三方を海に囲まれる房総半島に位置する千葉県。
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第104回 鎌倉幕府成立に貢献「上総 広常」

2022/7/1 UP!

今回は上総広常についてのご紹介です。鎌倉幕府ができるまでのさまざまな出来事の中で、重要なキーパーソンなんです。「鎌倉殿の十三人」にも出てくる人物。4月に佐藤浩市さんが演じてらっしゃいました。ちなみにこの大河ドラマには以前この番組でご紹介した千葉常胤も出てきています。

上総広常は、平安時代末期の武将、豪族です。苗字にあたる上総は上総国からきているので、正式名称は平広常(たいらのひろつね)といいます。ゆかりのある一宮町教育委員会学芸員の江澤一樹さんに伺いました。

江澤さん:

「広常の生まれた上総氏というのは、もともと平氏の一族でして、まあ、平安時代の900年代に関東にですねやってきまして、そこからあのどんどん土着して行くような形になります。そこから 今の千葉市の方に千葉氏ですとか上総を本拠にしちあ上総氏いうのが生まれて来まして、上総地方の支配だけではなく、当時の香取神宮や鹿島のあったあのあたりまで勢力を伸ばしたと言われています。頼朝が平家打倒で挙兵をしたその後に、石橋山の戦いで平家に敗れて房総半島に逃れてくる時に、広常が頼朝の味方をしたと言われています。あの広常が頼朝に味方しなかったら、もしかしたら頼朝がのちに幕府を開くように生き延びることができなかったんじゃないかとも言われています。」

平家とは折り合いが良くなかったといわれる広常。のちに鎌倉幕府を作ることになる頼朝に加勢したというのは、先見の明があったんでしょうか?それとも別の思いがあったのかもしれませんね。当時、すでに今の一宮町、いすみ市、などの地域で勢力を誇っていた上総広常ですが、途中で悲運に見舞われます。一体何があったのでしょうか?

江澤さん

「頼朝のはじめの政権の中で、は重要な位置をずっと占めている中で、最終的には殺されてしまうんですけれども、きっかけになっているのが、おそらく寿永2年年10月宣旨と言われているものでして、頼朝が朝廷から自分の政権を認められる。 っていうものなんですけれども、それを受けたことによって、今まで頼朝は関東にいた豪族たちから担がれた存在から、いわゆる東国の主人という形に認められることになったわけです。つまりですね、頼朝からすると、あの広常たちの力に頼らなくてもいいような状況になった。 でこういった状況もあって、当時、東国の武士団でも代表的であって、かなり強力だった広常という人物が徐々に自分にとっては危険な存在に感じたのは確かかなと思います。おそらくそれが一つの広常を殺すことになった原因の一つじゃないかなと考えられています。」

頼朝にとっては、身内の中で力があるものがいつ裏切るかわからない。今でいうクーデターを起こしかねない、いろんな家来からの妬みの悪い噂とかもあったんのかもしれません。リーダーになった人はある意味孤独だから、苦しい選択をしないといけない時もあったのでしょう。

実は、上総広常がどこに住んでいたのか。これ謎なんです。ここに住んでいました、ここに屋敷がありました、という詳しい資料がほとんど残っていません。

現在、一宮町では歴史の教科書の副読本にもしっかり「上総広常」に関することが書かれているいわば「地元の雄」ですが、一宮町ではより広く多くの方に知っていただくためにこんな計画を持っているそうです。

江澤さん

「令和4年度かけまして、近隣の市町村・広常ゆかりの場所・・・一宮だけではなく、お隣のいすみ市さんとか、睦沢町さんにもありますので・・そういった市町村と連携しまして、資料の展示ですとかパネル展示、それからシンポジウムなど。 それから広常に関する冊子の刊行などを予定しております。(この地の)重要な人物として町興しに生かしていければいいかなと思っています。今、東京オリンピックの会場にもなったりしてサーフィンで盛り上がっているところであるんですけれども、サーフィンだけではなく、広常や他にも地元ゆかりの人物とか、歴史文化っていうものをどうやって発信していって、地元にどういうふうに知っていただくのかっていうのがこれからの課題であり、活動すべきところだと思っています。少しずつ普及啓発を進めていければいいかなと考えています。」

殺されてしまった広常が治めていた領土は、その大半が、千葉常胤に幕府から与えられたそうです。数奇な運命を辿っていますね。一宮町のおとなり、睦沢町の歴史民族資料館では7月1日から来年1月上旬まで「源平騒乱を生きた上総広常の時代と伝説」という特別展示が行われています。鎌倉幕府黎明期に活躍もしたけれど、一方で謎も多い上総広常、ここで新しい発見があるかもしれませんね。

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