毎回スペシャルなゲストをお迎えし、
自然にまつわるトークや音楽をお送りする1時間。

生き物の不思議から、地球規模の環境問題まで
幅広く取り上げご紹介しています。

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Every Sun. 20:00~20:54

雲博士に聞く、雲の不思議と珍しい雲

2023/5/7 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、気象予報士の「わぴちゃん」こと「岩槻秀明(いわつき・ひであき)」さんです。

 子供の頃から自然や気象のことが大好きだった岩槻さんは、小学校高学年の時にニュースで気象予報士という国家資格があることを知り、さっそく勉強を始めたそうです。そして絶対に合格するという強い意志のもと、高校2年生の時に、3回目のチャレンジで見事合格!

 そんな岩槻さん、現在は気象予報士、そして自然科学系ライター、さらに千葉県立関宿城博物館の調査協力員としても活躍されています。

 そして先頃、『空を見上げるのが楽しくなる! 雲の図鑑』を出されました。このムック本には、100種類以上の雲の写真が掲載されていますが、そのほとんどが岩槻さんの撮影なんです。

 きょうは雲博士、岩槻さんに雲の不思議や種類、そして珍しい雲のお話などうかがいます。

☆写真協力:岩槻秀明

気象予報士の「わぴちゃん」こと「岩槻秀明」さん

雲のメカニズム

※改めてなんですが、雲はどのようにしてできるのか、そのメカニズムをなるべくわかりやすく解説していただけますか?

「天気の現象で、雲はどうしてできるの?とか、雨はどうして降るの?とか、風はどうして吹くの?って、小っちゃな子供たちからも出てきそうな質問なんですけど、その仕組みを説明するとなると、すごく複雑なんですよね(笑)。なので、いつも大変苦労はしているんですけれども、雲ができるメカニズムはいくつかのポイントがあります。

 まずひとつは空気、その中に目に見えない水蒸気が含まれている。これがひとつポイントですね。空気の中にある水蒸気は空気の温度、気温が高くなるほど、水蒸気をいっぱい持つことができるんですよ。

 で、気温が下がって冷たい空気になると、あまり水蒸気を持つことができなくなるので、持ち切れなくなった水蒸気が追い出されて、小っちゃな水とか氷の粒になって出てくるんですね。ひとつはこれなんです。

 もうひとつは、空気がなんらかの理由で、下から上に持ち上げられると、ふわっと膨らむんですよね。下はすごく空気がいっぱいあって、ぎゅうぎゅうに押し込められた感じなんですけど、上のほうは空気が薄いので広がっていく。まわりから押さえつけられる力がなくなるので、わーっと広がる。で、広がる時にエネルギーを使うんですね」

●エネルギー!?

「はい、膨らむのにエネルギーを使うんですよ。熱のエネルギーを使ってしまうので、使ってしまった分、冷たくなるんです。

 だから今のふたつの前提がありまして、まず空気中に水蒸気を含んだ空気があって、それがなんらかの理由で持ち上げられると、もわっと膨らんで、その時に熱エネルギーを使うので冷やされる。冷えてしまうと、空気は水蒸気をあまり持てなくなるから、その持ち切れなくなった水蒸気が水の粒とか氷の粒になって漂う、それが雲です」

(編集部注:雲の正体は、とても簡単に言ってしまうと、水蒸気が冷やされてできた小さな水滴や、極めて小さな氷の結晶の集まりだそうです)

『空を見上げるのが楽しくなる! 雲の図鑑』

雲は何種類!?

※雲を分類するにあたって、何か基準になるものはあるんですか?

「雲の分類、昔の人はよくやりましたよね。昔、最初にやろうとした人の中には、そんな無駄なことはやめて、別のもっと役に立つことをやれって諌められたっていう話があるくらいで、よくやったなと思うんですけどね。とりあえず今は10種類に分けておりまして、その視点があるんですね。

 まずは浮かんでいる高さ。雲は地上から上空だいたい1万3千メートルくらい、対流圏っていうところで、できるんですけれども、それを3つに分けるんですね。5千から1万3千メートルくらいの間の対流圏上層、それからちょっと被っているんですけど、2千〜7千くらいの対流圏中層、あと2千メートルより低い下層、その3つに分けて、上層にできる雲か、中層にできる雲か、下層にできる雲かっていうのが、まずひとつの視点。

 もうひとつは雲の形というか性質というか、モクモクって上に向かって伸びる性質があるタイプなのか、横にベタ〜っと広がる性質がある雲なのか、あとは筋みたいにシュッシュッシュッてなるタイプなのかという3つ。あと雨を降らせるかどうか、これの組み合わせで10種類になっている感じですね」

羽根雲
羽根雲

●本の中で面白い説明が付いている雲を見つけました。「羽根雲(はねぐも)」って言われている雲がありましたよね。これはどんな雲なのか教えてください。

「文字通り、鳥の羽根みたいな形(笑)」

●それは普通に私たちも見ることができる雲ですか?

「時々出ていますね。筋みたいな『筋雲(すじぐも)』って呼ばれる雲がいっぱい広がっている時に注目して見ると時々できていますね。これがよく出やすいのが飛行機雲ができて、その飛行機雲が時間と共に変化するパターンですかね」

キャッツアイ/猫の目雲

●あと「キャッツアイ」っていう雲もありましたよね?

「ありますね。波頭雲(はとううん)という雲ですね」

●これはどんな雲なんですか?

「これまた、言葉で説明するのが難しい雲なんですけど(笑)」

●さきっぽがくるんって巻いてあるというか、波にようになっていますよね。

「はい、よく言われるのが日本画に出てくる波!」

キャッツアイ
キャッツアイ

●あ〜はいはいはい! まさに波打っている波っていう感じですよね。

「くるん!となった、鎌みたいなというか、それがいくつも並んだ状態で、正式には『ケルビンヘルムホルツ波』っていう舌を噛みそうな名前の風の波、それに雲が巻き込まれてできるものなんですけれども、ケルビンヘルムホルツ波が時間と共にくるっと巻いていますよね。先がどんどん巻いていくんですよ、くるくるくるって・・・。

 最終的には猫の目みたいな形になるので『キャッツアイ/猫の目雲』って言われるんですけれども、そこまでいくまでに崩れちゃうことが多いので、私は綺麗な形の猫の目は見ていないんですよね」

●先ほどもちょっとお話に出ました飛行機雲ですけど、何か定義はあるんですか?

「はい、すごくざっくり言っちゃうと、飛行機によってできる雲なんです。今回のこの雲の本でも使っている国際的な基準があるんですね。雲の分類の『国際雲図帳(こくさいうんずちょう)』っていう、全世界で使われている基準みたいなものがあります。度々改定が重ねられてきて、私が生まれてからつい最近まで、ずーっと同じのが使われていたんですけれど、それが2017年版で改定になったんですね。

 改定前までは飛行機雲って、すごく宙ぶらりんな位置付けだったんですよ。とにかくそれこそ飛行機によってできる雲くらいの位置付けしかなくて・・・今回2017年版できちんと明記されたというか、どうなったかって言いますと、やっぱり10種類のどれかに位置付けることになったんですね。

 氷の結晶でできて、シュッシュッてしているから『巻雲(けんうん)』、人工的なメカニズムでできた巻雲ということに位置づけられました。ただちょっと条件がついたんですよ。飛行機が通ってから10分以上雲として残り続けたら、人工的な巻雲、飛行機の巻雲として認めますよって・・・」

●確かに毎回、飛行機雲って出現するわけじゃないですよね?

「そうですね。空気が乾燥しているとすぐ消えちゃったりとかしますね」

(編集部注:岩槻さんの『雲の図鑑』には、出会える頻度「レア度」がAからDの4段階で表示されています。Aはよく見られる、Bは時々見られる、Cはたまに見られる、そしてDは極めて稀。お話にあった「キャッツアイ」はレア度はCでした)

滝のように溢れ出る雲

※5月から7月にかけて、よく見られる雲はありますか?

「意外に雲って例えば、モクモクした雲は夏の雲で、筋みたいな雲とか羊雲は秋の雲だとか、よくイメージはあるんですけれども、意外に季節的な傾向はありそうでなくてですね」

雄大雲
雄大雲

●そうなんですか?

「そうなんですよ。だから今この季節だから、この雲は出ないなんてことはなくて、多分1ヶ月毎日、丁寧に見ていれば、十種雲形の10種類はちゃんと揃えられると思います。これから夏休みの季節でも十種雲形を集めようと思えば、多分毎日ちゃんと見ていれば、集まると思います」

●自由研究とかいいですね?

「あっ、いいですよね。その中でも5月から7月って梅雨時なので、梅雨にまつわる雲が出やすいかもしれないですね」

●こういう雲が出てきたら雨が降るとか、そういう雲が出てくるってことですか?

「雨雲系ですからね。世間一般的にはあまり嬉しがられない、乱層雲みたいなしとしと雨を降らせるやつ・・・あとは5月くらいだと、まだ冬の名残りみたいな寒波が上空に流れ込んできたりすることがあるので、積乱雲が発達することがありまして、雷雲が見られます。

 5月6月って実は意外に雹(ひょう)が多い季節でもあって、雹の災害に気を付けなきゃいけないんですね。なので積乱雲とかそういった梅雨時の乱層雲とかが比較的よく見られる雲かもしれないですね」

●今まで岩槻さんが見てきた中で強く印象に残っているとか、珍しかったなって思う雲はありますか?

「実はもう数えきれないほどいっぱいありまして(笑)、どれを出そうかってすごく悩むんですけれども、やっぱりいちばん印象に残っているのは、とあるテレビのロケで行った滝雲(たきぐも)。

滝雲
滝雲

 秋の終わりぐらいの冷え込んだ朝に霧が出ることがあるんですけれども、その霧が山と山の窪みの盆地みたいなところに溜まるんですね。その霧がまるで盆地の入れ物から溢れるように、滝のように溢れ出るような感じで動く雲、それを滝雲って言うんですけど、それをテレビのロケで見に行ったんですね。それでロケ日にぴったりと、わーっとダイナミックな光景が見られたのですごかったです」

(編集部注:地形の影響で出現する滝雲、岩槻さんは新潟県の南魚沼で目撃したとのことですが、調べてみると魚沼市にある「枝折峠(しおりとうげ)」が滝雲の有名なスポットで、息を呑むほどの神秘的な光景を見られるそうですよ)

自然と触れ合う、雲をそのきっかけに

※雲は天気の変化や、季節の移り変わりを知らせてくれるメッセンジャーかも知れませんね。

「その通りですよね。まずその季節の変化も感じますし、昔の人はそれで天気の予報をしていましたしね。あとこれからの季節で、いわゆるゲリラ豪雨って呼ばれているような天気の急変、雷雲とか前兆となる雲があります。それを知っていれば、あの雲が出てきたから、ちょっと早めに撤収しようかって逃げることもできますし、まさにメッセンジャーですよね」

●岩槻さんは仕事柄いろんな雲をご覧になっていると思うんですけれども、純粋に雲を見てどんなこと感じますか?

「これは雲の種類とかにもよって変わりますけれども、綺麗な雲を見たら素直に綺麗ってなりますよ。 で、綺麗な雲を見つけた時って、滅多に見られない雲とか憧れの雲を見つけた時って、カメラを構えるんですけど、手が震えるんですよね。だから意外に、あれっ?あれっ? みたいな感じで撮れていないとかなっちゃうっていう、結構冷静なようで感情的に見ているなって・・・(笑)」

●でも、それだけ心揺さぶられるものがありますよね?

「揺さぶられますね〜」

●では最後にこの本『空を見上げるのが楽しくなる! 雲の図鑑』を通して、いちばん伝えたいことを教えてください。

「みなさん、外に出たら・・・なかなか今は、まわりを見渡すとスマートフォンの画面をご覧になっちゃっているかたのほうが多いんですね。それはそれでもいいんですけれども、ぜひ空を見たりとか、あと肌で空気を感じてみたりとかね。

 それから身のまわりの、雲の流れ、風の動き、自然の振る舞いとか、いろいろ感じてみるのもいいと思いますので、外に出た時は自然と触れ合える、雲はそのひとつのきっかけ、ひとつの要素として、ぜひ雲も取り入れてみていただけると嬉しいななんて思っていたりします。
 あと、第二第三の私みたいな雲の図鑑を作るような雲博士が登場して、どんどんこの業界を盛り上げてほしいななんて思っていたりもします」

朝焼け雲
朝焼け雲

INFORMATION

『空を見上げるのが楽しくなる! 雲の図鑑』

『空を見上げるのが楽しくなる! 雲の図鑑』

 岩槻さんが出されたムック本には、100種類以上の雲の特徴が網羅されています。ほかにも雲のメカニズムや眺めるときのポイントなどがわかりやすく解説、写真が大きいので雲の形がよくわかりますよ。マキノ出版から絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。

◎マキノ出版HP:https://www.makino-g.jp/book/b620661.html

◎岩槻秀明さんのオフィシャルサイト:http://wapichan.sakura.ne.jp

南極生活で培った暮らしの知恵〜南極地域観測隊・元調理隊員に学ぶ

2023/4/30 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、南極地域観測隊の元調理隊員「渡貫淳子(わたぬき・じゅんこ)」さんです。

 渡貫さんは第57次・観測隊の調理隊員として、2015年12月から2017年2月まで
およそ1年3ヶ月にわたって、南極の昭和基地に滞在、隊員30名の食事を毎日作るミッションを担っていらっしゃいました。

 そんな南極での活動をまとめた『南極の食卓〜女性料理人が極限の地で見つけた暮らしの知恵』という本を出されたということで、番組にお迎えすることになりました。

 きょうは、隊員たちの胃袋を満たす毎日の献立や、私たちの生活に通じる、ゴミを出さない調理の知恵などうかがいます。

☆写真協力:渡貫淳子

渡貫淳子さん

毎日30人分の食事を朝・昼・晩!

※渡貫さんは青森県八戸市(はちのへし)生まれ。料理の専門学校を卒業後、その学校に就職。結婚・出産のため、退職するも、家事や子育てをこなしながら、飲食業界で調理の仕事を続けていたそうです。

 そして30代後半に、南極に行ってみたいという夢を抱き、3度目のチャレンジでついに合格!ちなみに渡貫さんは、昭和基地史上ふたりめ、民間人としては初めての女性調理隊員だったそうですよ。

 正式に隊員になった渡貫さんの、最初の大きな仕事は、南極に持って行く食材の発注、仕入れ、そして船への積み込み。その量たるや、隊員ひとり1年間で1トン、それが30人分ですから、トータル30トン以上にもなるんです。

 調理隊員はふたり、ということで、相方さんと一緒に入念に準備、電卓をたたいて計算し、発注したあとも、これで足りるかな〜という不安が常にあったそうですよ。

 日本での準備が整った渡貫さんたち南極地域観測隊の隊員は、まず、飛行機でオーストラリアに入り、先に日本を発った「南極観測船しらせ」と合流し、いざ、南極へ。そして、およそ3週間の航海を経て、昭和基地に到着したそうです。

昭和基地
昭和基地

●これは何度も聞かれていることだと思うんですけど、南極にやっと着いた時、どんな気持ちでしたか?

「それがですね、意外とあっけないというか、一面の銀世界じゃないんですよ。南極に着く時はちょうど夏の時期にあたるので、意外と雪がなくて、岩が露出してゴロゴロしていて、茶色! って感じです」

●へ〜〜、想像とちょっと違うという感じだったんですか?

「はい、なんか岩山に来たぞ! みたいなそんな感じなので、イメージとしては何もない真っ白い世界と思っていたのがちょっと違うんです(笑)」

●いざ南極での生活が始まって、越冬隊員30人分の食事を調理担当のおふたりで作るわけですよね?

「そうですね。私たちが作るものしか逆に食べ物がないので・・・日本だったらちょっと缶コーヒーを買いにとか、コンビニに行ったりとかできると思うんですけど、もちろんそれはないので、とにかく食べるものを用意してあげないと、みなさん食べられない・・・ですから、常に作っているそんな日常ですね」

●私も去年結婚して、きょうの夜は何を作ろうって日々思っているんですけど、渡貫さんの場合はそれが朝・昼・晩ですし、しかも30人分ですよね。どうやってこなしていたんですか?

「それがですね・・・私の感覚からすると、そんなに大変じゃないと言ったら怒られそうですけど・・・例えば、おうちでご家族の食事を作っていらっしゃる方も同じだと思うんですよね。家族のために1日3食であったりお弁当であったり、あとおやつを作ったり、みなさんされていることだと思うんです。

 それが人数が少ないか、30人かっていうだけで、私としては普段から飲食業界で、すごく多い人数の食事を作っていたので、全然抵抗なくこなすことができたかと・・・。

 あとは主婦で毎日作り続けることには慣れていたので、ある意味、そこは主婦のスキルが活かせたんじゃないかなって思います」

●とはいえ、南極に持って来た食料の中からやりくりするっていうことですよね?

「まぁそれしかないので・・・(笑)。でも意外と諦めがつくというか、欲しいものがあっても届ける術もないですし、なのであるもので・・・ですから冷蔵庫の中を見てどうしようかなっていうそういう毎日ですかね」

●まず何から使っていくとか、そういったセオリーはあったんですか?

「実はセオリーはないんです。そもそも30〜40トンの食料を一気に運んでしまうと、とにかく段ボールの山なんですよ(笑)。なので正直どこに何があるかを探すのが大変。

 ですから最初のうちは手前にある段ボールを開けて、そこにある食材からとにかく作っていく。時間の経過とともにだいたい冷蔵庫の中身が把握できてくるので、そこからこの材料はちょっと多いから、ここから消費していこうかなみたいな感じで、本当に冷蔵庫の中と相談しながら献立を考えていくという形なので、メニューは考えていかないんですよ」

昭和基地内の厨房
昭和基地内の厨房

人気の献立は普通の定食!?

※朝・昼・晩の定番メニューみたいなものはあったんですか?

「基本的には朝ご飯は、食べる人、食べない人がいらっしゃるので、ビュッフェスタイルで、ご飯食もあり、パン食もあり、ビジネスホテルの朝食みたいな感じですね。

 お昼はやはりみなさん、仕事と仕事の合間に取る食事になるので、さっと食べてまたすぐ仕事に戻れる、もしくは少しでも休憩が取れるように、麺類とかどんぶりだったり、そういったものが多かったかなと・・・。夜は定食のようなご飯とお味噌汁に、メインと小鉢があってみたいな大体それが日常の食事ですね」

●なるほど。渡貫さんの得意料理はなんですか?

「なんですかね・・・実は私もともと和食が専門だったこともあって、そんなにカレーライスを作るほうではなかったんですけれども、 南極だと1週間に1回カレーライスなんですね。カレーライスの時にはやはりみなさんご飯の消費量もすごく多いので、逆に南極に行ってカレーを作るのが得意になったかなとは思います(笑)」

●そうなんですね(笑)。

「あと意外だったのは、やっぱり時々お誕生日とか、何か行事食っていうことで、パーティーのようなお料理を作ることもあるんですけれども、それ以上にきょうのご飯は良かった! とか、美味しかった! って言ってくださるのは、普通の焼き魚定食みたいなものだったり、本当に飾らない日常の食事のほうが反応はよかったなと思います」

昭和基地内の食堂
昭和基地内の食堂

リメイク料理「悪魔のおにぎり」!

※渡貫さんが先頃出された本に生ゴミを出さないための知恵として「リメイク料理」が載っていました。どんな料理なのか、教えてください。

「そもそもゴミを(南極から)日本に持って帰らなければいけないんです。 もちろん、生ごみを生ごみとして持って帰るわけではなくて、最終的にきちんと処理をした状態で、灰にして持って帰ってくるんですけれども、やはり持って帰る以上、ゴミの量を極力減らさなければいけない。そうすると日常で出てくる食事の残り物を減らさなきゃいけない。

 じゃあどうしようかなと思った時に、その日に出した料理をちょっと形を変えて別のものにしてあげて、次の料理につなげていく。そういったことが環境に負荷をかけないためにも必要だったっていう、そんなこともあって生まれた料理かなと思います。

 日本だったらシンクに流せる液体も、なかなか南極ではそのまま処分できないので、たとえば缶詰でしたら、缶詰の固形のところは料理に使う、液体のところはまた別の料理にしてあげるという形で、極力全部、余さず残さず作るような工夫が南極では必要でした」

●そのリメイク料理で有名になったのが「悪魔のおにぎり」ですよね。日本に帰ってこられて、某コンビニチェーンで商品化されましたけれども、考えたのは渡貫さんだったんですよね?

「考えたと言ってもね・・・材料は天かすと天丼のタレのようなものと、青さのりだけなので、そんなにたいそうなおにぎりではないんですが(笑)、私が夜食用に作っていたおにぎりがもとになりました」

悪魔のおにぎり

●本に載っていたレシピをメモらせていただきました(笑)。改めてどんなおにぎりか教えていただけますか?

「私はいつも厨房で、残った材料を使って、夜食のおにぎりを作っていたんですね。実はいろんな種類のおにぎりがあったんですが、唯一そのおにぎりだけ名前がつきました。

 お昼ご飯に天ぷらうどんを作った日だったんですけれども、その日は余った材料が天かすしかなかったんですよ。どうしようかな〜と思って、とりあえず白いご飯はあるので、そのご飯に天丼のタレのような、ちょっと甘じょっぱいタレで味をつけて、天むすのエビが入ってない感じっていうんですかね・・・そんなのを作ろうと思って天かすを入れて混ぜたんです。

 なんかちょっと物足りないんだよなと思って、厨房に余っていた青さのりを入れたんですけど、青さのりのおかげで、すごく香りがよくなって、なんでしょう・・・天かすが入っていて油っぽいのに食べやすい、食べ進むっていうことで、みなさん結構好んで食べてくださったんです。

 ただ問題は、このおにぎりを私が出す時間が22時とか23時なんですよ。夜の時間帯に食べるには、ちょっとこれ、夜に食べちゃいけないよね(笑)。ですけど、みなさん美味しさはわかっているので、どうしても負けてしまう、葛藤しながらも結局負けて食べてしまうので、悪魔的なおにぎりだということで、食べていた人が名前をつけてくださいました」

●それほど、食が進むってことですよね(笑)。

「ちょっと夜中には危険なおにぎりだったと思います」

(編集部注:渡貫さんの仕事は、朝昼晩の食事を作る以外に、日帰りで作業に出かける隊員のためにお弁当作りもありました。冷たくなると美味しくないので保温機能の付いたお弁当箱を持たせたそうですよ。

 忙しい日々を送っていた渡貫さんが、南極でいちばんの癒しスペースと表現している場所が昭和基地の中にあるんです。その場所とは「グリーンルーム」! 野菜を育てるための小さな部屋で、南極で緑が見られるのは、ここだけだそうです。

 実は南極には環境を守るための保護条約があって、土や植物のタネは持ち込めません。そのため、事前に環境省に申請し、許可されたタネを持っていき、水耕栽培で、トマトやキュウリ、モヤシや水菜などを育てたそうです。

 隊員たちにとって、新鮮な生野菜はいちばんのご馳走で、食卓に並ぶと、みんなテンションがあがっていたとおっしゃっていましたよ。

 渡貫さんの本『南極の食卓 女性料理人が極限の地で見つけた暮らしの知恵』には、グリーンルームや収穫した野菜の写真なども載っていますので、ぜひ見てください)

『南極の食卓〜女性料理人が極限の地で見つけた暮らしの知恵』

便利なこと=幸せなのか

※およそ1年3ヶ月にも及ぶ南極・昭和基地での活動を終えて、帰国されてから、なかなか普段の生活になじめなかったそうですね。

「見事に社会不適合になって帰ってきました」

●それはどんなことに違和感がありました?

「まず、いろんなものが溢れているんですよね。物もそうですし、食べ物もそうですし、あと情報も・・・交差点に立った時に、いろんな音が耳の中にうわーっと入ってきて、頭が整理できなくなって、(南極に行く)前は普通にできていた日常生活がこんなにストレスを感じるのかっていうのが実感でした」

●そうなんですね。当たり前すぎて、特に気にしたことはなかったです。

「それが普通の生活だと思っていたんですが、逆にいろんなものに制約があって、必要最低限のものだけで生活をしていた・・・そこから何不自由ない便利な生活に戻ったら、逆に便利なこと=幸せとはちょっと違うのかなって、私は思うようになってしまいました」

●一方で南極滞在中に身についた習慣で、今もやっているよっていうようなことはありますか?

「やっぱりゴミに対する躊躇する感覚は今も抜けないので、いかに自分の日常生活でゴミを減らせるか・・・あとは危険予知と言って、やはり何が起こるかわからない生活だったので、ひとつのことを行なうにしてもいくつかの方法を準備するんですね。

 日本に帰ってきても、たとえば電車が遅延した時にどの手段で目的地まで行くかっていうルートをいくつか用意したり、携帯電話の電源が切れてしまったら、できなくなることがいっぱいあるじゃないですか。なのでメモを取ったりですとか、ちょっとアナログな部分でも同時並行で必ずバックアップ体勢を作るように、これはもう無意識に身についた術なのかなと思います」

●南極での生活は、私たちの今の日常とつながっているんですね。

「多分みなさん、きっと別世界だと思っていらっしゃると思うんです」

●思っていました。

「実はすごく近いというか、逆に災害時の備えにつながったりとか、すごく日常生活に活かせることが多かったと思います」

●食品ロスについてもそうですよね。いろんな知恵がいっぱいありますよね。

「そうですね。みなさん食品ロス削減って言われると、すごく難しいテーマに捉えられがちなんですが、実は本当に日常のちょっとした工夫で減らせることって、いくらでもあるんじゃないかなとは思います 」

写真協力:渡貫淳子

南極での経験を活かして

※では最後に、南極生活から得た経験を今後、どう活かしていきたいか、教えてください。

「それだけのチャンスをいただいて、日本では得られない、ありがたい経験をさせていただいたなっていうのがまずひとつと、これをせっかくなので、日本の生活でも(活かして)、そのままもとに戻るのはもったいないなと思います。自分ひとりができることってたかが知れている小さなことだと思うんですけど、その小さな積み重ねがいつか大きな変化につながれば、そんな思いでこれからもいろんな活動ができたらなと思います」

写真協力:渡貫淳子

(編集部注:渡貫さんは、屋外でペンギンを観察したり、魚を釣ったりという活動もされていたそうです。渡貫さん曰く「ドアの向こうは、むき出しの自然」だったそうですよ。

 ちなみに渡貫さんたちの観測隊が、巨大な魚を釣りあげ、それがニュースになったことがあったそうです。その魚の名前は「ライギョダマシ」、全長はなんと157センチ! 観測隊史上最大の獲物だったということで、日本に持ち帰り、現在は葛西臨海水族園に展示されているとのことです)


INFORMATION

『南極の食卓~女性料理人が極限の地で見つけた暮らしの知恵』

『南極の食卓~女性料理人が極限の地で見つけた暮らしの知恵』

 南極での生活や奮闘ぶりを垣間見られるほか、南極大陸や昭和基地内の写真、そして献立の写真なども豊富に掲載。主婦でお子さんもいらっしゃる、ひとりの料理人の挑戦の記録とも言える一冊です。食品ロスを減らすヒントもありますよ。
 家の光協会から絶賛発売中です。ぜひ読んでください。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。この番組のホームページにリンクをはっておきます。

◎家の光協会HP:http://www.ienohikari.net

 渡貫さんは食品ロスや防災に関する講演活動なども行なっていらっしゃいます。ぜひネットで検索してみてください。

シリーズ「SDGs〜私たちの未来」第12弾〜お花のロスレスブーケ、カラーコスメをアップサイクルしたクレヨン〜

2023/4/23 UP!

 SDGsという言葉、ここ数年で随分浸透してきたように思いますが、いかがでしょうか。SDGsはご存知の通り「SUSTAINABLE DEVELOPMENT GOALS(サステナブル・デベロップメント・ゴールズ)」の頭文字を並べたもので、日本語に訳すと「持続可能な開発目標」。

 これからも地球で暮らしていくために、世界共通の目標を作って資源を大切にしながら経済活動をしていく、そのための約束がSDGs。2015年の国連サミットで採択され、全部で17の目標=ゴールが設定されています。

 この番組、ベイエフエム / ザ・フリントストーンでは「SDGs〜私たちの未来」というシリーズ企画を立ち上げ、これまでにSDGsに取り組んでいる事例をいろいろご紹介してきました。

 今週は、そんなシリーズの第12弾! SDGsの17の目標=ゴールから「つくる責任 つかう責任」ということで、「ロスを減らす、なくす」をテーマにお花の「ロスレスブーケ」、そしてカラーコスメをアップサイクルしたクレヨン「ハロヨン」をクローズアップ! 

 今までにないシステムを作り、イノベーションを起こした、ふたりの女性起業家、「FLOWER」の小室美佳(こむろ・みか)さん、「COSME no IPPO」の大澤美保(おおさわ・みほ)さんにご登場いただきます。

そしてきょうは素敵なアイテム「ハロヨン」を抽選で3名のかたにプレゼント! 応募方法はこちらから!

☆写真協力:FLOWER、COSME no IPPO

可愛くてお得!

写真協力:FLOWER

※まず、ご紹介するのは「FLOWER」という会社が提供している「ロスレスブーケ」です。このサービスはいろんな種類のお花の、可愛くてヴォリュームのあるブーケがお手頃な価格で利用できる、とても優れたサービスです。

 それでは、このサービスを企画し、展開している「FLOWER」の小室美佳さんにお話をうかがっていきます。

 この「ロスレスブーケ」というネーミング、ポイントは「ロスレス」なんですよね。そのことも含め、どんなサービスなのか、ご説明いただけますか。

「ロスレスブーケは、私たちが作った新しいワードなんですけども、端的に言いますと、数量限定で売り切り販売をすることで、そもそも破棄とかロスになる花を生み出さずに販売するサービスです。なので、ロスゼロブーケでもいいんですけど、ゼロに近づける努力をするっていう意味でも、ロスレスブーケと名付けております。

 一般的にはお花屋さんは、やはり(お花は)生物ですし、仕入れた時に花の状態も個体差、人間と同じで生き物なので、個体差がありますし、すべてが売り切れる前提で販売はしていないのが当たり前の業界なんですね。

 いちばん(お花が)綺麗な状態でお客様に届けるって意味でも、仕入れたお花の中でも綺麗なものを選ぶし、かつ売り切れなかった場合に関しては、その分も考慮して売価にちょっと転換させて、お花を売るのが業界の、そういうものだよねっていう考え方があったんです。

 もっと手軽に、もっと新鮮に、もっと可愛いものを人に届けるにはどうしたらいいのかなっていうところを、私たち含めて改めて考えた時に、じゃあ仕入れた分を数量限定で売り切っちゃって販売をすることで、何か新しい仕組みにならないかなって考えた上で、このロスレスブーケが誕生しました」

●確かにサイトに載っている、ロスレスブーケのいろんな種類のお花を見ると、残りわずかっていう表示が出ていますよね。

「そうですね」

●いちばんのセールスポイントは、どんなところにあるんですか?

「いちばんのセールスポイントは、やはり可愛いっていうところなんですけど、もうひとつ・・・いちばんがふたつあるんですけど(笑)、お得っていうところです。可愛いブーケがお得に手に入るっていうのがセールスポイントです」

(編集部注:気になる販売価格は、10本前後のお花のブーケが送料込みで2,200円くらいから。ほかで購入すると3,500円から4,000円ほどのお値段になるブーケだそうです)

お得だけじゃダメ!?

写真協力:FLOWER

※もともとお花の業界とは無縁だった小室さんが、なぜこのサービスを始めるに至ったのか、それは以前、在籍していた会社の仕事が多忙を極め、深夜、家に帰って寝るだけという生活を送っていた頃、ある時、友人の結婚式でお花をいただき、持ち帰って部屋に飾ったところ、そのお花に癒され、「自分の時間」を取り戻すことにつながったそうです。

 そこで「小室」さんは、お花のある暮らしを多くのかたに、手軽にリーズナブルに提供できないかと考え、試行錯誤のすえ、1年半ほど前に「ロスレスブーケ」のサービスを始めたそうです。

●小室さんは、お花の仕入れにも関わっているんですか?

「はい、そうです。もともと定期便(*)も含めて、別の会社のフローリストさんにも入ってもらったりしたんですけど、今回のロスレスブーケってお得だけじゃダメなんですよね。やっぱり可愛くてお得! それを私がなんとなく抱いている、可愛いみたいなものを言語化して、実際に売るところを別の方にやってもらった時期もあったんです。

 でも、うまく伝わらなかったり、やっぱり(花は)生き物なので、実際に思うようにいかなかったりしたこともありましたね。
 私も割とぱっと行動しちゃいたい人間なので、私やってみるか、みたいな感じで・・・経験はなかったんですが、それまでもずっと毎日、花のことを考えているような人だったので、気づいたら知識とかも増えていたこともありまして(やるようになりました)。

 私が仕入れとあと、当日の撮影ですとか、実際に(お客様に)アプリを見てもらう時に、ブーケの(写真に添える)タイトルにも、とてもこだわっているんですけど、そういう編集まわりも含めてやっています」

(編集部注:小室さんの会社「FLOWER」では「ロスレスブーケ」のほかに「ポストに届く定期便」(*)というサービスも行なっています。「ロスレスブーケ」に関しては、毎週90種ほどの新作が登場しているそうですよ)

お花のある暮らし

「ロスレスブーケ」

※部屋にお花があるだけで、ぱ〜っと明るくなるというか気持ちまで晴れやかになりますよね。

「いちばん気軽に自分のテンションを高めてくれるというか、花が目に入った瞬間、風速早く、可愛い! ってなるのって、実は花しかないんじゃないかなと思っています。花か私だったら自分の子供か、みたいな・・・ケーキとかコスメとかも含めて、私のまわりは可愛いものに溢れているんですけど、手軽にかつ可愛いキュン! って思うものは、もしかすると花の力なのかなって最近思っています」

●リスナーさんたちがロスレスブーケが欲しいと思ったら、どのようにしたらよろしいですか?

「嬉しいお言葉です。その場合は、今『FLOWER』というアプリをiOSとandroidでダウンロードできるようになっていますので、検索していただいてアプリをダウンロードいただくか、あとは最近WEBでも注文ができるようになりましたので、まずはちょっとWEBからやってみようかなという、そういう方に関してはインターネットで検索していただいて、そこからご注文いただけます」

●ロスレスブーケのサービスを通して、いちばん伝えたいことを教えてください。

「いちばん伝えたいこと・・・いっぱいあるんですけど(苦笑)、やっぱり私、1ユーザーとして思うのは、花がきっかけで、花のある暮らしを続けることで、自分の時間が好きになるというか、今の私いいじゃん! じゃないですけど、自分の暮らしが好きになるなと思っています。

 それのいちばん手軽な存在で、かつロスレスブーケの場合はお得っていうところもあるので、ハードル低く、自分の理想的な状態を実現できる素敵なツールだと思っています。

 みなさんがなんとなく抱いているお花のある暮らしっていいよね! っていうものを続けることが、もし『FLOWER』で出来るのであれば、すごく素敵な時間を毎日生活の中で続けられるんじゃないかなって、今信じてやっているので、そういう時間がみなさんに増えたら嬉しいなと思っています」


<食品ロスの現状>

 私たちの生活を見てみると、「食品ロス」も大きな課題ですよね。農林水産省のホームページによると、日本では1年間におよそ612万トンもの食料が捨てられているそうです。これは東京ドーム5杯分とほぼ同じ量で、国民ひとりあたりに換算すると、毎日お茶碗一杯分の食料を捨てていることになるとか。

 一方、世界では、まだ食べられる食料が年間およそ13億トンも廃棄されているそうです。

 日本での食品ロスの原因は、大きく分けてふたつ。ひとつはスーパーマーケットやコンビニなど、小売店の売れ残りや返品、飲食店での食べ残し、売り物にならない規格外品などの事業系食品ロスが328万トン。

 もうひとつは、家での料理の作りすぎや、買ったのに使わずに捨ててしまうなど、家庭系食品ロスが284万トンとなっています。

 環境への影響や、世界的な人口の増加による食糧危機を考えると、食品ロスの削減は緊急な課題といっても過言ではありませんね。

 そんな中、日本でも自治体や企業での取り組みが広がりつつありますが、私たちにもすぐできることがあります。例えば、買い物に行く前に冷蔵庫の中やストックしている食材を確認し、無駄な買い物をしない。

 それから、お腹が空いている時やイライラしている時に買い物に行くと、買う予定になかったスイーツやお惣菜など、余分な物を買ってしまうので買い物に行くタイミングを見計らうのも大事かもしれません。

 ほかにもご家庭で、そしてひとりひとりが出来ること、たくさんありますよね。ひとりの小さなことでも、1000人が、10000人が続ければ、大きな削減につながるはずです。


カラーコスメをアップサイクル!

写真協力:COSME no IPPO

※ここからは、カラーコスメをアップサイクルしたクレヨン「ハロヨン」をご紹介します。この「ハロヨン」は、大澤美保さんが進めているプロジェクト「COSME no IPPO」から生まれたアイテムで、使われなくなったカラーコスメを回収し、クレヨンに生まれ変わらせた画期的な商品なんです。

 一箱に5色入っていて、持つと手に馴染む独特なフォルム、そして、箱ごとにクレヨンの色が違うのも特徴なんです。見た目も可愛いし、発色もいいし、中にはラメが入っているクレヨンもあるんです。さらに一般的なクレヨンは1本1本を紙で巻いていますが、「ハロヨン」は巻紙がないのでゴミにならないのもいいな〜と思いました。

大澤美保さん

 そんな「ハロヨン」を開発した大澤さんにお電話でお話をうかがいました。まずは「ハロヨン」というネーミングに、どんな思いが込められているのか、お聞きしました。

「大好きなコスメをアップサイクルして、クレヨンという新しい価値に変えていくっていうことで、その新しいクレヨンに、こんにちは、っていうような意味で、ハロー、それにクレヨンをくっつけた造語です」

●ハローとクレヨンで、ハロヨンなんですね〜。

「はい! そうなんです」

●改めてCOSME no IPPOとは、どんなプロジェクトなのか教えていただけますか?

「美容業界のゴミゼロを目指して活動しているんですけれども、具体的にはお役目を終えた、もう使わなくなったアイシャドウとかチークとか口紅などのカラーコスメを、クレヨンにアップサイクルしてお届けしているというプロジェクトになります」

ワクワクの循環

※カラーコスメをクレヨンにするという発想が素晴らしいなと思っているんですが、そのアイデアはどこからきたのか、お話しいただきました。

「私自身、すごくコスメが大好きなんですけども、やっぱりカラーコスメは何にワクワクするかっていうと、色や発色だったりすると思うので、それを捨ててしまって、さよなら! にしてしまうのではなくて、何かに活かしたいなと思ったんですね。

 (私には)娘がふたりいるんですけれども、娘たちが絵を描いていることとか、世の中を見渡してもアートという業界が盛り上がっていることなどもあって、絵を描くものに変えたいなと考えまして、そこからいろいろ試行錯誤した結果、あの形になっています」

●コスメは、例えばアイシャドウとか最後の最後まで使い切ることって、私自身はなかなかなくって、かといって捨てるのもっていう感じで、どんどん溜まっていってしまうんですけど、悩ましいですよね〜。

「そうなんです。ワクワクして買ったものをワクワクした形に変換するという『ワクワクの循環』というふうに呼んでいるんですけれども、喜んでくださるお客様も多くいらっしゃるので、まだまだもっと多くの方に知っていただきたいなと思って活動しているところです」

写真協力:COSME no IPPO

(編集部注: カラーコスメの回収方法なんですが、「COSME no IPPO」の公式インスタグラムからコンタクトしていただくか、百貨店のイベントでも回収しているそうです。

 「ハロヨン」はプレゼントとして、とても人気で、お子さんだけでなく、大人の女性も使っているそうですよ。大澤さんは今後「ハロヨン」で描いた絵の展覧会を開催したいとおっしゃっていました)

「ハロヨン」

INFORMATION

<「ロスレスブーケ」「ハロヨン」情報>

 「ロスレスブーケ」を取り寄せてみたいと思われたかたは専用のアプリ、またはサイトからご注文いただけます。お値段はブーケによって異なりますが、送料込みで2,200円ほどから購入できます。詳しくは「FLOWER」のオフィシャルサイトをご覧ください。

◎「FLOWER」:https://flowr.is

 「ハロヨン」は一箱5色入り、箱ごとにクレヨンの色が違うのでどんな色が入っているか、開けるときのワクワク感もあります。価格は一箱税込で1,980円。ご注文は「COSME no IPPO」のオフィシャルサイトから、どうぞ。

◎「COSME no IPPO」:https://cosmenoippo.official.ec

<「ハロヨン」プレゼントの応募方法>

「ハロヨン」
「ハロヨン」を抽選で3名のかたにプレゼントいたします。
応募はメールでお願いします。
件名に「プレゼント希望」と書いて、番組までお送りください。

   メールアドレスはflint@bayfm.co.jp

あなたの住所、氏名、職業、電話番号を忘れずに。
番組を聴いての感想なども書いてくださると嬉しいです。

応募の締め切りは4月28日(金)
当選発表は発送をもって代えさせていただきます。
たくさんのご応募、お待ちしています。
応募は締め切られました。たくさんのご応募、誠にありがとうございました。

生き物の世界は謎だらけ! だから面白い!〜研究&論文のエッセンスを楽しもう!

2023/4/16 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、おもにウミガメやクジラなどの海洋動物を研究されている「きのした・ちひろ」さんです。

 きのしたさんは岡山県生まれ。子供の頃から生き物が大好きで、虫や魚をつかまえて、おうちで飼ったり、動物園や水族館に行くのが大好きだったそうです。そして東京大学大学院から東京大学・大気海洋研究所を経て、2022年から名城大学に特別研究員として在籍されています。

 専門は、生き物の行動を、繁殖の視点で研究する「行動生態学」、そして水中に潜る動物の体内で、何が起こっているのかを明らかにする「潜水生理学」ということで、おもにウミガメや海鳥を研究。その一方でイラストレーターとしても活動されています。

 きょうはそんなきのしたさんに、生き物の不思議で面白い行動や生態についてうかがいます。

☆写真&イラストレーション協力:きのしたちひろ

きのしたちひろさん

「バイオロギング」という手法でウミガメを研究

※実はこの番組できのしたさんを知ったのは、葛西臨海水族園のイベント情報で、「ウミガメの研究者で、イラストレーター」と紹介されていて、ぜひお話をうかがいたいと思ったからなんです。

 きのしたさんのおもな研究対象がウミガメなんですよね。どんな研究をされているんですか?

「私は野生のウミガメの、海の中の行動や生態について8年間ほど研究しています。特にアカウミガメという種類のウミガメを対象としているんですけど、ウミガメはマッコウクジラなどと同じように肺呼吸動物であるにもかかわらず、数時間、息をこらえて潜ることができます。
 潜ってそこで何をしているのか、あるいは体の中はどうなっているのかっていうことについて興味を持って調べています」

●水族館では水槽の中を泳ぐウミガメを観察できますけれども、海を広く泳ぎ回って潜ったりするウミガメはどんな方法で研究するんですか?

「(海を)広く泳ぎ回るウミガメたちを、生身の人間が追うのは非常に難しいっていうか無理なので、私たちのチームはウミガメにできるだけ負担にならないような、小型の機械でカメラが付いた、深度とか泳ぐ速度が分かるような装置、データロガーって言われるものなんですけど、これを取り付けて、海の中の行動を追うバイオロギングと呼ばれる手法を使って研究をしています」

●バイオロギング!? その研究方法からどんなことが分かってきたんですか?

「本当にたくさんあるんですね。例えば、私たちはずっと岩手県でウミガメの研究をしているんですけど、そこに来るアカウミガメは結構広い範囲を泳ぐんです。日付変更線を越えるぐらいまで泳いで行ったりとか。

 あるいは、ウミガメは暖かいところにいるイメージがあると思うんですけど、移動経路を見てみると、北方領土の歯舞諸島とかあの辺まで泳いで行っている個体もいることが分かりました。今まで想像していたのより広いなっていうことが分かりましたね(笑)」

(編集部注:きのしたさんによれば、ウミガメは日本にはアカウミガメ、アオウミガメ、ヒメウミガメ、オサガメ、タイマイの5種とアオウミガメの亜種としてクロウミガメが生息しているそうです。ちなみに、千葉県はアカウミガメの産卵の北限にあたり、一宮あたりの砂浜で産卵することがあるそうですよ)

論文のエッセンスをイラストに

『生きもの「なんで?」行動ノート』<

 きのしたさんが先ごろ出された本『生き物「なんで?」行動ノート』を拝見させていただきました。論文で発表されているような内容が元ネタになっているんですね。本には昆虫、魚、鳥、哺乳類など生き物全般の、その行動の理由などがイラストと手書きの文字でとても分かりやすく載っていましたけれども、これだけ多くのネタを集めるのは、すごく大変だったんじゃないですか?

「全部で52個プラス、細々としたコラムが8〜9個くらいあるんですけど、ネタ集めに関しては、学会に参加してすごく面白いと思った話とか、あるいは専門書を読んだりとか、あとは学術雑誌のサイトがあるので、そういったものを行ったり来たりしている間に自然に集まったのかなという気がします(笑)」

●そもそもこの本を出そうと思ったきっかけは、何かあったんですか?

「生き物の不思議とか面白さを取り上げた本は結構あるんですけど、その生き物の不思議がどうやって明らかにされていくのかっていう、そのプロセスに注目した本があまりないなっていうか、多分当時ほとんどなかったと思うんです。

 そういったものを解説するのに、学術論文の流れというのが非常にいいのかなと思っていて、それらのエッセンスだけを抽出して、全部イラストにしてみたら、もしかしたら子供から大人まで楽しめるんじゃないかなっていうので、思い切ってやってみた感じです」

ザトウクジラの「トラップ・フィーディング」!?

※それでは、きのしたさんの本『生きもの「なんで?」行動ノート』から、面白い生き物の生態を、いくつか解説していただきましょう。

 まずは「あせった魚をだますザトウクジラ 」、これはザトウクジラのフィーディング、つまり、どうやって獲物をとって食事をするか、なんですが・・・説明していただけますか?

「ザトウクジラは世界中にいるクジラなんですけど、場所によって、いろんな餌の採り方をします。有名なのが『バブルネット・フィーディング』です。泡を出してカーテンみたいなものを作って、そこに小魚を閉じ込めて、下からまるのみして食べる、そういった食べ方が有名なんですね。

 それ以外にも海底を(あごで)ねこそぎスコップみたいな感じで掘り出して、海底の生き物を食べたりとか、魚が集まっているところに突っ込んで食べたりとか、結構多彩なことをしているんですけど、実はアクティヴに動かないやり方があって・・・(笑)。

 口をぼーっと開けているだけで、魚が口の中にピュンピュン入っていくみたいな・・・『トラップ・フィーディング』って言うんですけど、そういうフィーディング方法が報告されつつあります。

 口を開けると何が起こっているかっていうと・・・そのトラップ・フィーリングをしている場所は、海鳥に追い込まれているような魚たちが多いんです。クジラが影になってやることによって、ここだったら海鳥から襲われない避難所だと思って、魚が勝手に(開けている口に)入ってしまう、それをクジラが食べる、そういったトラップ・フィーディングというやり方が報告されていて、面白いなと思って取り上げました」

写真&イラストレーション協力:きのしたちひろ

●クジラと言えば、ヒソヒソ声で話すミナミセミクジラも本に載っていましたよね。

「そうですね。クジラは沖合にいるだけじゃなくて、割と浅瀬のほうにも寄ってくるんですね。親子で結構コミュニケーションをとっているのが、ミナミセミクジラと呼ばれるクジラなんです。コミュニケーションをとっているのは、それはそれでいいんですけど、その海域にはシャチもいて、シャチは天敵なんですよね。

 見つかると本当にやばいんで、声をできるだけ、親子間ぐらいで聞こえる範囲の、すごくヒソヒソした声で、シャチにギリギリ見つからないぐらいのコミュニケーションの取り方をしているのが、面白いなと思って紹介しました」

●あんなに大きなクジラが小さく囁いているんですね。

「水中はすごく音が通ってしまうので、本当に小っちゃい声だと思います」

フルーティーな匂いでメスを誘惑!?

※きのしたさんの本『生きもの「なんで?」行動ノート』から、続いては「ワオキツネザルの魅惑の体臭」。生き物にとって、匂いは大事なんですよね。

「そうですね。ワオキツネザルが面白い動きをしているのは、結構前から言われていたんですけど、尻尾を手でこすって何をしているんだろう? っていうのをしっかりと調べた研究がありました。

 手の付け根にフローラル・フルーティーの香りがする、臭腺(しゅうせん)みたいな匂いが出る腺があるんですけど、そこから匂いを出して尻尾にこすりつけて、尻尾をブンブン振ることによって、メスにアピールしているというような・・・香水をふるような感じですかね、人間で言うと・・・」

●人間の男性もアピールするためにコロンをつけたりとかしますけど、まさにそんなような感じですよね?

「はい、同じ感じだと思います。(フローラル・フルーティーは)結構いい匂いなのかな? 私も実際嗅いだことはないんですけど・・・」

写真&イラストレーション協力:きのしたちひろ

●へぇ〜、嗅いでみたいですね。ほかにも本にメスのライオンの狩りの話が載っていて、得意なポジションで集団ハンティングをするんですよね?

「これも非常に面白いというか、サッカーとかラグビーのポジションみたいなのが、実はメスのライオンが狩りをするときにはあって、センターとか左右のウイングに分かれているってことが報告されている論文なんです。

 獲物を追い立てる時にみんなが散りじりになるんじゃなくて、それぞれに馴染みのポジションがあって、そこにきちっとハマった時には、狩りの成功率がすごく高まることが分かったっていう研究です」

●本当にスポーツみたいですね。ポジショニングされているんですね!

「本当にそうですね。かっこいいです」

●あと本には、ぐるぐる回る海洋動物の謎というのもありましたね。海の生き物は観察が難しいと思うんですけど、どんな生き物がぐるぐる回ることがわかったんですか?

「ぐるぐる回っているのは本当に理由は謎なんです。機械みたいにぐるぐる回っている動物としては、アオウミガメ、キングペンギン、ナンキョクオットセイ、アカボウクジラ、ジンベイザメ、イタチザメっていうふうに、魚から哺乳類までバラバラで、いろいろと考察はされているんですけど、本当に謎の行動っていうことで紹介しています」

●なんで回るんですか?

「もう本当にこれは、なんで? っていうのはめちゃくちゃ難しいんですけど、(ぐるぐる回るのは)潜水艇とちょっと似ているかなと思っています。潜水艇が深海に潜っていく時に、どっちが北でどっちが南か、方位を定める時にぐるぐる回りながら補正をしていくという動きをします。

 結構それに似ていて、特にアオミガメは生まれた砂浜に卵を産みに行くんですけど、方向転換が必要な要所要所でぐるぐる回っていたので、もしかしたら方向を定めるようなナビゲーションに使っているのではないかと考えているんですね。でも明らかにするのはこれからで、分からないっていうのが今の段階です」

研究とは、研究者とは

※生き物の世界は謎だらけ、だと思うんですけど、だからこそ、面白いんでしょうね。

「そうですね。例えば、夕方になると公園とかにコウモリが飛んでいると思うんですけど、一晩のうちに1000匹近く蚊を食べていて、すごい頻度だと思うんですね。そんな身のまわりで繰り広げられている生き物のドラマ、そういった行動が分かるようになってくると、散歩するだけでも非常に幸せな気持ちになるというか・・・。

 あとは目の前の生き物はいろんな進化の過程があって、今ちょうどここにいるっていうわけなんですけど、例えばこれが少しでも過去のシナリオが違っていたら、全く別の状況になっていたことを妄想するだけでも、すごく楽しいし奇跡的だなと思ったりもします」

●今、研究者としていちばん明らかにしたい謎はありますか?

「動物たちは環境によって、体の中の状況をすごく柔軟に変えることが、クジラやウミガメ、そういったものを通してわかってきました。 例えば餌の少ない環境にいると、人間でもそうなんですけど、飢餓状態みたいになって、体を維持するためのカロリー量とかエネルギー量がどんどん少なくなって、調節されていくことが知られています。

 こんなふうに環境変動に対して、動物がどんなふうに体の中の状況を変えていって、地球温暖化や気候変動とかに対応できるのか、対応しているのか、そういうことを今後明らかにしていきたいなと思っています」

●では、最後にこの本『生き物「なんで?」行動ノート』を通して、どのようなことを伝えたいですか?

「この本では、おっしゃっていただいた通り、生き物の行動の面白い謎をたくさん紹介しているんですけど、それに加えて研究とは何かを本の中でアピールしています。

 研究者は最近、メディアとかにも出演されることが多いと思うんですけど、その研究者たちの普段の研究のプロセスとか、あとは研究者がどういう生活をしているのとか、どうやって研究者になるのとか、そういったものを良くも悪くも知ってほしいなと思って、本の中にコラムをたくさん入れています。

 例えば、お子さんが突然、”僕は生き物の研究者になりたい! 目指したい!”って言ったら、多分困惑される親御さんは多いと思うんですけど、そういった親御さんにも見ていただいて、あっ、こういうものなんだっていう現状を知ってもらいたいっていう、そういうメッセージがあります」

写真&イラストレーション協力:きのしたちひろ

INFORMATION

『生きもの「なんで?」行動ノート』

『生きもの「なんで?」行動ノート』

 この本では、小さなアリから大きなクジラまで、いろいろな生き物のユニークな行動や不思議な生態が、可愛いイラストと手書きの文字で紹介されています。とてもわかりやすいし、楽しめますよ。おすすめです! 
 SBクリエイティブから絶賛発売中です。詳しくは出版社のサイトをご覧ください。

◎SBクリエイティブHP:https://www.sbcr.jp/product/4815612382/

 きのしたさんのイラストレーターとしての活動などについては、オフィシャルサイトを見てくださいね。

◎きのしたちひろさんHP:https://lunlundi.com

白石康次郎、世界一過酷なレース「ヴァンデ・グローブ」に再挑戦!

2023/4/9 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、海洋冒険家の「白石康次郎」さんです。

 世界一過酷なヨットレースと言われている「ヴァンデ・グローブ」は、第1回大会は1989年から1990年にかけて行なわれ、その後、4年に一回開催されています。スタートとゴールはフランスのレ・サーブル・ドロンヌという海辺の町。コースは南半球を一周、およそ4万8千キロ! 速いヨットで80日間ほどで走破!

 世界一過酷と言われる由縁は、単独・無寄港・無補給! つまり、たったひとりで、どこの港にも寄らず、補給も受けないという条件のもとで実施されるからなんです。

 そんなヨットレースの前回大会に参戦し、見事、アジア人として初めて完走したのが、海洋冒険家の白石康次郎さん。白石さんは、これまでにヨットによる世界一周をなんと4回も成し遂げている、日本が世界に誇るトップセーラーなんです。

 そんな白石さんが来年、再び「DMG MORIグローバル・ワン」のスキッパーとして「ヴァンデ・グローブ」に挑戦します。ということで、きょうは「白石」さんをお迎えし、再挑戦する熱い思いに迫ります。

☆写真協力:DMG MORI SAILING TEAM

(c)DMG MORI SAILING TEAM

水平線の向こうに

●今週のゲストは海洋冒険家、白石康次郎さんです。初めまして、小尾渚沙と申します。3年ほど前からこの番組「ザ・フリントストーン」を担当しております。よろしくお願いいたします。
 最初から私事で恐縮なんですけれども、白石さんはTUBEの前田亘輝さんとも親しいんですよね?

「そうなんですよ。兄貴と呼ばせていただいて、何曲かヨットの歌を作っていただいているんですよ」

●実は私もゆかりがあって、私が生まれた当時、父がレコード会社に勤めていて、担当していたのがTUBEだったんですね。

「あ、そうなんですか!?」

●そうなんです! で、女の子が生まれたら「渚沙」にしようって、前田さんが名付けてくださったんです。

「そうなの! ソニー(ミュージック)の!?」

●そうです、そうです!

「そうでしたか! それで渚沙なんですね。名付け親なんですね(笑)。それは素晴らしいね!」

●男の子だったら、忠犬ハチ公の「忠」に武士の「武」で、「忠武(ちゅうぶ)」だったんです(笑)。

「へぇ〜、女の子でよかったんじゃないんでしょうかね〜(苦笑)」

●(女の子で)よかったです(苦笑)

「今度、前田さんに会った時にちょっと言おうかな」

●ぜひぜひ! 白石さんにこの番組に初めてご出演いただいたのが、1994年の10月だとスタッフから聞いているんですけれども、もう30年近くこの番組にお付き合いいただいているっていうことですよね。

「いや〜、こちらこそ! 最初に世界一周したあとですね。つっぱっている頃だったので、本当にお声がけいただいて、ザ・フリントストーンさんとは、なんていうかな、成功も失敗も共に歩んできましたね」

●嬉しいです。94年に世界一周の最年少記録を樹立されたんですよね。

「そう、最初の世界一周でしたね」

●この世界一周は、レースというわけではないんですよね?

「そうです。僕、世界一周したいっていうのは、子供の頃からの夢で、やるんだったらひとりで、つっぱっている頃なんでね(笑)。世界一周してやろうということで、やったのが最初でしたね。で、2回失敗してね。もう、コテンパンにやられて、3回目でやっと成功してね」

●何度も聞かれていると思うんですけど、そもそもどうしてひとりで、ヨットで世界一周しようって思われたんですか?

「これは好奇心です。好奇心です、はっきり言って。僕、子供の頃、鎌倉で育ったんですよ。海岸に立った時に、みんな海を見て何を思うんだろうなって・・・。

 僕は水平線の彼方に思いを馳せて、当時、外国旅行なんかまだまだできない時代で、とにかく好奇心だね! この水平線の向こうには、何があるんだろうっていうのが動機で、飛行機とかいろんな方法あるんだろうけど、僕は船で世界一周したい! というのが夢だったんです」

白石康次郎さん

船が飛ぶ!?

●今年の1月には、来年の「ヴァンデ・グローブ」出場と、その先のチームの目標について発表されたということで、来年も「ヴァンデ・グローブ」に「DMG MORIグローバル・ワン」のスキッパーとして出場されるんですよね。どんなお気持ちですか?

「今回5回目のチャレンジで、チームを立ち上げて2回目になるんですけれども、前回の2020年はセイルを破ってしまって、うまいこと走れなかったので、今回はもうちょっとうまく走りたいかな。船ともコミュニケーションが取れてきたので、もう少し前回よりうまく走れるんではないかと思っていますね」

●前回2020年は、白石さんにとっては初めての新艇で、しかもオーダーメイドだったんですよね?

「そうです、そうです。フォイル艇で、今は船が飛ぶんですよ、半分」

●船が飛ぶ!?

「水中翼船みたいに、風の力で」

●羽があるってことですか?

「そうなんですよ、羽があるんですよ。今の船は特殊で、本当にレース艇ですね。それに初めて乗りました。僕にとっては初めての新艇だったのね。それで出場して完走して、次はそれを改造して、さらにもうちょっと上の順位で回れればなと思っていますね。
 さらに2028年はまた新しい船を作ると・・・僕らのチームは長期計画なので、それに向かって一歩一歩前進していきたいと思っていますね」

●すごいですね〜、夢がありますよね。羽が生えている船は具体的にどれぐらいの大きさなんですか? 

「船の長さは18メートル60フィート、大きいです。マストの高さが28メートルだから(建物でいうと)7階建てぐらい。一般にみなさんが思うヨットよりも大きいですね。そのヨットをひとりで、世界一周すると非常にスピードも出ます」

●もうすでに、共に荒波を乗り越えてきたわけですよね。

「そうです、そうです」

●もちろん愛着もすごくありますよね?

「そうですね! いい船ですよ「グローバル・ワン」は」

(c)DMG MORI SAILING TEAM

自然に敬意を

 白石さんが所属する「DMG MORIセーリング・チーム」はスキッパーが女性を含めて5人、ほかにエンジニアなどのスタッフが10数名、総勢20人ほどの国際的なチームだそうです。

 ベースはフランスのロリアンという港町にあり、そのロリアンには、世界中のトップチームが集結しているそうです。白石さんがおっしゃるには、フランスはヨットが盛んでフランスの国技といってもいいそうですよ。

●ヨットや海から学ぶことも多いんじゃないですか?

「多いです。今SDGsで、持続可能なっていうことをやっていますよね。あれ何かって言ったら、やっぱり人間は自然との関わりなくして生きられないんだよね。簡単にいうと海、山、川ってあるでしょ。これは人間が創り出したものじゃないでしょ、海も山も川もね。だからそこにやっぱり敬意を持っていないと、人間はどんどん苦しくなってくるんだよね。

 それがちょうど今、変革期で、僕なんかの時代は物がなくて、作ろう作ろうという時代だったんだけど、これからはもっと地球とコミュニケーションを取って、我々は地球の外では生きられないので、もう少し地球と共にという考え方がやっと芽生えてきたんじゃないでしょうかね。江戸時代は、そういうのはあったんですよ」

●江戸時代!?

「そうそう、そのものがSDGsだったから、持続可能なものだったんだけど、そうだな〜、産業革命があって石油が掘り出されて、それからちょっと変わってきたかな。今振り返ってみると、ゴミは多いよねとか、僕なんかの時代そうだったのね、公害時代だから・・・。

 でも今やっぱり綺麗のほうがいいよね、多少不便でも。おいしい空気の方がいいよねとか、綺麗な海の方がいいよね、ということで、多分どうでしょうかね・・・みなさんの時代の方が意識は高いんじゃないかな。みなさん今若い人たちは、ファッションもすごくシンプルでしょ」

●そうですね。

「そうそう、ミニマリストみたいに。何も物のない時代で育った人は、物があって幸せになんだよ。で、みなさんみたいに物がある時代に育った人は、別に物があっても驚かないんだよね」

●当たり前だったわけですよね。

「それより大人しく綺麗に生きようっていう、ちょうど今、時代の変わり目、風が変わってきたね。いいことだと思いますよ」

世界一周は日常!?

●「ヴァンデ・グローブ」は、ひとりでどこにも寄らずに長時間レースをしているわけじゃないですか。その間に寂しいなとか、感じたことはないですか?

「僕を見て寂しいと思いますか?」

●まったく思わないです(笑)

「思わないですよね! このまんまですね!」

●でもずっとおひとりなわけじゃないですか、夜も。

「ひとりは面白いよ! あの満天な星を独り占めです、最高だねぇ〜。だから海にたったひとり、地球という最大の星で、地球の最小単位のひとりでいるわけよ。これが素晴らしいわけです」

●ほんとに独り占めですね。

「独り占めでしょ! でね、連絡はなかなかできないので、今、都会でいちばん難しいことができるんだよ。自分と会話、自分との向き合い方が長いね」

●どんなこと考えるんですか?

「何も考えてないです(笑)。早く帰りたいな、ぐらいしか考えたことないんだけど・・・そうそうだから、考えない時間を作るっていうのは、いいね」

●贅沢かもしれませんね。

「今はもう(みなさん)考えすぎ!」

●考えすぎていますね、みんな確かに。

「情報過多、外からの情報が多いんだよね、今の人はひとりでいると。だからみなさんは情報処理が得意なんだよね。携帯電話もなんでもそうでしょ。僕の場合はうちから外へ出す情報発信が多いんですよ。そこがヨットでひとりの魅力かな。寂しいことは何にもないです」

●そうなんですね。でも、聞くところによると、随分昔、レース中に海の上から奥様に何度か電話されたそうですね。

「いやいやいや(電話が)かかってくるのよ!」

●あれぇ〜(笑)

「去年は1回だけかかってきました。僕からかけることほとんどないんだよ。1回なんかね、電話かかってきたわけ。何? って聞いたら”銀行のパスワード教えて”。それから前回の大会は”あんた車検どうすんの?”っていうのが1回かかってきたね。

 その前の大会は”引っ越ししたから”って(世界一周の間に)引っ越しされました! そういう電話が大体、世界一周で1回かかってくるんですよ。来年はなんだろうね(笑)」

●面白い〜(笑)。来年「ヴァンデ・グローブ」に挑戦することを知って、奥様はなんとおっしゃっていたんですか?

「え、何も・・・うちら家族、娘もいるんだけど、娘が生まれてからもう3回世界一周しているかな。だから世界一周が日常なんですね」

●わぁ〜かっこいいですね。すごいことですよね。

「お父さんは世界一周して帰ってくる人なので・・・」

●ずっと家にいるのは、もう考えられないっていうことなんですかね。

「はい、だから世界一周して帰ってきても(娘は)携帯電話を見ながら”おかえり!”、それだけですね、以上ですね」

(編集部注:白石さんのご家庭では、ヨットレースの話は出ないそうですよ。きっとそれは奥様の心遣いだと思いますが、白石さんがヨットレースに夢中になれるのは、やはりご家族の存在が大きいのではないでしょうか。今後、できるなら、奥様やお嬢さんにもお話をうかがってみたいですね)

世界一周は「確かめること」

※白石さんは、世界一周を果たしたあとに、何を学びましたか?と、よく聞かれるそうです。そんなとき、白石さんはこう答えるそうです。

「確かめたんですと、これでいいんだと。世界一周は確かめることなんです、学ぶことではないんですね。だから人生はよく学びだっていう人がいるんだけど、僕はちょっと違った考え方で、学びは知らないことを知ることじゃない? 僕は自分は何者であるか、確かめるのが人生ですよ! って言っているんですよ。

 (それぞれ)すべてを持っていて、すべてがあるんだよね。それを確かめることで、学ぶことではないんですよ。自分以外にはなれないってことを覚えといて、自分らしくないと苦しいんです」

●人と比べてしまったりとか・・・。

「そう、そうすると孤独を感じるんです。だから海の上でも(僕が)孤独を感じないのは合っているんだよね。合っているんですよ、それでいいんですよ」

●やっぱり夢の力っていうのも大きいですよね?

「大きい大きい。だから苦しいことをやっているわけではないんです。苦しいことをやった先に何があるかっていうと、もっと苦しむんだよ。みんな勘違いしちゃダメよ。苦しさの先に楽があるんじゃないんだよ。楽しさの先に楽があるんだよ。

 だから間違って苦しんでいる人はすごく多くて、苦しいでしょ。何を言っているかって、それ違いますよってサインなんだよ、苦しいってことは。違っているのに、さらに頑張って苦しくなっちゃうんだよね」

●白石さんは厳しいレース中も、心身ともに楽しいってことですか? 

「そうそう、要するに(ひとりで世界一周は)大変ですよ。たったひとりで眠る時間もないし寒いしね。でもやりがいがあるんだよね。で(自分に)合っているから乗り越えられるんで、これは人に頼まれたわけではないんですよ」

●やりたいと思っているからってことですよね。

「人に頼まれたら、まず乗り越えられないです、苦しくて。たったひとりで海が楽しいと思う人と、孤独って思う人がいるんだよね。これ解釈なの。たったひとりでも人によって違ってくるんだよ。ここがポイントなんだよね。あんまり無理しないで自分らしくあるってことかな」

●26歳で初めて世界一周を果たした白石さんは、今でもヨットや海に対する思いはまったく変わらないですか?

「変わらないですね。まだ幼稚園を卒園してないですよ。何も変わらないですね。おもちゃの大きさだけです、変わったのは。おもちゃがどんどん大きくなっただけで、それだけですね」

●では、最後に来年も世界一過酷なヨットレースと言われる「ヴァンデ・グローブ」に出場する白石さんにとって、最高のレースとはどんなレースでしょうか?

「前回は、結構トラブルが多かったので、なんていうかな・・・気持ちよく走りたいね。気持ちよく走るのが最高のレースじゃないかな。みんな楽しく、思いっきり「ヴァンデ・グローブ」を楽しみたいなと思いますね。次は何が待っているんだろうね。

 僕がトラブれば、トラブルほど、まわりが喜ぶんだ、またこれが! 喜ばせたくないね! つまんないって言わせたいの! 僕の夢はまわりに”白石さん、つまんなくなりましたね!”って言わせたいね(笑)」

●またお話を聞かせてください。期待しています!

(編集部注:今後、白石さんは予選会のようなレースに出場しながら、ヨットを調整、来年11月10日スタート予定の「ヴァンデ・グローブ」に備えることになっています。今後の動向に目が離せません)


INFORMATION

 白石さんが所属する「DMG MORIセーリング・チーム」ではセーリング・アカデミーを開設、外洋セーリング界で活躍できる人材発掘と育成を目的に若手の登竜門といわれている大西洋横断レース「ミニトランザット2027」への出場・完走を目指す研修生を募集しています。

 募集人員は4名、応募の締め切りは4月30日。年齢、性別は問わないとのことですので、ヨットレースにチャレンジしたいというかた、ぜひご応募ください。

◎「DMG MORIセーリング・チーム」HP:
https://en.dmgmori.com/company/dmg-mori-sailing-team-jp

 白石さんの最新情報含め、詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。

◎白石康次郎オフィシャルサイト:
https://kojiro.jp

次の世代に! 〜「地球元気村」35年目の決意

2023/4/2 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、冒険ライダー、そしてNPO法人「地球元気村」の大村長「風間深志」さんです。

 風間さんは1950年生まれ、山梨市出身。1982年に日本人として初めて「パリ・ダカールラリー」に参戦、さらに、バイクによる史上初の北極点と南極点に到達など、前人未到の大冒険に挑戦され、輝かしい記録を残されています。

 そんな風間さんが1988年に仲間と設立したのが「地球元気村」で「人と自然が調和している社会」の実現を目指して作られたプロジェクトです。

 きょうは、人も地球も元気になる活動の最新情報などうかがいます。

風間深志さん

番組タイトルに込めた願い

 風間さんにお話をうかがう前に、新年度ということで、改めて番組タイトルについてご説明しておきましょうね。

 「フリントストーン」は「火打石」という意味がありますが、実は1960年代に日本のテレビでも放映されたアメリカのアニメーション「原始家族フリントストーン」にもあやかっています。原始時代は人間が自然を壊さず、その恵みをいただきながら、ともに生きていた時代、ということで、今も、そしてこれからも、そうあって欲しい、という願いが込められています。

 そんな番組「ザ・フリントストーン」のシンボルが風間深志さんなんです。
 それでは風間さんにお話をうかがっていきましょう。

地球元気村の思い

●今週のゲストはこの番組の記念すべき第1回目のゲスト、冒険ライダーそして地球元気村の大村長、風間深志さんです。よろしくお願いいたします。

「はい! よろしくお願いいたします。大村長っていつも言ってくれるんだ、毎年ね。何が大村長かなと思うんだけど、大村長の風間です!(笑)よろしくお願いいたします」

●こちらこそ、お願いいたします。この番組「ザ・フリントストーン 」がこの4月から32年目に入ったんですけれども、風間さんが仲間とともに作ったNPO法人「地球元気村」は今年で35年目になるんですよね?

「はい、もう35年、あっという間ですね」

●あっという間ですか?

「35年前と今は変わんないから面白いね。自然っていうものに対してのテーマ、みんなやっぱり自然が好きだね。
 昔は自然を好きになってくれっていうメッセージを、広く訴えていこうってことで始まったけど、今は空前のキャンプブームだよね。なんかもうアウトドアの洋服とか、そういったものを普通に街でも着るのが当たり前になったしさ。そういう意味ではすごく普及したけど、人は自然が常に好きだなっていう感じは、今も昔も変わんないなと思って見ています」

●風間さんには、毎年4月の第1週目にご出演いただいているんですけれども、30年を超える長いお付き合いということで、本当にありがとうございます。

「昔ね、4月1日に、むちゃくちゃホラ話をしたのよ(笑)っていうのが思い出。俺は太平洋でトビウオになるとか言っちゃってさ(笑)。トビウオになってどうするんですか? アメリカまでトビウオで行くのさ!(笑)みたいな、そんな話をよくしたよね(笑)。今は通用しないんだよ、そんな話。いいよ!(きょうも)嘘話でも」

●ダメです、ダメです(笑)

「ダメですか。きょうはちょっとリアリティを持っていくんですね」

●お願いします。改めて地球元気村のテーマを教えてください。

「そういう意味では、昔より今のほうが馴染んだかも知れないね。要するにもともと足もとにある自然と、もうちょっと仲良くしながら、会話をしながら、文明文化を進めていきましょうよっていうメッセージなのね。

 (「地球元気村」を設立した)当時1988年、思いっきり工業化とか、思いっきり生産力を高めていくっていう、国とか世界中はそっちの方向に必死になっていた時代で、時はバブルという時だったんだよね。

 そんな時にやっぱり足もとをもうちょっと見て、そして人間は自然に触れながら、子供を育てたりとか、やっぱり伝統文化っていうものをもうちょっとちゃんと継承しながら、人間らしくっていうと変だけど、何が人間らしくだよっていう感じになるけどね。やっぱり人間には自然は不可欠だし、自然との調和社会を目指していきましょうっていうわけで・・・。

 折に触れて自然との触れ合いで・・・アウトドアのことが最初はちょっと多くて、なんだか俺はアウトドアの伝道師みたいだなって・・・。
 別にアウトドアに限ったことはなくて、村祭りにしても郷土芸能にしても、そういった日本の古き良き文化を、みなさんに伝えながらいきたいなと。でも結果、みなさんが好きだったのは、自転車に乗ったり、川で釣りしたりとか、そういうのが好きだから、アウトドアをメニューにしながら、自然と触れ合うきっかけをここまで作ってきました」

(編集部注:「地球元気村」といっても特定の場所があるわけではなく、豊かな自然が残る市町村と連携するなどして、自然体験型のイベントを開催してきたそうです。風間さんは「地球元気村」をひとつの「理想郷」と表現されていました)

地球元気村ファーム「天空のはたけ」

●地球元気村のホームページや会報誌を拝見すると、ここ数年、風間さんは農業に視線を向けていらっしゃるのかなって感じるんですが、どうですか?

「あ、見てくれた? ありがとうございます。まあそうだな・・・地球元気村の真髄は結局(シンボルマークの)地球元気村の焚き火の炎みたいなのがあるでしょ。あれはとりあえず焚き火の炎なんだけど、実は命の炎なんだよと、命のときめきを表していまして、それは元気の証拠でもあるよね。

 人間が醸し出す、元気や喜びや幸せは、どっから来てるかって、やっぱり自然から来ていて、足もとの土をいじって、そこに作物を育てて、それを食して、人間は命から命をつないでいくっていう、その循環がうまく、滞りなくスムーズにいくことが健康のひとつの循環ね。

 みなさん(お店で)買ってくれば(手に入る)ホウレン草やネギを自分で作って、そしてそれは土から生まれて、土の元気がネギの葉っぱに伝わって、その葉っぱを食べることによって、僕らに元気が伝わってくるっていう循環型ね。そういったことを意識してもらうために農業をやっているんだけどね。

 もうちょっと言えば、そこで見てもらいたいのは、命なんですよね。命は、スプーン一杯の土の中にも70何億の微生物がいて、生命なんだよね。その生命そのものが、強い生命力を持っていることが、我々の元気であるっていうことを考えようよということだよね。分かり切っているけど、なかなかこれは忘れちゃうんだよね」

●そうですね。山梨市に地球元気村ファーム「天空のはたけ」というものがありますよね? それはどんな畑なんですか?

「それはね、天空のはたけなんですよ!(笑)」

●あははは〜(笑)。広さはどれくらいあるんですか?

「えっとね、どんぐらいあるかな・・・3000坪ぐらいあるかな。畑が46区画あって、標高が700メートルぐらいの、ちょっと高いところにあるのね。そこから見下ろすと時々、甲府盆地がたなびく雲の下に見えたりとか、正面には富士山がどんと五合目以降、顔を出して、おーい、こんにちは! みたいな感じで挨拶ができるわけ。だからそこを『天空のはたけ』って名付けたんですよ。

 みなさんすごく喜んでくれて、そこが嫌だっていう人は誰もいない、大人も子供を喜んで、その大空間の中で、心も体も羽を広げるっていう気分なんだよね」

(編集部注:お話に出てきた「地球元気村」のトレードマークは焚き火の炎で、ロゴも含めて制作されたのは、段ボール・アートで知られるアーティスト、現在は東京芸術大学の学長でいらっしゃる「日比野克彦」さんなんです。どんなマークとロゴなのか、ぜひ「地球元気村」のホームページを見ていただければと思います)

美味しいは農業から

風間深志さん

※山梨市にある地球元気村ファーム「天空のはたけ」では、ジャガイモやサツマイモなどを育てているそうです。去年は、オリーブの木も植えたそうですよ。ほかにも村民のみなさんと味噌作りを行なったり、秋には収穫祭を開催し、大地の恵みをわかちあっているということですが・・・天空のはたけで作物を育てたり、収穫したりする作業からどんなことを感じますか?

「畑に来るってことは、土をいじるってことは、命とちょっと触れ合うってことになるんだけど・・・そうだね〜“美味しい”を感じるね! いつも畑に行くとね、昼飯が美味しいんだよね。それに入れ込む大根にしても、人参にしても作るからね。だから特に美味しい。なんだろ・・・農業から始まんのかな、美味しいは! 本当に汗をかいて、美味しくて、作業をして、語りをして、大人も子供も跳ね回ると、この世の楽園ですね!」

Jomonさんがやってきた!

※「地球元気村」では、縄文大工「雨宮国広(あめみや・くにひろ)」さんのプロジェクトを応援されています。以前、この番組にも出てくださった雨宮さんは、縄文時代の人たちがそうであったように、石斧(いしおの)だけで木を倒し、加工する特別な大工さんなんです。

 そんな雨宮さんが進めているのが「Jomonさんがやってきた!」というプロジェクトなんですが、どんなプロジェクトなのか教えてください。

「あのね、もう元気村と同じね。縄文時代は1万数千年続いたんだよね。それだけ長く続いたのは、平和で安定した時代だったんだろうと。その人たちのライフスタイルが何かっていうと、自然と密接につながって、自然の摂理とか原理原則みたいなところから、はみ出していないライフスタイルをやってきたから、長く続いたわけ、無理がないからね。

 人間は物を作るから、そういう時に手に持ったものは、鉄のアックスじゃなくて石の刃に枝をつけて、それで木を倒したりね。言ってみれば、石斧(いしおの)の文化だね。それを通じて人間本来の、縄文時代にやっていた人間の生き方、それから生き方による考え方、方向性をもう1回考えてみましょうよっていうメッセージなんだよね。

 雨宮さんが何をやっているかっていうと・・・例えば、鉄斧(てつおの)は石斧よりか9倍とか10倍の威力を持ったわけだ。つまり作業が早くはかどるわけ。その分、手返しっていうか、早い分、人間はそれに追いつくために無理をするんだよね。

 人間には人間のサイクルがあるよね。つまり人間にはひとつの一定した心拍があり、生きてくための呼吸は1分間に何回しているとか・・・それを早い機械を使うと、例えばチェーンソーを使うと(石斧の)200倍とか伐っちゃうわけ。それに合わせようとするから、せせこましくなるわけだね。

 作業効率とか、きょう中にこれを作ろうってなってくると、本来の人間の動きから飛び出したことになって、それでいいのかってことをやっぱり雨宮さんはすごく感じているんですよ。

 彼は今、日本縦断をやっているんですね。丸木舟を、北海道から沖縄まで、毎週どっかの都道府県に持って行って、子供たちと一緒に(石斧で)コンコンやって深く掘り下げているんですよ。僕も今まで3回ぐらい行ったけどね。コンコンやっていくと、なんかいいんですよね」

全国ネットワーク「テラなび」

※「地球元気村」の会報誌に全国ネットワーク「テラなび」の記事が載っていました。この「テラなび」はどんなネットワークなんですか?

「テラは地球、なびはナビゲーション、地球をナビゲートしていこうっていう、そのためにはどういう考え方で、どういう見地が必要なのかを、みんなで考えようっていうひとつの委員会なんですよ。

 それを今まで地球元気村をやった全国の市町村の元首長さんとか、自然学校を専門にやっている学校の校長先生とか、あるいは大学のそういうことを専門に研究している人とか、そういう人たちに集まってもらって委員会を作ったんですよ。そこからもう1回出直そうかっていうための、準備のためのシンクタンクも去年作りまして、真剣にやっていこうと思っています。

 ずっと考えているんですよ、実はここ10年ぐらい、次の一手はなんだろうと・・・以前キャンプはむちゃくちゃ流行ったし、今も流行っているからね。今度、次の一手はなんだろうなって考えていますね。

 しかし、SDGsって言葉がむちゃくちゃ流行っているよね。それでなんか答えが出ましたかってこと・・・。それはひとつの一環で、取り組みのひとつですっていうことであって・・・いずれにしても物作りだったり、会社のひとつの事業やひとつの指針だったりするよね。その言葉を使うことによって、みんなそれで気が済んでいる部分もあるけど、実際に生活を少し変えていくってことは、やっぱり容易なことじゃないよね。

 そこも含めて、変えていけるようなインパクトを与えられたらいいなっていうふうに、地球元気村はもう30何年考えているからさ。パイオニアとして見本を見せるような活動とか、メッセージが発信できればいいなって思っています」

●最後に、今後、風間さんとしては、どんなことに挑戦していきたいと考えていらっしゃいますか?

「そうですね・・・僕もいい歳になったんですけど、歳を忘れながら、地球元気村を本当にブレイクさせていきたいなと思っています。 次の世代につなげていくような、何か伝えて手渡してくような、何かを手にしたいなと思っています。

 一方、僕個人とすれば、何年も前から言っていますけど、ダカール・ラリー、これに出るために、今、国際ライセンスを取っていますね。去年は国内Bを取ったんだけど、今年は国際ライセンスを、4輪ですよ、今取っています。

 2026年あたりに行ってみようかなと思っていますけどね。そうしたら何歳だっていうと、やばいんですけどね(笑)。そんなことを忘れて、いろんなことをやるのがいいんですよね。歳を考えているうちは、まだダメだね」

●また、来年お話をうかがえるのを楽しみにしています。

「まあ、生きていたら(笑)お会いしたいと思います」

●ありがとうございました!

「はい、どうも、ありがとうございました!」

風間深志さん

INFORMATION

「地球元気村」

 お話に出てきた山梨市の「天空のはたけ」では5月中旬くらいにサツマイモの植え付けや、梅の畑で小梅の収穫を行なう予定です。また、「地球元気村」では、山梨県山中湖村の村営山中湖キャンプ場を運営しています。時々鹿が出てくるような森の中のキャンプ場だそうですよ。どなたでもご利用になれます。

 そして「地球元気村」では随時村民を募集中です。プレミアム村民は会費が年間10,000円、村民になると年4回、会報誌「地球元気村」が届くほか、イベントの参加費が割引になるなどの特典がありますよ。

 詳しくは「地球元気村」のオフィシャルサイトをご覧ください。
https://chikyugenkimura.jp

 縄文大工の「雨宮国広」さんのプロジェクト「Jomonさんがやってきた!」もぜひ応援してくださいね。
https://jomonsan.com

「リーブ・ノー・トレース」〜自然に与えるインパクトを最小限に!

2023/3/26 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、NPO法人「リーブ・ノー・トレース・ジャパン」の代表理事「岡村泰斗(おかむら・たいと)」さんです。

 「リーブ・ノー・トレース」とは、直訳すると「足跡を残さない」となりますが、この言葉には、アウトドアで遊ぶときにフィールドである環境に与える影響を最小限にして楽しみましょう、そういう意味が込められているそうです。

 きょうはそんな考え方を広め、指導者を育てる活動をされている岡村さんに登山やキャンプなどの野外活動で、自然に与えるインパクトを最小限にするための7つの原則などうかがいます。

岡村泰斗さん

「リーブ・ノー・トレース」7つの原則

●まずは、リーブ・ノー・トレースについて教えてください。

「リーブ・ノー・トレースというのは、アウトドア・レクリエーションによるインパクトを最小限にして、環境へのダメージをなるべく少なくして、アウトドアを楽しみましょうというアウトドアのテクニックですね」

●「リーブ・ノー・トレース・ジャパン」は、まだ新しい団体なんですよね?

「そうなんですよ。日本では2021年にNPO法人として立ち上がったんですが、このリーブ・ノー・トレースって考え方自体は、北米で発展し、1970年代ぐらいからあります」

●以前から自然愛好家のかたの間には「撮っていいのは写真だけ。残していいのは足跡だけ」という合言葉があるんだよって、番組スタッフから聞いたことがあったんですけれども、このリーブ・ノー・トレースの考え方は似ているんですか?

「まったくその通りだと思います。日本には『立つ鳥、跡を濁さず』であるとかそんな言葉もありますよね。
 単に何も残さないっていうだけではなくて、自然を変える原因になるようなものを持ち込まないであるとか、自然を楽しんでいる時にも自然をなるべく変えないようにしようであるとか、そんなことも含んだ考え方ですね」

●ミニマムインパクト、つまり最小限に、ということなんですね。

「そうですね。ただやっぱりどうしても、インパクトがあるのかないのか、これいいの? 悪いの? って聞かれてしまうんですけれども、我々が自然の中に入ると必ずインパクトを残しますので、そのインパクトをみなさんの持っている経験値、みなさんの持っているアウトドア技術で、最小限にしましょうという考え方です。

 経験が少ない人や、技術が少ない人って、当然高い人よりもインパクトを残すかもしれないんですけれども、その人が悪いっていうのではなくて、自分のできる範囲で一生懸命ミニマムにしましょうっていう考え方ですね」

●リーブ・ノー・トレースには7つの原則があるとオフィシャルサイトに載っていました。まずはどんな原則があるのか説明していただけますか?

「はい、まず7つの原則を紹介しますと、原則1は『事前の計画と準備』ということです。原則2というのが『影響の少ない場所での活動』、これはキャンプサイトとかトレイルの問題ですね。

 原則3が『ゴミの適切な処理』、原則4が『見たものはそのままに』ということ、原則5が『最小限の焚き火の影響』、焚き火をやってはいけませんではなくて、最小限にしようってことなんですね。

 原則6が『野生動物の尊重』、原則7が『ほかのビジターへの配慮』ということで、環境に関することなんですけれども、ほかのビジターさんへの配慮というのも7つのうちのひとつに含まれているというということですね」

(編集部注:アメリカ発祥の「リーブ・ノー・トレース」は国際的な団体で、支部はカナダやニュージーランドなどにもあって、世界90か国ほどで、アウトドアでの行動基準になっているそうです)

岡村泰斗さん

原則4『見たものはそのままに』

●特に詳しく教えていただきたいのが、原則4の『見たものはそのままに』なんですが・・・。

「先ほどの『撮っていいのは写真だけ』と非常に似ているんですね。どうでしょう・・・聴いているリスナーのみなさんも、自然が豊かな観光地に行って、何かお土産に、例えば貝殻を拾って帰るとか、せっかく登った山の頂上の石を持って帰るとか、時にはビーチの砂を持って帰るとか、そんなことをされたかたもおそらくいるんじゃないかなと思うんです。

 たったひとりが、例えば貝殻や石を持って帰ることは、生態学であるとか、地形上にはほとんどインパクトはないんですけれども、それが有名な観光地ですと毎年何十万人っていうかたが来て、何年間も積み重なると、貝殻がひとつもなくなってしまったり、山頂の地形が変わってしまったりします。

 南西諸島のほうのお土産で、星の形をしているような砂があるかと思うんですが、時にお土産さんで売ったりしてしますよね。ああいった砂ですら、なくなってしまうことが起こりうるんですよね。

 たったひとりだから大丈夫だろう・・・確かにひとりだと大丈夫なんですけれども、それが何万人も何年も積み重なると大きなインパクトになってしまう・・・こういうのを英語で『アキュムレート・エフェクト』って言いまして、日本語だと『累積効果』と我々は訳しているんですが・・・ですので、たったひとりでも小さなものを持ち帰るのもやめましょうね、というようなことが原則4に含まれますね」

●花を摘むとかもそうですよね。

「そうですね。花はさすがに生きているものなので、例えば花の調査をするとか、観察とか、そういった目的があれば、リーブ・ノー・トレースは別にダメですよとは言ってないんですね。あとは非常に希少種であるとか、再生の難しい自然環境もあります。持ち帰ってしまうのは、できる限り最小限にしましょうっていうのが原則4ですね」

●持ち帰るのではなく、写真を撮ったり、スケッチしたりっていうことですね。

「そうですね。その通りです」

原則5『最小限の焚き火の影響』

※続いて、原則5の『最小限の焚き火の影響』について詳しくうかがいたいのですが、焚き火の大きさも必要最小限にしましょう、ということですか?

「もちろん必要以上に大きくすることはないと思います、薪も無駄に使うことになりますが、今とても心配しているのは焚き火台の問題です。
 かつては直火と言って、地面の上で焚き火をして、それで何が悪いの? って言われていたんですけど、地表が黒焦げになることによって、次に来る人があまり見たくない光景になってしまったりとか、石でかまどを作って、その石が焦げてしまうと、ずっと黒い焦げは残りますよね」

●そうですね。

「それに比べると、焚き火台を使うとインパクトは、はるかに少なくなったんですけれども、焚き火台自体が金属ですので、焚き火台の上で焚き火をしたとはいえ、地表にはかなりの熱が伝わるんです。それによって結構、日本全国のキャンプ場の芝生が焦げてしまったりとか・・・。

 そうすると、キャンプ場は芝生を一回はいで、つけ直さないといけないので、焚き火台を使ったから大丈夫ではなくて、焚き火台をどう使えばいいのかまで考えていただけると、よりいいのかなと考えます」

●リーブ・ノー・トレースの焚き火のテクニックは、焚き火の跡を残さないとホームページにも載っていましたね。

「そうですね。実際、登山に行く人やクライミングをやる人は、山の中に焚き火台を持って行くのはあまり現実的ではないんですよね。我々は荷物を最小限にして持って行きますので、大きな金属性のものを持って行くことは、基本的にはあまりしないです。
 焚火台はオートキャンパーのかたたちの文化なんですね。登山をやるかたが、焚き火台がない時にどうしたらいいのかが、リーブ・ノー・トレースのテクニックですね」

●薪も落ちている枝を使いましょうということですよね。

「そうですね。おそらく多くのキャンパーのかたが、あえて枝を折って薪にすることは少ないと思うんですよね。生木と言って、折った枝ですと火が起こせませんので・・・」

●立っている木は生き物の生息地ですよね。

「落ちた枝、落枝(らくし)って言うんですけれども、落ちた枝も考えようによっては生き物の生息地でもありますね。それが土壌に返って、森がそこから生まれるわけですので・・・」

野外教育をするための大前提

 岡村さんは、子供の頃から大学までサッカーに打ち込んでいたそうですが、群馬県で生まれ育ったことや、お父さんの影響もあって登山やキャンプなど、アウトドア活動にも熱中。中学生のときには、ひとりで谷川岳や尾瀬ヶ原に行くような少年だったそうですよ。
 そして大学の卒論のゼミで、アウトドア活動が子供の教育や人づくりに効果があることを恩師から教わり、それからは、研究という視点でアウトドアをとらえてきたそうです。

 岡村さんは「リーブ・ノー・トレース」という考え方に、いつ頃出会ったんですか?

「文献としてはリーブ・ノー・トレースって言葉は当時からありましたので、頭では理解していたんです。よくある自然保護のアイデアというか標語いうか、その程度にしか理解していなかったんですが、実際これぞリーブ・ノー・トレースと理解したのが2003年でした。

 私は、2003年は大学で教鞭をとっておりまして、大学教員だったんです。当時勤めていた大学の、自分のゼミの学生とアメリカの大学の学生が合わせて10数人、インテグレーションコースって言うんですけど、統合コースをアメリカのグランドティットン国立公園で実施しました。

 2週間ぐらいずっと山を歩く中で、10日間ぐらい連続で山の中にいるというコースに学生を連れて行ったんです。その時にアメリカの指導者から初めてリーブ・ノー・トレースという考え方と、それをどう人に伝えるかというテクニックを学んだのがきっかけですね」

●その時はどう感じましたか?

「単なる自然保護のテクニックなんですけれども、重要なのはそれをテクニックとして伝えるんじゃなくて、どう人に分かりやすく、しかも楽しく、腑に落ちるように伝えるかっていうティーチングのテクニックが目から鱗でしたね。

 単にいいことを伝えるだけでも、なかなか人には伝わらないですし、やはりどう伝えるかが非常に重要だなと、改めて気づいたコースでしたね」

●「リーブ・ノー・トレース・ジャパン」では野外教育の指導者を育てる活動もされているんですよね?

「あっ、なるほどですね・・・リーブ・ノー・トレース=野外教育っていうわけではなくて、リーブ・ノー・トレースはあくまで野外教育をするための前提だと思います。
 野外教育は当然インドアではなくて、アウトドアに人を連れて行きますので、アウトドアに人を連れて行った時、そこにインパクトを与えてしまったら、野外教育という手法が持続不可能になっちゃうんですよね。ですので、野外教育をするための、我々が理解しておかなければいけない大前提のひとつかなと思います」

「気付くこと」から始めよう

※「リーブ・ノー・トレース・ジャパン」にはアウェアネス、トレーナー、そしてマスターエデュケーターという3つのコースがありますが、どんな内容なんですか?

「リーブ・ノー・トレースを普及させるための教育体系ですね。アウェアネス・ワークショップは・・・アウェアネスって気付きですよね。ですからリーブ・ノー・トレースを初めて知るかたのためのワークショップ、参加体験型学習です。

 どういうふうに展開されているかと言いますと、トレーナーもしくはエディケーターという資格を持っているかたが、例えば自分の自然学校に来た子供たちに教えたりとか、時にはアウトドアガイドをやられているかたが自分のガイディングの中で、ゲストに必要に応じて伝えたりであるとか・・・ワークショップはいろんな伝え方のパターンがありますね。

 リーブ・ノー・トレースの団体メンバーさんが今どんどん日本全国に増えています。例えばホームページにリーブ・ノー・トレースのロゴが付いていたりとか、リーブ・ノー・トレースを導入しています、っていうキャンプ場やガイドさんにつくことによって、アウェアネスワークの一端に触れることができますので、それでいいなと思ったら、人に伝えたいなと思ったら、トレーナーコースを検討されるのがいいかなと思います」

●そうですね。いいですね。では最後に岡村さんが大自然から学んだことを教えてください。

「なかなか難しい質問なんですけれども、人ができることはそんなに大きくないので、自然には逆らわないと言いますか・・・いま一生懸命リーブ・ノー・トレースの普及にあたっているんです。我々が当然アクションプランを立てるんですが、その通りにはなかなかいかなかったり、こちらが期待していたものとは違う方向にいくようなことも、いくらでも普段の世の中というか社会の中で起こるので、そういう時に流れに逆らわないというか、何か問題が起こっても受け入れるというか、あまり抗(あらが)わないというのが、自然のスタイルなのかなと思います」


INFORMATION

 お話に出てきた「7つの原則」については、ぜひオフィシャルサイトでご確認ください。

 「リーブ・ノー・トレース・ジャパン」で行なっている教育体系はアウェアネス、トレーナー、そしてマスターエデュケーターと3段階に分かれていますが、まずは、どなたでも気軽に体験できるアウェアネス・ワークショップというプログラムに参加されるのがいいかもしれません。

 「リーブ・ノー・トレース・ジャパン」では活動を支援してくださるサポーターやメンバーを募集しています。いずれも詳しくは、オフィシャルサイトをご覧ください。

◎「リーブ・ノー・トレース・ジャパン」HP:https://lntj.jp

きみも恐竜博士! 「恐竜博2023」にLET’S GO!

2023/3/19 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、「恐竜博2023」を監修された国立科学博物館の副館長「真鍋真(まなべ・まこと)」さんです。

 真鍋さんは1959年、東京生まれ。横浜国立大学卒業後、アメリカや英国の名門大学に留学し、博士号を取得。現在は国立科学博物館・副館長と、群馬県立自然史博物館・特別館長を兼務。おもな研究テーマは、恐竜など中生代の化石から読み解く爬虫類、そして鳥類の進化となっています。

 きょうは「恐竜博2023」の見所はもちろん、恐竜界の人気者ともいえる、ティラノサウルスの秘密や、真鍋さんたちが発掘し、大注目されている新種の恐竜についてもうかがいます。

真鍋真さん

ティラノサウルスも10代が成長期!?

 現在、恐竜博士として大人気の真鍋さんですが、実は子供の頃から恐竜が好きだったわけではなく、大学生になったときに、地質調査をする学問を専攻すれば、世界中に旅行に行けると思い、古生物学や地質学を研究することにしたそうです。そしてその後、化石の発掘などにより、どんどん恐竜の研究にのめりこんでいったそうですよ。

 そんな真鍋さんの新しい本が『きみも恐竜博士だ! 真鍋先生の恐竜教室』。この本はコロナ禍のなか、子供たちに向けて行なったオンライン授業がもとになっていますが、大人が読んでも面白い、恐竜の入門書的な本なんです。
 では、この本をもとに、恐竜に関する素朴な疑問についてお聞きしていきたいと思います。

『きみも恐竜博士だ! 真鍋先生の恐竜教室』

 ティラノサウルスは、大きくて強いというイメージがありますが、体が大きいと維持していくのが大変で、それは寿命にも影響しますよね。ティラノサウルスの寿命は、どれくらいだったと推定できますか?

「ティラノサウルスは有名だし、恐竜の中でいちばん研究されているって言ってもいいんじゃないかなと思うんです。年齢に関しては、戸籍があるわけではないので、本当は年齢とか簡単には分からないんですけど、足の骨とか太い骨を切ってみると、例えば、大きな木の切り株を見た時に木の年輪、あれを数えると樹齢が何年って分かったりする、あれと似たような方法で、骨の断面を切ると木の幹みたいに見えて、そこに成長の跡が線として残っている場合があるんですね。

 それを数えると、ティラノサウルスはだいたい寿命が28歳から30歳・・・20歳ぐらいでほぼ成長して、あとの8年から10年っていうのは、その年輪と年輪の幅がすごく狭いので、ほとんど成長しなかったようです。

 だいたい20歳くらいで大人になったんじゃないかって言われていて、僕ら人でも12歳から14歳とかティーンエイジャーの頃って、グングン成長するじゃないですか。ティラノサウルスも成長期があって、年輪と年輪の幅が12歳から16歳ぐらいが広いんですよ。

 人間と似てるって言うとちょっと語弊があるかもしれないですけど、10歳代にすごい成長期があったので、あんなに大きくなれて、そしてだいたい30歳ぐらいの寿命だったんじゃないですかって言われています」

(編集部注: ティラノサウルスの全長は13メートルくらいで、体重は7トンくらいだったと推定されているそうです。そんな大きな体を維持するために1日60キロから70キロの肉を食べていたのではないかということです)

ティラノサウルス「タイソン」の全身骨格
ティラノサウルス「タイソン」の全身骨格

爬虫類と恐竜、どこが違う!?

※続いても素朴な疑問です。爬虫類と恐竜の違いはどんなところなんでしょうか?

「爬虫類にはワニがいたりカメがいたりするんですけれども、みんな基本的に四足歩行なんですね。恐竜には二足歩行と四足歩行、両方いるんです。

 で、爬虫類は地面を這って歩いていた生物だったんですけど、なぜか急に立ち上がって、足をガニ股じゃなくて、まっすぐ伸ばして歩くようになったんです。そうするとコンパスが長くなる、足の一歩一歩が長くなる、速く走れるようになりました。
 恐竜も爬虫類のひとつなんですけれども、ほかのトカゲとかワニとかカメとかゆっくりしか歩けない、走れないのに対して、恐竜は速く走れるようになったので、すごく繁栄したって言われているんですね」

●そうなんですか。ところで恐竜は変温動物だったんですか? 

「もともとは爬虫類なので、変温だったはずなんですけど、恐竜の子孫が実は鳥類なんです。だから今のニワトリとかハトとかカラスとかペンギンとか、みんな恐竜の子孫なんですね。

 恐竜の進化の中で変温動物から恒温動物に、つまり体温が一定である・・・そうすると例えば、ほかの爬虫類が朝とか夜になると気温が下がっちゃって、体温も一緒に下がっちゃって、それであまり活発に動けなくなって、おとなしくしているイメージがあるじゃないですか。

 それに対して恐竜は恒温動物になって、足のコンパスが長くなって、より活動的になっていって、それで朝でも晩でも活発に動けるようになったので、あれだけ繁栄したんじゃないかと言われています。

 大きな分類では爬虫類なんですけど、恐竜の中から鳥類、鳥が進化してきたので、爬虫類と鳥類を結ぶミッシングリンクみたいな、そんな存在になっています」

新種の肉食恐竜を発見!

※真鍋さんたちの発掘隊が化石を発見した新種の恐竜がいるんですよね?

「アルゼンチンで発掘された『マイプ』という名前の肉食恐竜です」

マイク・マクロソラックスの実物化石
マイク・マクロソラックスの実物化石

●どんな特徴がある恐竜なんですか?

「ティラノサウルスは体が大きくて13メートルぐらいで、恐竜時代の最後の6600万年とか7000万年前ぐらいになってくると、北アメリカやアジアでは食物連鎖の頂点にティラノサウルスの仲間の肉食恐竜がいたんですね。そういう手の小さい恐竜が歩き回っていた情景がよく復元されるんです。

 今回、南アメリカで調査して見つかったマイプっていう恐竜は、メガラプトルの仲間なんですけど、南半球の大きな肉食恐竜たちは手が短くなっていなかったんですよ。

 “メガ”が大きい、“ラプトル”って略奪者とか泥棒って意味なんですけど、手のところに大きな鉤爪(かぎづめ)が付いているグループなんですね。だから北半球ではティラノサウルスみたいに、手が短くなって小さくなるような進化があったのに対して、南半球では手は小さくならなくて、大きな鉤爪を付けているような、そんな恐竜が繁栄していたみたいだってことが分かってきたんですよね」

●へ〜〜! 場所によって違うんですね。ところで、発掘した時はどんなお気持ちでしたか? 

「発掘している段階って、地層の中に骨とか歯が埋まっている状態じゃないですか。それを研究室まで持って帰って、クリーニングって言うんですけど、砂とか泥、岩石を削っていって、それで骨とか歯を綺麗に取り出して、こんな形しているんだね、こんな大きさしているんだね、こんな特徴があるんだねってことに気が付いていくんですね。

 発掘している時には肉食恐竜の化石が見つかったと、みんな喜んでいたんですけど、それが新種かどうかは実際に研究していって、この特徴はメガラプトル類の、手が小さくなっていない大きな肉食恐竜だろうなっていうのは分かっていたんです。
 メガラプトルってほかにいたりするので、そのメガラプトルとどこが違うんだろうみたいなことを研究室で比べながら、これはすごく重要な違いだから、新種って言えるんじゃないかなっていうことで、こういう特徴に基づいて、私たちは新種だと思いますって論文を発表したんですね」

(編集部注: 新種として発表した肉食恐竜「マイプ」は全長が9メートルくらいだと推定しているそうです。ちなみに正式な名前は「マイプ・マクロソラックス」。「マイプ」とはパタゴニア地方の伝説に出てくる「風の死神」という意味。そして「マクロ」は「大きな」、「ソラックス」は「胴体」だそうですよ)

自然が化石を発掘!?

※マイプを発掘したパタゴニアもそうだと思うんですが、化石のありそうな場所は、環境的には厳しいところですよね?

「そうですね。いろんな場所があるんですけど、みなさんの恐竜化石の発掘現場のイメージだと、モンゴルのゴビ砂漠だったり、アメリカの西部だったり、今回のアルゼンチン・パタゴニア地方も山の上なんですけど、もうほとんど木がない草がないような荒涼とした場所なんですね。

 そういう場所がなぜいいかって言うと、日本の山みたいなところに行くと、木があって草があったりするじゃないですか。そうすると毎年、雨が降ったり、雪が降ったり、風が吹いたりするんだけど、そういう植物が地層、地面を守ってくれているんですよね。
 だけど、植物がないと風が吹いたり、雨が降ったり、雪が降ったりすると、地層の表面がどんどん削れていくんですね。そうすると自然が発掘してくれているようなものなんですよ。

 定期的に通っている発掘現場に行くと、例えば昨年の夏、発掘をやめて帰ってくるじゃないですか。で、同じ場所に今年行ったとします。そうすると、その1年の間に雨とか風とか、雪と氷が表面をちょっとずつ削ってくれるので、同じ場所に行っても新しい化石が顔を出しているのが分かるんですよ。そうやって自然も化石の発掘を手伝ってくれるので、ああいう荒涼とした場所が見つかりやすい、見つけやすいってことだと思うんですね」

未来の恐竜博士に

※恐竜博士になりたいと思っている子供たちや学生さんに向けて、伝えたいことがあれば、ぜひお願いします。

「いろいろ知りたいこととか、分かりたいことが山ほどあって、それで研究者になって、自分で解明したいな、解き明かしたいなっていうことだと思うんですよね。自分が好きなことを、知りたいことを、面白いと思うことがあるのは、すごくいいことなんです。

 自分が謎に思っていることを、図鑑で調べたり、本を読んだり、研究者に聞いても分かんないことは、たくさんあったりすると思うんですけど、答えが分かりにくかったり、自分の求めている答えと違うなっていうことだったら、きっとそれは大人も世の中の研究者も、今は分かっていないことなのかもしれないんですよね。

 その時にそれにがっかりせずに、自分がそれを解決してやろうみたいに、頑張らなくてもいいんですけれども、きっとまだまだたくさん分からないことがあって、これからどんどん世界中で研究が進んでいく・・・恐竜の研究をやっていると、やっぱり恐竜に国境がなかったように、学問の世界にも国境がないので、世界中の人たちと一緒にやっていって、ライバルがいたり、気の合わない人も山ほどいるんですけれども、気の合う人もたくさんいます。

 そういう人たちと一緒に発掘をしたり研究したりして、恐竜の謎をひとつでも多く解き明かしていくことができるので、知りたいことがあったら、どんどん調べて、いろんな人と話をして、さらに勉強していくみたいなことって、きっとずっとワクワクすることにつながって、自分の世界も広がっていくので、ぜひ続けてほしいなと思いますね。

 それから化石だけじゃなく、今生きている動物植物・・・だから動物園とか水族館とか植物園とか、博物館のあとにはそんなところにも足を伸ばして、自分の見方、それから関心のある世界を広げていってくれると、きっと恐竜のことが益々面白くなるんじゃないかなと思います」

(編集部注: 世界では新しい恐竜の発見、発表が相次いでいるそうですよ)

「恐竜博2023」の見所!

※現在、上野の国立科学博物館で「恐竜博2023」が開催されています。監修された真鍋さんに見所を教えていただきました。

「国立科学博物館では恐竜博とかそういう形で、何年かに一回、大きな展覧会をやっているんですけど、今回は2019年以来4年ぶりの展覧会です。

 ポスターとかチラシとかインターネットでは、トゲトゲっていう、鎧竜(よろいりゅう)アンキロサウルスとか、体を鎧で守ったそういう恐竜のグループがいるんです。草食恐竜ですけどね。その子たちのすごくいい化石が見つかって、それがアメリカで見つかった『ズール』っていう名前の鎧竜なんですけど、その全身の実物骨格が来ています。

ズール・クルリヴァスタトル(左)とゴルゴサウルス(右)の全身復元骨格
ズール・クルリヴァスタトル(左)と
ゴルゴサウルス(右)の全身復元骨格

 それから、みんなが大好きなティラノサウルス・レックスの実物化石が来日していたり、先ほどちょっとご紹介した、私たちが2020年3月にアルゼンチンで発掘してきた『マイプ』っていう新種の肉食恐竜の化石、これは実物の化石を特別にアルゼンチンから持ってきて展示しているんですけど、まだ組み立てていないんですね。だから恐竜の姿にはなってないんですけれども、その実物化石も展示されます。実はマイプはアルゼンチンでも公開されていないので、世界初公開なんです。ぜひ会いに来ていただきたいと思っています」


INFORMATION

『きみも恐竜博士だ! 真鍋先生の恐竜教室』

『きみも恐竜博士だ! 真鍋先生の恐竜教室』

 この本には、真鍋さんたちが発見した新種の肉食恐竜「マイプ」のイラストや発掘現場の写真もあって、興味深いです。恐竜に関する専門的なことがわかりやすく載っているので大人が読んでも面白いですよ。恐竜研究の入門書的な一冊、ぜひ読んでください。
 岩波書店から絶賛発売中です。詳しくは出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。

◎岩波書店HP:https://www.iwanami.co.jp/book/b616719.html

「恐竜博2023」

「恐竜博2023」

 現在、上野の国立科学博物館で開催されている「恐竜博2023」は6月18日まで。ぜひお出かけください。詳しくはオフィシャルサイトを見てくださいね。

◎「恐竜博2023」HP:https://dino2023.exhibit.jp

シェルパ斉藤の青春記! 初めての野宿は河原のデート!?

2023/3/12 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、バックパッカーそして紀行家の「シェルパ斉藤」さんです。

 斉藤さんは、アウトドア雑誌「BE-PAL」でお馴染みの人気ライターであり、人力移動の旅の本を数多く出版されている作家でもいらっしゃいます。

 この番組とは30年来のお付き合いで、事あるごとにご出演いただいています。そして、きょうの放送が1600回目ということで、何かのご縁を感じます。

 そんな斉藤さんが先頃『あのとき僕は〜シェルパ斉藤の青春記』という本を出されました。今回は「旅と音楽、そして原点」というテーマのもと、斉藤さんの甘酸っぱくも切ない青春時代の思い出に迫ります。

☆写真協力:シェルパ斉藤

写真協力:シェルパ斉藤
松本から佐久平へ向かう歩く旅

原点は山村の通学路

●今週のゲストはバックパッカー、そして紀行家のシェルパ斉藤さんです。以前はオンラインでのご出演でしたので、やっとリアルにお会いできました。よろしくお願いします! 

「よろしくお願いします! こんな顔をしています。やっぱり嬉しいですね、会えると・・・」

●そうですね〜、嬉しいです!  今回は先頃出された本『あのとき僕は〜シェルパ斉藤の青春記』をもとにいろいろお話をおうかがいしていきますが、番組のほうで勝手にテーマを決めさせていただきました。
 そのテーマとは「旅と音楽、そして原点」ということで、旅は広く解釈して人生という意味もありますし、斉藤さんの場合は節目節目で、音楽もすごく重要な要素になっていますよね。

「なんか結果的ね。なんとなく音楽があると、あの時はああだったなっていうのをたまに思い出しますね。たまたまラジオで(懐かしい曲が)かかると、ああっそうだったっていう・・・そういうのを(本の)ところどころに書いていますからね」

●そうですね。
 そして原点は、そのものずばり斉藤さんを物語るいろいろな原点に迫っていきたいと思っております。まずは斉藤さんの原点、生まれ故郷についてなんですけれども、故郷は長野県松本市ですよね?

「松本と言っても、生まれたところはすごく山奥なんですよ。名前はあえてこの本にも書いていないんですけど、今は合併して松本市になっているんです。
 すごく山奥の村で、中学になる時に松本市内に引っ越すんですが、その時やっぱり初めは、ああ清々したみたいな感じにちょっと思ったりとかして(笑)・・・松本で暮らしているとだんだん・・・今はすごくいい町だなと当然思っていますしね。それは自分が山に登ったり、旅する中でよく出来た文化もあるし、いい町だなと思うんですけど、盆地なんですよ、松本って。

 要するに周りを全部、北アルプスとかに囲まれていて、それもなんかだんだん、ここで終わりたくないっていう・・・こんなとこって言ったらひどいけど(笑)、当時はまだ高校生で、ここで終わったら本当に井の中の蛙みたいな感じで、やっぱりちゃんと広い大海を知らなければと・・・ですから、東京志向がすごく強かったですね」

●そうだったんですね〜。

「でも思えば、そこから東京に出てきて、日本は狭いなって思って、結局そこからまた世界に飛び出しちゃったわけだから、そう考えると原点って意味では、山村の狭いところに生まれ育ったから、今こうやって、いろんなところに行くようになったっていうのはあるかもしれないですね」

●本にも、山村の通学路が僕の原点とも書かれていましたけれども・・・。

「歩く旅はそうかもしれないですね」

●歩くノウハウを自然に得ていたという記述もありましたね。

「まあでも子供って誰でも歩けばそうなるでしょっていう・・・(笑)。今バックパッカーとしていろんな所を旅して、たまにトークショーとか講座とかやってほしいと言われて、山の歩き方を教えてほしいって真面目な方から聞かれても、普通のちゃんと歩ける方だったら、山も歩けるでしょ、としか言いようがないですよね。

 要するにそれは子供の頃に通っていた通学路が、今のように集団登校とかも何もなくて、安全な道は一応あったんですけど、子供たちは出来るだけ近道にしたいっていうことで、本当に山道があったんです。そこを一気に行けば、早く学校に着くし、やっぱり楽しかったんですよね。みんなバラバラ歩いて・・・そうしたら歩き方なんて絶対身につくし・・・で、冬になると当然凍っちゃうし 、雪になっちゃうし、そういうところの歩き方が本当に原点になるのかな・・・そんなのが(笑)」

写真協力:シェルパ斉藤
美ヶ原を千歩と歩く

愛聴盤は、吉田拓郎 『元気です。』

●山村で暮らしていた小学生時代に、初めて買ったレコードが吉田拓郎の『元気です。』と本に書いてありましたね。

「ちょうど拓郎さんが出始めた頃で、デビューしてだんだん『結婚しようよ』って曲が大ヒットして、やっぱり憧れはありますね、多分」

●でも小学生で、吉田拓郎のレコードって結構ませていませんか? 大人びてるイメージがあります。

「それはね、うちの兄貴のせいです! ふたつ上の兄貴がいるんですけど、兄貴がやっぱり拓郎とか好きで、当時ね。田舎の山の中ですけど、東京のラジオ局も夜になると(電波が)入るんですよ。で、当時、吉田拓郎はずっと深夜のラジオ番組をやっていて、それをうちの兄貴は夢中になって聴いていたんですよ。

 それでお小遣いとかお年玉とか貯まってきて、自分もレコードが欲しいなって思った時に、兄貴が”松本に行くから、政喜(まさき:斉藤さんの本名)、お前にもレコードを買ってやるぞ。俺が買ってきてあげるから、拓郎にしろ”って言われて(笑)。向こうがこれにしろ、みたいな感じではありましたけど、ただ憧れありましたよね、拓郎かっこいいなって・・・。

 かっこいいなっていうのは、テレビに出ないっていうのがね。テレビに出なくてラジオだけでっていうのがかっこいいって思ったんですよね。それで最初に買ったのが、というか買ってきてもらったんですけどね・・・一応、僕のお小遣いで買ったのが小学5年生の時の、吉田拓郎の『元気です。』っていうアルバムです」

●特に好きな曲とか、よく聴いていた曲はありますか?

「好きもあるんですけど、よく聴いていたのは絶対に1曲目ですね。CDじゃないからレコードですからね。普通、アルバムのレコードをかけると言ったら、まず1曲目の同じところに針を落とす・・・(笑)、だからアルバム1曲目がいちばん聴いていたはずですね。
 要するに途中に針を落とすってなかなか難しいから、だから最初にかけるのはもう1曲目の『春だったね』って曲がいちばん印象に残っていますね。中学くらいまでいちばん聴いた曲は何かって言われたら、『春だったね』だと思いますね」

初めての野宿は、彼女とのデートだった!?

●原点で言うと、キャンプの原点は高校3年生の時の野宿だったことが新しい本『あのとき僕は〜シェルパ斉藤の青春記』で判明しました。地元の川のほとりで野宿されたようですけれども、これはどうして、そうなったのか説明していただけますか?

「なんか取調室みたいな感じになっていますけど・・・(笑)、好きな子がいたんですよ」

●はい、ナツコさんっていう方ですよね。

「仮にナツコですよ(笑)、ナツコって本には出てきますけど。好きな子がいて、高3になった時に初めて告白したんですね。その子は、実は中学から一緒だったんですよ。なので今さらそんなこと、みたいな雰囲気になったんですけど、友達からみたいな感じで、はっきりしないまま、会って放課後、一緒に帰るようになったりしたんですね。

 当時の共通一次試験、今はセンター試験と名前は変わりましたけど、僕は共通一次の1期生なんですよ。僕が高3の時にその制度になって、それまでずーっと高校の文化祭は秋に開かれていたのが、夏休みってすごく重要だから、進学のために受験勉強をしなきゃいけないから、(文化祭の開催が)7月に前倒ししたんです。7月に文化祭をやると・・・。

 で、僕は生徒会に絡んでいて、文化祭を盛り上げるためにいろいろやろうってなって、文化祭のテーマが「破天荒」だったんです。今までやったことがないことをやるとかっていうので、一生懸命、燃えていたもんですから、自分も何かやろうと考えて思いついたのが、河原で野宿する、で、朝を迎える・・・。

 で、なぜその河原を選んだかって言うと、仮のナツコっていう女性の家の近くに川が流れていたんですよ。で、夜にデートしたいと思って、河原で(笑)、それで当時は携帯電話も何もないから、文化祭中に彼女に今夜、女鳥羽川(めとばがわ)、松本に行くといちばんの繁華街を流れている川です。
 松本城とか近くにあったりする、本当に繁華街を流れている、ちっちゃな川で、そこにベンチがあったりするんです。僕はそのベンチに朝までいるから、夜会おうって約束をして、それで一応野宿するとか言いつつ、ずっとベンチでいたんですよね」

●ずっとナツコさんを待っていたわけですね。

「携帯電話とかないから本人からも連絡が来なくて・・・で、(夜中の)12時をまわっても来なかったから・・・」

●ずっとベンチで待っていたんですね。

「まあ寝床ですからね(笑)。それで全然来ないからダメかなと思ったら、12時もまわって1時に近かったかな・・・息を切らせて彼女が来て・・・言うには両親が寝静まってからバレないようにこっそり(家を)出てきて・・・息切らしているのもやっぱり怖かったからって一生懸命駆けてくるんですよ・・・なんか自分で喋っていて小っ恥ずかしいね(笑)」

●いや〜キュンとしますね! 

「で、ずっとふたりでベンチに座って流れる川を眺めつつ・・・本当にバンカラですから、松田聖子の『赤いスイートピー』じゃないけど、半年経っても手も握らないようなバンカラな子だったから僕はずっと・・・でもやっぱり愛おしくて・・・。

 結局彼女は(午前)2時か3時くらいに帰っていって・・・(家まで)送ろうかって言ったけど、大丈夫、帰れるからって・・・。で、そのまま僕はベンチで朝を迎えるんですけど、もうドキドキだし、興奮しちゃって、寝れなくて寝れなくて・・・。気がついたら朝になっていて、結局一睡もしてない野宿・・・それがかれこれ、あちこち旅をしてテントを張ったり、多分1000回以上テントに泊まっているはずだし、野宿もしているはずですけど、第一回っていうのはそれですね」

(編集部中:実はナツコさんとの微妙な関係は大人になっても続いていたそうなんですが、その恋模様についてはぜひ本を読んで確かめてください。益々、胸がキュンとしますよ)

シェルパ斉藤さん

人生の転機となった一通の手紙

※斉藤さんがアウトドア雑誌「BE-PAL」のライターになるきっかけは実は、編集部に宛てた一通の手紙にあったんです。

 詳しくは本に載っているので、ここではかいつまみますが、大学生の時に、ひょうなことからゴムボートで中国の大河「揚子江(ようすこう)」を旅することになった斉藤さんは、愛読していた「BE-PAL」に記事を書かせてほしいと、思いの丈を綴った手紙を出したんです。するとなんと! 当時の編集長から数日後、直筆の手紙が、それも速達で届き、直接会って話がしたいと書かれていたそうです。

 斉藤さんの手紙には、プロの編集者を魅了する力があったということなんですね。それがきっかけとなり、斉藤さんは編集部に出入りするようになったんですが・・・。

●「BE-PAL」で最初に書いた連載の記事はどんな記事だったんですか? 揚子江の記事は書いたんですか?

「揚子江(の記事)は普通に(本名の)斉藤政喜という名前で書かせてもらって、食べるためってのもあるんですけど、要するに『BE-PAL』の記事を作りたかったんですね。ライターとして今回はこんな特集をやるからっていうので・・・だけど、やったことがないし、しかも文章の勉強なんかまったくしてないし、だから最初はアシスタントですよね。いろいろなものを集めたりとか、ファッションの撮影があったらついて行って、カメラマンが(カメラを)構える横で、レフ板を一生懸命(被写体に)あてたりとかいろいろしながら・・・。

 で、わかったんですけど、要は給料はもらえないんだってことに気づいて・・・なってから気づくお前もお前だって言われたんですけど、やった結果でしかギャラって払われないんですよ。フリーってみんなそうですけど・・・だからページを何ページやったらページあたりいくらってギャラが払われるから、自分で仕事を取らなければ、何も収入がないという状況でして、ある意味、本当に平等なんですよね。

 そこには学歴も関係ないし、年齢も関係ないし、みんな一律なんですよ。(仕事を)やったらやった分だけ、そのギャラが出ると・・・それで仕事をだんだん覚えてきて・・・今思えば本当に恵まれていたのは、編集長自らが、お前この世界に来いって言ったもんだから、とにかく毎日来いって言われたんですよ。

 編集部にも毎日行くと一緒に食事とかご馳走になって、夜は酒を飲みながら食事して・・・で、その時にいろんな話を聞いたりとか、それが刺激になるし、そういうことしているうちに、だんだんと文章も少しずつ書けるようになって・・・だから最初はライターをやっていましたね、ずっと。

 だけどある時にやっぱりフリーのライター・・・まあなんでもかんでもフリーランスはそうですけど、仕事が来ると嬉しいから、いろいろ引き受けちゃうと結局休みもないし、俺、旅に行きたくって、自由になれると思って、フリーになったのにぜんぜんフリーな状態じゃないじゃんって思ったんですよね。

 それで一回仕事を引き受けないで、生意気なんですけど(笑)、海外に行ったんですよ。当時マウンテンバイクが流行り始めたから、それでとことん(旅をしようかと)パキスタンと中国の国境にクンジュラブ峠って峠があって、それが(標高)4〜5000メートルなんですけど、そこまで行こうと思って行ったんですね。

 ずっと旅をして何ヶ月も旅をして、旅の最後はどうしようかなって考えた時に、道の終わりまで行ってみたい、道の終わりってどこよっていったら、この先はもう行けないよっていうのを考えた場合に世界最高峰のエベレスト、そこにベースキャンプがあるんですね。(標高が)5500メートルくらいですけどね。その先はもう登山の領域だし、当然登山料とか必要になってくるけど、そこまではトレッキングの領域なんですよ。じゃあそこまで自転車で行こうと思って、自転車をずっと押していったりとかしていたんですよね。

 そういった旅を終えて帰ってきたら、ちょうど『BE-PAL』が100号記念かなんかで、東京から大阪まで東海自然歩道っていう道があるから、そこを歩かないか? 歩いて連載しないか? って言われたんですよ。

 それで、斉藤政喜って名前じゃつまんないから、お前はネパール帰りだし、シェルパ族のシェルパでいいだろう、”シェルパ斉藤”にしろって言われたんですよね。シェルパって、クーンブ地方って言うんですけど、あの辺に住んでいる山岳民族で高地に強いから登山のガイド的な代名詞になっていますよね。考えたら読者を歩く旅に導くって意味ではシェルパでもいいかなと思って、それを受け入れて、かれこれデビューして33年から34年になるのか・・・ずっと(『BE-PAL』)で書いていますけどね」

●シェルパ斉藤としての原点はそこだったわけですね〜。

「そこですね」

写真協力:シェルパ斉藤
アイスランドで野営

これからが僕の本番!?

※現在も野営の道具を持って歩く旅を続けている斉藤さんは今、旅に対してこんな思いを持っています。

「旅はまだまだこれからだなと、僕は実は思っていて・・・」

●まだまだこれから!?

「まだまだこれからっていうか、実は2年前にコロナの影響もあったんですけど、その時に僕60歳、還暦を迎えたんですよね。その時にふと思ったのは、今まで40年間くらい旅をずっとしてきたんだけど、これってこれから旅をするための養成期間だったんだなと思ったんですよ。いろんな旅をしてきたけど、60歳を過ぎて、旅をするための養成学校だったんだって思えると、これからが僕の本番だぞって思えたんですよ。

 本当に長い40年もかかる学校をようやく卒業したんだ! いろんなことをやってきたけど、あれはみんな学ぶためにやってきたんだ! だからこれからはそれを実践していく場なんだって思ったら、なんかすごく未来が開けた気がして、あっ!これからが本番じゃないかって」

●その本番はどんな展開になりそうですか?

「今までいろいろやってきたことの繰り返しも当然あるでしょうし、それからこの年になるとまた発想が変わってくるので、正直言ってしまうと当然、体力も落ちているからだけど、それはよりゆっくりといろいろなものを見るために、お前の体力を落としているんだぞって考えたら、いろんなものが見えてくるんじゃないかなと思いますしね。だから来年どんなことに興味を持つかわからないけど、興味を持つものをやってこうかと・・・」

写真協力:シェルパ斉藤

●この本を読んで、本当に人生には無限の可能性があるっていうのをすごく感じることができました。

「あっ! それは僕もちょっとそういうのは頭に置いて書きました。 この本を読んでいる同世代の方も、当然読めば、あ〜懐かしいねって思いもあるんだけど・・・僕、実は18歳の時に家業が潰れちゃって、自立して自活して、もう自分で生きていくしかないっていう道で、ある意味道を切り開いてきて、自分でお金を稼いで大学に行ったりとかしたんですけど、ただ何をすべきかずっと見えなくて・・・さっき話したけど、たまたま一通の手紙によって切り開けたんですよね。

 それは若者にやっぱり伝えたいな、何があるかわかんないから、本当に可能性っていくらでもあるんだよ! ってことを、勇気を与えたいな、偉そうに言うと・・・。だから、今の歳になって昔の話を書けたので、それは若者に対するメッセージとして受け取ってもらえればなと思っていますけどね」

●では最後に音楽好きの斉藤さんが、あの時の僕に捧げる曲を1曲あげるとしたら、どんな曲でしょうか?

「昔聴いていたんですけど、20歳の時に結構音楽を聴いていて、東京に出てきて、よくレコードを買っていたんですよ。レコードも輸入盤のレコードばっかりをずっと買っていたんですけど、やっぱり自分を鼓舞する曲(を聴いていましたね)。

 もうほんとうに辛いし、ひとり暮らしだし、仕送りもないしって時に、自分を鼓舞する曲をよく聴いていて、特に印象に残っているのが、ボブ・シーガー・アンド・ザ・シルヴァーバレッドバンドの『アゲインスト・ザ・ウインド』っていう曲があって・・・その曲がすごく好きで・・・。

 その『アゲインスト・ザ・ウインド』の後半のところに、『アイム・オールド・ナウ・バット・スティル・ランニング・アゲインスト・ザ・ウインド』「俺はもう若くないけど、それでも俺は風に向かって走っているんだ」っていう歌詞があって、当時もそれ聴いていて、わっ! と思ったんだけど、今この歳になって聴くと、本当にそれをもう一回言いたくなるな。

 だからあの時の僕に言いたいとしたら、本当にもう今「アイム・オールド・ナウ・バット・スティル・ランニング」、正しく言うなら「バット・スティル・ウォーキング」ですかね。「ウォーキング・アゲインスト・ザ・ウインド」、風に向かって僕はずっとまだ歩いているぞ! っていうのはやっぱり言いたいですね!」

写真協力:シェルパ斉藤
アイスランド紀行

INFORMATION

『あのとき僕は~シェルパ斉藤の青春記』

『あのとき僕は〜シェルパ斉藤の青春記』

 この本には、斉藤さんの少年時代からフリーのライターになるまでの出来事が綴られています。見開き2ページでひとつの話題が完結しますし、なにより斉藤さんの文章は親しみやすので、すいすい読めますよ。ドラマチックな青春映画のような本、ぜひ読んでください。しなのき書房から絶賛発売中です。詳しくは出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。

◎しなのき書房HP:http://shinanoki.net/?pid=172662166

 斉藤さんのオフィシャルサイトもぜひ見てください。

◎シェルパ斉藤さんオフィシャルサイト:https://team-sherpa.wixsite.com/sherpa

「もしも」のために。おうち防災チャレンジ!

2023/3/5 UP!

 今週のベイエフエム / ザ・フリントストーンのゲストは、イラストレーターで防災士の「鈴木みき」さんです。

 鈴木さんは東京都生まれ。24歳の頃に1年間、過ごしたカナダ生活をきっかけに山に目覚め、山雑誌の読者モデルや、山小屋などのアルバイトを経て、イラストレーターに。そして、登山初心者に向けた本を多数出版、登山ツアーの企画もされています。その後、東京から山梨県北杜市に移り、現在は札幌を拠点に活動中。

 2018年に北海道胆振(いぶり)東部地震で被災、その際、山登りやアウトドアで培ったスキルを活かし、在宅で避難生活を送り、その経験から防災士の資格を取得されています。

 そんな鈴木さんが先頃、おうちで防災をテーマにした本『キャンプ気分ではじめるおうち防災チャレンジBOOK』を出されたということで、再び番組にお迎えすることになりました。

 きょうは、日頃から取り組むおうちで防災のヒントやアドバイスをいただきます。

☆写真&イラスト協力:鈴木みき、エクスナレッジ

鈴木みきさん

鈴木式おうち防災チャレンジ

写真&イラスト協力:鈴木みき、エクスナレッジ

●新しい本には「2日間でできる鈴木式おうち防災チャレンジ」ということで、ヒントやアドバイスが本当にたくさん載っています。

 いくつか具体的にご紹介していきたいんですが、冷蔵庫のお掃除という項目もありましたよね。冷蔵庫の中身をすべて出して、賞味期限をチェックしながら食材を入れ戻しましょうということで、日頃から生鮮食品を買い溜めないとか、消費期限を守るということも立派な防災なんですね。

「そうですね。日常で節約するっていうか、実は生活の中でのちょっとしたことでも防災になっているっていうことなんですね。保存食とかも消費期限が切れてないかをチェックするチャレンジもあるんです。それをチェックすることで、あるから買わないでおこうっていうことになりますよね。

 あとは食品の期限が切れる前に食べなきゃいけないなって思って、消費するっていうこともあるので、食品ロスも減らせたりするのもいいかなっていうか、それが実は防災になっているっていう気づきになればいいなと思っています」

●あとポリ袋で炊飯という項目もありましたね。

「これは停電で炊飯器が使えなくなった時に、湯煎でお米が炊けるっていうものなんですけど、これ一度やってみてほしいんです! 本当に簡単だし!」

●ざっくり言うと、どんなやり方をすればいいでしょうか?

「耐熱のポリ袋、ビニール袋みたいな耐熱仕様のものを使っていただきたいんですけど、そこに直に白米を入れて、お水を入れて、それを湯煎(ゆせん)して炊くっていうものなんですね。簡単なんです。言われた通りやってもらえれば、ほとんど失敗なくちゃんと美味しく炊けるので、これ覚えておくといいと思うんです」

●すごいですよね。温かいご飯がポリ袋で炊けるんですね!

「意外でしょ。ビニール袋に入れて!? 湯煎で・・・!? っていうのを、私も信じられなかったんですけど、やってみたらすごく簡単でした。

 もちろんガスが止まっていたりとかする時のために、カセットコンロも用意しておいてほしいんですね。例えばガスでやるとなると、お鍋で炊飯することがまず浮かぶと思うんですけれど、それだとやり慣れてないと、失敗することもすごく多いと思うんですよね。ポリ袋炊飯は多分誰がやっても、美味しく炊けると思います(笑)」

●これ覚えておくといいですね!

「アウトドアでも本当に役に立つと思うので、(防災とアウトドア)両方ですよね」

写真&イラスト協力:鈴木みき、エクスナレッジ

寝室と避難場所、チェック!

●寝室の模様替えという項目もありました。自分に倒れてこなくても、倒れたら出口を塞いでしまう家具がないか確認しようということで、そこはちょっと盲点でした。自分に被さらなければ、いいやとしか考えてなかったので反省しました。

「小尾さん家の寝室がどうなっているか、ちょっと見てみたいですけど(笑)」

●出口にも気を付けなきゃいけないんですね?

「そうなんです。地震を想定してのチャレンジではあるんですけど、寝ている時の突然の地震、これまでもみなさん何度も経験があると思うんですけど、意外と寝ぼけていますよね? 揺れてもとっさに何かできるってことはなかなかないので、倒れてくるものがあったり、出口を塞ぐものがないか、一度ベッドに寝転がって目を開けて見てほしいんですよね」

●そうですね〜。あと避難場所までお散歩しようということで、ひとつの避難場所に対して、複数の経路があるといいですよと書かれていましたが、これは確かに大事なことですね。

「最短の道が安全だとは限らないんですよね。例えば、いろんな災害があって、地震だったら洪水だったらとか、いろんなバージョンがあると思うんですけど、それが起こった時に、この経路が果たして安全なのかどうかを、そういう視点で散歩すると、普段の散歩もちょっと違ってくると思います」

●ゲーム感覚というか楽しみながら体験するというのがいいですね!

「防災とか避難訓練ってなっちゃうと、なんかちょっと構えちゃう、やらなくなっちゃうってこともあるし、なんか面白くなさそうじゃないですか(笑)。なので、ゲーム性みたいなものがあると、楽しんでやってもらえるのかなと思って、チャレンジ式っていう感じで本を作ってみたんですよね」

●やっぱり体験しておくと、何が必要で何がいらないかっていうのも確認できますね。

「確かにそうですね。やってみないと分からないことはたくさんあって、だから毎年、避難訓練みたいなものはあると思うんですけど、なかなか自分ごとにはなりづらいですよね。
 本当の災害とか避難生活は、誰でもぶっつけ本番でできるほど、甘くはないと思うんですね。ご自宅でできるんであれば、身近なものでやるので自分ごとにしやすいし・・・なので、この本にあるチャレンジを通して、楽しく在宅避難の類似体験みたいな感じでやってもらえたらいいかなと思います」

『キャンプ気分ではじめる おうち防災チャレンジBOOK』

水、携帯トイレ、モバイルバッテリー

※防災グッズでこれは特に用意しておいたほうがいいと思うものがあれば、教えてください。

「自分の避難した時の経験からも強く伝えたいですし、あとは多くの避難経験者も言っていることなんですけど、水と携帯トイレですね。私がすごく(備えておきたいと)思ったのはモバイルバッテリー。この3つは意外と意識してないと、その量を備えていないものだなと思いました」

●具体的にはどれくらいの量を準備しておけば、よろしいですか?

「水に関しては、1日ひとり3リットルが防災のセオリーとしてよく言われることなんですね。ご家族がいれば、結構大量にはなるんですけど、自分の家にどれだけ必要なのかっていうマイ備蓄量みたいなものも、このチャレンジの中で見つけられると思うので、参考にしてほしいなと思います。だいたい1日3リットルとすると、3日分くらいは最低でも用意しておくといいと思います」

●モバイルバッテリーや携帯トイレは、大体どれくらいになりますか?

「モバイルバッテリーは多分みなさん、スマホとか使っていらっしゃるから持っていると思うんですが、1回分の充電っていうよりはもうちょっと大容量のもの、4〜5回できるぐらいの大きなもの、ご家族がいる家だとポータブルバッテリーと言って、スマホの充電以外にも電気をつけたりとか、ちょっとした家電が使えるようなものも今は買いやすくなっていると思うので・・・。最低限スマホの充電ができるバッテリーを、ひとり1個は必ず持っておくといいですね。

 携帯トイレについては、その人が1日何度用を足すかとか、そういうことにも関係してくるんですけど、ひとり1日3つあれば十分だと思います。ひとり暮らしであれば、ひとつの携帯トイレに何回か用を足すこともできたりするので・・・。ちなみに私はですけど、被災後にこれは携帯トイレを備えとかなきゃ! って思って、手作り用いうか個々に揃えて50セット備えてます。

  業務用のものを買ったから50セットっていう感じにはなってしまったんですけど、多い分にはお互い様なので、災害時にご近所にも配れるし、いいかな思って、ちょっと多めに備えていますね」

(編集部注:在宅避難の大前提として、災害の規模にもよると思いますが、自宅で安全に過ごせるか、備えはあるかなどの状況が許せばということです。そして、定期的に情報を得ること、孤立しないようにすること。そして特にひとり暮らしのかたは、近所に助けを求めることが大事だそうです。

 それから、自分が住んでいる街のハザードマップや防災マップを日頃から確認しておくこと。私もネットで調べたら、すぐ出てきました。ハザードマップには、避難所や給水所など、知りたいことが書いてあります)

写真&イラスト協力:鈴木みき、エクスナレッジ

自分のことは自分で

※ここまでは「おうちで防災」というテーマで、在宅避難のお話をうかがってきましたが、在宅での避難が難しい場合も当然あると思います。避難所に行くときに最低限、持っていったほうがいいものはなんでしょう?

「いろいろあれば、安心だったり便利でもあるんですけど、最低限って言われたら自分の命、それだけを持って行ってもらえればいいと思います。

 それ以外ということで言えば、私もそうだったんですけど、避難所に行けば誰かがなんとかしてくれるって、勘違いしている人が結構多いのかなと思うんですね。災害の規模や自治体にもよるんですけど、被災したことがないとか避難したことがない方が想像しているような、誰かがなんとかしてくれるまでは、時間がかかることが多いんですね。

 それまでは自分でいろいろ備蓄品を使って、自分でやらなきゃいけないとか、そういうことのほうがほとんどなので、備蓄品があるにしても自分で1泊2日ぐらいなんとかできる用意を持って行くと、食べ物とか、安心じゃないかなって思います。飲料水であるとか、さっき言ったモバイルバッテリーの容量であるとか・・・あとは季節にもよりますけど、寒い季節であれば、防寒着であるとか・・・。
 最低限の備蓄品は避難所にあると思ってもらっても構わないんですけど、それが全員に行き渡るかはわからないですね。

 なので、自分が持っていれば自分で持って行って、余ったものは誰かに使ってもらうこともできるので、そのくらいの準備をしておいたほうがいいですね。体育館などで寝ることが多いと思うので、そういうのを想定して、考えてもらえればいいのかなと思います」

●そんな避難所から自宅に戻れることになった時に注意することはありますか?

「これはまず被災状況の確認と言われています。建物に何か異常がないかとか、インフラも急に使わずに確認のステップみたいなものもあるんですね。もし何か異常があった場合は必ず写真や動画に収める、これがあとで保険などを請求する際の罹災(りさい)証明を取る時に必要になってくるので、必ず触らずに、最初その状況を収めておくのが大事になってくるみたいですね」

平時に防災チャレンジ!

写真&イラスト協力:鈴木みき、エクスナレッジ

※山好きでアウトドア経験も豊富な鈴木さんが、2018年に札幌で大きな地震に見舞われ、実際に被災されていちばん役にたったアウトドアのスキルはなんですか?

「いちばんは危険に対する心構えですね。もうひとつあげてもよければ、電力とかインフラがない環境で過ごす経験かなと思います。そこにある危険を想定して備えて出かけるのがアウトドアの基本ですからね」

●防災力を日頃から上げるために、何かやっておくことってありますか?

「それはもうアウトドアに行ってもらうことですね! 体も動かすし、避難行動や避難生活に必要な体力や気力も養えて、一石二鳥というか、それも防災につながっていると思います」

●そうですね。やっぱり普段から家族とか友人たちと、もしもの時の話をするのも大事ですよね。あと体験しておくことも。

「はい、そう思います。平時でしか練習はできないんですよね。避難訓練もそうですけど、災害が起きてからでは本番になってしまうので、ぜひ平時に、この本にある17個のチャレンジを読むだけじゃなくて、実際にご家族やご友人と楽しくやってもらえたら嬉しいです」

写真&イラスト協力:鈴木みき、エクスナレッジ

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INFORMATION

『キャンプ気分ではじめる おうち防災チャレンジBOOK』

『キャンプ気分ではじめる おうち防災チャレンジBOOK』

 鈴木さんの新しい本をぜひ読んでください。おうちでキャンプの予行演習をしながら、楽しく気軽に防災力をあげられます。チェックリストも載っていて、役立ちますよ。一家に一冊、ぜひ! エクスナレッジから絶賛発売中です。詳しくは出版社のオフィシャルサイトをご覧ください。

◎エクスナレッジ:https://www.xknowledge.co.jp/book/9784767830865

 鈴木さんの近況についてはオフィシャルブログ「鈴木みきの とりあえず裏日記」を見てください。

◎鈴木みきさんオフィシャルブログ:https://ameblo.jp/suzukimiki/

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