外来生物みたいなものになっていて、飼育することがそもそも禁止されていたりとか、そういうふうになっています。

 ヘラクレスオオカブトとか、よく耳にするようなカブトムシは外に出てしまうと、おそらくすぐ鳥に食べられて死んでしまうんですね。万が一生き残ったとしても、冬が来てしまうとその段階で死んでしまいます。
 そもそも種類的にいうと、日本のカブトムシと交雑してしまう可能性はないですね、全くないです。 一部の中国のカブトムシとかは可能性があるかもしれないですけれども、ほとんどのカブトムシは、まずそれは可能性としてはないものになります」

収益の3つの柱

※素朴な疑問なんですが、TOMUSHIはどうやって収益をあげているのか・・・カブトムシを販売しているんだろうな〜という想像をつくんですけど、どうなんでしょう?

「我々の収益の柱は大きく3つあるんですね。まずひとつめが単純にプラントとしての販売。カブトムシを育てて、ゴミを処理しながら育てるというゴミ処理機能をセットにしたような形のプラント、これを販売することがまずひとつ」

●廃棄物処理のプラント!?

「そういうことです。それを販売することがまずひとつで、もうひとつが単純にペットとしての販売の売り上げですね。そのプラントから育ってきたカブトムシを我々がすべて買い上げて販売をするんですけれども、ここでの販売の売り上げがもうひとつの大きいところですね。

 もうひとつはイベント事業ですね。廃棄物を食べて育ったカブトムシは、結局高くてなかなか子供たちには手が届かないので、子供たちにも触れ合う機会を提供したいということで、夏の1か月間、夏休みに合わせてイベントをやっているんですね。昆虫展みたいなものです。
 ただの昆虫展ではなくて学べる昆虫展っていうので、SDGsについてカブトムシを通して触れ合いながら学ぶというような、そういう事業をやっているんです。これもものすごくたくさんのかたがたにご来場をいただいて、売り上げの柱のひとつになっていますね」

●プラントの販売っていうのは、具体的にどういうことなんでしょうか? プラントそのものを提供する? それともノウハウを提供する? どういう感じなんでしょうか?

「はい、ありがとうございます。これはどちらもありますね。 プラントそのものももちろん提供するんですけれども、それだけでは運営できないので、そこのノウハウだとか、まさに入口から出口のところまで、ノウハウをすべて提供しながら運営をしていますね」

●現在全国で何か所ぐらいTOMUSHIが手がけたプラントが稼働しているんですか?

「全国で北は北海道から、南は沖縄まで大体30か所ぐらい、各地にあります」

●どのくらいの量の有機廃棄物を処理できるんですか?

「全体の量でいくと大体2000トン程度の量を年間処理していますね。個別にいうと年間10トンのものから、1か所で数百トン処理をしているような、規模の違いはそのぐらいありますね」

(編集部注)カブトムシを飼育しているかたは特に、いくらで販売しているのか、気になりますよね。石田さんによると、数千円から高いものでは数十万円もする貴重な外国産のカブトムシもいるそうですが、平均すると1万円前後での販売だそうです。詳しくはTOMUSHIの、外国産を多く扱っているECサイト「昆虫専門店ビーラボ」をご覧ください。

☆昆虫専門店ビーラボ: https://kabuto-mushi.com

写真協力:TOMUSHI

カブトムシの魅力を世界に発信!

(編集部注)先ほど、カブトムシを品種改良したというお話がありましたが、石田さんによると、品種改良は研究の段階で、日本のカブトムシを中心に一部、外国産も含め、いろいろな種をかけあわせたそうです。
 いまプラント販売で、メインで提供しているのは日本産のカブトムシだそうですが、エサにする有機廃棄物によって、使い分けているので、プラントを販売する際は、先に有機廃棄物のサンプルをもらって、どのタイプのカブトムシが適応するか、試験をして提供しているとのことです。

※世界の人口増加により、食糧不足が懸念されるなか、昆虫食に期待する声も高まっていると思うんですけど、カブトムシの場合、成虫よりも幼虫がタンパク源として活用できるような気がするんですけど、どうなんでしょう?

「タンパク質としては、どちらも近しいような数値にはなると思うんですけれども、生産の効率を考えると幼虫のほうがいいと思っていますね。昆虫食というところでいくと、原料として考えるとやっぱり効率を求められてしまうので、成虫まで育てるよりも幼虫で出荷をしたほうが、生産期間というか製造期間が短くなるので、幼虫のほうが効率がいいっていうことがありますね。

 あと、昆虫食に関していうと、これはよく笑われてしまうんですけれども、カブトムシは甲殻類にあたるんですね。僕は甲殻類アレルギーがあってカブトムシもアレルギーで食べられないっていう、なんていうんですかね・・・共食いしないように生まれてきたんですかね(笑)」

●(笑)なるほどそうなんですね!

「そうなんですよね~」

●カブトムシをペットとして飼育する、文化みたいなものは海外にもあるんですか?

「海外にもあるにはあるんですけれども、日本ほどメジャーなものではないですね。日本だと男性のかただと、ほとんど一度は(カブトムシを)飼育したことがあると思うんですけれども、このレベルで飼育する国は世界各国見ても、おそらく日本だけだと思いますね」

●今後、有機廃棄物をカブトムシの力で資源化して、世界の食料不足に貢献するために世界に打って出ようみたいな、そういうお気持ちもあるんですか?

「もちろんです。資源を解決したいっていうよりも、より根本にあるのは・・・我々カブトムシ好きとして創業した当初、カブトムシってペットだけでしょ! って言われて、非常に悔しい思いをしてきているんです。それがようやく、原料としての可能性とか医薬品に使えそうだとか、様々なことがわかってきて、カブトムシはツノが生えてかっこいいだけじゃなくて、これだけ世の中に貢献ができるんだと・・・それが日本国内では、いろんなメディアにも出させていただいただいたおかげで、広く伝わってきて、”頑張ってるね”ってよく言っていただけるんですね。

 インドの現地に行って、僕がいつも通り、いろいろカブトムシについて魅力を、ここが素晴らしいんですよ! っていうのを伝えたんですけれども、彼らからすると、ほかの虫と変わらないというか、なんかまあ多くいると言ったらゴキブリとか、そういうのとカブトムシは一緒だよねという、そういう扱いなわけですよ。僕もそれを言われた時に、いやいやこれだけすごいし、ツノも生えているんだと! いうのを話すんですけど、”そんなの知らないぞ”って言われてしまうんですね。

 なので、僕らとしては全世界に対して、カブトムシはこれだけ環境にも貢献できて、循環型で資源を循環させられる役割があると、これだけでもものすごく魅力があることだし、それにこれだけのツノがついて立派でしょ! っていうのを全世界に広めていきたいという根本の気持ちとしてはまずあるんですね。そのために、より実際に事業として全世界に向けて提供していきたいという思いがありますね」

日本の文化が作ってくれたビジネス・モデル

※国内での新たな展開はありますか?

「国内のところでいくと、やっぱり先端分野ではカブトムシの、それこそ幼虫の粉末にしたものを原料として、例えば水産飼料とか畜産飼料とか、外国からの輸入に頼っている部分を国産のカブトムシが担えないかというところで、実際に研究だったり実証実験というのが今進められていますね」

●このTOMUSHIのビジネス・モデルはもうオンリーワンですよね?

「そうですね。これもあんまり知られてないんですけど、我々がこうやって事業をやれているのは、本当に日本にこの文化があったおかげですね。
 我々はほぼすべての、全世界のカブトムシ、クワガタを入手することができて、それで品種改良することができるんですね。これは、ほかの国にはない日本の文化が作ってくれた、本当に日本が誇るべき財産ですよね。これのおかげで日本から我々みたいなカブトムシ・ベンチャーが出ていますけれども、ほかの国でこれができるかっていうと難しいですね」

●大好きなカブトムシをビジネスにした今、どんなお気持ちでいらっしゃいますか?

「もともと僕は、朝起きるのがすごく苦手で目が覚めなかったんですけれども、今の事業をやるようになってからは、やっぱり好きなことなんで、なんていうんでしょう・・・ワクワクして目が覚めるという、これが個人的にいちばん大きな違いですね。
 これは本当に一緒に働く仲間も近いと思うんですけれども、ただのビジネスではなくて、自分の好きなことであって、とにかく楽しく仕事ができるっていうのは、僕にとっては天職だと思いますね、これは!」

●すごくカブトムシへの愛が伝わってきました。では最後にカブトムシを見ていて、どんなことを感じますか?

「そうですね~”カブトムシの魅力はなんですか?”って、よく聞かれるんですけれども、分からないんですよ。逆に僕らからすると、生まれて物心ついた頃からずっと好きなので、なぜカブトムシがかっこよくて、なぜ魅力的なのかわからないんですよ。
 逆にみんなそう思っているんじゃないの? と思っているんですけど(笑)、非常に表現が難しいですね。とにかく何か謎の魅力があるんですよ、カブトムシっていうのは・・・見ていてもずっと飽きないというか、フィギュアが動いているようなそんな感覚ですよね」


INFORMATION

 TOMUSHIの事業にぜひご注目ください。プラントやペットしての販売、そして子供たち向けのイベントのほかに、昆虫専門の情報サイト「ムシペディア」なども運営。ECサイト「昆虫専門店ビーラボ」では、へラクレスオオカブトなど外国産のカブトムシを多く扱っています。事業内容や販売について、詳しくはTOMUSHIのオフィシャルサイトをご覧ください。

◎TOMUSHI:https://tomushi.com

◎昆虫専門店ビーラボ:https://kabuto-mushi.com

カナダ北部の小さな町チャーチルで、シロクマを追う〜海が凍るのを待つシロクマたちの未来は・・・

2024/2/18 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、自然写真家の「丹葉暁弥(たんば・あきや)」さんです。

 丹葉さんは北海道・釧路市出身。1998年にカナダ北部で野生のシロクマに遭遇、
それ以来、シロクマの撮影のために、毎年のようにカナダに通うようになったそうです。これまでに、大好きなシロクマの写真集を6冊発表、中でもシロクマが犬を抱っこしている写真が話題になりました。

 そして今月2月27日の「*国際ホッキョクグマの日」に新しい写真集『SOON〜氷の橋を目指すシロクマ』を発表されます。

 きょうはそんな丹葉さんをお迎えし、撮影のために4年ぶりに訪れたカナダ北部のシロクマの実態や、極寒の中でも生きていけるシロクマの秘密に迫ります。

そしてきょうは丹葉さんの最新の写真集のプレゼントもありますよ。応募方法はこちらから!

(*編集部注:ホッキョクグマが置かれている現状を広く伝えるために、カナダを本拠地とする国際的なホッキョクグマの保護団体POLAR BEARS INTERNATION-ALが制定)

☆写真協力:丹葉暁弥

写真協力:丹葉暁弥

いちばん最初に凍る場所

※丹葉さんの撮影のメイン・フィールドは、カナダ北部のどのあたりなんですか?

「私がシロクマたちに会いに行っているのが、カナダにあるマニトバ州、ちょうどカナダの真ん中にある州なんですけれども、そこの上のほうですね。北極圏までは入らないんですが、かなり北極に近いところにあるチャーチルという小さい町があるんですね。そこがメインの取材場所になっております」

●そこにシロクマたちがたくさん生息しているっていうことですか?

「そうなんですよ。地球上にシロクマは2万5000頭ぐらいいるって言われているんですけれども、そのうち、カナダに生息しているシロクマの数がとても多いんですね。中でもチャーチルの周辺には、だいたい2500頭前後が生息すると言われているんですね」

●どうしてその場所に集まるんでしょうか?

「シロクマの生態についても、ちょっと話すことになるんですけれども、シロクマは、海が凍ると凍った海の上でアザラシが子供を産む、そのアザラシを主食として猟に出かけるんですね。私が通っているマニトバ州のチャーチル周辺は、アメリカ大陸の上のほうにあるハドソン湾という大きな海、その海の南西部になるんですけれども、いちばん最初にその海が凍り始めるところと言われているんですね。

 シロクマたちはお腹が空いているので、早く食べに行きたいということで、いちばん最初に凍るところ、つまりアザラシたちが最初に出てくるようなところにたくさん集まるようになったと言われています」

●集まりやすい時期はあるんですか?

「10月の終わりぐらい、10月の最終の週から11月の1週目から2週目と言われています」

●その時期を目掛けて、いつも丹葉さんはチャーチルに行って撮影されているっていうことですか?

「はい、そうなります。その時期になると海が凍り始めるんですね。海が凍ってしまうとシロクマたちは海の彼方に、氷の上に乗ってずっと旅に出てしまうので、出会うことができないんですね。その海が凍る ギリギリのシーズン、それを狙っていくと、たくさんのシロクマたちに会えるわけです」

シロクマが集まる町

写真協力:丹葉暁弥

※シロクマたちが集まるエリアにあるカナダ北部のチャーチルは、どんな町なんですか?

「これがとてもとても小さい町で、カナダの内陸から道がつながっていないんですね。なので、そこに行くには飛行機で行くか、もしくはカナダを走っている鉄道で行かなくてはいけないんです。一応、カナダの鉄道のいちばん最北端の駅がチャーチルという町になるわけです」

●観光名所とかではなく、自然豊かな場所という感じになっているんでしょうか?

「ところが、この場所は日本では最近、結構有名にはなってきているんです。欧米のみなさんは、30年以上前からこの場所にシロクマたちが集まってくるのを知っていまして、一般のかたがたが野生のシロクマを見に行くツアーというのがあるんですね。

 もともとは人間よりも先にシロクマたちが棲んでいたというのが、もちろんあるんですけど、そのチャーチルの町はシロクマたちが、海が凍ると向かっていくと言われる北極、北の方角に町があるんですね。ですから、シロクマたちの通り道ということがあって、シロクマたちがたまに町の中を歩くことがあるんですね」

●人間との軋轢みたいなものはないんですか?

「確かにあります。シロクマたちは約半年間、絶食をしていて、お腹がペコペコなんですね。実は人間たちのお家ですとか、ゴミとかの食べ物の匂いを嗅いで、何か食べ物があると思って町の中に入ってくると・・・。で、そこに人間がいたら、最悪の場合は襲われてしまうということも起こっているんですね」

小さな町チャーチルの変化

※コロナ禍もあって、去年11月に4年ぶりにチャーチルに行かれたそうですね。久しぶりに行って、どうでしたか?

「基本的には人口1000人ぐらいの小さい小さい町なので、大きな変わり方はしないんですけれども、やはりコロナ禍が終わって行ってみると、観光に関してちょっと変化というのが見受けられました」

●例えば、どんな変化があったんですか?

「最近、日本でもいろんなところで耳にすると思うんですが、オーバーツーリズムってありますよね。これがカナダ北方の小さな小さな町にも現れていました。要はシロクマたちに会いに来る、シロクマたちの写真を撮りに来る人たちがとても増えてまして、そのために、そういうカメラマンたちを連れていくツアーみたいな車がたくさん走っているのに驚きました」

●そうなんですね~。地球温暖化の影響を日本でも感じることが多くなってきましたけれども、シロクマを取り巻く環境はいかがですか? 現地で何か変化を感じたりしましたか?

「はい、これは毎年行くたびに感じることなんですけれども、まず最初にはっきり言えることがシロクマの数が、私が最初に言った25年前に比べると確実に少なくなっているということですね。

 私はだいたい現地で車を借りて、シロクマたちを撮影しているんですけれども、昔はそんなに苦労して探すことなく、毎日シロクマたちに会うことができていたんですね。最近は探さないと見つからない、探しても出てきてくれないということが非常に多くなってきました。
 昨年も、それと同じようにシロクマたちがたくさん出てくるというのが、非常に少なくなっているなって感じました」

(編集部注:動物園や水族館で会えるシロクマは、子供は真っ白で愛くるしくて、大人のシロクマはプールに飛び込んだりと、活発に動いているイメージがあります。丹葉さんいわく、野生のシロクマもいろんな表情を見せてくれるそうですよ。

 シロクマの和名は「ホッキョクグマ」、英語名は「ポーラーベア」。体の大きさは、オスで2メートルから2メートル50センチくらい、体重は400キロから500キロくらいで、メスはオスよりも、ひとまわりほど小さいサイズ感です。

 繁殖期は3月から6月くらいまでで、その年の11月から翌年1月頃にかけて1頭から4頭の子供を生むとされているそうですが、丹葉さんが目撃するのは平均的に2頭だそうです。

 子育てはメスだけで行ない、2年から2年半くらいは子供と一緒に行動するとのこと。そんなメスと子供たちの天敵は、なんと、ほかのオスのシロクマだそうですよ。これも自然界の摂理なのかも知れませんね)

写真協力:丹葉暁弥

シロクマの毛の秘密

※シロクマはマイナス何十度にもなる気候の中で生きていますが、体になにか秘密があるのでしょうか?

「寒さ対策ということがいちばんだと思うんですね。シロクマたちはいちばん寒い時には、マイナス60度以下のところでも旅をしなくてはいけないわけなんですね。そのためには、やはり我々人間と同じ哺乳類ですから、どうにもならないところがあります。それを体の構造によって補っているんですね。そのひとつが“毛”にあるわけです。

 シロクマの毛が白だと、みなさん思われていると思うんですけれども、実はよ~く顕微鏡とかで1本1本を観察すると、毛の色は透明なんですね。透明の上にその細~い毛の中に空洞がありまして、そこに1本1本空気が閉じ込められているんですね。それによって空気が太陽の光によって温められて、保温効果があるということになるんですね。

 あとは、毛が二重構造になっています。皮膚に近いところは、だいたい5センチぐらいの長さの細かいふわふわした、ふさふさした短い毛がびっしりと生えているんです。それの上を15センチぐらいのちょっと硬い長い毛が覆っているので、我々人間が防寒下着を着て、ダウンコートを身にまとっているような、そういう構造になっているんですね」

写真協力:丹葉暁弥

●シロクマは、そうやって寒さ対策を体でやっているからいいですけど、丹葉さんはどんな格好でいつも撮影されているんですか?

「これはですね(笑)、基本的には車の中から写すようにはしています。というのが、まずは自分の身を守ることから始めています。これには理由があるんです。もし人間を傷つけてしまったシロクマがいた場合、人間を傷つけたということで、保護局とかのシロクマを捕獲する施設に入れられてしまったり、そういうことが起こってしまい、最悪な場合は殺されてしまうこともあるんですね 。

 自分はシロクマが好きで、野生のシロクマたちに会いに行っているので、シロクマたちが傷つけられる原因が、自分にあったりしたら、本当に本末転倒になってしまいます。ですから、まず自分の体を守るということで、車の中から写すんですね。
 ただし、窓を全部開けてエンジンを切って、外気温と同じ環境で、長い時には3時間4時間ぐらい動かないで、じーっとシロクマたちを見ています。外気温がマイナス20度とか30度になることもあるので、とても寒いですね。

 なので、防寒下着は必要最低限でございまして、その上にフリースですとか着込んだ上に極地用のダウンジャケットを着て、モコモコになって写しています」

最新の写真集『SOON』に込めた思い

※2月27日が「国際ホッキョクグマの日」ということで、それに合わせて、写真集を出されるそうですね。なんというタイトルなんですか?

「今回の写真集のタイトルは『SOON』というタイトルですね。日本語で言うと『もうすぐ』ですとか、そういうイメージがあるとは思うんですね。サブタイトルには『きっともうすぐ氷の橋があるから大丈夫』というような意味もちょっと込めています」

●どんな思いを込めて、このタイトルにされたんですか?

「やはり我々人間もこれから自然環境ですとか地球環境の悪化によって、住みづらい世の中になっていくと考えているんですね。白クマたちもだんだん地球環境の悪化によって絶滅に瀕し、危機が訪れているわけなんですね。それをシロクマと人間たちを重ね合わせて、希望を捨てないで、のんびりなんとかやっていこうというような思いを込めています」

写真協力:丹葉暁弥

●では最後に長年、野生のシロクマを撮影されてきて、今どんな思いがありますか。

「毎年毎年、地球環境が非常に悪くなってきている中で、自分も非常にショックを受けているんです。シロクマを守るために動物を守るために地球を守るために、何をしたらいいですか? という質問をよく受けることがあります。それで無理なことを最初にやってもしょうがないと思うので、まずは自分ができることからは始めればいいかなと思っているんですね。

 そのひとつが、たとえばトイレに行くときにテレビをバチッと消すとか、隣の部屋に行くときに電気を消すとか、それが一瞬でも5秒でも10秒でもやればプラスになるわけですね。やらなければ、ゼロのままじゃないですか。ですから、そうやって自分のできることからやっていくことによって、野生のシロクマたちがなるべく長生きして、これからも地球で我々と一緒に過ごせるようになればいいなと思っています」

☆この他の丹葉暁弥さんのトークもご覧ください


INFORMATION

『SOON〜氷の橋を目指すシロクマ』

『SOON〜氷の橋を目指すシロクマ』

 丹葉さんの最新の写真集をぜひチェックしてください。今回の写真集には未発表作や、昨年カナダで撮ってきた新作も掲載されているそうです。発売は2月27日、トゥーヴァージンズから。詳しくは、出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。

◎トゥーヴァージンズ :https://www.twovirgins.jp/book/soon/

 写真集の発売を記念して、写真展が開催されます。会場は東京タワーギャラリー、会期は2月23日から3月25日まで。ぜひお出かけください。詳しくは、丹葉さんのSNSをご覧ください。

◎Instagram:http://www.instagram.com/akiya.tamba
◎X(旧Twitter):http://twitter.com/AkiyaTamba
◎Facebook:http://www.facebook.com/akiya.tamba
◎Facebookpage:https://www.facebook.com/photographer.tamba

 2月27日の「国際ホッキョクグマの日」を記念して、よこはま動物園ズーラシアでは現在「知ろうくまフェスタ!」が開催されています。シロクマが置かれている環境や、私たちができることを紹介したパネル展示ほか、2月24日と25日には、餌を与えながらの特別ガイドや、ワークショップが行なわれます。

 ほかにも丹葉暁弥さんと、飼育員のかたによる「知ろうくまトーク」も予定されていますが、このトークイベントは定員いっぱいだそうです。詳しくは、よこはま動物園ズーラシアのオフィシャルサイトをご覧ください。

◎よこはま動物園ズーラシア:https://www.hama-midorinokyokai.or.jp/zoo/zoorasia/

<プレゼントの応募方法>

丹葉さんの最新の写真集『SOON』を抽選で2名のかたにプレゼントいたします。
応募はメールでお願いします。
件名に「プレゼント希望」と書いて、番組までお送りください。

  メールアドレスはflint@bayfm.co.jp
flintのスペルは「エフ・エル・アイ・エヌ・ティー」
flint@bayfm.co.jp です。

あなたの住所、氏名、職業、電話番号を忘れずに。
番組を聴いての感想なども書いてくださると嬉しいです。

応募の締め切りは2月23日(金)
当選発表は発送をもって代えさせていただきます。
たくさんのご応募、お待ちしています。
応募は締め切られました。たくさんのご応募、誠にありがとうございました。

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