2002.3.3放送
音楽生活50周年、サックス奏者・渡辺貞夫さんを迎えて


渡辺貞夫2001年に音楽生活50周年を迎えられ、記念のアルバム『マイ・ディア・ライフ』をリリースされた渡辺貞夫さん。いうまでもなく日本ジャズ界の巨匠であり、“世界のサダオ”として活躍中のサックス・プレイヤーです。この50年、常に前向きに生きてこられた中、旅という意味でも世界のあちこちに行ってらっしゃいます。まずはそんな旅のお話からスタートしました。
「楽器を演奏するという、いわば仕事の旅がメインですが、旅はもともと好きなので、テレビのレポーターなどで、行きたいところの話があれば、すぐに食らいつくという感じですね。」

まぁ、レコーディングということでいうと68年にブラジルに行かれたのが最初?
「68年当時は日本ではブラジル音楽はまだそんなに聴かれてない時代でした。僕は65年ぐらいから興味を持ちはじめたんです。ニューポートのジャズ・フェスティバルに招待されていったときに、小野リサのお父さんがブラジルでクラブをやってて、“貞夫さん、その後来ませんか”というので、“是非”と。で、よく覚えていないんだけれども、3週間ぐらい滞在して楽しんじゃったんですね。当時のレコード会社がせっかく行くんならレコード作ってきて下さいよと、30万渡されたんですが、当時としてもレコード1枚作るのに30万というのはねぇ、ずいぶん少ないお金だったんですが、結果としては作ってきたんですけどね。」

その場所によって空気も違いますし、音も違いますよね。
「68年はブラジルといってもサンパウロしか知らなかったんですが、あそこは緑豊かで土地柄がいいんです。適度な湿度もあるし。アメリカなんかは特に西の方はもっと乾燥してますね。ですからアメリカに一ヶ月もいると、サキソフォンでも楽器の鳴りが変わってきます。非常に楽に音が抜けていくというか、よく鳴るようになるんですね。日本は非常に湿度のある国なので、どうしても楽器に対して神経質になりますね。楽器を鳴らすということに関しては難しい国ですよね。」

乾燥しているという意味ではアフリカもそうですか?まぁ、アフリカといっても広いですが。

「そうですよね。サハラ砂漠なんてカランカランな所ですし、楽器を演奏したいと思うようなところではないですね。東アフリカ・中央アフリカなんかは緑が一杯ですね。」

渡辺さんは72年にアフリカに行かれてから、もう何度も行ってますよね。
「そうですね。ずいぶん行ってます。」

惹かれるものはなんですか?
「惹かれるものですか?とにかくアフリカには全部あります。全部あるって、説明が足りないですよね(笑)。風土が厳しいですよね。でも土地が雄大だということで、そこで折り合って生きてる人たち。やっぱり土地がでかいということが、おおらかさにつながるのかなって思いますね。まだまだ日本なんかより人間的なコミュニケーションが密ですから嬉しくなってしまいますね。とにかくみんなで助け合っていかなきゃ、生きていけないような場所なんですよね。」

渡辺さんは96年にはチベットの方にも行かれていますが、チベットも厳しいところですよね。そういういろいろなところでいろいろな人に会うというのが音楽のインスピレーションとして大きいものですか?
「インスピレーションというよりも精神的に、いろいろな状況の中でけなげに生きている人たちから、たくさんのプレゼントをもらって帰ってきますよね。」

渡辺さんはいろいろなところの子供たちともコラボレーションしてますよね。

「まぁ、僕が旅には必ず楽器を持っていくので、音を出すのが手っ取り早いコミュニケーションなんです。本当に嬉しくなっちゃう想い出もたくさんありますよ。あれはインドのアルナチャルという山奥なんですけど、そこに行ったときに子供たちに会って、小学校に泊まったりしてね。僕がソプラニーノを出したら、みんな見たことないわけですよ。テレビもラジオもない場所なんで、サキソフォン出して、僕がプーと吹くと、みんなキャーキャー騒いじゃって、僕の周りあらゆるところに子供たちの嬉しそうな顔があって、僕の吹く音に合わせて、めちゃくちゃなんですけどみんなが歌うんです。ホントに30センチぐらいの間が顔で一杯になったときなんか、非常に嬉しかったですね。そんなことがあって、次の日帰るときも、山からつづれおりになったところを帰るじゃないですか。そうすると近道してまっすぐ駆け降りて、またさよならって。で、僕が山道を曲がる間に先回りして下にいて、みたいな。あの時の嬉しさは忘れられないですね。」

渡辺さんは本当にあちこち行ってらっしゃって、写真を撮るのも大好きだとか?

「70年代の中ほどからカメラに興味をもって、ひとときずいぶん撮りましたけどね。やはりブラジル、アフリカ、チベットに行くというときはカメラは必ずスタンバイしますね。それ以外のところは最近ものぐさで(笑)。」

どうでしょう。70年代から今まで写真を撮っている中で、変わってしまった風景も。

「ありますよ。今、世界が壊れてきてますから。地球の砂漠化もひどいですから、サハラ砂漠の中なんてのは本当にひどいもんですよ。町の半分が砂に埋まってるとか、そういうことがあるわけですから。このままいったら地球は終わるんじゃないかという危機感は非常に強く持ってますね。それがいつ来るのかというのはわかりませんが、とにかく少なくとも人間は地球をずいぶん壊してきたわけですから、反省して、小さいところからでいいから、みんなが“自然に生かされているんだ”という意識を強く持たないと。ただ、地球の蘇生力といったらいいのか、そういうものの凄さも感じてるわけですよね。ですからそこに願いを託すしかないんでね。人間が本当に傲慢に生きてきましたから、もっとつつましく生きなきゃいけないなということをしみじみ感じるんですけど、ただ、僕たちこうやって都会で生活して、楽な生活というのを知っちゃったわけですよね。だからこれを捨てるというのは非常に難しい。ですけど、とにかく人間がエゴを少なくしていかないと地球は終わると思いますね。」

実は、渡辺さんは私たち「ザ・フリントストーン」にとっては前々からお話をうかがっている人の一人だったんです。というのもゲストのお一人、モンベルの社長、辰野勇さん。何度か出演していただいて、笛の演奏も披露していただいたんですが、その笛の師匠が渡辺貞夫さんだったということで。
「彼とチベットに一緒に2回行ってましてね。今年もまた8月に行くんですが、はじめて行った96年、成都という町で3日も待たされて、その時に町を歩いてて笛を見つけて、僕が買って、彼も僕につられて買いまして、少し教えたら、もう夢中になっちゃって、吹き出しちゃって止まらなくなってという感じで。それで旅先で竹を見つければ竹を切って自分なりの笛を作ったりとか、いろんなことをやるようになって(笑)。」

まぁ、音楽生活50年。まだまだこれからもやりたいこと、行きたい場所、たくさんありますか?

「あります、あります。旅がないと生き甲斐がないというか、仕事の旅もそうですけど、そうじゃない旅もたくさんしたいですね。やはり人との出会いとか、非常に大切だと思うし、嬉しい出会いを求めて、これからも生きていきたいなと思ってますけど。」

まだ行っていないけど、ここは行ってみたいと思われるようなところはありますか?
「はじめてアフリカに興味を持ったのが、ピグミー族だったんですよね。伊谷純一郎が書いた『ゴリラとピグミーの森』という本があって、その当時、その場所に行ってみたいなと思ったんですが、いまだに行ってないんですよ。アフリカなんて何十回も行っているはずなのに。ですからピグミー族には是非会いたいなと思ってますけど。」

じゃぁ、そのピグミー族との共演の曲とか、楽しみにしています。
「僕も楽しみに。とにかく元気なうちに行きたいですよね。」

う〜ん。渡辺さんのこの先のコンサートとかの御予定は?
「毎年やっているんですが、今年は3月23日から4月6日ぐらいまで、国内の小さなジャズ・クラブでクァルテットで旅をします。やはり小さなクラブだとごく近いところで音楽できるわけですから、僕、そういうの好きなんで、楽しみにしているんです。」

音楽生活50周年の渡辺貞夫さん、まだまだ意欲満々という感じでした。

渡辺貞夫CD渡辺貞夫さんの50周年記念アルバム
『マイ・ディア・ライフ 〜 50THアニヴァーサリー・コレクション / 渡辺貞夫』

ユニバーサル・ミュージック/UCCJ-2011/2 /¥3,800(税込み)
渡辺貞夫さんの代表的な曲がぎっしり2枚のCDにコレクションされたベスト盤です。
全29曲収録。“パストラル”“カリフォルニア・シャワー”“モーニング・アイランド”“オレンジ・エクスプレス”“ラウンド・トリップ”、そしてもちろん、“マイ・ディア・ライフ”は新録音ヴァージョンを含む3ヴァージョン入りです。
渡辺貞夫さんの、レコード会社のサイトはこちらです。

渡辺貞夫オフィシャル・サイト http://www.sadao.com/

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