土曜深夜のハードロック/へヴィメタル専門プログラム

Every Sat. 25:00~

GO TO ROCK AND ROLL〜ロックの現場から〜その⑧

2021/1/2 UP!

「これは貴重な写真だな!」と見入ってしまった!
1984年10月、W.A.S.P.の初来日公演の際、私のアイディアで新宿ツバキハウスで記者会見を行った。
新聞、写真週刊誌、音楽誌の記者やカメラマンが50人ほど詰めかけた。フロアに椅子を並べ、VIPの横にスペースを作り、メンバー4人用の椅子を並べた。場内が暗転になる中、スモークが漂い、ドレッシングルームから4人が出てきた。その4人が椅子の横に立った。カメラマンがいっせいにフラッシュをたいた。しかし、その4人、実はツバキハウスでも有名な”和製W.A.S.P.”のメンバー。衣装もそっくりで、ブラッキー役の某君は股間にノコギリまで付けていた。驚く記者たち。その時、会場に”I Wanna Be Somebody”が大音量で流れ、本物のW.A.S.P.が登場するという演出だ。イベント終了後、DJブースの前に移動し、W.A.S.P. と東芝EMI、ウドー音楽事務所の関係者と記念写真を撮った。手元に残っている当日の写真はこれのみ。中野サンプラザ公演には、あの西城秀樹さんも観にきていた!!
私がW.A.S.P.と出会ったのは、1983年だと思う。EARTHSHAKERのアルバムのプロデュースでサンフランシスコを訪れた際、後にTESLAのバックライン担当になるダニー・マックレンドンがレコード・ショップに連れて行ってくれた。その店こそ初期のMETALLICAやベイエリアのスラッシュ・メタルバンドなどに多大な影響を与えた「The Record Exchange」。
店主のビルがW.A.S.P.のサンフランシスコ公演の写真をくれた。
「何だ、コレ!!」….
それから間もなく、IRON MAIDENのマネージャーがW.A.S.P.と契約したことを知った…。

GO TO ROCK AND ROLL〜ロックの現場から〜その⑦

2020/12/26 UP!

RAINBOWのマネージャーであるブルース・ペインが契約していなかったら、たぶん、TOUCHのライヴを見る機会は訪れなかっただろう。
新宿西口のレコード・ショップでAMERICAN TEARSのアルバムを買ったのは、初渡英の前だったか後だったか。いずれにしても1974年だったと思う。デビューアルバム「BRANDED BAD」だ。
そして、それから約6年後、TOUCHと改名した彼らのライヴを、1980年8月16日、第1回「MONSTERS OF ROCK」で観た。
RIOTの前、つまりトップバッターとして大観衆の前に姿を表した。RAINBOWと同じマネージャーだからこそ実現したショウだった。

コーラスを多用しながらドラマティックに攻めてくるサウンドが新鮮で、特にAMERICAN TEARS時代の曲”Black Star”はQUEENに対する憧れを赤裸々に綴っているように映った。
前日の15日、金曜日。彼らの宿舎のホテルで、マーク・マンゴールド<key.vo>、グレン・キッカート<ds>とインタビューした。
この時、私が着ていたスウェットに注目していただきたい。


1980年1月の英『SOUNDS』誌の表紙、UFOのフィルとピートの写真をチェック。

私のスウェットはフィルとおそろい!
1980年1月、ロンドンはハイストリート・ケンジントンのショップで見つけて買った。
後に来日したフィルがインタビューの際、私がそれを着ているのを見てビックリしていた。(笑)

GO TO ROCK AND ROLL〜ロックの現場から〜その⑥

2020/12/12 UP!

NWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)の勃興は、1979年、ロンドンに住んでいた私の目の前で起こった。
メジャー・レーベルと契約したバンドは数少ない。しかし、インディーズや自主制作盤で活動の糸口を見つけようとしていたバンドは、とにかく純粋にヘヴィメタルを演りたいという気持ちが強く、こちらの感情移入も濃厚になっていった。
1980年、復活したTEN YEARS AFTERなどの著作権を管理する会社が、新人バンドの発掘のために「AVATAR RECORDS」をスタートさせた。
このレーベルからデビューしたCHEVYと、あの名曲”Lady of Mars”で知られる、DARK STARの2組を、そのレーベルのオフィスで取材した。
SAXONの様に、1970年代から活躍していたバンドにもスポットが当たったのがNWOBHMの面白いところで、CHEVYの前身バンドも古くからローカル・クラブ・シーンで活動を続けていた。このバンドの人脈は、ATOMIC ROOSTERやBADFINGER、THE HANDSOME BEASTS等と幅広い。
1980年、元TEN YEARS AFTERのアルヴィン・リー、HAWKWINDとツアーを行い、EMIのコンピレーション・アルバム「METAL FOR MUTHAS VO.Ⅱ」に”Chevy”を提供。
その後、「AVATAR RECORDS」と契約し、シングル・デビュー。
レーベル初のアルバム、レコード番号「AALP 5001」の「THE TAKER」をリリースした。
ツインギターを全面に押し出したサウンドは、WISHBONE ASHのようでもあり、どこかアメリカン・ロックの世界観をも感じさせた。
バンド名はアメリカ車から取られており、昔はBOSTONやSTEELY DANの曲もカヴァーしていたらしい。
「AVATAR RECORDS」のオフィスでのインタビューで、メンバーから驚きの発言があった。
マーティン・キュア<vo>は、あの「VERTIGO LABEL」で1枚のアルバムを残して消えた、STILL LIFEのヴォーカリストだった。
なるほど、叙情的なサウンドなわけだ。
“Skybird”なんて英国版LYNYRD SKYNYRDではないか!
アルバムのアートワークは、あのヒプノシスが手掛けていた!

左から、ボブ・プール<b>、伊藤、マーティン・キュア<vo>、ポール・シャナハン<g>
この3人は、1971年からCUPID’S INSPIRATIONというバンドで活動してきた。

GO TO ROCK AND ROLL〜ロックの現場から〜その⑤

2020/12/5 UP!

1983年、シアトルのレコード・ショップのレーベル、206レコードから、自主製作EP「QUEENSRŸCHE」をリリースしたバンドは、そのショップのオーナーでマネージャーの奥さん、キム(元キャビンアテンダント)が売り込んだことによって、初めてイギリスの「KERRANG!」に写真入りで紹介されることになった。既にその自主製作盤を持っていた私は、シアトルのそのレコード・ショップに連絡を取り、彼らがEMIアメリカと契約したことを知った。
すぐに東芝EMIの山田さんに連絡を入れて、リリース前に取材を入れてもらった。それが、1983年のTWISTED SISTERとのカナダ・ツアー。我々は、モントリオールに入り、バンドのツアー・バスで移動を続けた。
バンドがどんどん大きくなっていくと、プロとしての力量に欠けるマネージャーが足手まといになり、ついに、解雇して、ピーター・メンチ、クリフ・バーンスタインの、あの「Q-PRIME」と契約する。
「OPERATION:MINDCRIME」の全米ツアーは、もの凄く大きな規模で展開されていった。
私も一緒にツアー・バスで移動した。メンバーやスタッフは、このツアー・アイテナリーを持っていなければならない。
会場、ホテル、プロモーター、プロダクション、マネージメントの詳細が毎日のページに記載されている。

GO TO ROCK AND ROLL〜ロックの現場から〜その④

2020/11/28 UP!

1979年、イギリスのTHE BABYSが初来日した。
1977年に発売されたデビューアルバム「恋のチャンス〜ベイビーズ誕生!」のライナーを担当したのが私である。
ブリティッシュ・ロックらしいサウンドをコマーシャルな方向に拡大させて、アメリカ市場での成功も視野に入れていた。しかし、ルックスが良かったことで、日本ではこのアルバム・タイトルとなった。
ジョン・ウェイト<vo>の実力も素晴らしく、このバンドはあのBAD ENGLISHへと発展して、シングル「WHEN I SEE YOU SMILE」を全米NO.1に送り込むことに成功している。
来日した際、東芝EMIがパーティを開催した。
私が話し込んでいるのは、トニー・ブロック<ds>。
EL&Pのグレッグ・レイクのプロデュースで1972年にデビューした、あの若きトリオ編成のバンド、SPONTANEOUS COMBUSTIONのメンバーである。
1974年、彼はロッド・スチュワートのマネージャーが運営する、「GMレコード」のSTRIDERに加入。
2枚目の「MISUNDERSTOOD」に参加した。1974年8月から9月にかけて、私はこのSTRIDERを追って、ロンドンを含む公演を何度も観ている。ロンドンのマーキークラブでのコンサート終演後、楽屋でロブ・エリオット<vo>とインタビューも行った。彼はカルト的バンドだった、SECOND HANDを脱退し、トニーと同じく2枚目からSTRIDERに参加していた。ブルースをベースにしたヘヴィなサウンドは、FREEに代表されるブリティッシュ・ロックのスピリットを体現していた。
私がトニーに1974年のSTRIDERのライヴのエピソードを語り始めると、「ウソだろ!?」と驚き、他のメンバーを呼んで、彼らに私のSTRIDERのエピソードを聞かせるのだった!

GO TO ROCK AND ROLL〜ロックの現場から〜その③

2020/11/7 UP!


1980年8月15日 金曜日、
私はドニントン・レーシング場にいた。
第1回「MONSTERS OF ROCK」の会場である。
当時、ステージに立つとレースのゴール地点であるダンロップの大きなアーチが見えた。
出演者の取材はレース場のピットの2階で行われた。
RIOTはこれが初渡英。彼らとは初めて会った。
マークがいる。ガイがいる。
素晴らしいバンドが、雨上がりのドニントンで最強のパフォーマンスを披露した。
あのパフォーマンスの熱気を思い出す。
40年前の出来事である…..。

GO TO ROCK AND ROLL〜ロックの現場から〜その②

2020/10/24 UP!

1981年8月、私はMotörheadと共にドイツのフェスティバルをサーキットしていた。彼らは傑作「ACE OF SPADES」を発表して、まさに英国を代表するバンドへと成長していた。その伝説の瞬間に立ち会えたことは、私の誇りでもある…。

8月、GIRLのロンドンはマーキー・クラブ公演の取材に誘われたが、それを振り切ってMotörheadと一緒にドイツに飛んだ。
私はクルーのバンに乗り、広いドイツをサーキットした。シュトゥットガルト、ニュルンベルク…
この年の『GOLDEN SUMMERNIGHT FESTIVAL』には、「KILLERS」を発表したばかりのIRON MAIDENも出演している。
ステージ袖で、最前のフォトピットで、Motörheadを、MAIDENを見た。他にはFOREIGNER、KANSAS、BLUE OYSTER CULT、BLACKFOOT、38 SPECIAL、MOREが出演した。
この写真は、シュトゥットガルトの会場のバックステージ。
Motörheadのキャンペーン・カーで会場入りした。
私が着ているのは「KILLERS TOUR」の幻のTシャツではないか!
右はビクターレコードの横田 晶さん。KISS、RIOT、JAPAN等、数多くのバンドを世に送り出した、伝説のディレクターである!

GO TO ROCK AND ROLL〜ロックの現場から〜その①

2020/10/3 UP!

1979年、夏、ブリティッシュ・サイケデリックの雄、HAWKWINDと会見した。
亡きヒュー・ロイド・ラングトン<g>(左)、リーダーのデイヴ・ブロック<vo,g,key>(右)は、知的で、そしてセンス・オブ・ユーモアの固まりのような人達だった。
場所は、マーキー・クラブの2階にあった、カリスマ・レコードのオフィスか?!

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