2017年12月9日

オーロラ科学の世界的権威「赤祖父俊一」
〜アラスカ在住の地球物理学者

 今週のベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーンのゲストは、ノンフィクション・ライターの廣川まさきさんです。

 廣川さんは1972年、富山県生まれ。2003年にたったひとりでアラスカ・ユーコン川およそ1,500キロをカヌーで下り、その旅の記録をまとめた『ウーマンアローン』で、第2回「開高健(かいこう・たけし)ノンフィクション賞」を受賞。その後も、アラスカの先住民と暮らした日々を綴った『私の名はナルヴァルック』などを発表している、気鋭のノンフィクション・ライターです。

 そんな廣川さんの新刊が『ビッグショット・オーロラ』。アラスカに住む日本人地球物理学者、赤祖父俊一(あかそふ・しゅんいち)さんとの出会いがきっかけとなり、書き上げた渾身のノンフィクションです。

 赤祖父先生は、1958年にアラスカに渡り、著名な科学者たちと交わりながら、宇宙の謎、オーロラの研究に人生を捧げた、オーロラ科学の世界的権威です。現在はアラスカ大学の名誉教授、そして12月4日に87歳になりました。
 今回は廣川さんに、赤祖父先生の横顔や、極寒のなかでのオーロラ撮影のお話などうかがいます。

私を変えた先生の一言!?

※廣川さんはどうして、オーロラに興味を持つようになったのでしょうか。うかがってみると、意外な答えが返ってきました。

「オーロラはアラスカに滞在している時に見ていたんですけど、ごく普通に太陽や星空を眺めるような感じで、“あー、出てるなぁ”程度だったんですよ。というのも、そもそもオーロラを見ている環境が私の場合はちょっと違っていて、例えば寒い夜空の中で、出たくもないのにテントから出てトイレに行かなくちゃいけないとか、それからアラスカだと、ログハウスみたいな小さなキャビンに滞在することもあるんです。そうすると、夜中にもぞもぞしながらトイレに行くんですよ。外に出ると星空もオーロラもすごく綺麗に出てるんですけど……心がね(笑)。いつも状況が厳しいので、なかなか“すごい! オーロラが出てる、キャーッ!”っていうことにはならなかったんですよ。そういうこともあって、憧れるっていう気持ちとはちょっと違かったんですよね。

 だけどある日、赤祖父先生がオーロラに関して言った衝撃的な言葉を偶然耳にしたんですね。先生は長年、オーロラを研究されている方なんですけど、“アメリカがオーロラを研究するきっかけとなったのは、日本軍がアリューシャン列島を侵攻したからなんだよ”っていうことを、ぽろっと言ったんですよ。私、それを聞いて“ええ〜っ!? なになに!?”って感じで、その言葉がすごい衝撃的だったんですよ。

 それまではオーロラにさほど興味を持っていなかったんです。逆にオーロラを見に来ている日本の観光客の人たちを見ているほうが楽しかったところがあるんですけど(笑)、その先生の言葉を聞いてからググググッと興味が向いて、“ちょっとオーロラのことを調べてみよう”と思って調べてみたんですよ。そしたら“なんじゃこれ!?”ってくらい、素人が手をつけられないほど科学的に難しいんですが、科学の視点からみてもすごく面白い分野なんですね。

 歴史としてみても、オーロラの空の下に住む先住民たちの言い伝えとかから始まって、その次に大航海時代があって、いろんな冒険家たちがオーロラを目にすることになるんですよ。その冒険家たちが自分の国に帰ってくることで、今度は一般の人たちがオーロラの存在を知ることになるんです。その中で、科学者たちもオーロラの存在を知り、オーロラを探究していくんですね。そのひとつひとつの歴史をみても、すごく面白いんですよ。
 その中に科学者たちや冒険者たち、先住民族たちのヒューマン・ドラマもあって、“すごく面白い世界だな”と思ったんです。それで“これはもうちょっと、先生に聞きたい! 改めて先生に会いに行こう!”と思って行ったんです」

オーロラは巨大電力!?

※オーロラはまだまだ謎が多く、わかっていないことだらけですが、一言でいうと、北極や南極、つまり極地で見られる発光現象。その発生のメカニズムをごく簡単に説明すると、太陽から吹いてくるプラズマ状の粒子(太陽風)が、地球の大気に含まれている酸素原子や窒素分子とぶつかって発光するそうです。

 赤祖父先生は、コンピューターも人工衛星もない時代に、今では常識となっているオーロラ科学の大発見を成し遂げています。
 そのひとつが「オーロラオーバル」。オーロラは地球の極地を取り囲む大きな環になっていて、その環の形は楕円形である。
 そしてもうひとつが、赤祖父先生が名付けた「オーロラ嵐」。これは、オーロラが激しく揺れ動く動作のことです。1960年代頃までは、オーロラの一連の変化は一晩に1回だけとされていましたが、赤祖父先生は嵐の海辺の波のように、揺れ動く動作は繰り返されると証明しました。

 そんな赤祖父先生に、廣川さんはこんな素朴な疑問をぶつけたそうですよ。

「ちょっと先生は困るかもしれないけれど、“例えばオーロラに指を突っ込んだらどうなるんですか?”とか聞いたんですよ」

●それ、聞きたい! どうなるんですか?

「例えば、蛍光灯は電子レンジに入れると光るんですよ。あとは、高圧電線の下に持って行っても光るんですよね。オーロラと蛍光灯は類似している点が多いので、よく蛍光灯を用いてオーロラを説明される方も多いんですが、じゃあ、蛍光灯を電子レンジの中に入れたら光るとすれば、プラスとマイナスをつながないままオーロラの中に蛍光灯を入れても光るんじゃないか、と思ったんですね」

●えっ、光るんですか?

「光ると思うんですよ。オーロラ自体は大きな電力を持っていますし。ただ、光る前にものすごいことが起こってしまうらしいんですね。それが何なのかは『ビッグショット・オーロラ』を読んでいただくしかないんですが(笑)」

●想像するに、オーロラはすごいパワーなので爆発してしまったりするんですかね?

「いや〜、どうでしょうねぇ」

●じゃあ、そのあたりは本で答えをチェックしていただくとして(笑)、とにかくオーロラ自体は、巨大な電力源になり得ると思っていいってことですか?

「そうですね。それが利用できたら、地球上の電力はほぼカバーできるし、原子力発電所なんてひとつも要らなくなると、先生はおっしゃっていましたね。でも、例えば雷だって巨大電力ですよね。でも、それも未だに使えていないですし、オーロラもまだ使えていないんですよね。それはもったいないですよね」

●そうですよね! それが使えたら、再生可能エネルギーとしてはかなり有力ですよね。

「オーロラにコンセントとかを差し込んでスマホを充電できたら面白いですよね」

●だいぶ長いコンセントが必要になるかもしれませんが(笑)、できたらいいですよね!

*蛍光灯を電子レンジに入れるのは大変危険です。絶対にやらないようにしてください。

気温差は70度!?

※今回の本『ビッグショット・オーロラ』には、神秘的なオーロラの写真も載っているんですが、実は廣川さんが最初にオーロラを撮影した時は、本当に大変だったそうです。

「実際に撮りに行ったら、最初の日はひどかったですね。レリーズっていう、遠隔でシャッターを押す線がですね、普通にシャッターを押しているのに“パキッ、パキッ”って鳴りだすんですよ」

●普通はならない音ですよね(笑)。

「寒さがマイナス40度なので、配線が凍りついて棒のようになっていて、それを何も考えずに押していたので、普通の配線コードが折れるような音がしていましたね。その後にもいろんなことが起こったんですよ。もう、すったもんだ!」

●(笑)。そもそも、マイナス40度でカメラって動くんですか?

「それが動くんですねー、びっくりしましたよ! カメラを買った時に、どのくらいの気温まで耐えられるのか説明書を見てみたら、どこまでの暑さなら耐えられるかは書いてあったんですよ。たぶん、アフリカの砂漠に行く人を想定してだと思うんですけど。でも、マイナス何度まで耐えられるかは書いてなかったんですよ。だからもう、行くしかなかったんですね」

●アラスカは想定されていなかったんですね(笑)。でも、寒いところから暖かいところにカメラを持って行くときは、大丈夫だったんですか?

「あ、それだけは気をつけていましたね。急激な温度変化にならないように、カメラを(布で)たくさん包んで行きましたね。ビールを冷やして持って行くときのアイスバッグをカメラバッグにして。というのも、写真を撮りに行っているときは外気がマイナス40度なんです。でも、友人の家に居候させてもらっていたんですけど、その友人の家ではストーブをガンガン焚いているんですよ。アラスカでは、冬は薪ストーブをガンガン焚いていて、みんな家ではTシャツ、半袖で過ごし、ストーブの前でアイスクリームを食べているんですよ。アラスカはアイスクリームの消費が夏よりも本当に多いんですよ。そうなると、外はマイナス40度。だけど家の中は30度くらいあるんですよね」

●70度くらい気温差があるんですね。そこでカメラを慣らしていくのは大変ですね。

「だからカメラは、すぐに室内に入れてはダメだろうなっていうのは、最初から思っていましたね」

●あと、オーロラを撮っていても、オーロラが出るときと出ない時があると思うんですが、そのタイミングをつかむのは大変じゃないですか?

「そうですね。でもオーロラは、強いか弱いかという違いだけで、本当は毎日出ているんですよ」

ユーコン川、初めてのオーロラ体験

※最後に、廣川さんが忘れられないオーロラの話をしてくださいました。

「最初の本『ウーマンアローン』を出した時に、それはユーコン川を下った話なんですけど、そのユーコン川を下っている時に見たオーロラですね。1,500キロのユーコン川をカヌーで下ったんですが、6月にスタートしたんですよ。そのときは白夜だったんですけど、アラスカの夏は早く終わるので、8月の15日ぐらいになると、徐々に闇がやってくるんですよ。
 白夜が終わって闇がやってくる頃に、周囲360度が遠くに見えるような状況にいると、地平に太陽が残っていて、世界をオレンジ色とピンク色に染めているんですよ。ですが、白夜が終わりに近づいているので、闇がその反対側からやってくるんですよ。そうすると、反対側の地平には闇があって、星空も輝き出すんですね。
 その時にオーロラが出ると、青い夜空の中に浮かぶオーロラを全天の中の半分で見ながら、もう半分の空の中にピンクの世界があるんですよ! ピンクと青の世界の中にオーロラがある、というような感じだったんです。極夜の12月、1月、2月ぐらいだと夜のほうが長いので、その頃に見るオーロラも素晴らしいんですけどね。

 地平にある太陽っていうのは、朝焼けなのか夕焼けなのかわからない状態なんですよ、朝焼けがそのまま夕焼けになっていくようなものなので。そんな、地平で真っ赤に染めている太陽と、反対側では闇がやってきて、オーロラが空を覆い始めてくるっていう状況が、ひとつの空で見える。今までいろんなオーロラを見ましたけど、それは今でも心に残っていますね。その時は、ユーコン川を下った時だったんで、周りには誰もいなかったんです。不安と孤独を楽しむっていう、よくわからない精神状態の中で、テントを張りながら旅をしていた時に見たオーロラでした。それが私の、初めてのオーロラ体験ですね」

●それを見た時、廣川さんはどんな気持ちだったんですか?

「その時は、自然の中に自分ひとりしかいないんですよ。なので、“おそれ”っていうのはずっと持っていました。おそれの中で、そのオーロラと夕陽を見た時に、ふと何かに包まれたような気がしましたね。何かピースフルな……“君は、ここにいてもいいんだよ”って、誰かに言われているような……。“君は、360度誰もいない、この大地にひとりでいるけど、いてもいいよ”って言われた気がした、そんな空でしたね」

※この他の廣川まさきさんのトークもご覧下さい

YUKI'S MONOLOGUE 〜ゆきちゃんのひと言〜

 まだまだ謎だらけのオーロラ。そんなオーロラの謎を解き明かしているのが、日本人だったとは驚きでした。そして同じ日本人として誇らしいですよね。いつか本物のオーロラを見た時「赤祖父先生」の事が頭に浮かびそうです。

INFORMATION

新刊『ビッグショット・オーロラ

 小学館 / 税込価格1,404円

 赤祖父先生とのエピソードや、オーロラ撮影の裏話などが満載。赤祖父先生がどんなにすごいかたなのか、そしてちょっとお茶目な素顔もわかる、素晴らしいノンフィクションです。詳しくは、廣川さんのHPをご覧ください。

今週のオンエア・ソング

オープニング・テーマ曲
「(MEET) THE FLINTSTONES / THE B-52's」

M1. STORY OF MY LIFE / ONE DIRECTION

M2. ANYWHERE IS / ENYA

M3. BITTER SWEET SYMPHONY / THE VERVE

M4. WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT / JOHN LENNON

M5. ALASKA / MAGGIE ROGERS

M6. YOU ARE NOT ALONE / MICHAEL JACKSON

エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」